第3話

 ***


 魔法を使えなくなってから早二週間、私は自責の念に駆られていた。


 私の気分が上がることもなく、天気もどこか薄暗い。このどんよりした空模様は、まさに私の心模様だ。私の感情を受けた空気が、この空を彩っている。


 そして、私のコントロール出来ない魔法の影響を受けているのは、天気だけではなかった。学校や町のみんなが、空気をどよんと沈ませている。

 私の負の感情が魔法を通じて伝播していくのは当然だが、やはりずっと雨模様というのが大きい。時折雨が上がったとしても、薄暗い曇り空は変わらない。


 曇り空と、冬独特の寒さ。それに、私の魔法の影響。

 周りのみんなが苛立つのは、仕方のないことだ。


 ――あんたのせいで、これからもっと多くの人が不幸になるよ。


 私に魔法を使えなくさせた元凶である憂と名乗った女性の言葉が、私の心に甦る。


「……誰のせいで」


 もし過去に戻れるのなら、誰のせいでこうなったと思ってるのよ、と思い切り言いつけてやりたい。だけど、もう遅い。私が文句を言いたい彼女には、あれから一度も顔を合わせる機会がなかった。


「……はぁ」


 今まで当たり前のように使えていたものは、全然当たり前なんかじゃなかった。魔法なんて、そもそも非現実的な存在なのに、私はどうして当たり前だと思ってしまったのだろう。

 暇さえあれば色んな場所に足を運んでいたというのに、ぼんやりと曇り空を見上げることが多くなっていた。


 現状の抜け出し方も分からないまま、ただ何となく時が過ぎていき――、


「ねぇ、菜乃。あの話、どうなった?」


 そう声を掛けて来たのは、私の友達である弓香と知美だった。いつの間に放課後になったのか、教室にいるクラスメイトはまばらだった。


 心当たりのなかった私は、「……どの話だっけ」と首を傾げながら問いかける。すると、弓香と知美は互いに顔を見合わせると、まるで私に当てつけるように溜め息を吐いた。


「菜乃から言ったんでしょ。来月の卒業式で、三年生を笑って見送ることが出来るようなパフォーマンスをしようって」


 うちの高校の卒業式は、基本的に当事者である三年生のみが参加する。しかし、残る一年生や二年生の中で、どうしても直接三年生を見送りたいという人がいれば、卒業式の一幕で出し物をすることが出来る。参加可能な人数も五組だけで、割り当てられている時間も数分と短いものだが、私は立候補してその座を見事に勝ち取った。


「最初に菜乃から話をもらったのって、一月後半だよね。その間何もしてないっていうのに、あと三週間足らずで間に合うの?」


 正直、特別なアイディアがあるわけではなかった。ただ私がいれば何とかなると思っていた。魔法の力があれば、みんな笑って明るい気持ちで卒業することが出来る。だけど、一人より誰かと一緒にやった方が楽しい。だから、声を掛けやすかった弓香と知美を誘ったのだ。その時、「全部私に任せてよ!」と大見得を切った。

 魔法を使える私がいること、それ自体で笑顔になる。そう傲慢に近い想いを抱いていた。


 けれど、今の私は何もしていないし、何も出来ない。立候補した時は、こんな事態になるなんて思いもしなかった。


 私が忘れているだけで、こういう身勝手な口約束を幾つ重ねてしまっているのだろう。


「ただでさえ天気が悪くてイライラしてるんだから、ちゃんとしてよね」

「ね。あーあ。最近ずっとこんな空だし、練習も満足に出来てないから、なんかもう不参加でもいい気がする」


 心なしか、弓香と知美が冷たい。声も、視線も、態度も、何かもが近寄りがたい雰囲気を漂わせている。

 けれど、その気持ちは痛いほどに分かる。私自身がそうなのだから。


 この町の人は、私の魔法の影響を受けて負の空気を背負った結果、心が冷え切ってしまった。憂と名乗った人物の言葉は、まさしく現実として成就した。そして、それは仮に私の友達だとしても例外ではない。むしろ、私と距離が近い関係だからこそ、影響を強く受けていると思う。

 だから、私は弓香と知美に何かを言うことは出来なかった。


「えっと、その……」

「ごめん、それ俺が代わりに出来ないかな」


 言葉を出せなかった私に代わって応じてくれたのは、千宙だった。先ほどまで確かに教室にいなかったのに、まるで私達の話を全て聞いていたかのようだ。


「千宙くん、出来るの?」

「なんとなく菜乃から話は聞いているんだ」


 千宙が私に向けてウィンクをしてくる。千宙のウィンクは取って付けたような拙さで、ここでも不器用さが現れている。千宙に話したことは一度だってない。


「……えっと」

「……でも」


 千宙と学校生活を共に過ごせば、その爽やかな見た目とは裏腹に千宙が度が付くほど不器用だということは、嫌でも知るようになる。そのことを知っている弓香と知美は、互いに顔を見合わせながら少しだけ言葉を濁していた。


 二人の杞憂は分かる。


「ち、千宙には無理だよ。私がやろうとしていたことは、三年生の門出を笑って見送るためのパフォーマンスなんだよ? それをゼロから作り上げて、一年生の有志みんなに共有して、練習もたくさんして、しかも先頭に立って教える……、とにかくやることが多すぎて、千宙には手に負えないって」


 二人が言えないことを、幼馴染というアドバンテージを利用して言葉にしていく。


 そんな私たちの憂いを払拭するように、千宙は自信に満ち溢れた表情を浮かべると、


「菜乃をだしに使ったけどさ。実は、俺がやってみたいんだ。すごい楽しそうだったから、一緒にやりたい」


 真っ直ぐな感情をぶつけた。見栄も、打算も、プライドもない。ただただ純粋な想いが、伝わって来る。


 意欲に溢れた人を無下にすることは出来ないだろう、


「ま、まぁ、そこまで言うなら、千宙くんにお願いするけど……」

「私達でも一応考えたから、共有するね」


 弓香と知美は言うと、それぞれ自分の席に戻っていった。


 まさか弓香と知美が千宙のことを受け入れてくれるとは思わなかった。しかも、この場を満たしていた空気は、千宙が来る前と後とでは、あからさまに違うほどに軽やかになっていた。


 千宙と二人きりになった私は、


「千宙も、魔法を使えたの……?」


 自然と口から漏れ出した。純粋な私の問いかけに、千宙は「あははっ、なにそれ」とやんわりと笑いながら否定する。


「俺が魔法を使えないことなんて、ずっと知ってるだろ。ただ俺は、菜乃に元気になって欲しかっただけ。何をしたら菜乃が喜ぶんだろう、何をしたら菜乃が元気を取り戻してくれるんだろう――……それだけを考えて動いただけなんだ」

「……」

「菜乃に元気がないと、周りまで影響受けるんだ。あ、これ菜乃が魔法を使えるとか関係ないよ。昔から菜乃の生き生きとした姿を見たら、自然と皆笑ってた。菜乃も、周りも、……俺も」

「……」

「だからさ、早く元気になってよ――なんて言わない。菜乃のペースで、無理しない範囲でやっていけばいいと思うんだ。それまで俺も支えるし、俺にやれることがあるなら何でもやる。まぁ、俺に出来ることなんて、そうはないだろうけどさ」


 そう言った千宙は、私の頭にポンと軽く手を乗せると、「いい機会だと思って、ゆっくり休みなよ」と一言残してから弓香と知美の方へと歩み寄った。

 そして、机を囲んだ三人は、会話が盛り上がっている。


 居場所のなくなった私は、暫くその場で呆然とした後、我に還って家路へと着くことにした。


 変わらず、空はどんより。すれ違う人の表情も、どこか鬱屈としている。私のマイナスの影響を受けているから、仕方のないことだと思う。


 私はモヤモヤした感情を抱きながら、帰っていた。だけど、そのモヤモヤの系統は、今までのものと異なっている。今までが出口の見えない真っ暗闇に放り込まれたような感覚だとしたら、今はトンネルの中だと分かって進んでいるような心の余裕さがある。そう表現したものの、しっかりと言語化までには至れなくてモヤモヤする。そんな感覚だ。


「あ、菜乃ちゃん」


 眉を寄せながら歩く私の背中に、声が掛かる。振り向けば、隣のクラスで同じ中学出身の久美がいた。友達と一緒に帰っていたところを、「先に行っていいよ」と声を掛けてまで、私に声を掛けてくれたようだ。


 一月の年明け早々、私は久美に対しても何かしらの声を掛けた気がするが、結局口約束は果たせずにいた。久美に対して罪悪感が生まれて、上手く言葉が出せなかった。


 しかし、そんな私の不安を払拭するように、


「菜乃ちゃんのおかげで、すごく助かったよ」


 久美の声は、どんよりとした天気を覆すような明るさを伴っていた。


「私、何もしてない……よね?」


 助かったと言われるようなことをした覚えは、私には一切なかった。私の言葉にキョトンと呆けていた久美だったが、「え、やだぁ」と明るい声でおどけるように言うと、


「千宙くんに声を掛けてくれたのって、菜乃ちゃんでしょ。千宙くんが手を貸してくれたから、想像よりも早く作業が終わったの。おかげで卒業式に飾る絵が無事に完成したわ」

「千宙が……?」

「うん。でね、千宙くんにお礼を言ったら、最初に声を掛けたのは菜乃ちゃんだから礼なら菜乃ちゃんにって言ってたの」

「……私、に?」

「だからね。ありがとう、菜乃ちゃん」


 久美は満面の笑みで言うと、「じゃあ、またね」と先を行く友達を追いかけて行った。


「……どういうこと?」


 久美の背中を見つめながら、そう自問したけれど、答えは既に私の中にあった。

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