02 レーゲラナという兵士たち

 わたしは転生者だ。

 前世の記憶は鮮明に憶えている。その最後の瞬間は、海水浴中に足が攣って水に沈んでいく光景。わたしは溺れ死んで、その後転生したらしい。

 このクソッタレな国、エルゴバキア共和国に。


「オラ!」


 衝撃。頬に突き刺さった鉄拳で脳が揺さぶられる。縛り付けられた椅子がガタンと揺れて、また戻った。

 口の中に広がる鉄の味に咳き込みながら上を見上げれば、そこには電球の明かりに照らされる大男の姿があった。


「けほっ、けほっ……」

「テメェ、何だその目は……」


 男の姿に何か思うところはない。だから視線も無感情であるハズだ。だが男はそれこそが気に入らなかったらしい。もう一度拳が振るわれる。


「ぐっ」

「お前が不甲斐ない所為で戦友が撃たれたんだろうが!!」


 打擲。30㎝は違う体格の男から放たれる拳は重く、身体の芯まで響いた。それが何度も何度も繰り返される。周りを囲う男たちはただ黙って見ているだけだ。

 男が殴り続けるべく拳を大きく振り上げた瞬間、薄暗い倉庫の扉が開け放たれた。


「何をしているのですか!!」


 現われたのは小柄な、白金の髪をした少女だった。わたしと同じ軍服を着て、同じ腕章をつけている。金縁のあるオレンジの瞳は、倉庫内の惨状を見て見開かれていた。


「ベル!」

「ちっ、レーゲル人かよ」


 男は一度そちらを振り返ったがその腕につけられた腕章、そして瞳を縁取る金色を見ると何事もなかったかのように再びわたしの頬を打った。


「ぐっ!」

「やめなさい!」


 少女の静止の声。鋭く響いたそれで、ようやく男は手を止める。

 だがそれは冷静になったからというよりは、苛立ちの矛先が変わっただけのように見えた。


「あぁ? 誰が誰に命令してるんだ、レーゲル人」

「……軍曹が上等兵に向かって命令しているのです」


 白金の少女が身につけた階級章は軍曹。男のは上等兵。少女の方が上だ。しかし男が態度を改めることは無い。周囲の男たちも同様で、嘲る雰囲気を纏いながら少女に詰め寄った。

 屈強な男たちに囲まれても、少女に怯む様子は見受けられない。


「だったらどうだって言うんだよ。まさかレーゲラナが俺たちと対等だとでも?」

「命令系統に差は無いハズです」

「建前はな。だがお前が上官に訴えたところで軍法会議が始まるのかよ?」

「………」


 少女は答えない。その代わりに悔しげに表情を歪めた。つまりはそれが答えだった。

 男は少女の華奢な肩を無遠慮に叩き――そしてその腹部を殴りつけた。


「オラッ!」

「あぐっ!」


 目を見開き、少女は腹を押さえて蹲る。


「う、ぐ……」

「へへっ。おい、悔しかったら抵抗してみろよ、軍曹ドノ。ま、そんなことしたらアンタらの方が軍法会議だけどな」

「………」


 反撃は、しない。少女は拳を振り上げるべく立ち上がったりはせずに、膝を折ったままだ。男の言うことを肯定するように、無抵抗。

 しかし少女は睨み付けることだけは止めなかった。嘔吐感があるのか薄ら涙を浮かべながら、しかし強い意志を湛えた瞳で男たちを射貫く。暴力に屈しない威迫。それを見て男たちは明らかに気圧されて、しかしそれを誤魔化すようにフイと顔を背けた。


「……ケッ、しらけちまったぜ」

「おいもういいだろ。見舞いに行ってやらにゃ」

「肩で貫通してんだろ。運がいいよなアイツも」


 興が削がれた、というのだろうか。男たちはつまらなそうな表情に変わってゾロゾロと外へ出て行く。

 残されたのはわたしと、少女だけだった。

 立ち上がった少女が駆け寄る。


「ベル、大丈夫? ……じゃないわよね」

「そっちこそ」

「あんなへなちょこパンチじゃ痣にもなりはしないわよ」

「ふふっ。来てくれてありがとう、ホリー」


 縄を解いてもらいながらわたしは目の前の心配げな少女、ホリーへと礼を言った。

 ホリー・イリキア。わたしの所属するカラキラー小隊の隊長、つまり上官だ。しかしわたしと彼女の間に敬語は無い。単なる上下関係よりも強い絆で結ばれているからだ。

 自由になったわたしは椅子から立ち上がり身体の具合を確かめる。顔は腫れて後ろ手に縛られていた手首は青痣が残っているが、それだけだった。数日あれば治る傷だ。

 ホリーは悲しげに首を横に振る。


「ううん、あたしは何もしてないわよ。ただ、アイツらがもうやめにしただけ。流石にエースへの私刑が発覚したら上官からお小言を貰うから」

「それでもホリーが来てくれなかったらこれだけじゃ済まなかったよ。だからありがと」

「……うん」

「さ、宿舎に戻ろう」

「そうね、手当しないと」


 コクリとホリーは頷き、わたしと並んで歩き出した。


 コンクリートとタイルの冷たい温度感。パイプに浮いた錆鉄と糞尿の匂い。基地内でも特に不衛生な廊下を二人で歩く。

 廊下を歩く途中も、すれ違う軍人たちから突き刺さる視線は冷たい。


「レーゲル人が大手を振って歩いてやがる……」

「この前は一人しか減らなかったってよ」

「あの不気味な目、さっさと潰れてほしいぜ……」


 ヒソヒソと囁き合わされる侮蔑の言葉。わたしは無視していたが、ホリーは耐えかねたらしい。隣で拳を握り締め、血を吐くように言う。


「一人しか減らなかった、ですって。トードエルは、アンタたちを守って死んだってのに……!」

「ホリー。言っても無駄だよ」


 怒りを燃やす彼女を労って肩を寄せる。身の裡よりに湧き起こる憤怒で震える肩を抱き、慰める。それで少しは落ち着いたのか、怒りを萎ませるようにホリーは深いため息を吐いた。


「ふー……ごめん、ベル。ちょっと熱くなってた」

「うん。でも一々アイツらに怒ってたらキリが無いでしょ」

「そうね。アイツらエルゴバキア人に、あたしたちの気持ちなんて分かる訳がない」


 そう言う彼女の瞳は、興奮の所為で金縁がいつもより強く輝いていた。


 わたしたちはレーゲル人だ。女はレーゲラナとも呼ばれる。蔑称に近い。

 かつてはレーゲル国という国家を築いていたが、二十年ほど前にエルゴバキア共和国に併呑された。

 それ以来わたしたちレーゲル人は、迫害を受けている。


 わたし、ベルが産まれた頃からそうだった。物心ついた時には既に暮らしは貧しく、収容所めいた住居の中で食べるものにも困るような生活を続けていた。

 灰色の大地と薄汚れた人々。粗末な家屋とエルゴバキア人の建てた工場からもうもうと上がる煙。それが現世における故郷の風景だった。

 十歳になる前に父親が鉱山で死に、間もなく母も病床で亡くなった。

 レーゲル人にはありふれた身の上だ。ホリーは一応、家族は健在だが。


 エルゴバキアの軍隊は基本的には志願制だが、レーゲル人の若者は徴兵対象だ。そこに男女は関係ない。十五歳を越えた婦女子も漏れなく兵役が課される。

 わたしもホリーも、そうして徴兵された少年兵だった。


「やっとついた」


 基地内なのでそれ程の距離を歩いたワケではない。だが心労から思わずそう呟いてしまう。渡り廊下のどん詰まりまで辿り着いたわたしたちの目の前には赤錆びたドア。ドアの周りには『非人間』や『淫売』を意味するスラングが所狭しと書き込まれている。ここが我が麗しのレーゲラナ用宿舎だ。


「ほら手当するわよ」


 立て付けの悪いドアを開いて中に入れば、そこに広がるのもオンボロな廊下。外よりもいっそう寒々しいそこは、元は古い捕虜収容所だったという。つまり今の捕虜はわたしたちより清潔な空間で生活をしているワケだ。泣けてくる。

 ホリーに促され扉の一つを潜る。中にはいくつもの二段ベッドが積まれ、その上や床で少女が寝転がっていた。


「あ、隊長」

「ベル先輩もいる。てか、また殴られてる……」

「やっほ。ほっぺが真っ赤でキュートなベルちゃんの登場だよ」

「それ、青くなるんじゃないですかー?」

「そこまでじゃないかな」


 軽口を叩き合いながら奥にあるこれまた錆びた丸椅子に座る。ホリーは近くにある棚から医療キットを持ち出し、廃材を組み合わせた机の上に展開してから真正面に座った。赤チンが開かれ、脱脂綿で切れたところをなぞられる。


「いてて」

「我慢しなさい」


 とはいえ痛いものは痛い。

 大人しくしていると、ホリーが訊いてくる。


「どっか苦しかったりしない?」

「殴られただけだし」

「そうじゃなくて」

「え?」

「ん」


 ホリーはコンコンと自分の指で首を指し示した。そこには金属でできた白い首輪が嵌まっている。


「あぁ……」


 わたしにも同様の物がかけられていた。それだけじゃなく、この部屋にいる全員に。


器官・・、使ったんでしょ」

「そうだね。やむを得なかったから」

「平気そう?」

「一応は」


 なんだか医者の検診を受けているみたいだ。思わずクスリと笑ってしまう。

 それにホリーはむっと顔を顰めた。


「笑い事じゃないでしょ。パルダイトを使ったんだから」


 パルダイト。それはエルゴバキアたち巨大国家が目下取り合っている鉱石だ。

 他の鉱石と同じように地中に埋まっているそれは石炭のように燃料として使えるだけではなく、様々な技術に応用が進んだ。今世は基本的にわたしの前世である地球と比べて古い時代のようだが、パルダイトのおかげでむしろ発展している分野もある。そのくらい影響力のある鉱物だ。

 そしてこの鉱石には驚くべき効果もある。なんと、人体を治癒することができるのだ。

 パルダイトを近づけると細胞の治癒能力が賦活され、切り傷や骨折が塞がる。火傷も治るし、切断面が鋭利なら切断された手足だってくっつく。そして液状にして体内に注入すれば、身体能力だって向上する。信じられない、魔法のような能力だ。転生しても魔法には出会えなかったが、もし魔法が存在するならこの鉱石なのだろう。

 そんな凄まじい治癒能力を持つパルダイトだが、医者いらずにはならない。

 何故か? それは……重い副作用が存在するからだ。


「今のところ、何も無いよ」


 パルダイトに触れると、人体を侵される。前世でいう核物質のような物だ。その影響は徐々に身体を蝕んでいき、中毒症状となってあらわれる。つまりパルダイトの作用によって短期的な傷なら治るが、同じくパルダイトの作用によってより重い後遺症を背負うことになるのだ。

 まるで代償を払う悪魔の契約のような鉱石。それでも利用価値はいくらでもある。

 そしてその代償が軽い物ならば、躊躇なく使えるというものだ。


 わたしたちの脊椎にはパルダイトを活用する、パルダイト器官が埋められている。


 だからわたしは、超人的な能力を発揮できるのだ。


「我慢してないわよね」

「してないしてない」

「なら、いい」


 ヒラヒラと手を振って否定すると、それでホリーは納得してくれたのか、後は治療に専念してくれる。

 手当を受けながら、わたしは部屋の中にいる面々を見渡した。カラキラー小隊に宛がわれたこの寝室にはほとんどの小隊員が揃っている。だが、欠けている者もいた。


「フラクネートは?」

「……裏に行って墓立ててます。スピンクの連中から余った廃材を貰って」

「……そっか」

「はい、おしまい」


 傷の上からガーゼを当てられ手当が終わる。痛みも大分引いた。元より大した傷ではないけれど。


「あんがとね」


 どっこいしょと腰を起こし、部屋の外へ向かおうとする。そんなわたしの背中にホリーは声をかけた。


「どこに?」

「フラクネートのところ」

「……そう。あたしも行くわ」


 そう言ってホリーもまた立ち上がり、また連れ立つ。向かったのは宿舎の裏側。日陰になったそこに、フラクネートはいた。

 俯いて黒髪は垂れ下がり、表情は窺い知れない。だが見下ろす先にある物は分かった。廃材を地面に突き立てただけの簡素な、墓標。そこには普段わたしたちが使っているエルゴバキア語ではなく、祖国の言葉で『トードエル』と刻まれていた。

 力なく立ち尽くしている彼女へ声をかける。


「フラクネート」

「……ベル、先輩」


 顔を上げる。金縁の瞳は、泣き腫らして赤くなっていた。


「ホリー隊長も」

「ん」


 わたしの後ろにいるホリーにも気付く。二人でフラクネートの隣に並び、墓標へと敬礼を捧げた。

 胸に拳を当てる、特筆すべき事の無い敬礼。しばらくそのままの姿で黙祷を捧げる。


 祈りを捧げた後、顔を上げたわたしは懐から煙草を取り出して咥えた。


「いっつ」

「もう……ほら」


 頬の痛みに顔を顰めていると、ホリーが火をくれる。


「あんがと」


 礼を言って先を近づけ着火する。生じた煙を思い切り吸い込んだ。

 少しだけ、気が晴れる……気がする。もうその効果を自分でも信じられない。ただルーティーンのようになっていた。


 そんなことをしていると、フラクネートが口を開いた。


「こんなことをしても無駄だとは分かってるんです。どうせ撤去されるし」


 無駄で無価値な物は捨てられる。世の理だ。この基地の大多数を占めるエルゴバキア人にとっては、レーゲル人の墓もその中に入るらしい。


「そもそも、この下にトードエルの死体なんて無いし」


 トードエルの死体は燃やされたからだ。他の戦死者と共に。衛生面への配慮という理由で塹壕からは回収されたが、やはり同じ衛生面という理由で纏めて火にくべられた。幸いにもカラキラー小隊の死者はトードエルだけだったが、他の部隊からは出た。ほとんどがレーゲル人だった。

 燃やされた遺灰はそのまま埋められる。誰が誰の物かなどは分からない。この墓標の下には、何も無い地面が広がっているだけだ。


「でも……」

「分かるわよ。気持ちは」


 ホリーが背中を撫でる。慈しむようなその仕草はまるで母親のようだ。

 いつの間にかフラクネートの声は震えていた。あるいは、最初から。


「約束したんです。いつか一緒に故郷へ帰ろうって。そして一緒に、星でも探して暮らそう、って……でも」


 ホロリと溢れた涙をフラクネートは袖で拭う。頬が黒く汚れたが、彼女は気付かない。しゃっくりを上げながら、言葉を続ける。


「か、叶わなかった。トードエルは、し、死んじゃって……」

「……ああ、そうだね。トードエルは、死んだ」

「っ!」


 相槌を打った瞬間、フラクネートは掴みかかってきた。


「なんで、なんでなんですか!?」


 胸ぐらを掴まれ、締め上げられる。衝撃で煙草がポロリと落ちた。


「ちょっと……!」

「ホリー、いいから」


 ホリーが静止しようとするが、それにはわたしが首を横に振った。

 フラクネートはもう泣いていることを隠すことなく叫ぶ。


「先輩はっ、エースで! 強くて、あたしなんかよりも何倍も! トードエルは憧れて、ずっと、貴女みたいになりたい、って……! それなのに、どうして……守ってあげなかったんですか……!?」


 告げられた言葉は、わたしの胸を鋭く穿った。さっき殴られた時より、ずっと。重く、深く、痛みが響く。

 グルグルと得体の知れない物が胸中で渦巻いて、血が熱くなって、苦しい。人は悲しすぎると怒りに似た反応が起こることがある。それを、わたしは転生してから知った。


 フラクネートの言う通りだ。

 わたしはトードエルを守ってあげられなかった。全てはわたしの責任だ。

 作戦を選択し、銃を直せる彼女に任せた。その結果としてトードエルが撃たれた。その因果は、全てわたしに帰結する。

 わたしが、トードエルを殺した。


「どうして、どうしてぇ……」


 胸ぐらを掴んでいた手が緩み、フラクネートは項垂れるように泣き崩れた。軍靴の傍から啜り泣きが響き渡る中、わたしは煙草を拾って、吸い込む。


「……ごめん」

「!! う、うわぁあぁぁぁぁん!!」


 それが、わたしの精一杯だった。

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