第二章 兄弟と深まる交流

2-1


 レナがきょうだいを引き取って十日余りが過ぎた。

 家のことはしなくていい、二人がしたいことをしてほしい、と話をしたが、それが逆に兄妹をこんわくさせてしまい、自由な時間をどう過ごしたらいいのか分からないでいるようだ。

 それはすなわち、実家で二人がどういったあつかいを受けてきたのかが推測でき、レナはいかりをこらえるのに必死だった。

 可能な限りヘルガとルカが二人の相手をしてもくれるが、丸一日共に過ごすわけにはいかなかった。

 レナもこうぼうでの仕事をできるだけ自宅に持ち帰り、家にいるようにはしているが仕事中はどうしても二人に構うゆうがない。

 そんな時は二人で部屋に引きこもり、エリアスがカリンに本を読み聞かせているようだ。

 引き取ったもののその後が良くない、とレナはなやんでいた。

 大人に対しての不信感も大いにある二人だ。それらを取り除き、安心して暮らせるかんきょうを整えてやりたいと心の底から思っているのに、二人││ 特にエリアスが立てたえんりょという名の心のかべくずすことができない。


「ううんちがう、そもそも崩すっていうのが思い上がりなのよ」


 エリアスのけんろうな心の壁は、彼がそうしなければ生きていけなかったからにすぎない。

 さらには幼い妹を守らねばならないのだから余計にだ。

 それらの諸悪の根源は義家族なわけだが、そんな事情を知ったとしても助けなかったのなら他の大人も同罪である。

 兄妹にとって、レナは救ってくれた相手ではあるけれども、だからといってすぐにしんらいできるほどではまだないのだろう。話しかければ応えてはくれる、が、声をかけたしゅんかんカリンはいっしゅんおびえたりを見せるし、エリアスは常に言葉の裏をさぐろうとしている。

 今は助けてくれているけれど、それはいつまでなのか。いつ気が変わるのか。いつ、自分達を捨てるのか――。

 大人だって裏切られた経験があればその傷はなかなかえない。二人はあの年で、それも長年受けてきたのだから傷は深いはずだ。


「今は、少しでも近づくのを許してもらえるようにがんるしかないわ」


 カリンは時折がおを見せてくれるようになった。

 エリアスは食事の席で好物が出た時には遠慮がちとはいえおかわりをしてくれる。甘え、というにはあまりにもさいなものではあるけれど、それでも。

 あせりは禁物である。まずは自分ができることを確実にこなしていくのが一番だ。

 レナにできるのは、兄妹を守るために義両親を札束でなぐり続ける――。

 つまりはより多くかせぎをあげることであるからして、今日もまたレナは朝から仕事にはげむのだった。

 その日は朝から天気が悪かった。重くにぶい色をした雲が厚く立ちこめており、レナはいつもより早めに仕事を切り上げて帰宅する。

 たんたきのような雨が降り出した。さらには強風までき始め、さながらあらしごとくだ。

 だんは自宅へ帰るヘルガとルカも、今日に限ってはこのまままる流れになった。

 レナとしても二人が無事に帰宅できるか心配せずにすむのでほっとする。

 早々に食事をり、る準備もすませ、それぞれのしんしつに別れてしばらくすれば、遠くでらいめいひびき始めた。雨足は強くなり、窓にはおおつぶの雨が音を立ててぶつかってくる。そこにかみなりとまでくれば、これはもう寝るしかないなと、ベッドの上で新しいデザイン画を描かくのをやめ、レナはまくらもとのランプを消そうと手をばす。

 ふと、小さな音が聞こえたのはその時だ。

 一瞬聞きちがえかと思った。それほどまでにか細い音。外の雨音と雷鳴に簡単にかき消

される。

 だが、レナの耳には確かに聞こえたのだ。怯える小さな少女の声が。

 その声の主がカリンだと気付いた瞬間、レナは部屋を飛び出した。

 りんせつする兄妹の部屋のとびらたたいて声をかけるが返事は聞こえない。

 かんちがいならそれはそれでびればすむ話だとレナは勢いよく扉を開いた。

 真っ暗な室内に響く小さな悲鳴。ガシャンと物の割れる音。ベッドの下にうずくまる小さなひとかげ

 窓からせんれつな光が差し込み、次いでドォンというごうおんが響いた。

 どうやら近くに落ちたらしい。だが、それよりもレナの意識は目の前の二人に向いたままだった。


「――ごめんなさい」


 雷鳴にかき消されながら、泣きじゃくるカリンの口からしぼされたその言葉に、レナ

は胃の底からこおりついたかのように動けなくなった。



*****



「ごめんなさい……ごめんなさい」

「カリンだいじょう。大丈夫だよ」


 小さなカリンをしっかりときしめながらエリアスがやさしくその背をでる。


「……すみませんレナ、カリンはその……雷が苦手なものですから」

「え……ええ、それは仕方がないです、だれだって大きな音がしたら」


 こわいに決まっている。けれど、本当にそれだけなのかと疑問に思うくらいに、カリンの怯え方は異常だった。そもそも「ごめんなさい」と謝っているその意味は? とレナは知らず胃の辺りに手をやる。

 またしても雷鳴がとどろく。その光と音にカリンはますますエリアスにしがみつき、エリアスもまた必死にカリンを抱きしめた。

 そんな兄妹の周囲がキラキラとかがやいており、ああ美しい兄妹愛、と思わずほうけたレナであるがそくに頭を横にる。

 そんな暢気のんきな光景ではない。兄妹の周囲に散っているのはくだけたコップのへんだ。 

 レナが近づけばカリンは泣き叫ぶ。


「ごめんなさい、おとうさまごめんなさい! わたしがこわしてしまったの、だからおにいさまを」

「カリン! 僕は大丈夫だから!! すみませんレナ、コップを落として割ってしまいました。べんしょうは必ずするので」

「わたしが落としたの! 壊したのはわたしなの!」

「落ちないようにもっと遠くに置いておかなかった僕が悪いんです!」

「おにいさまをおこらないで! おとうさまお願い――」


 レナはかたけをはずしカリンの頭をすっぽりと包み込んだ。そしてエリアスごと二人を

抱きしめる。


「大きな音がしてびっくりしましたねカリン。もう大丈夫、こうしていれば聞こえないでしょう? ほら、少しだけ音が小さくなった」


 いまだに轟音ではあるけれど、真上付近は通過しつつあるのかじょじょに遠のいていく。


「……ごめんなさいおとうさま……おかあさま……ごめんなさい」

「どうしてカリンが謝るんです?」

「コップを……割ってしまったの……」

「レナはそんなことでは怒りませんよ」


 あえてかろやかな口調でそう言えば、少しだけカリンの体のふるえが止まる。


「レナ……?」

「そう、ここにいるのはレナとカリンのお兄様のエリアス様です。カリンのことが大好きな二人しかいません」


 カリンがおずおずと顔を上げる。

 なみだでぐしゃぐしゃになった顔をそでぐちぬぐってやれば、新たに涙がこぼれ落ちた。


「でも……コップ……」

「コップは落ちれば割れるものです。それより破片ではしていない? どこか痛かっ

たりは?」


 レナの問いにカリンは静かに首を横に振る。エリアスも同じくだ。


「なら良かった。でもこのままだと危ないので、今日は私のベッドでいっしょに寝ましょう!」


 え、と固まる兄妹にレナはことさらなんでもない風に言葉を続ける。


「ベッドの上に破片が散っていたら危ないでしょう? だから今晩だけ私のベッドでまんしてください。大丈夫、ぞうが悪いので私のベッドは広いんです!」


 寝相が悪いのに安心とはこれいかに、と自分自身にっ込みを入れそうになるが、それには|蓋《《ふた》をしてレナは兄妹をゆっくりと立ち上がらせる。

 カリンはエリアスにしがみついたままだが、立つのをうながすレナにていこうはしなかった。

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