第16話 台所の薫子



 玉藻邸の調理場のかまどに薪をくべる。

 

 羽釜でお米をたいて、お豆腐とほうれん草のお味噌汁をつくる。

 くるくるとだし巻き卵を巻いて、きゅうりの漬物と、鮭の切り身を焼いた。


「薫子様すごい!」


「薫子様すごいです!」


 シロとクロが器やお膳やお箸を準備してくれながら、私の周りをくるくると動き回っている。


「薫子様はお料理が上手なのですね」


「クロが作ったよりもいい香りがします」


「シロが作ったよりも美味しそうな香りがします」


「褒めてくれてありがとうございます、二人とも。料理を作って褒められたことははじめてです。嬉しいものですね」


 お膳を食卓までみんなで運ぶ。シロとクロは小柄な体なのに、片手に一つずつお膳を持つことができている。

 こぼさないか心配だったけれど、人とは違う力を持っているからだろうか。

 問題なく運ぶことができていた。


 食卓にお膳を運び終えると、由良様とハチさんが現れる。


「すごいね。こんなにきちんとした朝食ははじめてだ。あぁ、もちろん、シロとクロのつくる料理も上手だったのだけれど」

「僕も同席していいのだと言われたのですが、なんだか申し訳ないですね」

「由良様、蜂須賀さん……あ、あの、ハチさんと、お呼びしてもいいですか?」


 私は――玉藻家の家族の一員となりたい。

 蜂須賀さんも家族なのだから、他人行儀にするのはいけないと思い、意を決してお願いしてみる。

 蜂須賀さんは驚いたように目を見開いたあとに、にっこり微笑んだ。


「ええ、もちろんです、薫子様」

「ありがとうございます。由良様、ハチさん。おはようございます。……お口に合うといいのですが」


 由良様とのはじめての夜を過ごした翌々日から、私は台所を任せてくださいと由良様にお願いをした。

 八十神の家では毎日料理をしていたけれど、由良様たちのお口に合うだろうかと思うとやや緊張してしまう。


「おはよう、薫子」

「ご挨拶がまだでしたね。おはようございます、薫子様」

「ハチと呼ぶのは構わないが、あまり仲良くしている姿を見ると、心がざわざわするな」

「それは嫉妬ですね、由良様」

「なるほど。では、薫子、俺のことも由良と」

「そ、それはまだ……由良様は、由良様です」


 不満げに唇を尖らせる由良様が何か言う前に、明るい声が響く。


「「おはようございます、由良様! ハチ!」」


 シロとクロが、耳と尻尾をぱたぱたしながら、大きな声で挨拶をした。

 由良様は気を取り直したように、口元に穏やかな笑みを浮かべる。


「玉藻家の人間は、これで全員だね。少なくてすまないが、薫子。これからも皆をよろしく」


「こちらこそ、よろしくお願いします。できる限りのことはしていきたいと思っています」


「薫子様、何かありましたらいつでも呼んでください」

「ハチはなんでも買ってきてくれますよ」

「ハチはソーダ味のクリームソーダを飲ませてくれるのです」


 ソーダ味のクリームソーダ。クリームソーダがそもそもソーダのことではないのかしら。

 不思議に思っていると、由良様が手を合わせる。


「では、いただきます」

「いただきます」

「「いただきます!」」


 皆の声が、明るい食卓に響く。

 なんだかそれが嬉しくて、私は微笑んだ。ここが、私の家。私の、新しい家。

 もう、調理場の床に座って、残り物を食べなくていい。

 もう、叩かれない。料理がまずいと言ってお膳をひっくり返したり、お椀を投げつけられたりしない。


「美味しい! 薫子、すごいな。とても美味しいよ。久々に美味しい食事を……いや、シロとクロの食事も美味しかったけれど、もちろん」


 由良様が慌てたように言い直すのを、シロとクロは全く聞いていないようだった。

 三角形の耳をぴこぴこさせながら、口いっぱいに卵焼きをほおばっている。


「薫子様、おいしい!」

「おいしいです、薫子様!」

「本当だ。本当に美味しいです、薫子様。いつでも食材の買い物などは、僕に命じてください。なんでも買ってきますから」


「喜んでいただけて嬉しいです。お茶のおかわりはいりますか? 持ってきます」


「薫子。ゆっくり食べなさい。大丈夫、シロとクロに、ある程度のことは任せて」


「はい!」

「おまかせを!」


 シロとクロが小さな手のひらをかざすと、ぽんぽんと急須が現れて、急須が宙を飛んでお茶をいれてまわった。


「薫子様、シロとクロはシキですから。由良様とまではいきませんが、すごいのですよ」

「すごいのです」

「薫子様の御身も守れます」

「守れます」


「ありがとうございます、二人とも」


「僕も、玉藻に仕える人間ですから。由良様には敵いませんが、ある程度はお守りすることができます。屋敷の中は安全ですが、外に出れば何が起きるかわかりません」


 ハチさんが神妙な表情で言う。

 由良様が頷くと続けた。


「あぁ。特に薫子は、神癒の力がとても強い。今まで発現していなかった分、身のうちに溜まっていた力があふれたのだろう。普通の巫女よりも強いのではないだろうか。神癒の力は、俺たち鎮守の神の力となるが、同時に魔性の者の餌食にもなりやすい。魍魎や悪鬼などは特にそれを好む」


 悪鬼。それは、人を殺し鬼落ちした人間のこと。

 由良様のお兄様も、悪鬼になってしまった。


「だから、屋敷の外に出るときは気をつけて。必ずハチや、シロとクロ。俺と同伴するように。一人では歩いてはいけないよ。君は他の巫女と違い、力の使い方や隠し方に慣れていない。責めているわけではなくて、心配をしているんだ」


「わかりました、由良様。気をつけますね。……あの、由良様」


「うん?」


「口に、お米が」


 真剣な話をしている間、由良様は口の端にお米の粒をつけていた。

 私は手を伸ばしてそれを摘む。由良様は恥ずかしそうに笑うと、私の指から米粒を口に入れた。


「あ、あの、由良様」


「格好がつかないね、すまない。あまりに朝食が美味しいから、夢中で食べてしまった」


「嬉しいです。これからも、頑張りますね」


「ありがとう。そうだ、薫子。もうすぐ帝都の稲荷祭りがある。一緒に行こうか」


「稲荷祭り?」


「そう。帝都の各地には俺たちのような守護神がいる。この間、婚礼の儀式に来たものたちだね。その地区にちなんだ祭りを、街のものたちが古くから行っているんだ。狐の神を祀る祭りのことを稲荷祭り。ここからそう遠くない、伊野森稲荷の神社の前に出店が多く出る。花火もあがるのではなかったかな」


「行きたいです!」


 シロとクロも手を上げて「行きます!」「行きたいです!」と言った。

 ハチさんが二人に「デートの邪魔をしてはいけません」と小さな声で注意をしていた。



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