1-6


 十三歳のとき、ディオンは〝竜化病〞をはっしょうした。竜化病はこの大陸の風土病で、聖女に癒してもらう他には治療法のない特殊な病気だ。

 竜化病の発症者数は一カ国辺り年間百人前後と少数で、人数で言えばかんせんしょうきんのほうが深刻だ――だが竜化病はその特殊性から、人々にきらわれるびょうである。

 竜化病は脳の病気だと言われており、発症すると正気を失う。体内に眠る魔力が暴走して、あらぶる竜のごとく周囲に襲いかかる。普段の自分が魔法を使えるか否

いなかにかかわらず、発症者は魔法を暴発させながら周りの人間を攻撃するのだ。

 発症した瞬間、ディオンはやみに引きずり込まれた。

 ――息が苦しい。身体が熱い。何もかも分からなくなり、頭の中がぐちゃぐちゃで。が引き千切れそうなほどに痛く、自分がこわれていく音が聞こえた。

 どれほどの期間、闇に飲まれていたのだろう?

 不意に柔らかい光に包まれ、優しい声が耳に届いた。目を開けたディオンは、純白の法衣を纏った少女が自分の手を握っていることに気づいた。十歳を少し過ぎたくらいの、幼い少女だ。


「苦しかったでしょう。でも、もう大丈夫。心配はいりません」

「………………ここは、どこだ」


 口がカサカサで上手く声が出ず、混乱しながら周囲を見回した。磨き抜かれた大理石を切り出して作ったような小部屋に、自分と少女は二人きりだった。

 ここはログルムントの隣国、レギト聖皇国の主神殿内にある〝鎮めの間〞という儀式用の部屋なのだと少女は教えてくれた。ディオンは数か月前に竜化病を発症し、この国へ移送されて〝聖女カサンドラ〞を名乗るこの少女に救い出されたのだという。


「竜化病!? そんな、まさか……」


 絶望だった。竜化病患者は、しばしばべっの対象となるからだ。卑しい者やそこないだけがかかるといわれており、後も〝危険ながいじゅう〞などと恐れられてしまう。

 両親もこんな自分を見放すに違いない││。体の震えが止まらなくなった。

 取り乱すディオンに、聖女カサンドラは優しくり添ってくれた。うすぎぬのヴェールしに輝くのような笑顔を見つめているうちに、気持ちが落ち着いてきた。そしてふと、疑問を感じた。


(この子は……本当にあの、、カサンドラなのか?)


 彼は、本物のカサンドラと面識があったのだ。大陸西部の各国には、レギト聖皇国への宗教的忠誠を表明するために二年に一度レギト聖皇国を訪問するという習わしがある。その際のメンバーとして、ディオンも幾度か皇女カサンドラに謁見していた。


(前に会ったカサンドラとは全然違う。彼女はもっとこうまんで、ねんちゃくしつな性格だった……)


 とうかいで会ったときのカサンドラは、ともかくえらそうな少女だった。しかもどういう嫌がらせなのか「あなたを婿むこにしてあげても良くてよ?」と何度も迫られ、作り笑いで受け流すのも一苦労だった。たとえ将来誰かと政略結婚するとしても、カサンドラだけはめんだ。と、ディオンはそのとき強く思ったのだが……。


(二重人格なのか? ふんが違いすぎる)


 ヴェールの向こうにある顔は、確かにカサンドラのように見える。上等なワインのような赤髪も、まさにカサンドラの色だ。……だが、何か違和感が。

 ディオンはその後、やや強引なやり方で、、、、、、、、、彼女がカサンドラではないと暴いてしまった。そしてエミリアに泣かれてしまい、罪悪感を覚えた。


「わ、悪かった。その……悪気はなかったんだ、ごめん。だから……」

「お願いだから、私がニセモノなのはないしょにして!! カサンドラ様のためなの!」

「……カサンドラのため? どういうことだ?」


 混乱しきっていたせいか、彼女はいろいろと教えてくれた。自分がエミリアという名前であり、カサンドラの変装をして聖女の仕事をしていること。本物のカサンドラは忙しくて聖女の仕事をする時間がないから、エミリアが代役を務めていること。


「なんて理不尽な……! 君はレギト皇家にさくしゅされているのか

!?」


 ディオンは顔色を変えたが、一方のエミリアは不思議そうに首をかしげている。


「今すぐ逃げたほうが良い! この国が君をしいたげるのなら、ログルムントに逃げるんだ。正規の出国ができないなら、密入国でもなんでもいい。ともかく逃げ―― 」

「ちょ、ちょっと待って。逃げるって、私が……? どうして?」


 エミリアはじゅんすいな子で、自分が搾取されているとは思っていないようだった。多忙な皇女のメンツを立てるため、善意で手伝っているというにんしきらしい。

 ディオンの目には、エミリアが騙されているようにしか見えなかったが……。


「私、変装したままでも大丈夫だよ。大切なのは私が顔を出すことじゃなくて、皆が元気で幸せになることだから」


「……本気で言っているのか?」

「うん、すごく本気。だから私、聖女の力を持って生まれて本当に良かった」


 ――七年前のあの日。エミリアは、笑顔でそう言っていた。


(……なのに、どうして今さら逃げ出してきたんだろうな)


 ベッドに寝転びながら、ディオンは思いを巡らせていた。


(いや、詮索はやめよう。過去も素性も、一切さぐらない約束だからな。細かいことはどうでもいいし、エミリアが困っているなら俺が助けてやればいいんだ。……契約結婚にぎつけたのは、悪くない判断だったんじゃないか?)

 ディオンは王位継承に口出しするやっかいな貴族連中をいっしゅうできるし、エミリアは自由と安全が手に入るのだから、お互いにメリットだらけなのではないだろうか?

 ディオンにとってのエミリアはかけがえのない恩人で、そしてはつこいの少女だ。寝室のベッドに二人きり。腕をばせばれられる距離にエミリアがいる。

 だが、触れはしない――彼女はディオンを警戒しているし、触れられるのを望まないからだ。


(俺はエミリアを愛さない。愛さないことで君が安心できるなら、今後も君を怖がらせるようなことはしない。……だが、一緒に過ごすくらいはいいだろ? 俺はもっと君といたい。ずっとずっと見ていたいんだ)


 背中を向けて目をつむっていても、彼女の様子をなんとなく察することができた。「むぅ……」とうめいたり、溜息をついてモゾモゾしたり――どうやら緊張しているらしい。


(エミリア。挙動が小動物みたいで可愛いな)


 すると、なぜか彼女がとつぜんむくりと起き上がった。「よーし、頑張れ、私!」と小さく呟いてから、勢いよくベッドに突っ伏した。


(おいおい、なんだ? なんの気合いだよ、それ……)


 ぷはっとき出しそうになるディオンだったが、頑張って寝たフリをつらぬく。やがてエミリアの寝息が聞こえてきた。すぅ、すぅ、という小さな寝息が愛らしい。


(やっと寝たか。本当に面白い奴だなぁ。…………そろそろ、俺も寝るか)


 ディオンはとても幸せな気持ちに満たされて、静かに息を吐いた。

 初夜の晩は、こうして穏やかに過ぎていった。



*****



(……あぁ、もう! 忙しくて嫌になるわ! 何もかもエミリアのせいよ!!)


 神殿にいた聖女カサンドラは、いらだちを隠せずにいた。聖女の〝癒し〞を求めて神殿を訪れる巡礼者が後を絶たず、まったく休めないからだ。

 エミリアが脱獄した翌日から張り切って神殿で働き始めたカサンドラだったが、二週間足らずで早くもろうこんぱいである。


(わたくしが神殿に出向くようになったから、レイスへの説明にはつじつまが合って良かった。十年ぶりの〝癒し〞の聖務も、問題なくこなせている……やっぱりわたくしの才能は本物ね。……それにしても、いくらなんでも巡礼者が多すぎるんじゃない!?)


〝癒し〞とは、回復魔法のじゅつである。癒しは聖女だけでなく国内各地の神殿で神官達も行っているのだが、多くの巡礼者は聖女による、、、、、癒しを求めて皇都の中央神殿へとやってくる。ただの神官より聖女の方が回復効果が高いし、しかも聖女カサンドラエミリアがこれまで快く巡礼者達を受け入れ続けてきたからだ。本物のカサンドラが神殿で働くようになってからも、巡礼者達はこれまで通り神殿前にちょうの列を作り続けていた。


(エミリアが昼寝しなければ、わたくしはこれまで通りに暮らせたのに! いまいましい)


 午前の仕事を終えて休憩時間に入ると、カサンドラは周囲の神官達に当たり散らした。


「お前達も少しは働いたらどうなのですか!? なぜわたくしばかりが働かされているの? 皇女が国民にほうするなんて、どう考えても異常ではなくて

!?」


 神官達は、ぎょっとした顔でカサンドラを見つめた。


「どうなさったのです、カサンドラ様? 私共は今まで通り働いているつもりですが」

「カサンドラ様が癒しをスムーズに行えるよう、巡礼者達の整列整理をしたりなど……」

「そんな雑用ではなくて、お前達が巡礼者達を癒せと言っているの! 聖女わたくし一人に激務を押し付けるなんて……神官のくせに、お前達はなんてたいなの?」


 暴言を浴びせられ、神官達は絶句していた。現場の神官達は、聖女が替え玉だったことを知らない。だから先日の〝偽聖女投獄事件〞以降、彼らは困惑し通しである。


「……これまでのカサンドラ様はむしろ、我々が替わろうとしても聞き入れず、嬉々として巡礼者達を癒し続けておられたではありませんか」

「お黙りなさい! これまではこれまで、これからはこれからよ!」


 これまでのカサンドラとは、あまりにも態度が違いすぎる。暴言を遠巻きに聞いていた神官達は、ヒソヒソ声で囁き合っていた。


「カサンドラ様は、どうしてこんなに性格が歪んでしまわれたのだ?」

「もしや、このカサンドラ様はニセモノなのでは……?」

「とすると、先日投獄された〝ニセモノ〞がむしろ本物だったと……!?」


 物陰で彼らがこそこそ話をしていると、そうねんの神官長がせきばらいをしながら現れた。


「これこれお前達、聖女様に対する非礼な発言は許さんぞ」


 白いあごひげでつけながら、神官長は彼らをたしなめるような口調で言った。

「カサンドラ様のご機嫌が悪いのは、心労ゆえに違いない。先日謎の女、、、が現れ、祭事を執り行おうとしていたことはよく覚えておろう? ご自身の名を騙るニセモノが現れて好き勝手していたら、ショックを受けるのは当然ではないか。心身共にへいすれば、誰しも周囲に当たり散らしたくなる」

「た、確かに……」

「さぁ、理解できたらさっさと仕事に戻れ。カサンドラ様はお疲れだから、今日は代わりにお前達が巡礼者の癒しを行うのだ」

「しかし、巡礼者達は納得するでしょうか?」

「納得させるのもお前達の仕事だ。さぁ、行け」


 神官達が困惑気味に部屋を出ていくと、神官長は声をひそめてカサンドラに話しかけた。


「皇女殿下、これまで通りに、、、、、、、働いていただかないと、民や神官達が違和感を持ちますぞ」


 神殿内では、神官長だけが事の真相を知っている。カサンドラは神官長を睨みつけた。


「……分かっているわ! 数年ぶりの聖女の仕事だから、少し疲れただけです。あのせんな平民女にできて、皇族のわたくしにできないはずがないでしょう?」

「勿論ですとも、私は皇女殿下を信じております。本日の癒しは神官達にやらせますから、ひとまずお休みくださいませ」

「はぁ。やっと皇城に戻れるのね……」


 溜息をついて立ち上がろうとしたカサンドラを、神官長が引き留める。


「いえいえ。少し休憩してから、今日は重要なお仕事をしていただきます。〝癒し〞は神官達にも可能ですが、もう一つの聖務、、、、、、、は聖女にしかできませんので」

「もう一つの聖務?」

「〝竜鎮め〞でございます。久々に竜化病患者が発生し、主神殿へ届けられまして」


 ――竜鎮め!?


 その言葉を聞いた瞬間、カサンドラはびくりと身をこわばらせた。


(竜鎮めのことをすっかり忘れていたわ。あの恐ろしい儀式を、わたくしが行わなければならないなんて……!)


 竜鎮めは、竜化病患者を治療する儀式だ。患者は正気を失っており、破壊しょうどうに駆られて襲いかかってくるから非常に危険な仕事である。カサンドラが一人で行ったことはこれまで一度もなく、先輩聖女が行うのを見学しただけだ。

 不快なおくから身を守るために記憶が抜け落ちてしまう現象があることが医学的に知られているが、カサンドラのぼうきゃくもその一種だったのか――あるいは単に自分勝手で、自分とは関わりのないことを記憶にとどめておかない性格なのか。いずれにせよ、カサンドラは竜鎮めのことをすっかり忘れていた。


(……父上の言う通り、エミリアを生かしておく価値はあったのかもしれないわ)


 竜鎮めだけでも、エミリアにやらせ続れば良かった……。しかし全ては後の祭りだ。

 エミリアが脱走してから、すでに二週間以上経っている。そうさくたいはまだエミリアを捕縛できていないが、いずれ必ずダフネが彼女を殺すだろう。


(ダフネが帰ってこないということは、エミリアは恐らくまだ生きている……。今からでも「殺さずにエミリアを連れてくるように」と命じ直すことはできないかしら)


 一人もくもくと考え込んでいると、神官長が声をかけてきた。


「皇女殿下。そろそろ竜鎮めを始めていただけますでしょうか?」

「ひっ……」


 みにくく顔を引きつらせ、カサンドラはうろたえていた。

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