第三章 兄弟からの恩返し、スタート

3-1


 はあ、とレナが重いため息をつけば、ヘルガもまたいまいましげに息を吐く。

 夜もおそい時間帯に、二人そろってため息とはなんとも重苦しい空気でしかないが、その原因はテーブルに置かれた手紙だった。


「まさにこうがんとはこのことですね!」

「久々にどのつらぁ! って声が出たわ」


 前に出たのはいつだったか。今となっては顔もおぼろげな元こんやくしゃ殿どのが実家からかんどうされそうになったからと助けを求めに来た時かもしれない。遠い過去のおくよみがえるほどに、

 現状も腹立たしいことこの上ない。


「カリンおじょうさまの実家……とも言いたくありませんね! あのくそおしきの部屋のしゅうぜん費に、お嬢様の誕生祝いのドレス代、それにともなう宝石まで……ってこれをどうして奥様に負担させるんです!? おまけになんですかこの――だん様のこんれいしょうの費用って!」


 今年エリアスは十六歳になる。誕生日をむかえるその日に、レナとせきを入れる予定だ。 それだからか、最近のヘルガはエリアスを『旦那様』と呼ぶようになった。


けっこんするって物入りよねえ」

「奥様」

「やめてよヘルガ、奥様ってガラじゃないわ」


 エリアスが旦那様であれば、当然レナは『奥様』だ。これがどうにも慣れなくて、レナは呼ばれるたびにもぞもぞとしてしまう。


「奥様は奥様でしょう。もうすぐ旦那様と正式にご結婚なさいますし」

「……そうだけど」

「それにもうお嬢様、はカリン様がいらっしゃいますからね」

「そうだけどぉ!」

「今から慣れていきましょう。奥様もいつまでエリアス様、と呼んでいるんですか。家の中ならまだしも、外ではきちんとお呼びするんですよ?」

「分かってるわよ、それより話をもどしましょう」


 レナだっていつまでも『様』をつけて呼ぶわけにはいかないと理解している。ただのくせではあるけれど、それと同時に「いつか別れる相手だから」とあえてそう呼んでいるのだ。

 ヘルガはこの結婚についての真相を知っている数少ない人物だ。だからその辺りのせんさいな心理をですね、と思わなくもないがヘルガは「まだるっこしい」と切り捨てて相手にしてくれない。


「毎月分と、年に二回の大きな逆仕送り。これだって意味が分からない状態ですよ? なのにさらに金をたかるだなんて、本当にあの連中は貴族なんですか!? その辺のごろつき共と変わりませんよ、こんなの!」


 ヘルガの彼らに対する心証は最悪であるからして、言葉もしんらつになるしガラも悪くなる。


「権力持たないだけごろつきの方がマシよねー」


 同じしょみん同士ならば、レナとしては負ける気は欠片かけらもない。

 人脈はおかげさまでそれなりにあるし、それをかすだけの資金もじゅんたくだ。だが、相手が貴族であればそうもいかない。

 どれだけ人脈を使し、資金をつぎ込んだところで彼らが「貴族でござい」と権力を振

ふりかざせば庶民など簡単につぶされてしまうのだ。

 今のレナの立場であれば、簡単に潰されはしないかもしれないが、一番守りたい存在であるきょうだいうばわれてしまう。

 婚約をしているがエリアスは未成年、カリンも同じくそうだ。

 親権は彼らにある以上、貴族どうこうをきにしてもレナに勝ち目はなかった。

 下手なていこうないしはんげきは、兄妹をきゅうに追いやるだけだ。ただしゅくしゅくと、彼らの要求に応えるしかない。


「カリンがこうこくとうになってくれたおかげで子ども服の売れ行きは好調だし、エリアス様のきで投資も大成功したから、その分をあのくそやろ……げす……くず……義両親にわたしましょう」

「あの鉱山ですか?」

「そう、あの山。どこからかその話を聞いたんじゃないかしら? だからこうしてせびってきたのよきっと」


 ちょっとした投資のつもりでエリアスに相談しながらこうにゅうした鉱山の一つが大当たり。

 貴重な宝石が見つかり、レナの財産は一気にふくがった。

 エリアスはたまたま当たっただけだと口にするが、ゆうを受ける際に発揮した先見の明

と同じく、投資先まで彼の助言は的中したのだ。


「カリンがもたらしてくれた利益を元に、エリアス様に選んでもらって購入した山の財産ですからね! これはお二人のためにちょちくしますよ!!」


 すでにその名目で銀行にいつくか口座がある。

 それを兄妹にっ込まれてもレナは「それはそれです」ととして新たに口座を作ろうとしていた。

 兄妹を幸せにするのが自分の幸せであり、それは何も金銭だけの話ではないが、あるにこしたことはないのだ。

 二人のやりたいことが見つかった時、金銭面が理由であきらめずにすむようにしたい。

 成人のかどや、けっこんしきに至っては国中で一番はなやかなものにして送り出してやりたい。

 そうやって喜んでいた矢先のコレである。


「ほんっっっとうに腹立つわぁ……」


 さらに腹が立つのは、義両親はある意味タカリの玄人プロであった。レナがもう無理だとならないギリギリ、の、さらに少しばかり下の額を要求してくるのだ。限界までむしればそれだけ自分達の益も減ると理解しているから、しぼれるまで搾り取る算段なのが本当にあくらつすぎる。


「今回の鉱山の収入はある意味臨時のものだもの。正直これが全くなくなっても私にはなんの損害もないからね」

「だからその臨時収入を丸々得ようというそのこんたんが……きわみじゃないですか」

「……その下衆相手に札束でなぐりつけてる私もある意味同類だと思うけど」


 レナだってはたから見れば年若い少年を金で買ったなりきんの成人女性だ。づら的にはこちらの方がひどいと思う。


「それはちがいますよ、奥様」


 ぴしゃりとヘルガが言う。そうね、とレナもうなずいた。自分がくつな考えになれば、それはそのままエリアスの身に降りかかる。


「奥様はご自分の力であの屑共を殴りつけているだけです」

「あ、殴ってるのは同意なんだ」


 庶民のレナにとって貴族とやり合うにはこれしか方法がかばなかった。そしてその道具、すなわち殴りつけている札束はレナが必死に働いてかせいだものであり、それはレナの力に他ならない。


「そうよ、これは私の私による私のための戦いだから、使える道具は全部使うわよ。ってことでヘルガ、明日ルカといっしょに鉱山じょうのための手続きに行くから、家のことお願いね」

「もちろんですとも。お気をつけてお出かけくださいませ、奥様。最近は色々とぶっそうですし、あのド屑共が何かしてこないとも限りませんから」

「ヘルガは心配のしすぎだと思うけど……そうね、万が一の時は私の必殺、逆関節をキメてやるわ」


 実家にいたころ、何かと相手をしてくれた周囲の大人はなぜか力まんが多かった。血の気も多く、しょうあらいが子どもにはやさしい彼らにレナは可愛かわいがられて育った。

 そんな彼らから教わった護身術は今でもレナの身についている。

 だが今なら分かる、教わったものはどれも物騒なものが多かった。なんだ逆関節って、と突っ込みを入れてしまうが、悲しいかな一番に習得できたのもそのわざなのだ。


「とにかく用心してください」

「はあい」


 気付けばずいぶんと時間が過ぎていた。さすがになければ朝がきつい。


「もう今日は遅いから、ヘルガも泊まっていってね」


 レナとヘルガはこれで話を終わらせると、それぞれのしんしつへと向かった。

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