TS転生エースは戦いから逃げられない
春風れっさー
01 エースの日常
転生――それは最早、ありふれた概念だ。
源流は仏教だとか、最近の流行だとかを論ずる気はない。ただ、現代日本では何となくで語れるほどにその概要は浸透している。触れずに生きる方が難しいほどだ。
記憶を、あるいは魂の何某かの情報を持ったまま生まれ変わる。それが理解できないような日本人は、きょうび中々いない。
夢に見る人もいるだろう。閉塞感のある現代から抜け出して、剣と魔法の世界で冒険したい。あるいは超常の力を以て成り上がりたい。またあるいは、貴族に見初められて燃え上がるような大恋愛をしたいとか、現実に存在しない人型ロボットに乗り込みたいとか……エトセトラ、エトセトラ。
倦んだ世間に嫌気が差して、そんな願望を抱くのは無理もない話だ。
かく言う俺も、そうだった。異世界に生まれ変わりたい。様々な不満から逃避して、漠然とそう願う一人だった。現代には歩けば棒に当たるほどにいる、その一人。
本当に、『わたし』になるまでは。
塹壕の中、上から轟く爆発音にわたしは本能的に首を引っ込めた。
大音量に叩かれて耳が痛む。あー、うるさいうるさい。耳が遠くなるからやめてほしい。
カツンと飛んできた石のかけらがヘルメットの上で跳ね返った。次いで塹壕の中へと注ぎ込まれる砂埃に咳き込み、わたしは憂鬱に溜息を吐く。
「はぁー、今日も上々の塹壕日和だなぁ」
見上げた天は煙と塵でもうもうと曇ってる。いつも通りの空の色だった。
「なんでそんなに余裕なんですかぁ……」
そんなわたしを見咎めて、隣にいる少女が涙目で睨み付けてきた。
黒いボブカットに黒い瞳の彼女は可愛げはあるがこれといって印象に残るような顔立ちをしていない、ごく普通の少女だった。現代でなら女子高生、いや小柄だから女子中学生くらいだろうか。そう言えば年齢を聞いたことが無かった。
だが日本の街中にいればさぞ目立ったことだろう。彼女自身がいくら普通でも、その着ている灰緑の軍服とヘルメット、そして胸に抱えたライフルがあるのなら。
「大砲が降り注いでるんですよぉ!? いつ落ちてくるのか不安じゃないんですかぁ!」
「言っても仕方ないでしょ。落ちるときはどんなことをしてても落ちるよ。そして気付く暇も無く死んでるんだから、気にするだけ無駄じゃない?」
「き、肝が据わってるとかいうレベルじゃない……恐怖心が死んでるぅ……」
そんなこと言われたって、実際体力の無駄なんだからしょうがないじゃないか。危機察知以外での恐怖心は無用の長物だ。
わたしは砂に塗れて薄汚れた、自分の長髪を軽く払った。梳かれて流れるボサボサの髪はほとんどが灰色で、たまに赤色が混ざっている。その色合いが血を思わせて酷く不吉だと真正面から言われたことのある、わたしの髪だ。
泥とかで迷彩するならばともかく、砂埃に汚れていたところで良いことなんて一つもない。だから払っていたのだけれど、そうして髪をいじっている様がますます余裕そうに見えたのか、少女は理不尽に耐えるように下唇を噛んだ。
「うぅー……怖いよぉ。敵もだけれど、それ以上に一人でこの人の隣にいることが怖いぃ。早く帰ってきてよぉ、トードエルぅ」
「失礼なこっちゃ」
「あ、よかった! 二人とも無事だった!」
「おー、おかえりトードエル」
塹壕の中を這うように近づいて来たのは、緑色の髪をした少女だった。少女、トードエルはわたしたちの姿を認めて安堵の息を吐く。
「ベル先輩も、フラクネートも生きてたぁ……さっき塹壕の一部に大砲が直撃したらしくて、二人に当たったんじゃないかとヒヤヒヤしましたよ」
「え、何それ怖い。よかったー、当たらなくて」
「今更怖がってるんじゃないですよぉ!」
涙目で抗議する黒髪の少女、フラクネート。わたしはツーンと知らんぷりし、戻ってきたトードエルに話を聞く。
「で、どうだった。後方の様子は」
「はい! どうやら上層部は予備戦力をまだ温存することに決めたようです! だからここは抜かれたらそのまま放棄すると相談していたのを、コッソリ盗み聞きしてきました!」
「そっか。いつものことだね」
「そんなぁ……」
フラクネートが絶望顔になる。ただわたしは至って平静だ。上層部がわたしたちを捨て駒にする算段であることは、明日の天気より簡単に予想ついたことだった。
増援は無し。ただ、まだ現状はそこまで悲観するほどでもない。
「まぁ、確かに? 現状敵の射線は集中してるけど、まだまだ持ちこたえられてるし大丈夫だよ。この塹壕は堅めに作られてるし、焦って無茶な反撃とかしなければ大丈夫。ウチの小隊長ならその辺上手くやってくれるでしょ」
「本当ですかぁ……?」
「多分」
「多分ってぇ!」
フラクネートはとうとう目端から涙をこぼしてしまう。表情豊かで面白いなぁ、この娘。
そんな彼女の肩を隣のトードエルが叩いた。
「平気だって、フラクネート! だってあたしらにはエースであるベル先輩が付いてるんだから!」
そう言って、トードエルはキラキラとした憧れの眼差しでわたしを見つめた。茶色の瞳孔は、金色で縁取られている。おおう、ぴっかぴか。その純真さにわたしはたじろいだ。
「……言っとくけど、わたしの周りにいれば生存率が上がるとか、そういうジンクスがあるワケじゃないからね」
「知ってますよ。むしろ低いんですよね!」
「知ってて言ってるなら大した心臓だねぇ……大物になるよ」
「ホントですか!? やったぁ!!」
「絶対本音じゃないよソレぇ……」
実際、肝っ玉がある方が生き残れるとは思うけどね。経験則だ。
「あたし、先輩みたいな英雄になりたいんです!!」
段々興奮してきたのか、彼女の鼻息は荒くなってた。
「祖国もあたしたちも大変ですけど、だからこそみんなを救えるヒーローになりたいんです! エースとして活躍するベル先輩みたくなって、みんなを守りたいんです! もちろん、同期のフラクネートも!!」
「トードエル……」
……トードエルの瞳はどこまでも輝いて、わたしには眩し過ぎた。
「……いいもんじゃないよ」
「え?」
「それより」
さてくっちゃべってもわたしたちのやることは変わらない。わたしたちの任務はこの塹壕の防衛。最前線であるここを抜かれても次はあるが、縦深はあるに越したことは無い。基本撤退は許されておらず、つまりは死守だ。
その為にはこの塹壕を攻略しようと攻め込んでくる輩を迎撃しなくてはならない。
「――来たよ」
「っ」
「ひっ」
わたしの声にピタリとおしゃべりを止め、二人は表情を引き締める。アサルトライフル『ラパインM18』を構え、ハンドサインで指示を出す。
息を潜め、数秒待つ。そしてわたしの合図で一斉に塹壕から顔を出した。
目の前には、塹壕目掛けて突撃してくる兵隊の姿が。
「迎撃!」
「「了解」」
一斉射撃。焦げ臭いマズルフラッシュを焚いて撃ち出された弾丸が、敵に向かって飛んでいく。鉛玉の雨霰は真っ直ぐに向かい、目標の身体に真っ赤な血を咲かせた。
上がる悲鳴、響く怒号。それでもわたしたちは怯まず打ち続ける。
「装填します!」
「了解」
「了解!」
誰か一人が撃ち尽くせば、すぐにカバーして隙を潰す。そして絶え間なく撃ち続けて敵を近寄らせない。塹壕戦の基本だ。
もちろん、それを打ち崩すことに敵は全力を傾ける。
「――チッ」
ぽぉんと放り投げられてきたのは握りこぶし大な六角柱の物体。塹壕内に落ちてきたそれを見てしまったフラクネートがひゅっと息を呑む。
「しゅ、手榴弾!」
「撃ち続けてろ!」
言って、わたしは身を翻す。もちろん目標は手榴弾。手掴みにして、敵目掛けて投げ返す。
一瞬遅れて、爆発。敵兵が吹っ飛ぶのが見えた。
「ふぃー。ギリギリで投げ込まれなくてよかったね」
「だとしてもクソ度胸すぎますって!!」
フラクネートが涙声でまだ言う。助かったのに文句を言うのか。年頃の子は難しいね。
そのまま三人で撃ち続けていると、敵が狙いを変えたのか後退していった。一旦退いて態勢を整え、また別の突入点から攻略するのだろう。
「よし、まずは上々だね」
「はぁ……助かったぁ」
一息入れ、へなへなと崩れ落ちるフラクネート。トードエルはそれを支えている。明らかに気を抜いているが、戦争は緩急が大事だ。咎めるようなことはすまい。
しかし上官であるわたしが倣うワケにもいかず、稼げた暇を使って辺りを見渡した。塹壕から顔を出すのはヘッドショットを狙ってくださいと言っているようなものだが、状況確認は多少の死のリスクに勝る。波が引いた今がチャンスだ。キョロキョロと眺め、そして気付いた。
「……あっちの方、静かじゃないか」
「へ?」
トードエルも顔を出す。わたしが見ていたのはわたしたちのいるところの左手側だ。そこは土嚢が積まれて盛り上がり、小さな要塞となっている。いわゆる堡塁だ。
「銃声が疎らだ。あれじゃ狙ってくださいと言っているようなものだぞ」
「いや平気ですよ。あそこには確か、重機関銃が配備されていたハズですし」
銃器に詳しく本職は偵察兵であるトードエルが淀み無く答える。確かに、地形からそれっぽい配置ではあるが……。
「あれ、じゃあ静かなのはおかしいですね」
「だろ。どうなってるんだ」
しかしそれが動いている様子は無い。あのままじゃ抜かれてしまうぞ。
「何でだ」
「何ででしょう」
「……あの」
二人で首を傾げていると、息を整えたフラクネートが顔を出す。ビビりな少女は青ざめた表情で口を開いた。
「さっき言ってた大砲の直撃が、あそこなんじゃないの」
「「……あ」」
バッと振り向き、注視する。うわぁ、細くて気付かなかったけど黒煙が上がってるぅ。
つまり重機関銃が必要な要地が、機能停止しているワケだ。
「ど、どどどどうします!?」
「放ってはおけないでしょ。フラクネート、通信機」
「は、はい」
ポンと手渡された黒い四角形を握り、周波数を合わせて耳に当てる。ザリザリというノイズが静まる頃合いを見計らい、わたしは呼びかけた。
「こちらキラー2。キラー1、応答願う」
『こちらキラー1。ベル、どうかしたの?』
「近接地の消息が不明。あそこには重機関銃を抱えた……あー、なんだ」
「スクロフレッツ小隊の持ち場のハズです!」
「サンキュ。スクロフレッツ小隊がいる。救援に向かうため、持ち場を離れる許可を願いたし」
『了解。こちらから穴埋め要員を……待って』
向こうからの声が止まる。何かと思って問おうと口を開くが、すぐにその必要が無くなった。
敵側から怒声が上がる。再突撃が始まった合図だ。その標的は……。
『あの位置は……!』
「……チッ。こちらで状況判断する! 通信終わり!」
『了か――』
返事を聞いてる時間も惜しく、通信機を切って投げ捨て即座に駆け出す。迷ってる暇も無い。
奴らが狙っているのは、件の堡塁、そのものだ。恐らくはわたしたちと同じように重機関銃が止んでいることに気付いたのだろう。厄介な堡塁を攻略するなら今だと、勢い込んで来るに違いない。阻止せねば、突破されて戦線が崩壊する。
「行くぞ!」
「で、でもどうするんですか!? 私たちだけで防衛できます!?」
「無理だ! 重機関銃が必要になるところなんて三人の弾幕じゃ絶対足りん!」
「じゃあどうすれば!?」
走りながら相談する。どうすれば、か。少し思案し、わたしはトードエルの顔を見た。
「トードエル! 重機関銃の修理は可能か!」
防衛に重機関銃は絶対不可欠。だったら直せばいい。
「! 構造は把握しています! 後は現物の状態次第で……」
「任せる! フラクネートはその護衛をしろ」
「しゅ、修理までの時間稼ぎは!?」
「それは――」
わたしは転がっていた弾倉を掴んで、塹壕の縁に足をかけた。
「――わたしがやる」
損な役回りは先輩が率先してやるものだ。
「へ……?」
「機銃が直り次第援護して、ねっ!」
返事を待たずにわたしは飛び出した。
身を躍らせて乗り上がった荒野。目の前には突撃してくる敵兵の数々。軽く十数人はいるだろう。その内の一人、先頭の兵士がわたしの顔を見て叫ぶ。正確には宙に散らばった髪を。
「『血塗れの鼠』だ!!」
「エースだ、敵のエースが出たぞ!!」
わたしの存在を認めるや否や、即座に射線が集中した。濃厚な弾幕。突っ立ったままでは数秒も保たずに蜂の巣にされるだろう。
穴だらけになるより前に、わたしは自分にかけられた白い首輪に触れる。
次の瞬間、わたしは弾幕を掻い潜って敵兵の寸前にいた。
「は……」
「おつかれ」
わたしを最初に見つけた兵士の腹に銃口を押し当て引き金を弾く。黒っぽい野戦服に鉛玉をぶち込まれた彼は踊るようにして死んだ。
「バートン! おのれ!」
仇を討つべく別の兵士がわたしを狙う。だがそれよりも速くわたしはステップを踏んでその場を離れた。
そして狙いが定まるより速く再度ステップを踏み、また踏む。そうしてジグザグの軌道を描きながらわたしは次の兵士の眼前に迫る。
「ひぃっ!」
怯える兵士。その顔面をぶち抜く。すぐに赤黒い血化粧に染まった彼を捨て、次。今度はすぐ近くにいたので、銃口を向けられるよりも先に銃弾をばらまき、黙らせる。
「化け物め!」
「おい、コイツを片付けるぞ! 全員じゃないと仕留め切れん!」
塹壕を攻略すべく集った兵士たちは一旦前進を止め、わたしを殺すことに全力を傾け始めた。この場所は重機関銃が守っていた場所だ。それが無き今、逆に他からのカバーが無い絶好のバトルフィールドと化している。わたしを倒すにはもってこいの舞台だ。
再びの弾幕。今度はさっきよりも濃い。とても反撃に移れるような密度では無く、回避に専念するしかない。地を蹴り、銃弾を躱していく。
「そもそも手持ちの火器じゃ全員を殺すのに銃弾が足りないけど、ねっ!」
防戦一方に追い込まれ、銃撃の圧力は増していく。
「囲め囲め! 鼠の最期だ!」
「死ね、エルゴバキアの狗め!」
血の気の多い罵声が飛んでくる。わたし、エルゴバキア人じゃ無いけどね。向こうからすれば腹立たしいのは変わらないだろうけど。
そうして回避に専念するしかないわたしを、敵兵たちは一方的に追い詰めていく。やがてわたしの動きを見極め始めたのか、避けるのがスレスレになってくる。そして遂に放たれた銃弾、その内の一発がわたしの頬を掠めた。
「っ」
「いけるぞ! このまま飽和攻撃で仕留めろ!」
手応えを感じた敵が勢いづく。もう少しでわたしにトドメを刺せると思っているのだろう。事実、それは間違いじゃない。もう結構苦しい。
息が上がったタイミング。足が完全に止まる一瞬。そこに狙いを合わせた銃口が向く。
「鼠、討ち取ったり!」
歯列を剥き出してそう言った兵士。
しかし彼は、次の瞬間に横合いから雪崩れ込んできた鉛玉の嵐に撃ち抜かれた。
「何っ!?」
「お待たせしました!!」
陣地の方からトードエルの声。どうやら重機関銃の修理が完了したらしい。
時間を稼いだ甲斐があったというものだ。
「うらうらうらーっ!」
「ぐっ!?」
「ぎゃあっ!!」
怒濤の猛連射に敵兵は薙ぎ倒されていく。射程も連射力も携行火器とは段違いだ。もう一線の控えめな射撃は、援護するフラクネートの物だろう。
「クソッタレ!」
とはいえ敵もただ撃たれているだけじゃない。即座に応戦しようとする。故障していた所為で既に重機関銃の本来の射程は割ってしまっている。距離だけなら敵の銃器でも十分届く範囲。
陣地に向かって銃弾が殺到する。
一瞬、重機関銃の連射が止まった。
「トードエル、フラクネート!」
「大、丈夫です!」
やられたかと思ったが、連射はすぐに再開した。そのまま敵兵たちを蜂の巣にしていく。
「せめて一太刀!!」
それを眺めていたわたしへと敵兵の一人がサーベルを抜いて切り込んできた。肩の徽章から見て士官。恐らくはこの部隊の隊長。
弾切れとなった小銃を捨て、わたしも腰背部に差した山刀を引き抜いた。肉厚な刃がサーベルを真正面から受け止め、鍔迫り合いとなる。噛み合った刃越しにわたしと将校は睨み合った。
血走った目がわたしを射貫く。
「エルゴバキアの悪鬼め、死すべし!」
威迫を伴った白刃は重い。情念抜きにしたとして、そこには目の前の男の全力が乗せられていた。普通ならわたしの少女の身体ではどうしようもできない程の腕力差がある。
だけどわたしの山刀は拮抗していた。のみならず、それを逆に押し返す。
「ぐ、おおおっ!」
「悪鬼、か。確かにね」
気を吐く相手とは裏腹に、わたしの喉から出た声は自分で驚くぐらいに冷えていた。
「人でなし扱いには、慣れてるよ」
そして刃は滑り――男の頭部を、切り飛ばした。
宙を舞い、首は荒野を転がっていく。
「隊長がやられた! 退け、退けーっ!!」
遂に敵は撤退命令を出し、波が引くように去って行った。
撥ね除けたことで訪れる一瞬の間隙と静寂。それが守り切ったという何よりの証左であった。
「ふぅー……」
肘で挟むように山刀の血を拭い、わたしは息をついた。まだ戦闘は終わっていない。だがこれで少しは落ち着くだろう。
銃を拾って陣地に向かう。
「お手柄だね」
今回はトードエルとフラクネートのお手柄だ。彼女たちの働きが無ければここは守り切れなかった。褒めてやらなければ。
そう決めて、塹壕の中を覗き込む。
――そこには、血に染まったトードエルと、顔面蒼白なフラクネートの姿があった。
影に気付いたフラクネートが、涙の溜まった目でわたしを見上げる。
「ベル、せんぱい」
「――トードエル」
駆け寄る。灰緑であるハズの軍服は赤黒い色で塗り替えられていた。滲む血の量は尋常では無い。
機関銃を修理した後、トードエルはそのまま銃手をしていたハズだ。さっき掃射が止まった一瞬――あの時に、撃たれていたか。
「弾が飛んできて、でも振り返る余裕が無くて……大丈夫って言ったから……」
「離さなかったのか」
止まった後、すぐに連射は再開した。撃たれてもなお引き金から手を離さなかったということ。自分の命より、わたしの援護を優先したのだ。
「血がっ、トードエルから血が、止まらないんです」
応急処置を試みているのだろう。フラクネートは血の源を押さえつけていた。だが、手が足りない。銃創は……三つあった。
腹に腿……胸。いずれからも穴の開いた壺底のように血が零れている。
「トードエルが、トードエルを……! どうすれば、どうすれば!」
「フラクネート」
名前を呼ぶ。彼女は傷口を押さえることに夢中で気付かなかった。
「助けないと、衛生兵のところまで運ばないと、じゃないと、トードエルが」
「フラクネート!」
もう一度、強く。
ビクッと肩が跳ねて、こちらを向く。わたしは……首を横に振った。
もう、助からない傷だ。遥か後方の衛生兵まで間に合わないだろう。
「そん、な……ひっ、うぅ……」
堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出す。そんな彼女の反対側にしゃがみ込んで、冷たくなりつつある手を握る。
表情は虚ろだが、まだ意識はあった。
「せん、ぱい」
「ああ」
傷に障るから喋るなとは言わない。最期の言葉に、耳を傾ける。
「ごめ、んなさい」
「謝らなくていい。誰かに伝えることは」
「……ふらく、ねーと」
霞んだ眼差しが少女の同期を見上げる。
「いき、てね。いつか……あなたの星を、みつけ、て」
「っ! ……うん、ぅ゛ん……!」
望陀の涙を流しながらフラクネートは何度も、何度も頷いた。そしてトードエルは残る力で僅かに首を傾がせ、わたしの方を見る。
「せん、ぱい」
「ああ」
「あたし、も。せんぱいみたいな、エースに……」
血の泡が零れる。
「なりたかった……な……」
そして少女の瞳から、光は消えた。
「う……ぐぅ……!」
「……そんないいもんじゃないって言ったでしょ、トードエル」
懐から煙草を取り出し火を着ける。口の中に広がった甘苦い味わいは、心の苦さを誤魔化してはくれなかった。
「見送るだけの、生き方なんて」
白煙が一条、天に昇っていく。
「どうすればいいんだろうね」
問いかける相手のいない言葉も、一緒に。
ここは戦場。
こんなことを日常茶飯事として……廻り続ける場所だった。
わたしはベル・ルー・ハット。
このクソッタレな世界に生まれ落ちただけの、何の力もない小娘だ。
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