第15話 神癒の力


 由良様は眠っていていいと言ったけれど、ただ眠っているのも落ち着かないので、ゆっくり眠らせていただいた昼過ぎに、私はお布団から出ることにした。


 私の隣で横になって、私の頬や髪に触れたり指先を戯れるように絡めていた由良様は、「薫子、どうした?」と、心配そうに言う。


「私……八十神家ではずっと、家族の世話をしていましたから、由良様が嫌でなければ、シロとクロのお手伝いをさせていただきたいと思うのです」


「薫子は、家事などは……」


「私は、由良様の妻ですから。妻らしいことをしたいと考えています。役に立ちたいのです。……けれど、私にできることは家事ぐらいで」


「君には俺を癒す力がある」


「それは、いつも、ではないですよね? 八十神の力は由良様の体を癒すことができるかもしれませんが、私は、玉藻薫子として、由良様を支えることができたらと、考えています」


 あまり──自分の意思を通すのは、いけないのかもしれない。

 けれど、由良様の言葉に甘えて何もしない日々を過ごすというのは、私には難しい気がしている。


 八十神家での生活以外を私は知らない。

 だから、私は私のできることを、したいと思う。

 少しでもこの家での役割が欲しい。


「ありがとう、薫子。でも、今日ぐらいは無理をしなくても」


「大丈夫です、由良様。たくさん寝ましたから、もうこれ以上、眠れないような気がしています」


「そうか。俺は何時間でも眠っていられるが、では、そろそろ起きようか」


 お布団から私は立ちあがろうとした。

 けれど──立ち上がった途端にふらついて、ぺたんと座り込みそうになってしまう。

 由良様は私を抱き上げると、咎めるような視線を私に向ける。


「薫子。やはり、今日はいけない」


「……ごめんなさい、私」


「謝る必要はないよ。だが、君は昨日はじめて力を使い、俺を癒した。それから、初夜も……終えたばかりだ。だから、今日は寝ていなさい」


「……はい」


 項垂れる私を由良様はお布団に戻すと「君の気持ちは理解した」と続ける。


「クロとシロには伝えておく。明日から、料理を手伝ってくれるだろうか。あの子たちは、掃除や洗濯などは得意なのだが、料理だけは苦手なんだ。味覚が少し、変わっていてね」


 お布団の中で私は頷く。

 ここに来てからお食事を何度かさせてもらったけれど、味がおかしいということはなかった気がする。

 だから、シロとクロが料理が苦手とは思わないのだけれど。


「俺も料理は作れないし。ハチも作らない。薫子にあまりに不味いものを食べさせるのは嫌だったから、君がきてからしばらくは、ハチに食事を買いに行って貰っていたんだ。けれど、ずっとというわけにもいかない」


「私がお料理を作れば、少しはみなさんの役にたてるでしょうか」


「それはもちろん」


 由良様が頷くので、私は嬉しくなって微笑んだ。


「では、明日から頑張ります。今日は、お言葉に甘えさせていただきますね」


「あぁ。ただ、無理はしないで欲しい。君の、神癒の力というものは無尽蔵ではないのだから」


「……由良様。私は、神癒がどういったものなのか、本当のところはよく知らないのです」


 遠慮がちにそう口にして、私は目を伏せる。

 自分が無知なことが恥ずかしかった。八十神の娘として、私は教育を受けさせてもらっていない。それが、情けない。


「神癒とは、そうだね……俺たち鎮守の神の血を持つ者は、法力を得ることができる。これはいうなれば、血液。俺たちにとっては、血肉のようなもの」


「はい」


「法力は、常に一定の量体にある。減ることはあっても、その体に入りきらない量に増えることはない。コップの水と同じ」


「コップの水……」


「あぁ。神癒は、法力を溜め込むことができる水桶のようなものだね。自分で水桶の水を使用することはできない。水桶から水を、俺たちのコップに移す。それが癒しの力であり、俺たちは神癒の力を受け取って、コップの水を溢れさせることができるんだ」


「……難しいですけれど、私の体にも由良様と同じ、法力、というものがあるのですね」


「神癒の持つ法力は、ある意味で俺たちよりも多いんだ。その法力を俺たちに渡すことで、俺たちは傷を癒し、法力を回復させて、さらには、普段よりも力を使うことができる」


「どうやって、使用すればいいのでしょうか。私、昨日のことは、偶然なような気もしていて……」


 由良様はわずかに目を見開くと、安心させるように私の頬に触れた。

 唇が額に落ちる。くすぐったくて、私は目を細めた。


「こうして触れ合うだけでも、法力の譲渡はなされる。それから……薫子、俺と手を重ねて。それから、俺を癒したいと念じて」


「はい……」


 私は言われた通り、由良様と手を合わせた。

 それから、由良様が癒されて欲しいと念じる。

 たったこれだけのことで、いいのだろうか。

 触れ合う皮膚が熱い気がする。体の中に、血の巡りとは違う何かが巡っているような妙な感覚が、体に齎される。


 重ねた手のひらが桜色に薄く輝き、由良様の頭に三角形の耳が生えた。


「由良様、耳が……」


「そうだね。普段は押さえ込んでいても、多量の法力を譲渡されると、本来の姿に戻ってしまう。これが、君の力。あたたかく優しい力だ」


 由良様の言葉と共に、庭の紫陽花が小さな蕾の群生だったものも含めて一斉に美しく咲き始める。

 明るい空からポツポツと雨が降って、飛び石を濡らした。


「君の中のものを、俺は貰っている。当然、君の中のものは、損なわれてしまう。だから、今日は君が思う以上に君は疲れているんだよ、薫子。俺の言うことを聞いて、いい子にしていて欲しい」


「……はい。わがままを言ってしまって、ごめんなさい」


「わがままとは思っていない。実を言えばね、薫子が料理をしてくれるのは、俺にとってはとても嬉しいことなんだ。ずっと、あまり美味しくない料理を食べていたから、そろそろ限界だなと思っていた」


 由良様は秘密を共有するようにそう言って、「シロとクロには内緒だ」とイタズラっぽく笑った。



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