05 食べる、食べられる

「顔の腫れ、引いたわね」

「うん」


 あくる日。わたしとホリーは宿舎で向かい合って座っていた。

 元々が捕虜収容所であるレーゲラナ兵宿舎はそれなりの敷地、部屋数がある。しかしそのほとんどが基地の不要品を置いておく倉庫と化しており、足の踏み場も無い有様だ。なので使える部屋数も少なく、寝室は小隊で各一つと押し込まれているくらいだ。

 わたしたちがいるのはそんな宿舎の数少ない利用できる部屋、通称『ラウンジ』だった。


「……使ったでしょ」

「……はい」


 そのラウンジとて、綺麗さっぱり片付いているワケでは無い。むしろとっちらかっている。ただしこちらは基地の不要品では無く、レーゲラナみんなが掻き集めてきた趣味の品がほとんどだ。本やボール、そしてそれらを収めておく廃材で作った棚。それに加えて歓談する為の椅子とテーブルも置かれているので、まぁ狭い。

 この散らかりようはみんなの生活感が溢れていて、わたしは嫌いじゃ無い。

 でもこうして怒られることがあるのは嫌だった。


 ホリーはその金に縁取られたオレンジ色の瞳に、様々な感情を織り交ぜていた。

 怒り、悲しみ。やるせなさ。そういったものが渾然一体となってわたしに向けられている。


「分かってるの? それがどんな行為なのか」


 その視線が注がれる理由は、ただ一つ。

 わたしがパルダイト器官を使ったからだ。


「うん、もちろん」


 理解はしている。

 身体能力を向上し治癒能力も賦活するパルダイトだが、人体には有害だ。短期的には回復できてもその影響は確実に身体を蝕む。

 発作、中毒、体細胞の癌化……悪影響のオンパレードとも言うべき症状。多すぎて正確な分類もまだだ。何が起こるか分からないことを揶揄して、『死のビックリ箱ギミックボックス』と仇名されている。

 全部引っくるめて、パルダイト症候群と呼ばれていた。


 わたしの身体にも起こっている。具体的には、内臓の劣化。

 胃を始めに、心臓、肝臓。その他数え切れない臓器が老人のように機能低下しており、既にいつ何が止まるか分からない状況だ。

 原因はもちろん、パルダイトの使いすぎ。

 寿命の前借りを繰り返せば、その分だけ死が近づいていく。だからこの状況はごく当然のものだ。

 そしてそれでホリーが怒るのも、当たり前。

 だけど。


「でもそうしなきゃ、エースには渡り合えなかった」

「それは……分かってる。でも」


 だけどそうしなきゃ、エース……切り裂き魔には勝てない。

 それが分かっているから、ホリーも強くは言ってこなかった。

 切り裂き魔、カウズ・オーガン。アイツはエースの中でも別格だ。


 そもそもわたしがエースと呼ばれるようになったのは、敵のエースを単独で撃破したからだった。そうでなければパルダイト器官以外に何の装備もないレーゲラナを褒め称えるようなことはすまい。

 その時も器官を使い、手にした山刀を使っての辛勝だった。

 銃弾の通じない相手に、何度も、何度も刃を振り下ろした。無我夢中で相手を殺したわたしは返り血で酷い有様だったらしい。

 血に塗れた、貧相な体つきの女。虎を噛み切った窮鼠。

 その姿を見た敵から名付けられたのが『血塗れの鼠』。

 共和国側からは『灰兎』という称号を頂戴している。どっちも酷い名前であまり気に入ってはいない。


 エースを撃破したのならエースだ。そういう習わしがあって、それがレーゲラナ相手であろうとエルゴバキア人共は守った。

 そしてエースに対抗可能で、かつ失っても問題ない駒として使い潰されている。

 これまでも、何人かのエースを撃破、無いし大破させて退却に追い込んだ。自慢じゃないが兵士としてわたしは結構強い。それが寿命と引き換えでも。

 そんなわたしでも、切り裂き魔には勝ちきれない。それだけ強い相手なのだ。


「………」


 ホリーも知っている。そうしなきゃいけないことくらい。

 けれども納得できない気持ちがあるのだろう。そりゃそうだ。もしわたしに巻き込まれて他の隊員も器官を使えば損耗率は一気に跳ね上がる。隊長としては懸念事項だろう。

 だからわたしは安心させるべく言った。


「大丈夫だよ。わたしで・・・・終わらせるから・・・・・・・、さ」

「っ!!」


 わたしがそう言うとホリーは顔を顰め、俯いてしまう。あれ、なんか間違ったかな。


「……あたしが、もっと……」


 小声で何か言っているようだが、小さすぎて聞こえない。

 聞き返そうとした時、丁度部屋の扉が開け放たれた。


「あ、やっぱり此処だったッス!」


 元気のいい声と共に現われたのは、同じ軍服、同じ腕章を付けた少女だった。

 快活な笑顔、頭の両脇に跳ねたピンク色の髪をした少女は何かを抱えながら、小走りで近づいてくる。あ、両手塞がった状態でそんなに走ったら――。


「ひゃわっ!?」

「わ、ちょ!」


 案の定だ。派手にすっ転び、手にした物を空中でぶちまける。

 素早く席を立ち、落ちる前にそれをキャッチしていく。一個、二個、三個、そして籠。

 コンプリート。一つとして欠けることなく救出成功したわたしに、下の方から拍手が送られる。


「おおー!」

「おおー、じゃないでしょ、ピネル」


 少女は溜息交じりのホリーに抱えられていた。わたしが放り出された物をキャッチしていた一方で、ホリーは少女のことをキャッチしてくれたのだ。長年一緒だったがゆえの役割分担、チームワークというところかな。

 そのホリーは、まるで子どもに対する母親のように少女を叱っている。


「いつも気をつけて走りなさいって言ってるでしょ。これで何回目?」

「えー、分かんないッス。ごめんなさい……」


 少女、ピネルは子犬のようにシュンとした。

 ピネル一等卒。我が小隊の一員にして稀代のドジっ子。

 戦場においては小隊長であるホリーの護衛だが、それはあまりにドジすぎてホリーが目を離せず、傍に置いて見張ってるだけなんじゃないかとわたしは睨んでいる。

 そんなピネルが反省しているのを横目にわたしはキャッチした物を確認する。


「あぁ、ご飯か」


 それは銀色の包みに入れられたブロック状の物体だった。


「持ってきてくれたんだ」

「はい、そうッス! 配給が届いたんスけど、お二人ともいらっしゃらなかったので、届けにきました!」

「ありがとう。……転ばなかったらなおよかったんだけど」

「うぅ……」

「怪我したら大変だから、足元しっかりね」


 わたしは席に座り直したホリーに向かって一本を投げる。ピネルもまだだろうから、椅子を引っ張ってきた彼女にも。


「じゃ、いただきます」


 包みを破くと、中から薄ピンク色の何かが顔を出す。表面に白っぽい物が浮かんでいるこの棒が、我が軍で採用されている携帯食料だった。

 囓ると固い感触がするそれを、ボリボリと噛み砕く。


「うーん、いつも通りな脂の味」


 正直、美味しくない。形状からは前世で言うカロリーバーを想像するが、食感は固く、お煎餅のようだ。美味しければそれでもいいのだけど、肝心の味は無味に近い。妙な脂っこさだけが喉の奥に気持ち悪く残って……例えるならあれだ、何の味付けも無い天かすを丸呑みした感じに似ている。

 固い、味なし、脂っぽい。

 これが我が軍の誇る携帯食料のレビュー。

 もちろん、兵士たちからは不評の嵐だ。


「味も嫌だけどさ、なんでこんなに脂っぽいんだろう」

「脂質が取れる栄養配分になってるんじゃない? 動くことを考えれば一番大事なのはカロリーだし」


 ホリーもけったいな表情でバリバリ食べている。長くこの要塞にいるわたしたちは慣れた物だ。

 しかし比較的新参なピネルはまだ慣れないらしい。


「うぅ、まずいぃ……故郷の味が恋しいッス」

「言うてあっちも芋ばっかだった気がするけど」

「それでもここのよりは百倍マシッスよ!」

「そうかなぁ……」


 厳寒なレーゲルは雪深いので、作物があまり育たない。なのでよく食べられるのはジャガイモやカブといった根菜類となる。

 故郷での食卓を思い出しても、マッシュポテトやカブのスープくらいしか出てこない。

 あとは蒸かした芋や芋粉パン……どのみちジャガイモばっかだ。


「肉とか魚とか、もう食べたのいつのことだか思い出せないよ」

「シカとかも、あたしたちが小さい頃に禁猟されちゃったからねぇ」

「あぁ、あの環境保護とかいう名目の……実際にはエルゴバキア人だけが娯楽目的で許可されてるっていう」

「うぅ、世知辛いッス……」


 そう考えると、一応三食出るだけマシなのかもしれない。……いや、やっぱ二食でもいいから別の物が食べたいな。何でもメニューが一種だと飽きる。

 しかし口の中の水分が持って行かれるな……。


「ピネル、水筒とかは?」

「……あ」

「……まぁ、いっか」


 口の中をパッサパサにしながらも何とか食べ終える。


「はぁ、ごちそうさま」


 弱った胃に脂が辛い。

 二人も食べ終えたようだ。


「ごちそうさまッス!」

「ごちそうさまでした……あっ」


 そのタイミングで、ホリーが思いだしたように口を開いた。


「ベル、その……」

「? なに」


 言い辛そうにするホリーを促す。

 ホリーは苦い顔をしながら言った。


「……奉仕義務・・・・、そろそろ行かないと」

「……あー」


 嫌なことを思い出してしまった。そりゃ言い辛そうにもする。


「そういえば顔のこともあって後回しにしてたな。今日の夜にでも?」

「できれば」

「オッケー」


 わたしは了承する。苦い顔で。

 隣でピネルも顔を顰めた。


「うへー、ウチもそろそろ行かないとなんスよね」

「ご愁傷様。……代わろうか?」

「そう言ってベル先輩、前も代替してたじゃないッスか。いッスよ。ウチはセラディほどキツくないッスから」


 そう言ってピネルはヒラヒラと手を振って戯けた。……気丈な子だ。

 陰鬱になった空気を払うようにわたしは立ち上がった。


「ま、ちょっと下手に出てればすぐ終わることだし、気楽にいこうよ」


 そう言って伸びをするが、心の中には憂鬱な暗雲が立ち籠めていた。

 他の人よりマシであっても、嫌なものは、嫌だ。



 ※



 その一室は、衛生的とは言えない基地の中でも特に湿っている気がした。

 薄暗い照明。幾重にもカーテンで仕切られた空間。どこかで焚かれているのか、甘ったるいお香の匂い。

 それだけでもかなり不快だが、もっとキツいことがある。

 甲高い悲鳴。野太い怒声。聞くに堪えない水音に、暴力的なリズムの破裂音。お香の匂いには、生臭いものが混ざっていた。


 ここは名も無き一室。だけど兵士たちからは『豚小屋』と呼ばれていた。

 レーゲラナたち異民族兵士の女性が、『奉仕義務』を行なう部屋だ。


『ひっ……ぐ、嫌ぁ……』

『へっ、逃げてるんじゃねぇよ雌豚が!』


 カーテンの向こうから聞こえるくぐもった音。啜り泣く少女の声は同胞で、粋がった男の声は兵士の物。

 奉仕義務とは、つまりそういう行為・・・・・・だ。

 レーゲラナは女の兵士。そして征服した国の人間なので、人権に気を使うようなことはしなくていい。戦場で荒んだ生活を送る兵士たちは常に女に飢えていて、慰安婦は金が掛かる。

 シンプルな帰結だった。


「馬鹿げてるな……」


 宛がわれたベッドの上でわたしは独りごちた。

 軍服は着ていない。皺になるし洗濯代も掛かるから。暗がりの中で、シルエットくらいしか分からないのが幸いか。

 今は待ち時間だ。カーテンの向こう側から、相手・・がやってくるのを待っている。その間は何もしなくていい休憩時間なワケだが、まぁ、周りが周りなので気が休まることも無く。


「はぁ……」


 憂鬱に溜息を吐くことくらいしかやることが無い。だが、ここから出ることも許されなかった。

 レーゲラナ兵士の奉仕義務は一定時間中に宛がわれたベッドの上から出ないことだ。運がよければ何もされない。が、そんなことはまず無い。他人が使った中古品よりも新品の方がいいに決まっているからだ。利用が無料なので、毎日足繁く通う者までいる始末。

 それを、期間中に最低でも一度。それがレーゲラナの奉仕義務だ。代理を立てることは許されるが、拒否は許されない。クソッタレな制度。


 わたしたちにできることは精々、時間ギリギリまで誰も来ないことを神に祈るしか無い。


「お、空いてるじゃねぇか」


 カーテンが開かれる。はぁ、祈りは通じなかったらしい。レーゲルとエルゴバキアは同じ宗教を信奉してるから、神様もエルゴバキアの方を優先するのかな。

 現われた男は鼻歌混じりでわたしの顔を覗き込む。


「まだ使われて無いっかな~……って、テメェは!」

「……げ」


 本当に神様が意地が悪い。

 やってきた兵士は数日前にわたしをボコボコにした相手……リンチしてきた上等兵だった。

 最悪だ。

 案の定男は怒りを露わにし、わたしの首を掴んでベッドの上に押し倒した。


「ぐっ」

「へっ……コイツは都合がいいぜ。まさかこんなところにいるとはな、エース様よぉ」


 首輪に覆われていない生の肌に指が食い込む。振りほどけそうもない。器官を使っていない状態では男の腕力に叶うわけもなかった。


「離、せぇ……!」

「やなこった。ここでなら合法的にいたぶれるんだろうが」

「かはっ……!」


 更に首が絞まる。万力のようだ。まずい、痛みと酸欠で意識が遠くなっていく。意識を手放したら、何をされるか分かったもんじゃない。

 だが無情にも指の力は強まっていく。


「へっ、いい気味だぜ……」

「おい」


 その時だった。

 男の肩越しに、更に別の男の声。

 突然声をかけられたことで、手の力が緩まった。


「けほっ、けほっ!」

「んだよ、折角いいところだっていうのに……」


 男が振り返る。わたしも咳き込みながら見上げた。

 そこにいたのは黒髪黒目をした長身の男だった。


「そうか。それは悪いことをしたな」

「テメェ、どこの部隊……げぇっ」


 わたしを苛めていた上等兵は階級章を確認し、青ざめた。そこにあった徽章は監察官を示す物だった。つまりは憲兵……兵士を取り締まる兵士。


「か、監察官殿が、どうしてこんなところに」

「利用権は我々にもあるのでな。軍紀違反の監視も兼ねて、時折利用しているのだよ。ところで……」


 監察官はそう言うと、ベッドの上で首を押さえながら息を荒げているわたしに目を向けた。


「奉仕義務に応じている兵士はその間、慰安婦相当の扱いになるハズだが? そうなると故意に危害を加えるような行為は禁止となるな……」

「へ、へへっ。いやいや、冗談ッスよ。嫌だなぁ」


 上等兵はペコペコと頭を下げ続ける。素行が悪いコイツは、憲兵に何度もお世話になっているのだろう。とても低姿勢だ。


「で、では俺はこれで……」

「なんだ、いいのか?」

「きょ、今日のトコロは具合も悪いので! それでは!」


 そう言って男は監察官の脇をすり抜け、退散した。

 後には、わたしと男が残される。


「さて……」


 男がわたしを見下ろした。

 鋭い眼差しをした男は上背があることも相まって、見る者に冷たい印象を与える。見つめられるだけで背筋が震え上がる、憲兵としてはこの上ない人材だ。

 ……黙っていれば。

 男は……白い歯をキラリと閃かせた。


「これで俺との逢瀬の邪魔はいなくなったワケだな、愛しのベルよ」

「そうだね、サイラス特務少尉」

「イズルと呼べと、いつも言っているだろう」

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