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 見合いの席のその場できゅうこんという、およそいっぱん|的《てきにはありえないじょうきょう。そこにさらにとくの問題もあった。

 現在、のマッテオがこうけんにんとしてアインツホルン伯爵家を取り仕切っているが、それはエリアスが成人するまでの話だ。来年になればエリアスが当主となる。


由緒ゆいしょ正しい伯爵家の主としての立場をどうするつもりなの?」

「家督をほうします」


 ザビーネの問いにエリアスは一切の迷いを見せずに即答した。それが一番早い方法だとしても、あまりの迷いのなさにレナは思わずぎょっとなる。ザビーネも同じだ。

 ここで、それまでぼうかんしゃ的立場でいたアネッテ伯爵夫人が動いた。


「それがいいわ」


 パン、と軽く手を叩いてエリアスをあとしする。


「そうなるとカリンに移るわけだけれど、あの子はまだ幼いものね。エリアスと同じで、成人の頃に家督を継ぐか放棄するかを選ばせてあげたらいいんじゃないかしら?」


 夫人のさらなるダメ押し。おだやかな笑みをたたえつつも瞳にはするどい光が宿っている。有無を言わせぬその姿は、流石さすがの貴族である。

 ザビーネは夫人の言葉に同意をしつつもやはりどこか不服そうだ。エリアスの家督の他に、レナが提案した二つが気に入らないようだ。

 エリアスとの結婚は、今年一年は婚約期間とし、成人すると同時にレナの方にせきを入れること。その際、妹であるカリンも、籍は残すものの是非とも一緒にむかれたいというこの二点だ。

 そこでレナもおのれの持てる力を振るう。すなわち、支援だなんだとそれっぽい理由をかかげつつ、札束でなぐりつければザビーネは満面のみで了承した。見事なまでの下衆である。

 この辺りでレナはようやく気がついた。こうなることをして夫人は今回の場を用意したのだと。

 てのひらの上でおどらされている。腹が立たないと言えば噓になるが、夫人は夫人でどうにかしてこのきょうだいを助けたいと思っていたのだろう、きっと。

 半日もたない間にとうの展開である。

 レナは元より、エリアスもいまだにどこかほうけた様子でいるし、幼いカリンに至っては全く理解できていないようで、ひどく不安げにしている。無理もない。

 見知らぬ場所、そして初めて会う人間。二人けのソファに座った兄に、しっかりとしがみついている。

 兄と同じく美しい顔立ちをしており、くりいろのふわふわと波打つかみがまるで人形のようだ。

 今でもじゅうぶんに可愛らしく美しいが、数年もすれば社交界で知らぬ者はいないほどになるだろう。兄と妹揃って周囲の人間を虜にすること間違いなし。

 そんな二人を、口にするのもおぞましい境遇からギリギリで救い出すことができて本当に良かったと、レナはあんの息を吐く。


「色々と先行きが不安でしょうけど、ひとまず今日はもう休みましょうか」


 できるだけ兄妹、特に幼いカリンを不安にさせないようにとレナは笑顔を見せる。


「でも、る前にこれだけははっきりお伝えしておきますね。私はエリアス様とカリン様を使用人にしたくてここへお連れしたわけではありません。なので、明日は私かメイドのヘルガが起こしにくるまでゆっくり寝ていてください。朝食の準備も、朝のそうなどもしなくていいですから!」


 エリアスもカリンもきょとんとしたまま固まっている。言われている意味が理解できない、と。使用人として連れてきたわけではないと言うのなら、一体どんな目的で? と不思議がる姿にレナの中で再び怒りのほのおがる。


「部屋は二階の奥から二つ目です。隣は私の部屋なのでそこまで一緒に行きましょうね。夜中にのどかわいたり、おなかいたり……後は、うん、なんでもいいです。とにかく、何かあったらえんりょなく叩き起こしてください」


 怒りの波動をどうにか抑え込み、レナは二人をしんしつへとうながした。

 腹は立つしおこりもするが、それは明日以降だ。今はとにかく、この兄妹を休ませてやりたい。

 いまだ疑問は残るのだろうが、二人もつかれがあるのか素直にレナの言葉に従った。

 寝室の前でもう一度「何かあってもなくても、起こして大丈夫ですからね」と伝えてやれば、エリアスは小さく頷いた。

 そうしてそれぞれが部屋へと入ると、ほぼ同じタイミングで転がるようにねむりに落ちた。

 明けて翌日。通いのメイドであるヘルガが作ってくれた朝食はエリアスとカリンのぶくろをガッツリとつかんだ。子どもを三人育て上げ、すでにゆったりとした生活を送るのも可能でありながら、ヘルガは今も元気に働いている。

 ほがらかでふくよかな体型はカリンのけいかい心を解くのにも一役買い、食後の一服をする頃には昨夜よりずっとリラックスしたようだ。


「レナさま」


 カリンは声までも可愛らしい。

 兄妹揃って美の神のひいがすごい、とレナはひとしきり感心する。


「レナと呼んでください、カリン」

「……レナ、は、おにいさまと結婚なさったの?」

「結婚しましょう、というお話をして、今は婚約期間ですね。来年、エリアス様が成人なさってから正式に結婚という流れになります」


 カリンの瞳は不安にれていた。

 レナとしては可能な限り少女の不安を取り去ってやりたい。そう思って「他に何か聞きたいことはありますか?」とたずねてみれば、思わぬ答えが飛んできた。


「わたしはなにをしたらいいですか?」

「何を? って、別に何も」

「おそうじはできます。お料理も、すこしなら……今日から一つずつおぼえていくので」

「よーしその辺りも含めてゆっくりお話ししましょうね。エリアス様もですよ」


 労働力としてさくしゅされる前提で話を始めたカリンに、しゅんかん的にレナの怒りはばくはつしかけたがどうにかえる。

 声を荒らげてしまってはせっかく心を開き始めた幼い少女を怖がらせてしまう。カリンが怯えると、いもづる式にエリアスからの不信感も増すだけだ。

 レナが怒りをとおして殺意さえ抱きそうになっているのは、あくまで二人の実家に対

してである。

 絶対許さないからな、という心の中のリストにしっかりと名を刻み、しかしそんなおもわくは隠してレナは二人に言い聞かせる。


「家のことは全部ヘルガがやってくれるので大丈夫です。男手が必要な時はその都度やとい入れますし、そもそもヘルガの夫であるルカがいるので、それもほぼ必要ありません」


 大工仕事や大きな荷物のうんぱんなどはルカが力を貸してくれる。それでも足りない時にだけ、臨時に人を雇えば問題はない。


「じゃあ僕らは何をしたらいいんですか?」


 エリアスもカリンも不思議そうにレナを見つめる。

 彼らにこんな意識を根づかせた実家、とりあえず顔をあくしているザビーネを心の中で

罵倒してレナは荒ぶる気持ちを必死になだめた。


「お二人が、したいことをしてください」


 カリンは言われた意味が分からないのかきょとんとしている。

 エリアスはわずかにけんしわを寄せ、警戒するようにレナから視線をはずさない。


「エリアス様には昨日お伝えしましたけど、もう一度言いますね。私がエリアス様と結婚を決めたのはお二人が可哀相だから、というのはもちろんあります。ありますよそりゃ!」


 初対面の人間にあわれまれるのは不本意だろう。エリアスは昨日明らかにそういう反応を示した。

 だが、彼らの境遇を聞いて悲しい気持ちにならずにはいられない。


「そんな子どもが目の前にいて、それをどうにかできる力を自分が持っていたら、その力を行使するのが大人の責任なんです││ なんてもっともらしく言ってみますが、ぶっちゃけると単に私のめが悪いので手助けさせてください、っていう完全な自己満足です」


 そう、可哀相だからだとか、子どもをみすみす不幸なかんきょうに置いておきたくないだとか、それらも決して噓ではなく、まがうことなきレナの本心だ。が、しかし、一番は「寝覚めが悪い」これにきる。


「そう、私の自己保身だしぜんですよ偽善。こんなこと言い出したら、じゃあ他にもたく

さんいる不幸な子どもはどうするんだってなるでしょう? できるならそりゃ助けたいですよ。でもさすがにそこまでの力は私にはありません。なので、せめて目の前にいる、どうにか手が届きそうな相手だけでも助けたいんです」


 カリンはジッと話を聞いている。エリアスも同じだが、まだなっとくがいかないのか険しい顔をしたままだ。


「私も田舎いなかにいた時にものすごく周囲に助けてもらいました。婚約破棄なんてとんだ醜聞に自分でとどめをしたものだから本当にもう……基本的には針のむしろですよ。でもそんな私を助けてくれる家族に友人、そしてアネッテ様のようなごく一部の物好きな貴族の方に支えられて、今もこうしてがんっていられるんです」


 だから、とレナは幼い兄妹にうったえる。


「私が受けたやさしさを、今度はお二人を通して返しているだけだと思ってください。それでもしお二人が大人になった時に、誰か助けを必要としている人が目の前にいたら、その時は私からの……恩というと本当にアレですが、優しさを返してくれたらいいなって」


 なんだかものすごくずかしくなりレナは最後を笑ってす。

 良さげなことを言っているつもりだが、あくまで「つもり」でしかない。ただただ、レナの自己満足なだけなのだ。

 それでも二人、特にエリアスにはようやく納得してもらえたようだ。はい、と静かに、しかしはっきりと頷いてくれた。


「あ、でもだからといって、二人とも無理して何かを目指さなくてもいいですからね! 私もやりたいことをして、今があるので。だから、まずは自分のやりたいことを見つけましょう。そして素敵な未来を歩んでください。私はお二人が幸せになる姿を、一番近い特等席で拝見しますから」


 美しい兄妹がいっぱい幸せになる姿を間近で見るのだ。これはかなりのごほうなのではなかろうか。

 知らず笑みが浮かぶレナを前に、幼い兄妹は自分達なりに思案をめぐらせる。やがてそれは一つの意志となり、兄妹の人生をかけての目標となる。

 だが、レナがその中身を知るのはこれから六年後のことである。

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