第26話 普通じゃない安倉家
日本に来てから三日目、僕たちは和歌山県を離れて芽亜里の故郷である千葉県を目指して、名古屋から新幹線に乗っていた。
「でもシアンいいの? あなたの『故郷』に寄らなくて?」
「前世のな、今回はお前達の里帰りが目的だ。気にしなくていい」
芽亜里がシアンさんに、彼の前世の故郷であるという岐阜県に行かなくていいかと聞いて、シアンさんは笑いながら答えた。
〝転生者〟や〝転移者〟は自分の故郷だった世界に執着しない人が多いという。
その傾向は特に日本人に多いらしい。なんでも過酷な会社勤めや悲惨な日常といった、辛い人生経験が要因になってる事が多いらしい。
シアンさんも同じかな? そう思ったけどパウリーネも同様だったらしく、つい質問していた。
「シアンって、前世じゃ辛いことがあったの?」
「ん? そんな事はないぞ。前世は小さな会社でプログラミングの仕事をしてて大変だったが、やり甲斐はあったし社長を含め仲間達は互いに気遣いしてくれるいい奴らだったな。まあ、定年前に死んで40年以上経ってしまったからな」
シアンさんが懐かしそうに遠い目をして話す。どうやら名残惜しさはあるらしい。
そうしたら今度は芽亜里が質問をしてきた。
「そう言えば聞いたこと無かったけど、シアンの前世の死因って何だったの?」
「それをストレートに本人に聞くか? …まあ実はよく分からなくてな」
「ええ?」
「前世の記憶を取り戻したのが10歳になってからだったんだが、その最後の記憶が夜に布団に入ったのは間違いないんだが」
「寝ている間に死んだって事ですか!?」
「らしい。前に
「つまり原因は不明ってこと……?」
何とも奇妙な話に僕たちは何とも言えなくなる。
「あ〜…そういう事だったのね〜…」
そんな空気をよそに読書をしていた茅が呟く。その様子に僕たちは彼女に質問を投げかける。
「どうしたの茅?」
「ん…いやね〜…、治樹から貰った神社の〜古文書を読んでいたんだけど〜〜……、そこに『時渡』の使い方が書いてあって〜〜……」
寝ぼけ眼の上に眉間をシワ寄せながら茅は語る。
朝方、泊めてもらった茅の弟である70歳を超えた治樹さんの家から出立しようとした時に、さらなる手土産の他にも彼と茅の祖父が神主をしていた神社に保管してあった古文書や神器などを譲ってもらった。
ちなみに、昨日治樹さんから貰ったペンダントを彼女は朝から首に着けていた。
茅は電車に乗ってからその古文書を読んでいた。
古めかしい文字で書かれていて同じ日本人である芽亜里にも、前世が同じく日本人だったシアンさんにも読めなかった。
けど古代、中世代の日本に何度もタイムスリップしていた彼女は何とか読める様だった。
「結論から言うと〜〜……タイムスリップする時代は自在に設定出来たみたい〜……」
「え、それ本当?」
「うん……治樹に貰ったこの『補助具』が必要だったんだけどね〜〜……」
そう言いながら茅は手に持っていた小さな鎖が付いた『子』とか『丑』とかの文字が書かれた、一回り小さい懐中時計のような物をぶら下げながら僕たちに示す。
「この補助具に前もって〜行き先の時間を設定して〜…、『時渡』の柄の穴に〜、鎖を繋いで使う事で〜…その目標の時代にタイムスリップできたみたい〜〜……」
「そうだったの?」
「うん……私がタイムスリップした時は〜……別の所に閉まってあったから気付かなかったけど〜…」
目をほとんど閉じのんびりとした口調で語る茅だけど、顔は悔しげに歪んでいた。けどすぐに諦めの表情に変わってしまう。
「……まあ、仕方ないか〜〜……これと古文書は〜…シアン〜…ひとまず預かってくれない〜〜……?」
「持ってなくてもいいのか? 治樹さんから譲ってもらった、先祖伝来の品だろう?」
「そうだけど〜〜……今の私が持っても〜…宝の持ち腐れにしかならないから〜〜……」
体を左右に振りながら、眠たげにシアンさんに頼む茅。
シアンさんは「分かった」と言って、茅から古文書と補助具を受け取り、人に見られないように収納魔法でそれらを亜空間に閉まってしまった。
「ところで話は変わるけど、芽亜里の家族ってどんな人なの?」
ふと、パウリーネがこれから会う芽亜里の家族について質問する。
「えっどんなって、至って普通よ?」
「そうなの? いや、茅の例があるからちょっと警戒しちゃって」
「さすがに茅の場合は特殊過ぎるでしょ。まあ、私はシングルマザーの家庭で育った一人っ子なんだけど」
「そうなの? 父親は?」
「知らなーい。お母さんから聞いた話じゃ、私が生まれる前に父親は逃げ出したんだって」
「その時点でもう普通じゃないと思うんだけど……」
芽亜里が当然のように話すけど、十分衝撃的だ。何で僕の周りの人たちは何気に重い過去を持っている人が多いんだろう?
そんな事を考えている僕をよそに、新幹線は東に快走していくのだった。
品川駅から降りて乗り継いだり、徒歩で別の駅で違う電車に乗ったりして鎌ケ谷市という街についた。
最後の駅を出た後、芽亜里に案内されてしばらく歩く。
「ちょっと駅まで遠いけど、ここまでくればもう少しだから」
「久々だね〜…多分芽亜里の帰りを心待ちにしてると思うよ〜〜……」
何気なく出た茅の言葉に、何故か芽亜里はギクッと体を強張らせる。
その様子を見た僕たちは
「芽亜里、お前まさか実家に連絡入れてないのか?」
「いや突然だったし、それに
「それにしたって治樹さんの家から電話を借りるとか、連絡の仕様はいくらでもあったんじゃない?」
「……もしかして、約半年も連絡してないから気まずかったのか?」
「………」
芽亜里は沈黙してたけどどうやら図星らしい。
「ダメだよ芽亜里〜…帰る時くらい連絡入れないと〜〜……家族に心配かけているんなら尚更だよ〜〜……」
「……60年も家族に心配かけたあなたに言われたくないんだけど?」
「…………………グゥグゥ」
茅が呆れて芽亜里を諌めたけど逆に痛いところを突かれて、歩きながら寝たふりをして誤魔化したのだった。
そんな話をしながら歩いてたら、いつの間にか芽亜里の実家に着いたらしく彼女はあるアパートの前で立ち止まった。
けどその様相はあまりにも古く老朽化し、廃墟と言われてもおかしくないボロボロの2階建てアパートだった。
それを見た僕とパウリーネはアパートを見てしばし呆然とした後、言葉が出てこなくてみんなに視線を投げる。
「……恥ずかしいけど、ここが紛れもなく我が家よ」
「変わってないね〜…いや、あそこの一階の角部屋の窓、割れてガムテープで補強している……」
「確かあそこ、空き部屋だったよな……?」
芽亜里が俯き頭を抱えながら、絞り出す様に答えた。
茅とシアンさんは知っていたみたいだけど、アパートが前より更にボロくなっているようで若干引いている。
「な、なんかお化けとか出そうね…」
「パウリーネ、これからお邪魔するお宅に、それもその家の人の目の前でそんな事言っちゃ駄目だよ……」
「いいのよ……出そうじゃなくて本当に出るしね…」
「「え?」」
「まあとにかく、2階の手前から2番目の部屋が私の家だから上がって」
そう言って外付けの階段を上って行く芽亜里。その途中で彼女は眉を顰め、何も無い目の前に向かってはたくように手のひらを振った。
……虫かな?
そう思い彼女の後について行って僕たちは階段を上がる。
芽亜里はさっき言った部屋のドアの前に立ち、インターホンすらないドアをノックする。
「はい、ちょっと待ってくださいね」
部屋の中から女性の声が聞こえ、少ししてドアが開かれる。
そこには芽亜里とよく似た顔立ちの、長い茶髪を三つ編みにした女性がエプロン姿で出てきた。
かなり若く見える。芽亜里のお姉さんと言っても信じてしまうくらい若々しかった。
女性はドアの前にいた芽亜里を見て目を丸くする。
「え、芽亜里?」
「その……えっと、ただいまお母さん……」
ちょっと気まずそうに上目遣いで目の前の母に帰宅の挨拶をする芽亜里。
母親は一瞬驚いていたけど、すぐに顔を明るくして目の前の娘に抱きついた。
「お帰りなさい! もお、帰ってくるなら連絡してきなさいよ」
「ちょっ、ちょっと大げさよ。仲間がいる前で恥ずかしいでしょ!」
抱きつかれて恥ずかしそうに顔を赤らめながら抗議する芽亜里。
そんな彼女を生暖かい目で見ていた茅とシアンさんに気付いた芽亜里のお母さんが挨拶してきた。
「あら、シアンさんに茅ちゃんも一緒だったのね。お久しぶり……あら? そちらのお二人は初めましてかしら」
僕とパウリーネを見た芽亜里の母がちょっと驚いて僕たちを見た。
「
「お久しぶりです。芽亜里が帰るのにかこつけて、つい来てしまいました。こちらの二人はチームに新しく入ったクロムとパウリーネと言います」
「クロムです。初めまして」
「パウリーネと申します。よろしくお願いします」
シアンさんに紹介されて、僕はパウリーネと一緒にお辞儀をしながら自己紹介する。
「突然、こんな大人数で訪れて申し訳ありませんが、お世話になってよろしいでしょうか?」
「あらそうなの? こんな所でよかったらどうぞ入って。狭くて
そう言って僕たちを部屋の中に招く、芽亜里のお母さんの
玄関を通ったら右手にドアが二つ、左にもドアが一つに両引き戸があり、更に奥にドアが一つある木製の廊下だった。
芽亜里が説明したけど、右手のドアはトイレや風呂場で左のドアは芽亜里の自室、引き戸は布団など入っている押し入れでその奥が洋室の居間になっているらしい。
普段から掃除はしているらしくチリ一つ無いけど、壁とか廊下に所々傷があったり、一部の床を歩くと軽くたわんで「ギィッ」なんて鳴っている。
こんなボロい部屋(失礼)を借りているのは、家賃が激安だったかららしい。
そんな世知辛い理由を聞きながら、僕たちは居間に入り込む。中央に小さな木製のテーブルと椅子が置かれ、奥は大窓でベランダと通じていて、右手の壁にシンクの台所が設置されている。
その反対側は襖扉になっていた。多分和室だ。
「ごめんなさいね。まさかお客様が来ると思ってなかったから準備が出来てなくて、今からちょっと夕食の材料を買ってくるわね」
「……その前にちょっと待っててお母さん……変身」
そう言うと芽亜里は右手に着けていた黄色の石を嵌め込んだ銀色のブレスレットを前に掲げる。
ブレスレットの石が輝いたと思ったらそこから出た光が芽亜里を包み込み、ロングボブの茶髪が長いオレンジのポニーテールになり、いつものスポーティな黄色のコスチュームに身を包んだ、緑色の瞳の魔法少女に変わってしまう。
茅も寝ぼけ
そのうちの一本、『綿津見』を鞘から抜き取る。
……って、何で二人共いきなり戦闘態勢になってるわけ!?
隣のシアンさんも微動だにしてないけど、魔力を静かに練ってるし!?
三人が居間に入ったと同時に、突然目つき(一人は姿も)が変わってベランダを見据えていた。
そして芽亜里と茅がベランダの大窓を開け、
「また来たのこのストーカー! 今日という今日は
「南無三!」
そう言ってベランダに出て何も無いのに芽亜里は拳を繰り出し、茅は青い妖刀を一閃した。
芽亜里の拳は空を切り、茅の妖刀は切っ先をベランダの手すりに当てながら振り抜く。綿津見は物質を切れないので、手すりを通り抜けた。
けどその直後に二人はベランダの手すりに身を乗り出し、外を見ながら悔しそうな声を上げた。
「あー! もうッまた逃げられた!」
「本当にすばしっこいわね……」
「いや待って、何してるの二人共!?」
二人の奇行に思わずツッコんでしまう僕。
芽亜里の体が再び光って元の姿に戻り、茅も「収」と呟くと妖刀をポーチに閉まい二人共振り返った。
「悪霊よ。それも私の子供の頃からズーッとお母さんに付きまとってる変態なの」
「そいつがさっきベランダにいたの〜〜……」
「あ、悪霊って…ちょっと二人共、止めてよ。私達をからかわないでよ?」
悪霊と聞いてパウリーネは笑って否定するけど、その笑顔は引き攣っていた。
「嘘でも冗談でもないぞ。このアパートはさっきみたく外から悪霊が来たり、地縛霊としてこのアパートに取り付いているのがいたりと、色んな幽霊が出るからな」
「ええ!? でも姿が見え無かったですよ? 異世界じゃゴーストとか、幽霊みたいな存在はいるけど全部見えるじゃないですか?」
「アレはその世界のマナが多くて、視認できるほどマナを取り込んで半実体化してるからだ。この世界はマナが極めて少ないから、霊関係の能力持ちとかじゃないと見えないぞ」
「そ、そんな……」
シアンさんが淡々と説明するけど、パウリーネにはショックだったらしい。
さっきまで強がっていたのに話を聞いて、彼女は顔を青くして僕にしがみついていた。そんな彼女に僕は「大丈夫」と言って落ち着かせる。
「俺はマナの無い世界でも魔法が使えるように体からマナを発生させているから、その影響でこの世界でも幽霊を見ることができる」
「私は〜……妖刀を持ってたら、その妖気に当てられて〜……見えるようになったの〜〜……」
「私はこのアパートに長く住んでいたからか、霊感が強くなっちゃって」
「君が言ってた『普通』って何だったの……?」
今更だけどチームメイト達が特殊過ぎて困惑しています。
「それより良かったの? お母さんの前で変身したりして?」
「え、何がかしら?」
僕の発言に芽亜里達も愛海さんも目をパチクリさせて見ていた。
その反応にパウリーネも僕も同じような顔をしてしまう。
「え? だって地球の人には魔法少女の事は秘密にしてるんじゃ?」
「ああそれ? お母さんは知ってるわよ。ついでにOCMMも多元宇宙の事も」
「そうなの?」
「ああ、こっちに来た時に愛海さんが俺達と芽亜里の変身を目撃しててな。監視付きで秘密を守らせてもらっている」
「言いふらすつもりは毛頭無いけどね。ところでクロムくんとパウリーネちゃんって獣人なのね?」
愛海さんに言われて僕たちの姿が元に戻っているのに気付いた。いつの間にかシアンさんが魔法を解いていたらしい。
初めて獣人を見ると思うけど、あんまり驚いていない様子で逆に驚かされる。
「あっと、いけない。夕食の買い出しに行かないと。皆さん、何も無いけどくつろいで待ってて下さいね」
「ちょっとお母さん! さっき悪霊がいたって言ったでしょ!? またお母さんを狙ってくるかも知れないんだから、私も一緒に行くわ!」
そう言って無理矢理母親について行って出ていく芽亜里だった。
「愛海さんって幽霊は見えないの?」
「そうらしいわよ〜……芽亜里の話じゃ〜さっき逃がした悪霊はずっと愛海さんに付きまとっているんだけど〜〜……全然気付いてないんだって〜〜……」
よく今まで何の被害も無かったなあ……
「ね、ねえ…もしかして今日はここで寝泊まりするの?」
僕が愛海さんに呆れていたら、パウリーネが不安げに僕たちに伺った。
オバケに怖がっているのかな?
ゴースト系の魔物に対して勇ましく立ち向かったり、ホラー系アトラクションを楽しんでた彼女が、意外なリアクションをしてちょっとだけ驚いた。
「パウリーネってオバケ苦手だっけ? 今までそんな事無かったと思うけど?」
「だって、姿や正体が分からないのに一方的に襲いかかって来るとか怖いでしょ? 魔物とかは『そういうもの』って分かってるからそんなに怖く無かったけど……」
「心配するな。この部屋は前に俺と芽亜里が対霊用の結界が張ってあるから中には入ってこれない。
そう言ってシアンさんは亜空間からアミュレットを取り出した。パウリーネは慌ててそれを受け取る。
「クロムはどうする? まだあるが?」
「あ、僕は大丈夫です。〈ヤマタノオロチ〉が使える今なら心配ないかと」
そんな話をしながら、僕たちは安倉母娘の帰りを待っていた。
パウリーネは僕の腕とアミュレットを掴みながら終始無言だったけど。
「もー、ずっと言っているでしょうが! いい加減あのアパートから引っ越そうって!」
「そう言っても引っ越しにお金がかかるでしょ? あそこは家賃がすごく安いし」
「お金の心配はしなくていいから、私が払うからさ」
「そんな娘に
芽亜里とその母親はスーパーに歩いて向かっていた。
その道中であのアパートを引き払うよう説得する芽亜里だが、母親は首を縦に振らない。
この母娘のやり取りもいつもの事だった。
幼少から幽霊が見えるようになってずっと悪霊が母に憑きまとっていると知り、何度も追い祓おうとした。
だが何年経っても悪霊を退散させる事は叶わなかった。
また芽亜里は
だがその母は「お金がない」と言う理由であそこから離れようとしなかった。
芽亜里が魔法少女になったのは、ある異世界から来た妖精に頼まれたのがきっかけだったが、芽亜里としては悪霊を追い払う力が欲しかった事もありそれを受け入れた。
そのお陰で魔法をいくらか使える様になり、幽霊の類を相手に出来る力も得た彼女。
だが魔法少女になっても例の
シャイニングメテオズに入った時も母親をアパートから離して保護する事を交換条件に出した。
ところがなぜか母は「長く住んで愛着が湧いたから離れたくない」などと、あれこれ理由を付けてはアパートから離れようとしなかった。
そして今回帰省して早々、またも例の悪霊につけ狙われた母親を心配して説得するも、
「……ああ、もういいわよ! さっさと買い物済ませましょ!」
芽亜里はウンザリして話を早々に切り上げた。
だがいつもならしつこく食い下がる芽亜里が、今日に限って諦めが早いのに愛海は違和感を覚えた。そもそも今回急に帰って来たのもおかしい。
彼女が異世界に行ってから手紙が何度かきてたが、「アイドルになったから、有名になってお金持ちになってお母さんに家を買ってあげるね!」なんて意味不明な内容の手紙を最後に音信不通となっていた。
自分に似て頑固なところがある娘だ。それを良く知っていた愛海は気にかかり訊ねだした。
「……ねえ芽亜里。もしかして何かあったの?」
「……何かって?」
「あなたいつもと違って元気がないみたいに思えて、辛い事でもあったんじゃないの?」
「……お母さんには関係ないよ」
「そう言わないで、話すだけ話してみて。お母さん相談に乗るから」
「相談してもどうにもならないわよ! そんな軽く受け止められる事じゃないのよ!!」
しつこく聞いてきた母親に芽亜里は悲鳴を上げるように、つい突き放す様な言葉が出てしまった。
すぐ後悔した芽亜里だが、悲しいやら情けないやらで意固地になってしまった。
「……ほら、みんなを待たせてるから急ぎましょ」
そう言って母親の顔を見ずに逃げるよう足早に歩き出す彼女。
愛海は戸惑いと寂さが混じった表情で娘の後ろ姿を見ていた。
買い物から帰ってきた安倉母娘は台所で食材を慣れた手つきで料理し、僕たちの下に持ってきてくれた。
小さなテーブルには客である僕たちが座り、肉じゃがや味噌汁、きんぴらごぼうなどが並べられている。
「ごめんなさいね、ありふれた物しかなくて」
「そんな事ないですよ。どれも美味しいです」
いくつか箸をつけたけど、お世辞無しにそう思う。少し濃い目だけどホッとする味だ。
それはそうと、台所に立ってテキパキ調理している芽亜里の姿を見て秘かに驚いていた。
「意外ね、芽亜里って料理できたんだ」
言わないでいようと思ってた言葉を、隣のパウリーネが言ってしまい焦ってしまう。
「意外って…お母さん仕事で家にいない事が多いから、料理くらいできるようにならないといけなかったのよ」
ちょっと拗ねた様に言い返す芽亜里。
そこにシアンさんの空になったグラスにビールを注いでいた愛海さんが微笑みながら語りだした。
「でもそれだけじゃなくて、私が仕事で遅くなったらこの子が変わりに家事を済ませてくれたから、本当に助かったわ」
「芽亜里って〜〜こう見えて家庭的なのよね〜〜……」
「もう茅まで!」
傍から見て和気あいあいとした空気だと感じていた。
とても幽霊が出るアパートの中とは思えない。
そんな見せかけに油断していた。
「これで終わりね。じゃあ私、部屋で休んでるから」
「え、食べないの!?」
芽亜里が最後の料理を持ってきた直後に、自分の部屋に行くと言い出した。
みんな芽亜里を見て驚いている。
「食欲が無くてね。食べ終わったら呼んでね、片付けるから」
そう言って芽亜里は居間から出ていってしまった。
閉じたドアがバタン、と音を立てる。そして少しの間、静寂が流れた。
「……あの、皆さん。芽亜里に何かあったのですか? あの子、いつもと様子が違って心配で……」
ためらいがちに僕たちに聞いてくる愛海さん。まさか仲間が彼女をかばって目の前で死んだから、なんて言えない。
困ってみんな黙り込んでしまう……
「……芽亜里の目の前で、仲間が死んだんです」
「――え!?」
けど茅が、口を開いた。
……あ〜もうッ! どうしてお母さんにもみんなにもあんな態度取っちゃうのよ!?
私ってどうしてこう情けないのよ!
自室で勉強机に突っ伏しながら頭を抱え、自己嫌悪に陥っていた芽亜里。
母親を邪険にしてしまった事。
それに嫌になって、先の和やかな空気に水を差してまで離れてしまった事。
そして自身の軽率により死なせてしまったリヴィアの事。
後悔の念が彼女を強く責めて、胸が締め付けられる。
「あぁ〜っ」と小さく呻いた後、仰け反って椅子に全体重を預け、天井を仰いだ。
何もかもが嫌になり、消えてしまいたい。そう思ってしまう。
「……迷惑かけるだけなら、シャイニングメテオズから抜けた方がいいかな」
気の迷いからなのか、本心なのか自分でもわからず、そんな事を口走ってしまう。
そんな弱気な彼女の背後から、ドアをノックする音が聞こえた。
「芽亜里、お母さんよ」
続いて母親の声が聞こえ、芽亜里は慌てて椅子から立ち上がりドアに近づく。
「みんな食べ終わったの? 早くない?」
「違うわ。さっきの事で話をしたいの」
「またそれ? …話したくない。そんな用なら呼ばないで」
また言ってしまった。どうして素直になれないのか。
「茅ちゃんから聞いたわ……あなたの仲間が目の前で、亡くなったって」
「!! ……」
芽亜里は息を呑み、そして呆然としてしまう。
「中に入れて、聞かせてくれない?」
「……なんで? 聞いても嫌になるだけよ」
「お母さん、あなたが溜め込んでいるものを吐き出して欲しいの。それでいつもの元気なあなたに戻って欲しい」
全部吐き出したからと言って、忘れられる訳じゃない。
それにお母さんにはこんな辛い事を受け止めて欲しくない。
……けど意固地になって、逆に傷つけていた。
駄目だなぁ、私。
芽亜里はおずおずと自室のドアを開け、母を中に入れる。
「……嫌になったら出ていいからね」
そうして芽亜里は母親を自室に招き入れ、話した。
異世界で任務中に仲間達とある島で遭難し、そこで偶然リヴィアに出会った事を。
そして自分が彼女の忠告を聞かず調子に乗って危機に陥り、彼女が身代わりになって死んでしまった事を。
母娘の間に短い沈黙が流れる。
沈黙が重く、芽亜里はやはり話さない方が良かったと後悔した。
「……分かるわ、あなたの気持ち」
不意に出された母親の言葉に芽亜里は一瞬呆気に取られたが、すぐカッとなって当たってしまう。
「『分かる』って、適当な事を言わないでよ。目の前で仲間が死んだのよ!?」
「確かにそんな経験、私には無いわ。でも昔ね、あなたと似たような事をやらかしちゃったの」
「え…?」
意外な答えにさっきまでの毒気が抜かれてしまう。
「あなたの生まれるより前にお母さん、友達と海外へ旅行に行ったんだけど、そこで何人もの暴漢に襲われてね。私は友達の手を引いて逃げたんだけど、逃げた先に他の暴漢達が待ち伏せしてたの」
目線を左上に向けながら、辛そうな顔で語り出す母親。
「それで友達が傷の残る大怪我を負ってしまったの。偶々警察が駆け付けて助かったけど、その友達に会わせる顔が無くてね。それ以来友達とは逃げるように離れて、それっきり会ってないの」
母親の意外な暗い過去を聞かされた芽亜里は唖然としてしまった。
「……私ね、その時の事を今も後悔しているわ。友達を助けられなかった、というのもある。けど一番後悔したのは、彼女に向き合わず逃げ出した事が辛くてね」
「……そうなんだ……」
「……芽亜里、あなたはどうしたいの?」
「え?」
突然の質問に芽亜里は一瞬意味が分からず、まじまじと母親を見つめた。
「部屋に入る前に、あなたの声が聞こえたの。『シャイニングメテオズを辞めよう』って」
「聞こえてたの!?」
独り言を聞かれて顔を赤くして頭を抱えてしまう芽亜里。
そんな娘に苦笑しながらも、愛海は話を続けた。
「辛くて、逃げ出したい。あるいは私はいない方がいい。そういう気持ちは痛いほど分かるわ。でも芽亜里はそうして納得する? 後悔しない?」
たった一人の愛娘を見据えて、愛海は問いかける。
「お母さん、本当はもう無理しなくていい、帰ってきてあなたが大人になるまでいてって、言おうとしたの。でも今のあなたにそう言って縛り付けたら、お母さんと同じ辛い思いをするんじゃないかって思ってしまって」
自分の本音と理性、相反する思いを吐露する愛海。
それを聞いて芽亜里は考え込むが、それほど間を置かずその答えは出た。あるいは最初から分かってたのに、それに蓋をしていたのかもしれない。
「……私、リヴィアの事が、助けられて彼女を身代わりにした事が許せなくて。もう自分が嫌になったの。……でもやっぱり、仲間が戦ってるのに私一人だけ安全な場所に離れるなんてできない」
目にいつもの凛々しい輝きが取り戻される。そして決意をハッキリと口にした。
「私、やっぱり異世界に行くね。みんなに迷惑を掛けっぱなしなんて嫌だから」
「…そう、芽亜里はやっぱり、私と違って強い子ね」
娘の覚悟に、母は寂しげながらも微笑みを向けた。
「ゴメンみんな! 急に食欲が出ちゃって、ゴハン残ってる?」
突然芽亜里が居間に入ってきて、僕たちは一瞬呆気に取られた。
でもさっきまでと違って元気な彼女を見て、かえって安心した。
「大丈夫だよ。まだいっぱい残ってるから」
「ちょっと〜…冷めちゃったけどね〜…」
「良かった、じゃあ頂きます!」
「芽亜里、立ったまま食べたらお行儀悪いでしょ?」
同じく入って来た愛海さんが、折りたたみ式の小さなテーブルを抱えていた。その足を取り出して床に置く。
それを見た芽亜里も、隣の和室から小さな座布団を二枚持ち出して傍に敷いた。
「あ、僕がそっちに座るからお二人は――」
席を譲ろうとして声をかけるけど、隣にいたパウリーネに脇を軽く小突かれた。
「(クロム、それは二人に悪いわよ)」
「(…え、何で? 床に座るのだと辛くない?)」
小声で注意され、意味がわからずパウリーネに聞き返す。
するとシアンさんと茅も僕を宥めだした。
「(クロム、この場合お前の気遣いはただのいらぬお節介だ)」
「(そうだよ〜…水を差しちゃダメ〜〜……)」
???
三人に言われた事がよくわからず僕は困惑してしまう。
ただ、横目で安倉母娘を見るとミニテーブルを挟んで床に座りながら、食事と会話が弾んでいた。
「ん、やっぱりお母さんの肉じゃが最高!」
「あなたのきんぴらごぼうも美味しいわよ」
……まあ良かった。
ヘルタさんの立てた作戦が突飛で不安だったけど、芽亜里も茅も立ち直ってくれた。もう心配ないだろう。
家族っていいものなんだなぁ。実家が訳ありだとしても……
翌日、芽亜里の実家であるアパートが崩壊するとは誰も想像してもいなかった。
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