第25話 宇畑の少女と老人

 OCMMに暫定参加している地球の異国、日本に僕たちは来ていた。

 本来はUワープによりこの日本に不時着した船と、それに乗っている船員を探索するために来た。

 けれどヘルタさんが気を回して、傷心の芽亜里と茅にこの世界にいる間に里帰りをさせられた。


 それに保護者としてシアンさんが、年の近い僕とパウリーネが同行することになった。

 人間種しかいない地球で獣人の僕たちやハーフエルフのシアンさんの姿が見られたら大騒ぎになるけど、シアンさんの認識阻害魔法で人には人間にしか見えない僕たちにその心配はない。


 そして今、僕たちは茅の家族に会うために和歌山県に来ていた。

 日本は山地が多い国だけど、和歌山県は1000mを超す山々が連なる紀伊山地が県の半分以上を占める山岳地帯だと茅が話していた。


 僕たちが向かうのは、その中でも変わった場所だ。

 他の和歌山県の市町村と隣接しない、飛び地になっている北山村という集落だった。


 名古屋駅から電車に乗って熊野駅に降り、更に駅から村が運営している小さなバスに乗っていく。

 バスに揺られながら、緑に覆われた山々が目に入る。


「随分田舎なのね。ここが茅の故郷なの?」

「いや〜…私生まれは大阪なの。ここに血の繋がった家族がいるの〜…」

「そうなんだ、その人はどうしてここに住んでいるの?」


 何気なく質問した僕だけど、それに答えた茅の声は暗いものだった。


「……私のせいなの……」

「え? どういう……?」


 意味深な言葉につい理由を聞こうとしたけど、バスが目的地に着いてしまった。

 そのままバスを降りた直後、茅が僕たちに意外な頼み事をした。


「……みんな〜…悪いけど、直接会うつもりはないから〜……、その人を遠巻きに見たら帰るからね〜〜……」

「え、どうして?」

「会うとややこしいから~……」

「「……」」


 訳が分からない。

 けど茅は複雑な顔をしていた。芽亜里とシアンさんも困った顔をして茅を見ている。

 それ以上聞くことができない僕とパウリーネは互いに顔を見合わせ、首をかしげてしまう。




 バス停から歩き出し、10分程歩いた。まだ20分は歩くらしい。

 けどその道中で催してきてしまう。バスの中でペットボトルのお茶をがぶ飲みしたからかな?


「ゴメン、ちょっとトイレに行ってくるから、みんな待ってて」


 そう言って僕は近くの店に入った。店の人にお願いしてトイレを借り、用を足す。


 トイレを借りただけだと悪いから、何か買ったほうがいいのかな? 

 そう考えながらトイレを出ると、レジを済ませたばかりのオデコの広く短く刈った白髪の老人の姿が見えた。

 老人は買ったばかりの沢山の食料が入ったレジ袋を持って外に出ようとしたけど、バランスを崩してよろけてしまう。


 慌てて僕は駆け寄り、老人を支える。


「大丈夫ですかおじいさん?」

「おお、すまんのう……おや、珍しい風貌じゃの? ひょっとして外人さんかの?」

「え、ええ、まあ…」

「流暢な日本語を喋るのぉ。こんな何も無い村に来るとは、観光にでも来たのかな?」

「あ、いや、まあそんなところです」


 本当は仲間の里帰りの付き添いなんだけど。


「ところで大丈夫ですか? 食料、重そうですけど」

「婆さんが死んでもう2年くらいになって、ずっとこうしてきたから心配はいらんよ」

「お一人なんですか? ……あの、見ず知らずの人がこんな事言うのも怪しいかも知れませんが、もしよかったら荷物をお持ちして家まで送ります」


 なんか見てられなくなって、ついおせっかいを焼いてしまう。

 老人は目を丸くして僕を見ていたけど、シワを刻んだ顔を笑顔にして僕に向けた。


「自分の事を『怪しい』なんて言う者は珍しいが親切じゃな。分かった、それならお言葉に甘えさせてもらおうか」


 という訳で、老人の持っていた食料入りのビニール袋を預かった。

 今更だけど、外で待たせている仲間について考えていなかった僕は少し後悔した。




「あ、クロム〜…もういいの……って!?」


 店の外で待っていた茅が僕を目にして声をかける。けど彼女は何故か眠たげな眼を見開き驚愕の表情を向けていた。

 パウリーネを除く二人も同じように驚いている。


「あらクロム、何その袋? それにその隣の人は?」

「その…ゴメン、実はこの人の家まで食料を運ぶことになっちゃって」

「ええ!?」


 パウリーネの疑問に素直に答えると、何故か茅が仰天してしまう。


「何、どうしたの茅?」

「……ん、『茅』?」

「ほ、本当にどうしたのかしら!? ネットでこの辺りに『茅葺かやぶき屋根』があったって書いてたのに、全然見当たらないじゃない!」

「……あ、そっそうね! だから言ったでしょ、絶対ガセだって! も〜、芽亜里ったら!」


 パウリーネが茅の名前を呼んだ途端、老人が胡乱げに彼女を見る。

 すると芽亜里がオーバー気味によくわからない事を言い出した。それに茅は乗っかって同じようなリアクションを取る。

 急に胡散臭い小芝居をしだした二人に、僕は唖然としてしまった。


 そこにシアンさんがパウリーネの首に腕を回して、彼女を引きずるように僕の側まで来る。

 そして空いた腕でシアンさんは同じように僕の首根っこを押さえてしまった。


「(クロム、パウリーネ。ちょっとこっちに来い!)」


 鬼気迫る顔で僕たちにそう囁いたシアンさんはそのまま僕たちを捕まえ走り出し、老人と茅達を置いてその場を走り去ってしまった。




 老人と出会った店から、芽亜里たちが小さくなるまで走ったシアンさんは肩で息を切らしている。

 魔法で多少はフィジカルを上げたから、僕たち二人を抱えて走るなんて力技ができたんだろうけど、インテリ系の彼にはハードに違いなかった。


「ど、どうしたんですかシアンさん? らしくない事をして?」

「お陰様でな……! まさか当人にあんな形で接触すると思ってなかったぞ…!」

って……まさか!?」

「ああ、あの御老人こそ茅の唯一の家族の宇畑うはた治樹はるきさんだ」


 僕が偶然出会った老人が茅の家族と知り、パウリーネと共に驚いてしまう。


「そうだったの……でもあの人、茅の事知らないようだったけど?」

「茅があの人に自分の事を秘密にしているからな」

「え? どうして?」

「……それは茅の口から聞いてくれ」


 シアンさんは渋面になり言い淀む。なにやら茅と家族の関係は複雑そうだった。

 そんな事を考えてると、茅と芽亜里、そして治樹さんが僕たちに追いついて来た。

 治樹さんの顔を見た僕はつい視線を茅に向けた。

 髪を弄りながら困った顔をしていた茅だけど、僕とパウリーネに向かって治樹さんに悟られないよう両手を合わせる。

「お願い黙っていて」と言っているようだった。




 食料を持って治樹さんのお宅に辿り着いた僕たちは、家の中に上がるよう勧められた。

 茅は(必死に)遠慮したけど、芽亜里が何を思ったのかその申し出を受け入れてしまった。

 側のシアンさんも軽く驚いていたけど、彼も賛成して引き止めたりはしなかった。

 茅は何か言いたげに二人を睨んだけど、こうなったら後の祭りだった。


 そんな訳で僕たちは治樹さんのお言葉に甘え、お宅にお邪魔して軒先に腰掛けている。

 治樹さんはお茶を淹れるため台所に行った。パウリーネもお手伝いしに行ってる。


「(二人共、なんでこの家に上がったの!? 私の知ってるわよね!)」


 茅が剣幕な表情で芽亜里達に声を潜めながら話しかける。

 いつもなら寝ぼけた彼女が、治樹さんに会ってからずっと覚醒状態だった。それほど内心逼迫ひっぱくしているんだろう。

 そんないつもは見ない彼女を見て、僕は引いてしまう。スゴまれた二人はどこ吹く風だったけど。


「(怒らないでよ。あなたは遠巻きに姿を見るだけでいいって言ってたけど、やっぱり唯一の家族に会えないままなんて寂しいでしょ?)」

「(それに治樹さんも高齢だ。いつまで健在でいられるか分からないだろ? 『石に布団は着せられず』ということわざもあるだろう)」

「(意味がちょっと違わない!?)」

「待たせたのう。粗茶じゃが、あと間に合せの菓子しかなくてのう」


 ヒソヒソと口論をする茅達に、いつの間にか治樹さんがパウリーネと一緒にお茶と菓子を持ってきてくれた。

 茅は呼び掛けられ、ビクッと体を跳ね上げてしまう。


 人数分の緑茶が入った湯呑みが配られ、茅の側に置かれた縁の高い漆器の鉢に栗まんじゅうが盛られていた。

 入れてもらったお茶を啜る。熱く渋いけど爽やかな風味があって悪くない。

 次に鉢に盛られた小判型の栗まんじゅうを取り、一口かじる。

 しっとりした皮の中に、栗の甘露煮を粗く砕いて混ぜた白餡の甘みとつぶつぶ感がいい。

 少し甘ったるいけど、渋いお茶とよく合っていた。


 軒下に腰掛け、お茶と菓子を楽しみながら僕たちは治樹さんと取り留めのないお喋りをして穏やかな時間を過ごす。

 ゆったりとした良い時間を味わう僕たちだけど、茅だけはずっと落ち着きがなく、自分の髪の毛をいじったりして挙動不審だった。


「そう言えば自己紹介をしておらんのう。儂は宇畑治樹というんじゃ」


 さっきシアンさんから聞いたから知っています、とは言えない。

 そして僕たちも軽く自己紹介した。芽亜里はともかく、僕やパウリーネ、シアンさんは地球のドイツから来たと言うことにして、芽亜里達に珍しい日本の風景を案内してもらっている。そういう事にした。


「そうか、わざわざこんな所によく来たのう……ところで、そこの黒髪のお嬢さんは何と言う名前なのじゃ?」


 不意に名前を聞かれた茅は、ひどく狼狽して顔を強張らせてしまう。


「い、いや、その……ええと……」


 こちらに視線を向ける茅。助けを求めるような表情だ。どうも名前を知られたくないらしい。

 今日は彼女の珍しい顔をいくつも見るなぁ、なんてお茶を啜りながら呑気に思っていたけど、芽亜里が彼女の『名前』を教えた。


「彼女は『悲田院ひでんいん照礼紗てれさ』っていうの。私の学友よ」


 むせた。


「ゲッホ、ゲホゲホ……!」

「クロム大丈夫!?」

「う、うん……お茶が変な所に入っちゃった……すみません」

「無理はせんでいいから……しかし照礼紗とはまた変わった名前じゃのう?」

「え、ええ、何を考えて名付けたのかしらね。オホホ……」


 そう言って笑って誤魔化す茅だけど、その直後に芽亜里の方を見て睨む。

 芽亜里も苦笑しながら合掌した手を前に出して無言で謝っていた。


「しかしお前さん、に瓜二つじゃのう」

「お姉さん?」


 治樹さんが茅の顔を覗きながら言う。そう言われた茅はまた体をビクッと震わせた。

 その二人の様子に僕はつい聞いてしまった。


「ああ、姉は『茅』という名前なんじゃ。今は取り壊されたが、60年前にこの近くにあった神社で行方不明になってしまったんじゃ」

「え、60年前? 行方不明!?」


 茅と言う名前が出て驚いたけど、それに続いた言葉に更に驚きながら茅を見た。パウリーネも唖然としてしまっている。


「うむ、その神社は母の実家だったんじゃが、その父で神主である儂の祖父が亡くなっての。葬式で家族とその神社に行ったのじゃ。じゃがそこで姉さんが急にいなくなってな」


 顔を上げ、近くの山に目を向けた治樹さん。そこに神社があったのだろうか?


「姉さんは神社の倉庫で整理をしていたのじゃが、そこにあった御神体を収めていた箱の中身と共にいつの間にか消えていてのう。神隠しにあったとか、泥棒して逃げたとか色々言われて大騒ぎじゃったわい」


 話を聞いていた僕たち。そこで茅が顔を伏せ、膝に乗せていた両手を微かに震わせているのが見えた。

 信じられないけど、そこで二人の本当の関係が分かった。


「警察に失踪届を出して、儂も時折ここに来て探していたが見つからなんだ。じゃが諦めきれなくてのう。お金を貯めてここに家を建てて、そこから姉の手掛かりをずっと探しておったんじゃ」


 茅が『私のせい』って言ってたの、そういう事だったのか……


「あの……今でもそのお姉さんの事を?」

「それがの、この年になって体の自由が効かんようになっての。さすがに昔の様にはいかんわい。もう潮時と思ってのう」

「そうなんですか……」


 ぼんやり遠くを見ながら、治樹さんはそう呟いた。


「そうじゃ、やる事があったのを思い出したわい。何も無くてすまんが、わしは部屋で用事を済ませてくるからゆっくりとしといてくれ」


 そう言って治樹さんは何か急ぐように家の奥へと入って行った。

 ゆっくりしてと言われたけど、残された僕達は動揺し、茅は顔を俯けたままだった。


「(どういう事なの!?)」


 治樹さんがいなくなり、パウリーネが小声で茅に詰め寄った。慌てて彼女を抑えるけど、僕も気持ちは同じだった。


「あの治樹さんって、最初は茅のおじいさんかと思ったけど弟さんなんだよね? シアンさんと芽亜里も知っていたんですか?」

「ああ、茅が話したくなさそうだったから黙ってたが」


 済まなかったな、と付け加えるシアンさん。改めて茅の顔を見る。彼女はつらそうに顔を俯け、気落ちしていた。


「でも60年前ってどういう事なの? 茅って今何歳なの?」

「……17歳よ、多分だけど」

「多分?」

「私ね……タイムスリップしてきたの、60年前からこの時代に」


 それから聞いた茅の話はかなり衝撃的だった。




 茅は60年前、小さい神社の神主だった祖父の葬儀に家族と一緒に行った。

 その後、遺品整理のために神社に向かい、倉庫の中を整理していた。

 その時彼女は倉庫に眠っていた御神体である短刀を箱から取り出し鞘から抜いて、布で拭いていたけど誤って手を切ってしまった。


 その時、御神体が光出して驚いた茅は手放してしまう。

 その直後に御神体が突き刺さった床から裂け目が現れ、そこに御神体ごと彼女は飲み込まれてしまった。そして気付いたら彼女は400年以上前の戦国時代の日本にいた。


 御神体は実は妖刀だった。と言っても、今彼女が持っている『綿津見わたつみ』や『禍津祓火まがつはらひ』とは違う物で、『時渡ときわたし』という時空を超える妖刀らしい。


 彼女はしばらくして、『時渡』に茅の血を触れさせ暫く時間が経てば力を取り戻し、再び時空を超える事ができる事に気付いた。

 それで元の時代に戻ろうと妖刀に血を吸わせ振るい、時空の裂け目を通るけど狙った時代と場所に行ける訳ではなかった。


 ある時は西暦2300年の未来の日本の警察に追い回され、ある時は平安時代の日本で妖怪と誤解されて命を狙われたりしたらしい。

 そんな過酷な時間跳躍タイムスリップの旅の中で、彼女は独学で剣を学び、サバイバルに必要な知識と能力を身に着けた。『綿津見』と『禍津祓火』もその道中で手に入れたと話していた。


 ちなみにそんな過酷な経緯からなかなか熟睡できなくなった彼女は、安全な場所でいつでも寝る習慣が身に付いてしまい、それが普段の眠たがりの癖ができてしまったらしい。


 けれど、何度も時を超えても茅の元いた時代には戻れなかった。

 その旅もシャイニングメテオズに出会った事で終わる事になる。


 彼女が最後にタイムスリップしたのは1年前の事で、そこにたまたまシャイニングメテオズがある凶悪犯罪者を追っていたのを出会でくわした。

 その時、その犯罪者が何と茅の『時渡』を奪ってしまう。彼女はシャイニングメテオズと共に犯罪者と妖刀を追った。

 けどその結果は散々だった。妖刀『時渡』は折れて力を失い、茅は二度と元の時代に戻れなくなってしまった。

 さらにその元凶である犯罪者にも逃げられてしまう。


 茫然自失となった彼女だけど、シャイニングメテオズが彼女を迎え入れたお陰で、何とかこの時代で生きる事ができるようになった。

 けど彼女の家族を調査していたOCMMから、この時代で弟である治樹さんの存在を知らされた。

 彼女の時代から60年経ったこの時代に弟が生きている事に一時は喜んだ彼女。


 けれど、記憶の中で生意気だったけど彼女によくついて回ってた弟が、シワシワの老人になった姿を見て彼女はショックを受けた。

 さらにその弟が大人になって都会を出て、あの地に住み行方不明となった自分をずっと探し続けていると知って、彼女は何も言えず自分を責めたのだった。




「そうだったんだ……」

「シャイニングメテオズが解散して、一時は素性を隠して治樹の傍にいようとしたの。でも一度治樹の顔を見たら、秘密を隠し通す自信がなくなって……」


 顔を伏せ、弱々しく話す茅はあまりに痛ましく見える。

 そんな彼女を見て、芽亜里がふと呟いた。


「リヴィアも、あなたのように何か言い出せない事情があったのかな……?」


 突然リヴィアの名前が出て、驚いてみんな芽亜里の方に振り向いた。


「……そこでリヴィアの名前が出る?」

「ごめん、でも今にして思うと彼女、何か理由があったみたいだった。それが何なのか分からないけど、言えない程辛かったんだと思う」


 芽亜里が辛そうに、島での事を振り返った。リヴィアの事を強く後悔しているんだろう。

 二人の事を慰めようと、ヘルタさんが突発的に提案した二人の里帰りだったけど、逆効果となってしまった。


「待たせたの……うん? どうかしたかの客人方」

「い、いや、さっきの茅葺き屋根が見つからないって話になって、また落ち込んじゃってしまって! 気にしないで下さい!」


 そこにタイミング悪く治樹さんが用事を済ませて帰ってきた。けど暗い雰囲気になっている僕たちを見て戸惑ってしまう治樹さんに、僕たちは慌てて取り繕うのだった。




 小一時間くらいして、僕たちは適当に理由を付けて治樹さんの家から出てバス停に戻っていた。

 治樹さんはお土産にとお菓子やら、ジャバラというこの地で採れる柑橘類が入った袋なんかを僕たちに渡してくれた。

 芽亜里が「年寄りあるある」なんて苦笑していた。

 シアンさんは丁重に断ろうとしたけど、結局受け取り僕も持って治樹さんのお宅を後にした。

 人気が無いのを確認して、シアンさんが収納魔法で嵩張るのは閉まっちゃったけど。


 さびれたバス停で待っている僕たちに重い空気が流れる。それに耐えられなかったのか、パウリーネが茅に話しかける。


「茅、治樹さんに何か封筒を貰ってたわよね? あれって何?」

「え…? 何だろ、何か硬い物が入っているみたいだけど……」


 出る時にお土産とは別に、治樹さんは茅に小さな封筒を手渡してきたのだった。


「開けてみたら?」

「あ、うん……」


 言われておずおずと封筒を開ける茅。中には銀色のペンダントと、手紙が入っていた。


「ペンダント…? でも少し古いわね」

「手紙は何て書いてあるの?」


 訝しげにペンダントを手に取り見る茅。それも気になったけど、手紙の内容が気にかかって芽亜里が読んでとせがむ。


「ん、えっと…『姉さんへ』!?」


 手紙の出だしを茅が驚き叫びながら読む。僕たちもつられて驚いてしまった。




 ―――――


 姉さんへ


 まさかこんな形で会えるとは思ってもみませんでした。

 実は去年、姉さんが家の外から遠目でこっちを見て、すぐに去っていく姿を見かけたのです。

 最初はあの時と変わらない姿の姉さんを見て、ボケ始めたのかと思ってました。


 けど今日出会って、姉さんに間違いないと確信しました。

 困ったら髪をいじる癖がそのままだったから。


 正直、色々聞きたい事や話したい事が沢山あったけど、姉さんが小さく震えているのを見てそれ以上は聞けませんでした。

 多分、色々理由があるんだと思って。

 話してくれないのは寂しいけれど、無理に聞き出そうとは思いません。

 姉さんが元気でいたというだけで十分だから。


 同封していたペンダントは、姉さんがいなくなる前日に誕生日のプレゼントにしようとお小遣いを貯めて買ったものです。

 前にアクセサリーショップで欲しそうに見ていたから驚かそうと思って。

 大分遅くなっちゃったけど誕生日おめでとう。


 最後に、もしよかったらまた来てね。

 その時はまた昔の様に「姉さん」と呼べればいいな。


 あなたの弟 宇畑 治樹より


 ――――




「治樹さん、茅の事分かってたんだ…」


 手紙の内容を茅に読み聞かせてもらった僕はやりきれない想いに呆然としてしまう。


 手紙を読み終えた茅は目を見開き、渡されたペンダントをじっと見る。やがて彼女は涙がこぼれ落ちた。


「えっと……茅、あの――」

「ごめんみんな。私、あの家で忘れ物をしちゃった。待ってて」


 そう言って茅は急いで取って返した。走っていくその背中はどんどん小さくなっていく。


「…私達も行こっか」


 芽亜里がそう呼び掛け、僕たちも茅の後を追った。




 宇畑治樹は軒先に座り呆然としていた。先程までのほがらかさが嘘のように、まるで魂が抜けたかの様だった。


 気丈に振る舞ってはいたが、60年も行方知れずだった姉にようやく会えた。

 なのに互いに素直になれず、他人の様に振る舞ってしまった事を少なからず悔いていた。

 気を使ったと言えば聞こえは良いが、結局は勇気が出せなかっただけだと自分を責めている。


 傍に置いてあった先程いれた緑茶は、口を付ける事なく冷めてしまっていた。

 そうやって何の気力も沸かずに、ただボーッとしている。

 そのまま夜まで時が止まってしまうかも知れない。そう思えるほど無気力だった彼だが、予期せぬ訪問者が彼の気つけ薬となった。


「治樹!」


 突然、呼び掛けられた方を向く老人。

 そこにはつい先程別れた、60年前と変わらない姿の自分の姉が、庭に入り込んで軽く息を切らして立っていた。


「…ごめん、ね……帰りが遅くなって。それなのに、他人のフリを…するなんて、ヒドイ、お姉ちゃんで……」


 言葉に詰まりながら、年老いた弟に謝罪する少女。

 突然現れ、今にも泣き出しそうな彼女を見て唖然としていた治樹だったが、ゆっくりと立ち上がりシワシワの顔を屈託のない子供の様な笑顔にして向けた。


「お帰り、『姉さん』」


 そう言われ、つい涙が零れ落ちる茅。歩み寄り、弟に抱きつく。


「ごめんね、ごめんね……! 待たせちゃって……ただいま……!」


 そのまま茅は泣きじゃくってしまう。治樹も目に涙が薄っすらと出ていたが、じっと姉が泣き止むまでそのまま待っていた。

 老人の喪失の60年間を思えば、姉の側で待つ時間は苦痛どころか幸福であった。




 その後、茅の後を追いかけたクロム達はそのまま治樹の家に寝泊まりする事になった。

 本来はご法度なのだが、茅はもう誤魔化さないと決め、治樹に自分がタイムスリップした事だけでなく、多元宇宙やOCMMの事、そして自分が多元宇宙の平和の為に様々な異世界を渡っている事を話した。

 治樹にも、秘密を喋られたクロム達にも驚かれたが、治樹はそれらを受け入れた。


 その夜、眠りに就いたクロム達だったが、茅と治樹は暗くなった庭に出て静かに話をしていた。


「明日には行っちゃうんじゃのぉ」

「ごめんね……せっかく会えたのにすぐ行っちゃう薄情な姉で」

「『薄情』は卑下し過ぎじゃろう。そうだったらこうして戻って来たりはせんじゃろ、姉さん」


 寂しくないと言えば嘘になるが、自分が両親の反対を押し切ってここに居を構えたのと同じ様に、姉には姉の選んだ道がある。

 年寄りの自分が邪魔してはいけないと腹を括った弟だった。


「ごめんね…またここに来るからね」

「今日の姉さんは謝ってばかりじゃな。それなんじゃが、実は奈良にいる息子夫婦に世話になる事に決めての」

「え?」

「何年も前から呼ばれてたんじゃが、姉さんを探すのを諦めきれなくての。じゃがこうして望みは叶ったから、ワガママはもう止めにして息子の望みを聞くことにしての」

「そうなんだ……」


 それを聞いて少し複雑に思い、また髪をいじりだす茅。それを見て少し可笑しくなり微笑む治樹。


「そういうわけじゃから、たまに遊びに来てくれ」

「え? でも息子さん…じゃないか、甥やその家族に私の事何て言えばいいのよ?」

「そこはほれ、遠い親戚で会いに来てみたとか、適当に理由をつければ良いじゃろ」

「……さすがに適当過ぎるでしょ」


 呆れてしまう茅だが、互いにクスクスと笑い出す。


「もう遅いし寝ようかの。じゃあ姉さんお休み」

「うんお休み、治樹」


 そう言って家の中に戻る、傍から見ると祖父と孫にしか見えない姉弟。

 宇畑治樹はその日、久々に満ち足りた表情で就寝したのだった。

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