第4話
***
日付が変わったとしても、空は変わらず薄暗い。
今日も曇り空か、と気を落としたくなるが、まだ気を落とすには早い。時刻はまだ日の出に達していないのだ。やけに目が覚めるのが早かった私は、二度寝をすることもせずに、何となく外を歩きたい気分になった。冬の早朝は、尋常ではない寒さだったけど、寝不足の頭をすっきりとさせてくれる。
そんな清々しさとモヤモヤとが共存した朝に、私が考えることはと言えば――、
「……私はどうしたいんだろう」
魔法が使えなくなった二週間前から抱いていた悩み。けれど、更に一層真剣に向き合うようになったのは、昨日の千宙の影響が大きい。
感情を伝播する魔法を上手く扱えなくなった私は、約束したこともすっぽかして、多くの人を裏切った。それでも、責めるような声をほとんど受けなかったのは、千宙が裏で手を回してくれて、私の代わりに動いてくれたおかげだ。昨日の弓香と知美の件を見れば、千宙の行動は一目瞭然だった。
ありのままの千宙で、まるで魔法を使ったように空気が覆されるのを見て、今までどれだけ自分が魔法に頼り切っていたのか思い知らされた。私は魔法がないと、千宙のように踏み切れることが出来ない。ほんの二週間前までは、魔法の力を使って猪突猛進していたというのに、もう遠い昔のように感覚が失われてしまっている。
「今の私に何が……」
魔法を使えない千宙があれだけ頑張っているのだから、何もできないというのはただの言い訳だ。今の私にだって、出来ることはある。
こうした状況になって、初めて色々と考えることが出来た。
必要以上に自分を追い込んでしまうことの怖さを、知った。力の使い道を誤ってしまうと、周りを傷つけてしまうことも分かった。
それらの事実を踏まえた上で、私は。
「あー、ここまで出かかってるのに……」
最後の取っ掛かりを越えることが出来ずに、もがいている感じ。加えて、仮に自分の心の内が分かったとしても、言葉にする自信が今の私にはなかった。
「久し振りの晴天だね」
胸中をかき乱している私の背後から、声がした。聞き慣れた声に振り返れば、
「……真喜さん」
「おはよう、菜乃」
カラッと笑いながら、隣町に住む叔母である真喜さんが手を上げていた。この数年で、真喜さんは私にフランクに接してくれるようになっていた。
「今日みたいな晴れた日の早朝に散歩すると、良い気持ちになる」
こんな朝っぱらから、どうして真喜さんがここにいるのか――少しだけ疑問に思ったけど、何となくその理由は分かっていた。あえて聞くこともせず、薄暗い空を見ながら「まだ、晴れるかなんて分からないよ」と素っ気なく答えた。
空は変わらず薄暗くて、日の出を迎えないと結果は分からない。
「いや、その日の天気は空気で分かるもんさ。それより、憂ちゃんに聞いたよ。自分のために魔法を使ったんだって? ……まぁ、憂ちゃんに聞かなくても、菜乃に何かあったんじゃないかって心配してたけどね」
隣町の天気がずっと悪かったら、私の魔法について知っている真喜さんなら、すぐに私の異常を察したことだろう。
「ねぇ、あの人とどういう関係なの?」
「んー、腐れ縁みたいなもんかな」
言葉足らずな真喜さんの言葉を、ひとまず私はそのまま受け入れた。今、真喜さんが言いたいことの本質は、『憂』についてではない。私が真喜さんに話したいことも同様だ。
「あのね。私、魔法を使えなくなったの。自分のために使って、人を傷つけた。そんな私が誰かのために行動するなんて、おこがましいんじゃないかって……。また、同じことを繰り返しちゃうんじゃないかって……。だけど、それでも私は……」
「……はぁ」
あからさまな溜め息に、私は言葉を途中で止めた。人が弱みを吐露しているところに、大きな溜め息を吐くなんて。そう暗に籠めた瞳を、真喜さんは肩を竦めながら受け流した。
「あんた気負い過ぎなのよ」
「――ぇ?」
「人を幸せにする魔法を持ってるからって、全部が全部菜乃がやらなくていいの。成功も失敗も、全部菜乃が責任を負ってたら、いつか絶対に潰れるわ。菜乃が初めて私のところに来てから、もう三年近く経つんだっけ? その間、いいことばかりじゃなかったでしょ?」
「……うっ」
「何を考えて魔法を使ってたの?」
「みんなに元気になって欲しいって」
私は迷いなく答える。この想いには、嘘偽りはない。私はみんなに幸せになって欲しかったから、魔法を使っていた。
「そう。じゃあ、菜乃が魔法を使った後、その人の顔を見たの?」
真喜さんに言われたことを、改めて意識してみる。確かに、私が魔法を使った人の顔がパッと思い浮かばない。特に最近は全くと言っていいほど思い出せない。
「それじゃ甲斐も何もなかったでしょ」
否定の言葉は、口から出てこなかった。実際その通りだったからだ。持てる者の義務だと奮闘する内に、私は疲れてしまい、自分のためだけに魔法を使おうとしたのだ。
真喜さんの前では、見栄を張っても意味がない。
「うん、真喜さんの言う通り、何のために魔法を使ってるか分からなくて苦しかった。最初は楽しかったけど、途中から何でこんなに頑張ってるのに、報われないんだろうって思った。でも、千宙を見て、私やっと分かったの。私ね、みんなの笑顔が好き。だから、私が手伝える範囲で、その手伝いがしたい」
私の中で表現しきれなかった想いが、言葉にすることで確かな形になる。
誰かに伝えること。たったそれだけのことで、二週間の悩みが嘘みたいに晴れ渡った。
「うん。今の菜乃の顔を見れば分かるよ」
まるで私の心を見透かしたように、真喜さんは口角を上げながら言う。
「ありがとう、真喜さん」
「私は何もしてないよ。憂ちゃんに惑わされた菜乃に、後になって、叔母さんらしく説教をしただけ。全部、菜乃が自分で乗り越えたんだ」
「……ううん、真喜さんのおかげで自分の心が分かったんだよ。だから、ありがとうだよ」
これから私のやりたいことも、しっかりと見えて来た。もう迷わない。
「ほら、菜乃。見てごらん」
決意を新たにした私に、真喜さんの声が降り注がれる。真喜さんが指さした方向に視線を向けると、
「――ぁ」
東の空から太陽が昇っているところだった。私の心に呼応しているように二週間ぶりに顔を出した太陽は、私の体をも優しく温かく包んでいく。
「私の言った通りだったでしょ。ちゃーんと今日は晴れた。あははっ」
真喜さんはにんまりと笑う。真喜さんの笑い声に、私もつられて声を漏らした。
「知ってるかい、菜乃。どんだけ曇っていたって、雲の向こうでは変わらず太陽はあるんだ。そして、光を放っている」
当然の真理だ。だけど、私はそんな当たり前のことを忘れてしまうくらいに、太陽が雲の中に潜んでいることに囚われていた。空気が違うからといって、一喜一憂し過ぎる必要はどこにもない。
ふぅと短く息を吐くと、
「ねぇ、真喜さん」
「ん?」
「今度、憂さんについて紹介してよね」
真喜さんはむせ返すと、目を開けながら私のことを見た。真喜さんの魔法は、変化。対象とするものの姿を、真喜さんが願う姿に変化させることが出来る。してやったり、と私は悪戯っぽく舌を見せた。
「じゃあ、私、行って来る。今度は間違えない」
「うん、いってらっしゃい」
真喜さんに見送られ、私は行くべき場所に行く。今日は何だか良い一日になりそう、そんな予感がした。
私が教室に入ると、真っ先に耳に響いたのは「そんなの誰も喜ばないよ!」という怒気を孕んだ声だった。
その声の持ち主は、朝早くから誰もいない教室の中、二人きりで作業をしていた弓香と知美だった。
一瞬入るのを躊躇われた。それほどまでに、教室の空気は重い。
だけど、私は知っている。普段の二人がどれだけ仲が良いのかを。そして、今二人が口喧嘩をしてしまっているのは、私の責任だということも。
弓香と知美は、私が何となく提案したことにも、真剣に取り組もうとしてくれていた。二人は同じ部活動をやっていて、見送りたい先輩も多くいる。だから、私の無鉄砲な案にも快く同意してくれたのだ。
なのに、私は二人の想いを蔑ろにしてしまった。
ろくに魔法も使えない私には、何も出来ることなんてないだろう。むしろ、今の私が首を突っ込んだら、余計に不和が加速してしまうかもしれない。
それはまさに、言葉通りに逆効果だ。
「――だけど」
今踏み出さないと、後悔することだけは分かっていた。
私が大好きな二人が、喧嘩をしたことでこのまま仲違いしてしまうことだけは、絶対に嫌だ。
「弓香! 知美! おっはよー!」
あえて私は大きく声を張って教室に突入する。
「――菜乃」
「今更なに?」
やはりと言うべきか、弓香と知美は私を邪見に扱うような振る舞いを見せている。構うもんか。私は怯まない。
勢いよく頭を下げると、私は「ごめん!」と言った。頭上越しに、弓香と知美の息を呑む音が聞こえた。
「今まで何にもしないで、二人に任せっきりにして本当にごめん! 私から誘ったくせに、何を言ってるんだって思うかもしれない。声を掛けた時、実は何も考えてなかったの。……当日になれば何とかなるんじゃないかって、甘えた考えでいたから、二人にたくさん迷惑を掛けたと思う」
二人は何も言わない。無言の肯定だと捉えて、顔を上げながら続きを話していく。
「でも、二人と一緒にやりたいと思ったのは本当。卒業生を笑顔で見送ってあげたいと思ったのも本当。だから、もしまだ間に合うなら、私も一緒に混ぜて欲しい。雑用でも何でもいいから、やらせて欲しい」
普段とは違う真面目な声。訴えかけるように、二人の目を見る。
「……」
空気は少しずつ変わっている。それでも、今の私だと、完全に覆らない。
世界を覆す魔法があれば、どれだけ楽だろう。けれど、そんな大それた魔法は、存在しない。
小さくてもいいから、私は私の周りの人を覆してあげられるような魔法が欲しい。暗闇の中に注がれる優しい光のような、そんな魔法が。
「これが今の私の本心。だから、ねぇ。二人が思っていることも、よかったら教えて」
だけど、今の私に出来ることは出し尽くしている。だから、二人の気持ちを最優先にする。
もし二人が許してくれなかったとしても、それは仕方ないことだ。その時は、陰ながら全力で支える。まるで雲の中の太陽のように。
そう思って、弓香と知美を見る。二人は互いに顔を見合わせながら、何を言うべきか迷いあぐねているようだった。
そして、戸惑いながら弓香が口を開こうとした時――、
「おはよーっ」
この場の空気を一切読まないような、のびやかな声が聞こえた。私たちは一斉に扉に目を向けると、相変わらずの呑気さを貫く千宙がいた。
「今日もよろしくね、二人とも……って、あれ、菜乃じゃーん」
千宙は屈託のない笑みを浮かべながら、近付いて来る。爽やかな容姿を携えて、千宙らしい呑気さを、相変わらず纏っている。だけど、その空気が今は嬉しい。
「あー、もういいや」
千宙の雰囲気に毒気が抜かれたように、弓香は一息つきながら言った。知美も同様に肩を落としている。
「だね。なんか肩肘張ってるのが阿呆らしくなって来た」
「あはは、本当それ。ね、菜乃が言い出しっぺなんだし、一緒にやってよ」
「……っ! うん!」
千宙が持つ緩やかな雰囲気に、先ほどまで教室を満たしていた空気が完全に覆った。やっぱ、千宙はすごい。
「千宙、今までありがとう。私やっぱやることにした! 私が言い出したんだから、最後までやりたい!」
「そっか。おかえり、菜乃」
千宙は大人びた笑顔を浮かべた。今まで見たことのない幼馴染の表情に、一瞬だけ胸の奥がざわついた。何だろう。千宙の何が私の心を揺らしたのだろう。
しかし、その原因を追究する間もなく――、
「せっかくやる気になったんだけどなぁ」
千宙は後ろに手を回しながら、子供が拗ねるように唇を尖らせた。しかし、その声とは裏腹に、目の奥は優しい。『おかえり』と言ってくれたように、千宙は私がこうして活発になることを待っていた。
私はふっと微笑むと、
「何言ってるの? 千宙も一緒にやるんだよ?」
「え?」
「だって、一人でも多い方が、絶対に楽しいもん! ね、弓香、知美!」
急に話題を振られた弓香と知美は、シンクロしたように「え、あ」と一瞬だけ戸惑っていたが、「も、もちろん!」「う、うん!」とすぐに首を縦に振った。
「ここで千宙くんがいなくなったら、ここまで私達が教えた甲斐もなくなっちゃうし」
「確かに。いやぁ、菜乃に教えたいよ、千宙くんに教えることがどれほど大変だったか」
「うん、昨日一日だけでもコリゴリって感じでさー」
「ひ、ひどいよ、二人とも」
心地よい笑い声が、この場を満たした。
何かが劇的に変わったわけではない。卒業式に向けて、問題は山積みだ。だけど、心持ちは全く違う。今なら、何だって出来る気がする。
「で、さっきの続きなんだけど、やっぱ卒業生も少し巻き込みたいんだよね」
「うん、誰も喜ばないは言い過ぎた。特定の人にしたら身内感が出るから、全員が楽しめる案なら入れてみようか」
真剣に、でも先ほどのような殺伐さは一切伴わない、柔らかな口調で弓香と知美が意見を交し合う。
二人の姿を見て、魔法を使えなくても、勇気を出して一歩踏み出して良かったと思った。扉を開かなかったら、弓香と知美が仲違いしてしまった可能性だってあるのだ。
「やっぱ菜乃はすごいや」
千宙が私の耳元で囁いた。
「菜乃がいると、場が明るくなる。空気が変わる。二人の顔、全然違ってるもん。ねぇ、今回はどんな魔法を使ったの?」
真っ直ぐな目で投げられた問いに、私は首をふるふると横に振る。嬉しいけど、違うんだ。
「ううん、魔法なんて使ってないよ。すごいのは私じゃなくて、みんな」
――心から。
心から思う。
私はみんなから魔法を与えられていたんだって。
「ねぇ、菜乃と千宙くんはなんかアイディアない?」
二人が意見を求めて来れた。一度失敗した私を、受け入れてくれる。胸の内に湧き出るものを確かに感じながら、弓香と知美のもとへ駆け寄った。
<――終わり>
私の世界を覆す魔法 岩村亮 @ryoiwmr
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