第二章 バレてはいけない新婚生活

2-1


 窓から差した朝日を浴びて、エミリアは目を覚ました。――けっこんしきから、早一週間。なんだかんだで、領主ていでの生活にも少しずつ慣れてきた。


「んー。やっぱり一人は気楽でいいわ! 思い切りがえりを打てるし」


 ここは夫人エミリア専用のしんしつで、となりにディオンはいない。三日前からディオンは領内視察で領主邸を不在にしており、エミリアはのんびり一人寝をまんきつすることができていた。


「ディオン様は今晩には帰ってくるらしいけれど……こまめに不在にしてくれたほうが助かるんだけどな。いっしょに寝るの、きんちょうするし」


 つぶやきながら、エミリアは机の引き出しからひとつぶほうしょくひんを取り出した。


「おはよ。ルカ」


 海色の石がまった銀製のイヤリングが、片方だけ。毎朝そのイヤリングに語りかけるのが、昔からの日課である。深い青にたんりょくしょくのきらめきが混じった海色の石は〝海青石〞といって、ログルムントの特産品だ。『海青石は割れやすい』と書物に書いてあるのを読んで以来、レギトせいこうこくでは自室の机の引き出しに入れて保管していた。りんごくに密入国する前、ダフネが引き出しから回収してきてくれたのだった。

 海青石の色調はルカのひとみとそっくりで、とても美しい。


「……そういえば。ディオン様の目も、ルカと同じ色だったわ」


 めずらしい色の目だと思っていたけれど、ログルムントでは多いのかしら? などと思っていたそのとき。コン、コンというノックの音がした。イヤリングを引き出しにもどして返事をすると、三人のじょが入室してきた。「おえのお時間です」とうやうやしく礼をして、エミリアのたくを整えてくれる。


(領主邸のみなさんは、とても親切だわ。私みたいなじょうの知れない女が夫人になったら、絶対に意地悪してくると思ってたんだけれど……すごくマナーがいい)


 使用人達のていねいせつぐうには目をみはるばかりだ。ディオンが『彼女をていちょうあつかうように』と指示してくれたのと、〝父親〞がディオンの腹心だということがえいきょうしているのかもしれない。何はともあれ、新生活は今のところ順調である。

 ぎわよく身支度をしてくれた侍女達に、エミリアはがおで深々と礼をした。


「きれいに整えてくれてありがとうございます」


 三人のうちの二人が、笑顔を返してくれた。――しかし。


「奥様。この前も言いましたが、侍女に対して敬語を使うのは不適切でございます」


 サラという名の侍女だけは、不満そうにまゆをひそめていた。サラの反応を見たエミリアは、――あぁ、またやっちゃった。としょうする。


「そうだったわね。教えてくれてありがとう、サラ」

「まぁ、平民出身の奥様には不慣れな世界かもしれませんが。領主夫人としてのいを早く身に着けていただかないと、殿でんのごめいわくになるかと思います」


 冷ややかな口調のサラに、他の侍女達は顔色を変えた。


「奥様、申し訳ございません。サラが大変な失礼を……」

「いいのよ。サラの言っていることは正しいわ」


 聖女には聖女の、領主夫人には領主夫人の、適切なマナーがある。自分は〝平民出身の領主夫人〞になり切る訳だから、相応ふさわしい振る舞いを身に着ける必要があるだろう。サラの態度も侍女としてはどうかと思うが、それもじょじょしんらいを築いていけば済む話だ。――とエミリアは考えている。

 侍女達に導かれて食堂に向かうと、姿の女性がエミリアに一礼してきた。


「おはようございます。メアリ様」

「おはよう、ダフネ。昨日も言ったけれど、おしきの中では護衛しなくて平気よ」

「いえ。私はメアリ様の専属護衛という役職をディオン殿下よりたまわっておりますので」


 にせ聖女時代にはダフネは侍女服が基本だった。しかし、ここでは騎士にてっすることにしたらしく、ディオンからわたされたヴァラハちゅうとんだんの黒い騎士服をまとっていた。ダフネは下げていた頭をゆっくりと上げ、エミリアのそばにひかえる三人の侍女にいちべつをくれた。

 ――ぎん、と射殺すようなを向けられて、侍女達がすくみ上る。


「ひっ……!! そ、それでは奥様。お食事がお済みのころにおむかえに上がります」


 おじづいた様子で、彼女達はげ去っていった。


「ちょっとダフネ。何その目つき、こわいよ」

「少しけんせいしただけです。侍女の一人が、あなたをめるような目をしていたので。……メアリ様が快適な人生を送れるようにかんきょうを整えるのも、護衛騎士の役目かと」

「私のため?」


 当然のようにうなずいてみせるダフネは、とても力強くて。だけれど、少し不思議だった。


(ダフネはどうして私のことを、こんなに心配してくれるんだろう……?)


 朝食を済ませたエミリアは、中庭のガーデンチェアに座って一人のんびりと日向ひなたぼっこをしていた。

 うららかな春の日差しの下、今はモーニングティーの時間である。世間いっぱんの貴婦人はこうやって、午前中に軽いおと一緒にお茶をたしなむものらしい。

 ダフネは今も、ややはなれた場所からエミリアの護衛をしている。エミリアは、振り返ってダフネを呼んでみた。


「お呼びですか、メアリ様」


 エミリアが紅茶とお菓子を笑顔で指し示すと、ダフネは察したようにうなずいた。


「ああ、毒見ですね。かしこまりました」

「えっ、ちがうよ! そうじゃなくてさ、……一緒にお茶しよ?」


 ダフネは、あからさまに顔をしかめる。


「ありえません。護衛が主人のティータイムに同席するなんて」

「たまにはいいじゃない。せっかくのセカンドライフなんだから」


 ひとなつこく笑ってエミリアがさそうと、ダフネはためいきをついてから向かいのに座った。


「……今日だけですよ」

「うん、ありがとう。実はね、昔からちょっとあこがれてたの。お友達とお茶するの」

「私は友達ではありません」


 そくとうするダフネを、エミリアは笑顔で見つめていた。ダフネは真面目で隙がなく、十年も一緒にいるのに一度も笑ってくれたことはない――でも、なぜかいつも温かい。


「ねぇ。前も聞いたけどさ。どうしてダフネは私を助けてくれたの?」


 皇城勤めの侍女であるはずのダフネが、なぜだつごくさせてくれたのだろう? じんりゅうおそわれたときも今も、どうして守ってくれるのだろう?


「………………私自身が、そうすると決めたからです」


 ダフネはしかめつらで紅茶を飲み干した。彼女の返事は答えになっていないけれど……。


「そっか。それなら、二人で一緒に自由になろうね」

「あなたがかつなことをやらかさなければ、実現するかもしれませんね」


 エミリアは笑った。こんなふうにのんびり話せる日が来るのなら、王弟殿下とのけいやくけっこんは、正しいせんたくだったに違いない。

 ――その日の夜、ディオンが視察から戻ってきた。一緒に夕食を囲みながら、彼はエミリアに問いかけてきた。


「メアリ。ここでの暮らしにはれたか?」

「はい、おかげさまで。こんなにのんびり過ごすのは生まれて初めてで――」


 いけない。気がゆるんで余計なことを言いそうになった。過去のことを不用意に話せば、偽聖女時代のことまで口がすべってしまうかもしれない……。


「と、ともかく、のんびりゆったり幸せです。ありがとうございます」

「それは良かった。だが屋敷にもるだけじゃひまだろう? 明日は俺と遊ばないか」

「はい?」

「街に出て、二人でデートしよう。せっかくふうになったんだから」


 デート!?と目を白黒させるエミリアを見て、ディオンは楽しそうに笑っていた。――翌朝、げんかんホールにて。


「……ディオン様。本当に行くんですか? デート」


 もちろん。と即答するディオンのことを、エミリアはまどいがちに見つめた。彼はグレーの上下につやのある黒のウェストコート。エミリアはうすももいろのふんわりとした外出用ドレス。二人そろって完全にデート用のよそおいである。


「似合うよ、メアリ。とてもわいい」


 ずかしさに目を泳がせながら、エミリアは混乱していた。


(デート!? なぜにデート!? ……困ったわ、私デートなんて一回もしたことないし。挙動しんすぎてあやしまれたらどうしよう!?)


 あわあわしているエミリアを、ディオンが屋敷の外へと導く。すでに馬車の準備も済んでいた。なんとかうまい理由をつけて断ろうと、エミリアは必死に頭をめぐらせる。


「で、でもディオン様。視察明けでおつかれでしょう? お出かけはまた今度で……」

「いや、視察明けはむしろ全力で遊ぶのが俺のりゅうだ。付き合ってくれ」

「えぇぇー……」


 エミリアを馬車に乗せ、ディオンは後ろを振り返った。騎士服姿で待機していたダフネに、ディオンが歩み寄ってさわやかなみを向ける。


「ダフネ。今日の護衛をたのむ。実際は護衛というより保護者のきょかんで構わない。メアリが何かと不安そうだから、そばにいてやってくれ」

「……ぎょ


 ディオンが馬車に乗り込むと、馬車はかろやかなていの音をひびかせて走り出した。

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