夜の声宴

@jm-system

第1夜 奥で光る

 私には霊感というものがある。これはどうやら家系的なものらしいけど、両親にソレはほとんどなく、母方の祖母がやたらと強い。一般的には「隔世遺伝」といわれるものなのだろう。そんな私は自身の経験はもちろん、友人、知人から様々な相談も受けてきた。これから気が向いたときに、たくさんあるエピソードをいくつかお話していこうと思う。

 とりあえず今ここで注意はしておこう。私自身としてはすでに感覚が麻痺してしまっているので、コレが他人にとってどれほどの恐怖となるのかは分からない。けれども、今から私の話すことは、ジャンルで言えば間違いなく〝ホラー〟なのだから、そういったことに滅法弱い方にはお勧めできるものではない。いいかい?忠告はしたからね。

 それじゃあ、今夜は最初なのだから、私が経験したコトをご紹介しよう。



 私の霊感がハッキリと自覚できたのは小学4年生のときだった。7月も夏休みに入ってすぐのころ、私は家族や祖父母、親族の何人かと、日本海側の海へ旅行に行ったときのことを話そうと思う。

 霊的な存在にも〝良い悪い〟はある。その時は全然知らないことだったけれども、私は、私に悪意を向ける相手が居ると気分が悪くなるらしい。こんな話をするんだから、当然、そこには私に悪意を向ける存在が居たんだ。それが私に決定的なダメージを与えたのは、食事を終え、再び海水浴で遊び始めた午後2時ごろだった。

「あれ?ちょっと顔色悪いわね・・・」

「あ、お母さん・・・うん、ちょっと気持ち悪くなってきた」

ほんの少しの吐き気と、ちょっと視界がクラクラするような軽めの眩暈が私を襲う。母は私の額に手を当てて、まるでそこに体温が電子表示されているとでも言わんばかりに視線を私の頭上へと向けた。

「う~ん、熱はなさそうだけれど、どこかの影で休む?それとも先に部屋に行っててもいいよ?」

この海水浴場は白い砂浜が広がるような場所ではなくて、辺りに比較的大きな岩場もあるような場所だ。なんなら親戚のお兄ちゃんたちは素潜りでサザエなんて取ってたりもする。強い日差しを避けられる影はあちこちにあるのだけれど、体を横たえるにはゴツゴツしていて不向きだ。今日宿泊するそれほど大きくはないホテルも階段を上がったところにある。階段が少し面倒だなと思いつつも、部屋に行けば体を休めるに適した場所はいくらでもある。ついでに言うとエアコンもあるのだから、きっと快適に回復できるだろう。

「先に部屋で休んでるよ」

「一緒に行こうか?」

「うぅん、1人で大丈夫。すぐそこだもん。それに・・・階段の往復、シンドいでしょ?」

別に急な階段というわけでもなく、受け応えもしっかりしている私と、階段の往復を天秤にかけたであろう母は、さっきと同じように、しかし今度は自分の頭上を見るかのように視線を上げ、少し思案したような表情を見せた。

「途中でダメだと思ったら手を振りなさい。見てるから」

ニコリと笑顔を見せた母は私の頭を撫でた。近所でもしっかり者で有名な私だったことも手伝って、私が1人で部屋まで行くことに誰も何の抵抗もなかったんだ。


 「う~ん・・・ちょっと疲れたなぁ」

階段が私の体力を想像以上に奪ったのだろうか?息を切らせるまではいかなくとも、平常時より幾分か弾ませた私は、4年生にしてはしっかりしてると誰しもが思うだろう受け応えでフロントから部屋の鍵を受け取り、私たち家族が泊まる予定の部屋へと足を踏み入れた。

 民宿が周囲に立ち並ぶ中、ここはホテルとして建てられていて客室は洋室だ。4人分のベッドが並ぶ部屋とリビングに相当するだろう部屋に分かれているのだから、なかなかに立派な客室なのだろう。そのままベッドのある奥の部屋にまで行こうかとも思ったけれど、まずは喉を潤すのも含めてソファに腰を降ろした。

 なかなかに座面がフカフカしたソファだ。大人と比べれば小さな体が沈み込む。手にしていたペットボトルのお茶を数口飲み、ソファの前に置かれているテーブルに置こうと上体を前に屈める。思ったよりもそれに労力が必要だった。想定外の沈み込み具合と疲労が重なっているのだろう。一瞬、ペットボトルを置いた側にあったテレビのリモコンに手を伸ばそうとしたけれど、画面に映る何か、誰かを見るために瞼が力を使うより、体を休めるために、暗闇にするために瞼が力を使わない方を選んだ。

 ソファの沈み込み加減が悪魔的だったとでも言えばいいのだろうか?そこでそうしようと決めたわけでもないのに、閉じた瞼が再び上がることもなく、本来なら休むに適したベッドへ移動するために四肢が体を持ち上げるようなこともなく、私は眠りに落ちた。


 ・・・息苦しい。瞼はまだ力を使ってはいないけれど、徐々に意識を取り戻しつつある私の頭は、自分がどういう状態、恰好なのかを感覚的に伝えて来る。

 私は疲れた身体を休めるためにホテルの部屋に入り、ソファで居眠りしたことを思い出す。苦しいと感じるのはどうやら、背もたれの高さが肩のあたりにピタリと揃ったせいで、力を失った首が頭を支えることができなかったみたいだ。背もたれに頭を預けるように、首を反らせたまま眠っていたらしい。だいぶハッキリしてきた意識の中で自分の姿勢を想像してみると、なるほど確かに苦しそうだ。まだ休んでおきたい私は、自分の体をベッドに放り投げるために、まずは瞼に仕事をさせることにした。


 「・・・・」

自分が何を見ているのか分からない。いや・・・ちがう。何を見ているのかはハッキリと分かる。〝目〟だ。そして女性の顔だ。呼吸する息がかかるほどに間近に、しかしその女性は背もたれ側から私を覗き込むように、何の感情もうかがい知れない。今なら〝虚無〟という言葉を使えばピッタリな目が、顔が目の前にある。眼球を動かさなくとも、彼女の髪がまるで私と彼女を結び付けているかのように、遮光カーテンかのように二人の顔のわずかな隙間を外の空間から隔離している。

 声が出せない。何かの要因でそうなっているワケじゃない。声を出すために口を開こうものなら、その開いた入口から私の体内に彼女の〝何か〟が入ってきそうな気がして、口を開けることが怖かった。

 この女性が誰なのか?ここで何をしているのか?どうやって入って来たのか?いろいろな疑問が瞬間的に浮かびはするけれど、そのすべてを上書きするかのように、彼女の目から視線を外すことができないばかりに、何にとも分からない漠然とした、それでいてハッキリとした恐怖が私を支配する。そういえば、「息がかかるほどに近い」と思ったけれども、かかるはずの〝息〟を感じることができなかった。

 たぶん、目を開けた瞬間から分かっていたことだったと思う。外を完全にシャットアウトするように、カーテンのように覆われた髪。暗闇に近いはずのそのわずかな空間でもハッキリと見えるその顔。たぶん、キレイな顔をしているのだろうけれど、そんなコトがまったく頭を過らないほどに冷え切ったその表情、目。笑っているでも、怒っているでもない無表情・・・いや、感情そのものがソコに無い表情。確かにに目の前にあり、イヤというほどに強い存在感がありながら、まるで無い気配。全てが幼い私でもそうだと分かる。彼女は人じゃない。


 どれぐらい目を合わせ続けたんだろう?気がヘンになりそうなほど長い時間、彼女と目を合わせ続けていたように思える。だけれど、たぶんそんなに長くは無い。もしかしたら一瞬?長くても数秒?数えきれない混乱と恐怖が私の中を駆け巡ったのだけれども、それを止める出来事があった。

 彼女の顔が透けていたとは思わない。それだけ強い存在感もあった。それでも彼女の頭の向こうで、何かがキラリと光った。鏡かガラスか・・・何かそういったモノが光を反射させたような光だった。けれど、ソレを目にした私が何かを考えるよりも早く、まるで思考することを阻止するかのように、私は顔に強い衝撃を受けた。そんな距離も無いはずなのに、逸らすことのできない彼女の目が近づいてきた。「近づいてくる」という情報が先だったのか、痛みすら伴う衝撃が先だったのか、私には分からない。何が起こったのか分かっているのに理解できていないアタマが、とりとめもなくフル回転しようとした矢先、やっぱりそれを阻むかのように、まるで滝にでも打たれているかのように、私の顔を、胸元を・・・ううん、私の座っているソファごと濡らすかのように、何かの液体が降り注いだ。〝血〟だと私のアタマは理解した。


 「ガボグボ・・・」

彼女の首が落ちた。それ以外に考えられず、そうとしか思えない。残された方、きっとまだ私の上にある首から、彼女の体内を駆け巡っていただろう血液が一斉に噴出したのだろう。そもそもそうなったとき、どれほどの量が噴き出すのかなんて知りもしないけれど、彼女が人ではない以上、その量に大した問題も疑問もない。あるのはただ、最早叫ぶ以外に何もできないほどの恐怖だった。ついに開いた私の口は、叫び声は上げさせないとでもいうのか、大量の血液が瞬時に満たされていく。確かに口中に広がる血液の味が、やはり血液だということを私に確信させ、ようやくにして私は私の体を引き起こすことに成功した。


 まるで映画か何かで場面が切り替わったかのようだった。背もたれに預けていた上半身を引き起こした私だったけれども、体のどこも赤く染まったところは無かった。さらにいえば、私の下にあるソファのどこも、濡れた様子はなく、もとの緑色を保ったままだった。恐る恐る首を左の方へ向け、首の動きだけで見える範囲に限界が来ると、連動するように上体も同じ方向へ曲げていく。そこに残されているだろう彼女の頭以外は、私の目に映ることは無かった。

 気分の悪さと寝相の悪さが引き起こした〝悪夢〟だったのだろうか?そうであってほしいという私の願いも虚しく、私の目は背もたれの影から伸びる髪の毛を映し出した。その瞬間、自分でも身体が凍り付いたのが分かった。ようやく、私の額から汗が一滴流れ落ちた。


 今にして思えば、なぜそうしようとしたのか分からない。本来なら、すぐさまその部屋を飛び出し、「頭がおかしい」と思われようとも、とにかく人間と一緒にいるよう行動すべきだった。「怖いもの見たさ」というものだったのだろう。私は恐る恐るだったけれども、その髪がどこから生えているのかを見ようとした。まず先に両手をゆっくりと伸ばし、背もたれのヘリを掴む。ゆっくりと体を背もたれに引き寄せると、見えている髪がゆっくりと同じペースでその長さを伸ばしていく。あとは背もたれから顔を向こう側に出して下を覗き込めば、さっきまで目にしていた〝彼女〟がそこに居るハズだ。もしかすると待っていたかのようにこちらを見ているかもしれない。もしかしたら、私と再び目があった瞬間、彼女は笑うかもしれない。あの冷たい表情のままで。


 私がいよいよ覗き込もうとした瞬間、部屋の扉が勢いよく開いた音がした。それと同時に祖母の「ダメっ!」という叫びにも似た声が聞こえた。



 後で知ったことだけれども、そのホテルはもともとあった洋館を改築して作られていた。どうやらその洋館の当主にはアンティークの収集癖があったようで、貴重な調度品が数多く存在し、雇っていた数人のメイドたちが当主の指示の下で管理や手入れを行っていたそうなのだけれど、その中にソレはあった。どこからどうやって手に入れたのかは分からないけれど、実際に西洋で使われたことのあるという〝ギロチン〟だ。

 どこからその呪いの連鎖が始まったのかは分からない。それでも、ギロチンにかけられた人は次の犠牲者が現れない限り、そのギロチンに縛られる。私が目にした彼女は手入れをしていたメイドだった。その美しい顔立ちから当主に気に入られていたらしい彼女は、仲間のメイドの嫉妬を買い、ワナにかけられたという。当主が大切にしていた調度品の1つを破損させ、それを彼女の所業とした。よくある話だ。

 彼女がギロチンで首を落としたのが呪いのせいだったのか、当主の逆鱗に触れたのかは彼女にも分からない。それでも、彼女は首を落とし、ギロチンに縛られた。そして長い年月の果て、そこから抜け出すために私を次の犠牲者に選んだというわけ。

 ・・・どうして私がそこまで詳しいのかって?



だって、私が引き継いだのだから、当然よね。

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