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 この日を境に兄妹の様子に変化が見られ始めた。

 早い話が、カリンがレナになつくようになったのだ。「おねえさま」と呼んではレナにおずおずと抱きついてくる。これを可愛かわいがらずにいられようか。

 レナはこれまで以上にカリンを可愛がった。ヘルガとルカも同じく。

 それは当然エリアスにも向くが、こちらはまだじゃっかんきょがある。

 レナは無理やりはせず、ただ少しだけ縮まった距離を喜ぶことにした。

 しかし、カリンが懐いてくれればその分だけどうしてもレナの中におさえきれない欲が湧いてくる。これはまだ早いだろうか……いやでもせっかくだからと、レナはエリアスとカリン本人におうかがいを立てる。


「……カリンをモデルにして、ドレスを作ってもいいでしょうか……」


 深刻な顔をして、重苦しい空気の中まさかそんなことを言われるとは夢にも思っていなかったのだろう、エリアスとカリンはきょとんとしたまましばし固まる。

 ややあって、カリンが首をコテンとかしげた。


「おねえさまが、わたしにドレスを作ってくださるの?」


 レナはしんみょううなずく。


「どうしても……カリンを……かざらせたくて!」

「レナ」

「だってこんなにも可愛くて愛くるしいんですよ! 今着ている服だってそりゃあカリンには似合ってますけど! 私が選んだ服ですから! でも、これはあくまで急いで用意したせい品であって、カリンのりょくを引き出しきれていない……いえ既製品にもかかわらずこれだけの魅力をらしているのはカリンですが! 私ならもっと! カリンに似合う服を用意できるのにって!!」

「レナ」


 二度目の呼びかけにレナは我に返った。

 完全に危ない人種の発言であったと気付いた時にはもうおそい。やってしまったとあわてて前を見れば、瞳を輝かせてレナを見つめるカリンと、そんなカリンのかみを撫でてやりながらしょうを浮かべるエリアスがいた。


「ありがとうございますレナ。貴女あなたならきっとカリンに似合うドレスを作ってくれると僕も思います」

「おねえさまのドレスをわたしが着てもいいの?」

「良かったねカリン。きっとてきなドレスを作ってくれるよ」

「……うれしい。ありがとうおねえさま!」


 天使の如き兄妹の満面の笑みを真正面から食らい、レナはあやうくしょうてんしかけたが全力でこの世にみとどまり、そこからりょうしょうを得たのだからとこれまで手がけていなかった子ども服のデザインに前のめりでいどむことにした。

 とはいえ、これは完全にレナのしゅである。

 最高のモデルが家の中に存在する。そこで湧き上がる創作意欲を、ただ形にしたいという職人だましい

 カリンのためだけに作り、それを商品にするつもりは毛頭なかった。

 だが、久方ぶりにレナの工房をアネッテ夫人がおとずれた時にそれは一変する。


「素敵……素敵だわ! なんて可愛らしいの! ああ、うちの孫にも着せたい!!」


 何しろカリンは見た目が天使のように可愛らしくも美しい。

 そんなカリンに似合うというか、レナが単純に着せたいと思った――レースをふんだんに使い、スカートも綿のように広がったドレスが夫人の心をいたのだ。


「ねえレナ、今度カリンと一緒にわたくしのお茶会にいらっしゃい。大丈夫、わたくしと本当に仲のいいお友達しか招待しないわ。だから、ね、是非この可愛らしい妹さんと二人でいらして」


 最終的にはエリアスも是非一緒に、とさそわれては断るわけにもいかず、レナは初めて三人で出かけることにした。当然エリアスの外出着も急いでレナが仕立てた。

 アネッテ夫人が「本当に仲のいいお友達」しか招待していないのもあって、茶会に参加したご夫人方は終始レナ達にれいをもって接してくれた。

 ただ、そんな中でもレナの作った服を身にまとったエリアスとカリンの人気はすさまじかった。カリンに至っては黄色い声が上がるほどだ。


「なんて可愛らしいのかしら……とっても似合っていてよ」

「まるで天使みたいだわ……だなんてちん台詞せりふしか出てこないのがくやしいわ」

「ご兄妹そろうと絵画のようね! 今度一番下のむすが社交界にデビューするのだけれど、貴女のところにお願いしてもいいかしら?」

「わたくしのところはむすめがデビューするの。カリンさんより少し年が上だけれど、どうかうちの娘にもこんな素敵なドレスを作っていただけない?」


 レナとしては「うちの子可愛いんですよ見てくださいな、ほら!!」という心理でしかなかったのだからおどろきである。

 いやあうちの子やっぱり最高だった、と思いつつも、とつぜんある種の見世物になってしまったカリンは大丈夫だろうかと心配にもなってしまう。

 チラリと様子をうかがえば、カリンはずかしそうにもじもじしてはいるがそこに嫌悪感はなさそうだ。兄の後ろに少しだけかくれつつ、それでも褒めてもらえたことに「ありがとう

ございます」と礼を述べている。


「おねえさまが……わたしのためにって作ってくださったの。だから、ほめてくださって、とってもうれしいです」


 はにかむ天使の笑みである。この日一番の黄色い悲鳴が上がったのは言うまでもない。

 こうして思わぬところからレナの工房の人気はさらに高まった。

 カリンのためにと作って着せたドレスは常に人気となり、次から次へと注文が入る。喜ばしいが人手が足りない。

 しかしそこはゆうふくな貴族が相手である。

 人手が足りずに自分の注文がおくれるくらいならばと、資金提供を申し出る家がこれまた次から次へと現れたのだ。

 ひえ、とじゅんすいに悲鳴がれる。

 ありがたく思うより先に、裏があるのではないかとかんぐってしまうのはしょみんの防衛本能だ。うっかり飛びついて、工房の権利から何から巻き上げられては堪らない。

 しかし、名乗り出る家に対しては不思議とエリアスの意見が効果を発揮した。


「こちらの方の話は受けてもいいんじゃないでしょうか」


 あまりに悩むレナを見かねての発言だった。

 彼のすすめに乗ればトントンびょうに話は進むし、どれもレナにとっては好条件、最終的にはゆうとは名ばかりのほとんど寄付に近い案件ばかりを引き当てたのだ。

 逆にエリアスが「こちらは……どうかなと思います」と難色を示す相手は断っていく。

 すると目に見えて悪態をつかれたり、その後悪評を耳にしたりと、関わりを絶って良かったという結果が続く。


「すごいですねエリアス様……」

「短い期間でしたが、あの家で得た知識が役に立ちました」


 そうしてカリンはすっかりレナのドレス工房の生ける看板となった。エリアスは時折カリンと共にご夫人方の茶会や夜会へ参加する時もあるが、基本はレナの工房で貴族とのやり取りや、最近は経理の仕事まで覚えようとしており、毎日遅くまで勉強に励んでいる。

 これまで全く関わりのなかった商売の道である。


「エリアス様、無理はしないでくださいね。おかげさまで工房の人手はじゅうぶん足りていますから大丈夫ですよ?」


 無理をして工房の手伝いをする必要はない。もっと他に、やりたいことを見つけてほしいとレナが言えば、エリアスは「今はこれが一番やりたいことですから」と笑って答える。

 うそではないのは分かる。彼の一番の望みが、レナの手伝いだというのはとてもありがたい。けれど、そうではないのだ。

 レナはエリアスにはもっと自由に生きてほしいだけなのだ。


「それに無理もしていませんから」

「えええ……でもこの前、ソファでぐっすり眠っていたじゃないですか」


 それはとある休みの日だった。昼食の時間になっても姿を見せないエリアスに、レナはカリンに先に食べるよう声をかけて彼を呼びに行った。

 扉を叩いても返事はなく、不在なのかと思いながらそっと覗けばそこにいたのはソファでぐっすり眠っているエリアスだった。

 エリアス様、と呼んでもどうだにしない。それどころかなんともすこやかな寝息を立てており、これはごろつかれもあってじゅくすいしているのだなとレナは苦笑した。

 せっかく気持ち良さそうに寝ているのだから邪魔をするのはしのびない。かといってこのままではを引いてしまう。ベッドの上には、あのらい以降カリンが眠る時にくるまっているレナの肩掛けがあった。

 それをエリアスの体にかけ、レナはそっと部屋を出ようとした。

 ドスン、と鈍い音が上がったのはその時だ。

 驚いて振り返れば、エリアスが両目を大きく開いて固まっている。


「エリアス様!? 大丈夫ですか?」

「え……っ、あ、はい……大丈夫、です……」


 思わず手を差し出せば、エリアスはしばしまどった後、レナの手を摑んで体を起こす。


「エリアス様?」


 レナの手をにぎったままのエリアスに、まだ寝ぼけているのだろうかと不思議に見やれば、徐々にエリアスのほおが赤く染まっていった。


「……いつから、レナはここに?」

「今、今ですよ。お昼の時間なので呼びにきたらエリアス様が寝ていたので、風邪でも引いたら大変だなって思ってですね」


 気を抜けばレナの顔も赤くなりそうで、それは大人としていかがなものかと努めて冷静なフリをする。


「すみません……それと、ありがとうございます」


 およそ初めて見るほどにエリアスの顔は真っ赤だった。

 そんなにソファから落ちたのが恥ずかしいのかとか、いやでも年頃だもんねしょうがない、とレナもそのころの自分を思い出してもだえそうになった。

 この話題になると途端にエリアスはそっぽを向く。人に対する態度としてはいただけないものだが、レナにとっては喜ばしいことでしかない。

 ずいぶんと心を開くようになっていても、どうしても最後の一線だけは引き続けていたエリアスが、あの日以降なおに感情を見せるようになったのだ。

 完全に気を許してくれた、とまでは思わない。

 ただ、彼と彼の大切な妹が安心して暮らしていける場所で、それを提供してくれる大人がいるのだと認めてもらえたような気がした。

 だからこそ本当に、彼には心のままに生きてほしいと願っている。

 レナの役に立とうとしてくれるエリアスの気持ちはとても嬉しい。

 だが、それと同じくらいレナにとっては悩ましい問題でもある。それに頭をかかえ出した頃、さらなる頭痛の種がレナをおそう。

 兄妹の実家、とすら口にしたくないあの家が、レナへ金を無心するようになったのだ。

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