04 切り裂き魔
わたしたちレーゲル人部隊が(大変遺憾ながら)所属するエルゴバキアは現在、戦争状態にある。
その相手は西方面の国、ルチドリア王国。わたしたちが戦い、殺し殺されしている兵士たちの正体だ。
ルチドリアは大陸中央に広がる豊かな穀倉地帯を備えた食糧輸出を主な産業とする国家である。王制を取っているが、現在は農民の生活向上もあって貴族と平民の差はかなり薄くなっており、我が国と違って差別の少ない国……らしい。伝聞でしか知らないから詳しいことは分からない。元々レーゲルとはエルゴバキアを挟んで対岸の国。遠い存在なのだ。
そんなルチドリアは、例によってパルダイトの地下鉱脈が見つかってしまったが故に今回の戦争に巻き込まれた。
正直、ルチドリアには同情する。彼らは戦争をふっかけられた側だ。『大使殺害の報復』という大義名分こそあるけれど、関係微妙な国にわざわざ押しかけるようにして入国した直後に殺されている為、状況的に自作自演の線が濃いともっぱらの噂である。つまりルチドリアも、わたしたちと同じようにパルダイトの鉱脈欲しさに領土拡張戦争を繰り返すエルゴバキアに目をつけられた哀れな被害者ということだ。
そんなルチドリアに国力で勝るエルゴバキアは景気よく攻め込んでいて、わたしたちが今いる場所も元々はルチドリアの領土だ。
ゴズ要塞。元ルチドリア領ゴズ市を占領し、補給路防衛の為に要塞化した軍事拠点。
鉄道が通っている同市は物流の重要地であり、エルゴバキア軍にとっては死守しなければならない場所だった。当然、ルチドリアもそれが分かっているから積極的に仕掛けてくる。
今日も、ルチドリア兵は祖国の地を奪還すべく血気盛んに攻め込んできていた。
「今日も敵さんには勢いがあるねぇ」
「………」
「まぁ向こうは士気が高いから当たり前か。対してウチは地を這ってるしなぁ」
「………」
「前線で暴れている侵攻軍本隊への八つ当たりも入ってるだろうし、やってられないよね」
「………」
「……フラクネート、帰ってきてー」
某日。まだ顔の傷も癒えていないわたしはいつも通り要塞の外に作られた塹壕にて防衛戦に明け暮れていた。防衛戦と言っても年がら年中銃を撃ち合っているワケでも無い。そのほとんどは塹壕内での待機に費やされる。なので暇つぶしに雑談をしようとしているのだが、隣にいる少女はとても無口なタチだった。
ナーシェ一等卒。我がカラキラー小隊の偵察兵にしてやはりレーゲル人の少女。後ろで括った黒髪はともかく、肌の色は厳寒な土地で暮らしてきたわたしたちには珍しい褐色だが、それでも間違いなくわたしたちの同胞だ。
何故ならその黄色の瞳の周りには、見えにくいけど金縁があるから。
レーゲル人の証でもあるこの金縁の瞳は顕性遺伝、つまりほぼ確実に父母から受け継がれる形質で、この瞳を持っているということは即ちレーゲル人の血を受け継いでいるという証だ。少なくともエルゴバキアでは、この瞳をしていたらレーゲル人として分類される。
ナーシェも間違いなくレーゲル人としての血を受け継いだ一人だ。つまりわたしたちの大切な同胞。
「………」
「……お、おう」
だけどわたしはこのナーシェがちょっとだけ苦手だった。
何せ寡黙で、必要なこと以外は喋らない。その顔は褐色肌であることも相まって異国情緒が溢れる大人びた美人なのだが、キツく結ばれた唇は滅多なことでは開くことは無い。一応報告などではちゃんと発声してくれるので、まったく声を知らないというワケでもないのだけれど。
そのクセわたしの顔をじっと見つめてくるのでやりにくいったらありゃしない。
「………」
「うぅ」
賑やかだったフラクネートが恋しくなる。わたしの分隊員であったフラクネートだが、現在はトードエルを喪ったことによる精神的影響を鑑みて別の分隊に組み込まれていた。小隊長であるホリーの采配だ。大家族の長子であるホリーはそういう気配りが上手い。
なのでわたしの下には精神的に安定したナーシェが付けられたワケだけど……うぅ、気まずい。まったく会話が続かない。
いっそ早く、銃撃戦にならないか。そうなればまだ間も持つのに。
『こちらキラー1。キラー2、ベル、聞こえてる?』
そんな祈りが通じたのか。小隊長……ホリーから連絡が入る。
もちろんわたしは即座に応じた。
「こちらキラー2。どうしたの?」
『上から出撃要請よ。ポイントE2に今すぐ来いって』
「え、なんで……あぁ、いつものかぁ」
わたしはげんなりした。何があったのかを悟ったからだ。
レーゲル人を使い捨ての装甲板くらいにしか思っていないエルゴバキア人たちが助けを求めるようなことは稀だ。そんなことをするくらいなら自分たちで対処する。……レーゲル人を盾として使いながら。
それでも高圧的ではあっても救援要請めいたことをするのは、配備されたレーゲル人部隊を使い潰してなお自分たちに被害が出る可能性があるからだ。
「また
『そういうことね。……行ける?』
「こっちに穴埋めを寄越してくれるのなら」
『了解。すぐにセラディたちを向かわせるわ』
「ならこっちも了解」
わたしが抜けた穴も塞がる、と。……行くしかないかぁ。
通信を切り、わたしは移動を開始する。すると、ナーシェも付いてきた。
「……呼ばれたのわたしだけだから、ナーシェはここでセラディたちを待っていてもいいんだよ」
「………」
言っても、ナーシェは無言で付いてくるのを止めない。……まぁ夜間偵察もできるくらいに優秀な偵察兵であるこの子が無茶をすることはまず無いから、別にいいか。
塹壕内を走り、指定されたポイントへ到着する。そこではやはり、予想通りの光景が広がっていた。
「……あちゃー」
幾層にも連なった塹壕や堡塁。堅牢な防御力を誇るそこが、無惨にも破壊されていた。それほ砲弾が直撃したとかいう破壊痕では無い。
土嚢は土を吐き出し、塹壕は縁が抉られているかのようだ。慣れない手芸者がフェルトを刻んだかのような有様。そんなことができる相手を、わたしは一人しか知らなかった。
「ひぃぃぃーーっ!」
「アッヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
エルゴバキア兵士を掴み上げ、掲げている背中があった。昏い紺色のコート。全身を布地や装甲で覆っており、肌色は見えない。背中に背負ったタンクのような物を見ると、あるいはロボットのように見えるかもしれない。
だが紛う事なき人間だ。その証拠に、摘まみ上げた兵士を前に狂気的な笑い声を上げている。
「た、助けてくれぇ!」
「助けるぅ? なんでぇ? そんなことしてボクに得ってあるぅ? 無いよねぇ?」
「ひっ、ひぃ……!」
「でも君を切り刻むとボクは愉しいよぉ。だからぁ……やるねぇ!」
「い、ぎやぁあぁぁぁぁっ!!」
ジョキン。
兵士は、断末魔を上げながら胴体で真っ二つにされた。
コートの存在が持つ、巨大な鋏で。
「あ、げぇ……」
「ヒヒヒ、ヒィッヒッヒ!!」
ボトリと地に落ちた兵士を、更に愉快げに刻んでいく。別にエルゴバキアの兵士がどうなろうとしったこっちゃ無いが、そんなわたしでも思わず顔を顰めるような惨劇。
夢中になって刻み続けるその背中に、塹壕を抜け出したわたしは銃弾を放った。
うなじを狙ったが、銃弾は逸れてタンクに当たり跳ね返る。甲高い音が戦場に響き渡り、それに気付いてコートの存在はわたしを振り返った。
「ヒッヒ……おやぁ、『血塗れ鼠』じゃあないかぁ」
揺れるようにして振り返ったその顔は、フルフェイスのマスクで覆われていた。同じく紺色をした顔面は前世で言う梵字に似た溝が刻まれており、ぼんやりと光っている。
右手には巨大な鋏。左手には回転式の機関銃……いわゆるガトリングを手にしたソイツはわたしの姿を認め、嬉しげな声を上げた。
「やぁっと来たねぇ。ヒッヒヒ!」
癪に障るキィキィとした高い声。ソイツはマスクの縁に手をかけ、兜を開くようにしてその下の顔を晒す。
そこにあったのは銀髪紅眼の、ギザギザ歯をした女の顔だった。
「待ちくたびれたよぉ、鼠ちゃぁん」
「そう。わたしの方は待って無いよ、『切り裂き魔』」
「つれないねぇ。あと、どうしたの、ほっぺぇ」
「……ちょっと転んでね」
「ヒッヒッヒ! そりゃ大変だ! 可愛いお顔なのにねぇ!」
女は心底愉快げに笑った。戦場にいるとは思えない程に屈託なく、だからこそ不気味だ。
「相変わらずだね、カウズ」
カウズ・オーガン。手にした鋏で何もかもを滅多斬りにすることからついたこちら側の通称は、『切り裂き魔』。わたしたちの天敵である……敵のエースだ。
見ての通り、殺人嗜好者のやべー奴である。
「お、ボクの名前覚えててくれたんだぁ。やっぱり好きな人には認知されるのは嬉しいねぇ」
「きっしょ」
「ヒヒッ……いいねぇ、その表情」
嫌悪に顰めたわたしの顔を見て、コートに包まれた長身痩躯をくねらせるカウズ。
とても、とても厄介なことに。
わたしはコイツに粘着されている。
「それで、いい加減に君の名前も教えてくれないかい? ボクの愛しい鼠ちゃん」
「やなこった」
ナーシェは……どっかに隠れてる。わたしがピンチになるか、相手に大きな隙ができるまでは出てこないだろう。そういうところ、彼女はちゃんと弁えてる。
思う存分、戦える。
「だったらぁ……」
カウズは上げていたヘルメットを下ろした。
自慢の得物をゆらりと構え、そして。
「力尽くで、聞き出しちゃうよぉ!」
バネが跳ねるように、こちらへ飛びかかってきた。
咄嗟にわたしは首元の白い首輪に触れる。
「う、おぉっ!」
間一髪。辛うじて加速できたわたしは鋏による大切断から逃れることができた。一瞬遅れればどうなっていたかは、地面に刻まれた深い傷跡が教えてくれている。
だけどそれだけで切り裂き魔は終わらない。獣の如く身体をしならせ、今度は飛び退く。そして距離が開いたところで、左手の銃身を回転させた。
「くっ!」
発砲。夥しいまでの弾幕。回転式機関銃が放つ連射は凄まじいの一言で、走って躱すので精一杯だ。
「クソ、相変わらずの馬鹿力!」
「パルダイト様々だねぇ!」
回転式機関銃は、当然の如く重い。幾重にも束ねられたバレルと回転する機構。それに弾倉まで含めれば、大の大人で持ち上げるのがやっとか、そもそも無理か。普通は三脚で固定して使う物だ。
片手だというのにカウズは機関銃をこともなげに振り回す。
その秘密は、纏った装備にあった。
パルダイト機関。あるいはパルダイト・エンジン。
忌々しき万能鉱物、パルダイトを利用した機関だ。そしてカウズが着ているコートを始めとする装備こそが、パルダイト機関で動くいわゆるパワードスーツだった。
奴の背中に背負ったタンク状の物体がそれだ。あの中にパルダイトを収納し、燃焼させることでスーツを駆動。人力を越えた馬鹿力を実現させている。機関銃を振り回すのも、人体を簡単に真っ二つにする鋏もそう。全てパルダイトで動く兵装だ。
そんなパルダイト兵器を纏うことを許された存在。
それこそを、昨今の戦場ではエースと呼んでいた。
「イーッヒッヒ! 気持ちいいねぇ!」
カウズの暴れっぷりは凄まじく、わたしたちの周りには誰も近寄ってこなかった。他の場所では大砲が降り注ぎ歩兵の突撃が繰り返されているのに、この周辺だけ凪いでいる。まるで世界から切り離されているかのようだ。
エースというのはそういう存在だ。パルダイトの申し子。戦場を一変させる存在であり、正に鬼神。並みの兵士たちじゃ束になっても叶わない。
だからエースにはエースをぶつける。それが基本だった。
「ヒヒヒッ、当たらない、当たらない! すごいよぉ、鼠ちゃん! さっすがエース!」
「お褒めに与り、恐縮だね……!」
そのエースが、わたしだ。
容赦無く狙ってくる銃弾の嵐を、飛んで跳ねてして躱しまくる。パルダイトの力で振るおうとも銃弾のスピードは変わらない。この間兵士たちを相手にしたように、わたしからすれば見て躱せる程度の物だ。
その身体能力を実現しているのが、パルダイト
パルダイト器官。それはあくまで燃料として使っている機関に対し、パルダイトが人間の能力を強化することに着目して
レーゲラナ兵士たちは、みんなこのパルダイト器官を施術されていた。
器官の名の通り、新たな内臓としてわたしたちの脊椎に埋め込まれている。白い首輪に充填されている液体パルダイトを注入することで、人体に行き渡らせるような仕組みになっていた。これにより、わたしたちは一時的にだが人を越えた能力を獲得することができるのだ。
わたしはこの器官をフル活用することで、どうにか『本物の』エースと渡り合っている。
「このっ……!」
弾幕の合間を縫って手にしたライフル、ラパインM18で応戦する。が、銃弾はマスクを始めとする装甲の数々によって弾かれてしまった。
パルダイトによる馬力で分厚い装甲を着込んでいるエースは防御力も高い。コートも防弾だ。小銃弾くらいじゃビクともしない。
だからトドメを刺すには……。
わたしはジッとその時を待つ。
「ヒハハハハ! ――アァ?」
景気よく撃っていた切り裂き魔だが、ふと違和感を感じて機関銃を見下ろす。するとそこには赤くなり、ヒーターのように熱を発する銃身の姿があった。
慌ててカウズは引き金から指を離す。
「チッ、放熱がこんなに甘いの。回転式はそれを抑える為なんじゃぁ……アァ?」
訪れたチャンス。わたしは回避に専念していた脚を使い、一気に肉迫した。そして腰の裏に佩いていた山刀を引き抜き滑らせる。狙うは一点、敵の頸!
「はぁっ!」
「ヒヒィッ!」
が、防がれる。カウズは引き抜かれた山刀に対し鋏を合わせていた。刃が噛み合い、金属音を鳴らす。
「ヒヒッ……危ない、危ない。やっぱ開発部に押しつけられた試作兵器は駄目だねぇ。手に慣れた
「クソ……この趣味悪切り裂き魔め……!」
ギリギリと鍔迫り合っている内に、わたしの方が押され始めた。カウズは女としては身長が高めなので、上から押し潰されるような形になる。
いくら身体能力を強化しても、そりゃ機械の方が馬力はある。パワーは向こうの独壇場だ。勝ち目は無い。
適当なところで切り払い、また別角度から切り込む。
「ヒヒッ! いいねぇ……!」
刃と刃をぶつけ合い、火花を散らす。素早い斬撃の波状攻撃を、カウズは悉く受け切って見せた。
流石は切り裂き魔と言わざるを得ない。刃の扱いはプロ中のプロだ。
「いいねいいねぇ、愉しいねぇ! こんなに斬り合いが愉しいのは鼠ちゃんだけだよぉ! ずっとこうして愉しもうよぉ!」
「御免なんだけど……!」
マスクで見えないが、その下ではさっきの狂気的な笑みを浮かべていることだろう。
カウズがわたしに執着する理由がこれだ。コイツは激しい斬り合いを望んでいる。刃と刃がぶつかり合って火花散らすような戦闘が大好きなのだ。
そしてわたしは与えられた兵装の都合上、山刀で立ち向かうしかない。防弾コートを切り裂けるような刃物がコレしか無いから。
そして向こうの銃弾もわたしなら躱せる。撃たない大義名分が立つ。なので相対すると否応なく斬り合いになるので、コイツはわたしとの戦いが大好物なのだ。
「もっともっと、
至近距離でハァハァという吐息が聞こえる。気持ち悪い。
早く終わらせよう。一か八かを狙い、わたしは距離を開けた。
「ヒヒッ、そこからどうするの……!」
離れたわたしを、カウズはガトリングで狙うようなことはしない。まだ冷却が終わっていないというのもあるのだろうし、そもそもの趣味嗜好的に望まない。鋏を構え、迎撃の姿勢を取った。
首を取るなら、あの鋏を躱さなきゃいけない。
わたしは脚を溜め狙いを定め、一気に駆け出す。
「真っ直ぐかい!? それは読めすぎぃ!」
真正面から突っこんできたわたしに、カウズは鋏を振り下ろした。わたしの肉を両断しようと迫る大振りの刃。だがわたしが身を屈めたことで、鋭い刃はわたしの肩肉を浅く斬るだけに終わった。
「ぐっ!」
「へぇ?」
まずは、初撃の回避に成功。だがここで終わりじゃない。屈んだことで体勢が崩れ、首を狙うには遠く届かなかった。
「そこからどうする、のぉ!」
立て直すよりも早く、向こうの返す刃が間に合ってしまう。手元へ引き戻す形で横薙ぎに振るわれる鋏。
今だ。
「やぁ!」
「……ヒヒッ!?」
わたしは予め残しておいた脚力を使い、その場で飛び上がった。そして引き戻される鋏の上に、着地する。
相棒の上に乗っかったわたしに、カウズの動きは一瞬だけ硬直した。好機!
「はあぁぁぁっ!!」
鋏を、腕を駆け上がるように山刀を奔らせる。狙うは頸、一点。
遮る物無き刃はネックガードに包まれた首筋へと吸い込まれ――その直前で、顎を引いたマスクによって弾かれた。
「なっ!」
「ヒヒッ、危なかったよぉ!」
「ぐっ!」
今度は絶好の一撃を外したわたしが硬直する番だった。カウズは左手の回転式機関銃を鈍器のように振るい、わたしを叩き落とす。
「く、そぉ」
チャンスを逃した。肉を切らせたのに!
ゴロゴロと転がり、わたしは山刀を構え直す、けど?
「げっ」
山刀は中腹からひん曲がっていた。見事なへし折れっぷりだ。恐らくはマスクに負けた。わたしたちに配られるような安物だから!
これでは使い物にならない。わたしはエースに通じる唯一の武器を失った。
そしてカウズは、武器の折れたわたしに対しても容赦無く鋏を振るって反撃に来る!
「ヒヒヒィッ!」
「くっ!」
反射的に目を瞑る。だが、痛みは来ない。
目を開くと、ぎこちなく身体を揺らすカウズの姿があった。
「う、ぐ……こんなイイところで時間切れなんてぇ」
鳴り響く警告音。それは向こうのパルダイト機関が燃料切れが近いことを知らせる合図だ。
パルダイト機関の弱点。それは燃費の悪さ。人体に悪いパルダイトの影響を極力排除する為に、機関は幾重にもフィルターを噛ませている。それによって人間が背負っても有害にならない程度に悪影響を抑えられているのだが、それはその分だけ燃焼を加速させた。
なので、パルダイト機関は稼働時間が短い。それが製造の難しさに並ぶ、数少ない欠点だ。
敵陣深くまで切り込んでいる奴にとって、帰還分の燃料まで尽きてしまうことは死を意味する。
「帰った方がいいんじゃない?」
「うぅ……」
葛藤の末、カウズは項垂れながら鋏を降ろした。
「しょうがないかぁ。鼠ちゃん以外に殺されてもつまらないしぃ」
一気にテンションの下がったカウズはルチドリア陣営へと踵を返した。
「また遊ぼうねぇ、鼠ちゃん!」
「もう御免だよ」
肩で息をしながら、好き放題して去って行く切り裂き魔を見送る。
「追撃しますか?」
「うおっ!?」
遠くなっていく紺色を眺めていると、急に背後から話しかけられた。声の主はナーシェだった。普段寡黙なくせに、喋るときは唐突だから心臓に悪い……。
「いや、別にいいかな。アイツも攻撃を躱すくらいの余力は残してるだろうし……」
オートバイ顔負けの素早さで暴れ回る戦車みたいなものだ。燃料切れが近くとも、下手に手を出せば命を落とす。ウチの小隊員にそんな無茶はさせられない。
「では、怪我は。後方へ向かいますか」
「あぁ、こっちは……」
言われて肩の傷を思い出す。確かに予想以上に深く、出血が激しい。腕が持ち上がらなくなるのも時間の問題だろう。
「……戦線を長く空けるワケにもいかないしね」
白い首輪に触れ、スイッチを押す。更なる液化パルダイトの投入。
血は止まり、傷は癒える。パルダイトの人体治癒作用だ。急所に三発も銃弾を受けていたトードエルくらいの重傷ならまだしも、今くらいの傷なら瞬時に癒える。
顔の傷も癒えたので、ガーゼも剥がしちゃおう。
「これでヨシ。いいね?」
「………」
ナーシェは一瞬だけ複雑そうな表情を見せたが、すぐに元通りの寡黙に戻って頷いた。わたしたちは報告をしながら自分たちの陣地へ帰還する。
パルダイト器官はわたしだけではなく、徴兵されたレーゲラナ兵士全員に施術されている。そのままの身体能力では男の兵士に劣るからだ。
人体に埋め込むパルダイト器官は製造コストの掛かる機関に比べて遥かに安く済むので、徴兵したレーゲラナ全員に対して施術しても十分賄える。使っている液化パルダイトも廃液の再利用品。それで女性故の身体能力を埋めるくらいの活躍が見込めるのなら、おつりが来るくらいだと言うのが上層部の論法。
だけど一つだけ、欠点がある。
それこそ、みんながわたしみたいにパルダイトをバンバン使わない、理由が。
「……けほっ」
鉄臭さが喉をせり上がってきて咳き込む。抑えた手を見れば、そこには赤黒い血の染みが。
パルダイトは人体を蝕む。
それを直接身体に注入すればどうなるかなど、火を見るより明らかだ。
確かにわたしは、エースに通じるくらいの活躍をすることができる。おかげで生き残れている。
だけどその代償は……寿命だった。
「あと、どのくらいだろうね」
独り言。
わたしがみんなを守れるのは……いつまでだろうか。
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