1-5


 領主邸の応接室から執務室へと場を移し、エミリアとディオンは二種類の契約書を取りわすことにした。紙面にペンを走らせながら、ディオンがエミリアに尋ねてくる。


「そういえば、君の名前は?」


 返答に詰まるエミリアに、ディオンは軽くほほみかける。


「名前が分からないと、契約書を作れないだろう? 過去も素性も詮索しないが、名前だけは聞いておきたい」

「……メアリ・アンヘルです」


 用意していためいを告げると、ディオンは「ふぅん」と呟きペンを走らせ続けた。


「よし、書けた。君も内容をチェックしてくれ」


 差し出された二種類の契約書に、エミリアが目を通す。一枚目は雇用契約書――〝メアリ〞が雇用主となり、ディオンを用心棒として雇うための契約書だ。ほうしゅうらんにはきゅう金額が書かれておらず、金額の代わりに『金銭ではなく雇用主との婚姻関係のを、本契約における報酬とする』という一文がさいされていた。


「はい。雇用契約書、確認しました。とくに問題ありません」

「それじゃあ、二枚目のほうも見てくれ」


 二枚目は結婚契約書で、契約結婚の詳細がつづられている。条文は六つだ。


〝一、ディオンが求めた際には、メアリはあいとして宮中行事や社交場に同伴する。〞

〝二、対外的には相思相愛のふうを演じる。〞

〝三、メアリの過去と素性について、ディオンはいっさいの詮索をしない。〞

〝四、メアリのヴァラハ領内での自由行動を認める。〞

〝五、契約期限は最低七年の随時更新。〞


 ふと疑問に思い、エミリアは尋ねた。


「契約期間が最低七年なのは、何か理由があるんですか?」

「ああ、家庭の事情ってやつだよ」


 ディオンの説明は適当だったが、まぁ七年くらいはエミリアにとっては大した問題ではない。しかし、最後の条文を見てエミリアはまゆを寄せた。


〝六、ねやごとは強要しない。妻の自由意志に委ねるが、随時相談。〞


「……殿下。なんですかこの六番目の条文は」

「いやだから。君の意志に任せようかと」

「そんなの、イヤに決まってるじゃないですか! 契約結婚でしょう!?」

「契約結婚と白い結婚は同義イコールじゃないと思うんだが。だからこそ条文に起こす訳で」

「白です! 白と明記してください!」


 分かった分かった。としょうして、彼は〝六、閨事は執り行わない。〞と書き改めた。


「ほら、直した。これで問題ないだろう?」


 顔を赤くしたエミリアは、穴が開くほどチェックしてからうなずいた。二通それぞれにエミリアとディオンがサインをして、契約書が完成した。


「この出会いに感謝を。今後共よろしく、メアリ」


 満面の笑みで、ディオンは彼女にあくしゅを求める。偽名で呼びかけられることにかんを覚えつつ、エミリアは緊張しながら手を握り返していた。

 ――契約を交わした後。エミリアは、胃痛の絶えない日々を送ることになった。

 最初の課題はダフネの説得である。契約書を完成させた直後、エミリアはダフネの寝かされていた客室に行き││そしてダフネにおこられた。


「エミリア様! あれほど私を捨て置けと言ったのに。お人好しにもほどがあります」

「ご、ごめんね。でも結果的に二人共無事だったんだから、良かったじゃない?」


 まったく……と溜息をつくダフネに、エミリアはおそるおそる切り出した。


「ところで、大事な話があるんだけどさ」

「はい」

「私、王弟殿下と契約結婚することにしたよ」

「……はい?」


 話を聞くうち、ダフネの鋭い美貌から表情が失せていった。しかし、最終的にはとうがらよりも赤くなり、「何を考えてるんですか!?」と再びった。


「でも、すごく好条件なんだよ? 大丈夫、私が素性を隠せば全部うまく行くから」

「あなたは隠すとかたくらむとかができない人でしょう!? 絶対すぐにやらかします」


 ダフネはベッドから身を起こし、身支度を始めようとした。


「今すぐここを去りますよ、祖国に送還されたら水のあわだ。あなたも逃亡の準備を……」


 エミリアはダフネをベッドに押し戻し、声をひそめて真剣な顔で言った。


「大ケガしてるのに、無茶を言わないで。……本当なら、今すぐダフネに回復魔法をかけてあげたいの。でもダメでしょう? 目立つことは、けるべきだもの」


 魔法を使える者は全人口の二割程度しかおらず、回復魔法となるとさらに少ない。回復魔法の使い手は〝回復魔法士〞と呼ばれ、人口の数パーセント程度だ。貴重な人材だから、貴族・平民を問わず神殿や騎士団などでの好たいぐうが約束される。つまり回復魔法が使えるというだけで、それなりに目立つ存在になってしまう。


「悪目立ちしたり事をあらてたりするより、普通の女性、、、、、としてディオン殿下のもとで暮らすのが安全だと思う。それでももし私が失敗したら、ダフネだけで逃げてよ。……ともかく今はしっかり休んで。本当は今も、竜毒で体がつらいんでしょう?」

「…………………………くそっ」


 ダフネはベッドを殴りつけて悪態をついてから、とんをひっかぶってしまった。げんきわまりないダフネのことを、エミリアは数日かけて説得したのだった。

 ――次に冷や冷やしたのは、王弟の結婚にもう反発する貴族達の存在だった。

 エミリアと契約した直後、ディオンは王都に伝令を送って『平民女性、、、、と結婚したい』とじっ・ヴィオラーテ女王に伝えた。意外にも女王からはすんなりと承認が得られたのだが、貴族の中には異を唱える者も多かった。

 中にはヴァラハ領の領主邸まで押しかけて、直接ディオンに文句を言いに来る貴族までいた――とくにめんどうくさかったのは、グスタフ・グスマンこうしゃくという人物である。


「ディオン殿下! なぜ平民なんぞをきさきになさるのですか!? 殿下には我が娘こそが相応しいと、常々申し出ておりましたのに……それをさんざん無視した挙句、まさか平民などと。正気のとは思えませんぞ!?」


 今、応接室でディオンがグスマン侯爵に応対している。エミリアは「同席不要だから屋敷で自由にしてくれ」と言われていたので、ろうで聞き耳を立てることにした。


「私の結婚については、女王陛下が承認済みだ。けいに口を挟まれる筋合いはない」


 というディオンのこわは理知的で、エミリアと話すときのくだけた口調とは大違いだ。どうやらディオンは、頭のり替えが上手い人らしい。


「しかし殿下! 我がグスマン侯爵家がディオン殿下のうし|ろだてとなり、殿下の王位継承におちからえをしたいと申しておりましたのに!」

「グスマン卿。私は王位を望まないと、幾度も伝えてきたではないか。次期王位に相応しいのは第一王子のセリオ殿下、もしくは第二王子のヴィオ殿下だ」

「し、しかし! 王子殿下方はまだ三歳。法の定めで十歳までは立太子できないのですぞ!?」

「勿論知っている。私は辺境たるヴァラハ領を守り、王家を陰ながら支えていく所存だ」


 立ち聞きしているうちに、エミリアにも話の筋が見えてきた。


(なるほど……。殿下が契約結婚したがる理由がなんとなく分かったわ。殿下は王位から遠ざかりたいみたいね。期間が七年なのは、たぶん王子の年齢をこうりょしてるんだわ)

 都合の良い女、、、、、、と結婚したいと言っていたのはおそらく、後ろ盾や権力ばんのない女性がいいということなのだろう。貴族の女性と結婚すれば、その家門との結びつきが強くなる。

 下位貴族を選んだとしても、どこかしらのばつにつながるだろう。だから〝平民との結

婚〞という醜聞スキャンダルを起こして、王位には関わらないと意思表明をしたいのかもしれない。


「それに、我が妻となるメアリは平民ながらもそうめいで美しい女性だ。卿のれいじょうに劣る点など一つもないし、我が部下の息女でもある、、、、、、、、、、、から、出自は決して卑しくない」

「ぐっぐぬぬ」

「話は終わりだ。引き取りたまえ、グスマン卿」

「し、失礼いたしました……」


 聞き耳を立てていたエミリアは、急いで応接室から遠ざかった。悔しがりながら退出するグスマン侯爵の背中をものかげから見送りつつ、溜息をつく。


(それにしても、私が〝ディオン殿下の部下の娘〞だなんて。殿下ったら私の経歴もかなりこだわって捏造してくれたけれど……)


 エミリアは、ディオンの部下である〝グレイヴ・ザハット〞の娘という設定になっていた。ザハットは六十過ぎの老人で、頰に大きな刀傷がある。


(まさか密入国のときに居合わせたご老人が、私の〝父親〞になるなんてね……)


 ザハットはディオンの腹心で、ヴァラハちゅうとんだんさんぼうちょうという役職を預かっている。

 平民階級の古参騎士で、はくあふれる彼は老いの影など一切感じさせない人物である。 あのとう老人を父親と思える日は来るのだろうか? エミリアには、いまいち自信がなかった――。

 この契約結婚は身の安全を守るための最適解││そう確信していたエミリアだが、日が経つうちに不安になってきた。人生初の経験ばかりで、緊張が絶えないからだ。一か月後にけっこんしきをするため急ピッチでウェディングドレスを仕立てることとなったが、デザイン選定やら採寸やら、どうしたらいいかよく分からない。一般女性としての生活も、婚姻関係の諸手続きも、何もかもが初体験だ。ディオンや屋敷の使用人達が手伝ってくれたものの、やりとりの中でうっかりボロを出さないかと、気が気ではなかった。

 そうこうするうち、結婚式の日がやってきた。

 式場はヴァラハ領内の小さな神殿だ。豪奢なウェディングドレスを纏ったエミリアは、ひかえしつでぐったりとしていた。

 ノックと共に〝父親〞役のグレイヴ・ザハットが入室してくる。


「我が娘メアリよ。開式の時間だ。参るぞ」

「は……はい、お父様」


 自分の娘に〝我が娘〞って呼びかける父親なんていないんじゃない? などと思いつつ、エミリアはザハットに付き従って礼拝堂へと向かう。

 パイプオルガンの音色と共に、結婚式は始まった。

 エミリアはザハットの腕に手をえて、礼拝堂のさいおうで待つ正礼装のディオンのもとへと歩いていった。ザハットはディオンに彼女の手を取らせ、一礼して参列席へと下がる。

 参列席にはザハットのほかに、きゅうてい政務官が一名だけ。この宮廷政務官は、女王ヴィオラーテのみょうだいなのだという。


しんろうディオン=ファルサス・ログルムント。貴方あなたはこの女性をいついか何なるときも愛し敬い、いつくしむことをちかいますか」


 神官の問いかけにディオンが「誓います」と答えるのを聞きながら、エミリアはぼんやりしていた。


(……契約結婚とはいえ、まさか私が結婚するとはね。現実味が湧かないわ)


 密入国した先でそう結婚とは、どこまでも滑稽だ。滑稽すぎて、笑う余裕すらない。


「新婦メアリ・ザハット。貴女あなたはこの男性をいつ如何なるときも愛し敬い、慈しむことを誓いますか」

 うそをつく後ろめたさを感じつつ、「誓います」と答えた。どこか他人ひとごとのような気分で、エミリアは結婚式を眺めていた。しかし、


「それでは誓いの口づけを」


 口づけを。と言われた瞬間、風船がぱちんとはじけたように意識がかくせいした。


(く、口づけ?)


 結婚式なら当たり前だ。だが、エミリアはひどくうろたえていた。


(全然思い至らなかったわ! そんなずかしいこと。まさかやりませんよね、殿下!?)


 同意を求めようとして、エミリアは彼を見た。ところが彼は真剣な顔をしている。たんせいな顔立ちに慈しみの色を乗せ、優しい手つきでエミリアのヴェールを持ち上げる。


(いや、いやいやいやいや。……殿下、待っ)


 後ずさりかけたエミリアのこしを引き寄せて、ディオンはそっとくちびるを重ねた。エミリアはりんのように頰を染め、ドレス姿に似つかわしくないほど慌てふためく。


「……俺のはなよめ初心うぶすぎる」


 ディオンは苦笑していた。エミリアが赤い顔で呆然としているうちにも結婚式は進行し、エミリアが我に返ったのは挙式を終えて控室に戻ってからのことだった。


「お疲れ様、メアリ。疲れているところ悪いが、一か所だけあいさつ回りに付き合ってもらいたいんだが」

「あぁ……そうでしたね。はい、ご一緒します」


 挙式後に訪ねたい場所があるから同行してくれ、と事前に言われていた。愛妃を演じる契約だから、勿論異論はない。

 ディオンはさわやかに笑うと、いきなりエミリアを抱き上げた。


「殿下!? 何してるんですか!」


 彼は「挨拶回りだよ」と答えながら軽々とエミリアを抱いて、神殿の外に出た。そこにはザハットが待ち構えていて、くらをつけた馬を控えて敬礼している。

 ディオンはエミリアを鞍によこずわりさせると、自身もひらりとじょうした。


「我が娘よ、ディオン様に心を込めてお仕えせよ。族長殿に非礼無きようにな」


 族長? と問い返す前に、馬が歩き出した。重たいドレス姿での騎乗にれずふらつきかけたエミリアを、ディオンがしっかり抱いている。


「殿下! 族長って……? 挨拶回りって、一体どこに行くんです?」

「砂漠だよ。砂の民の族長が、俺の花嫁を見たいと言っているんだ」


 えぇ!? と叫ぶエミリアを支えながら、ディオンはようようと馬を走らせていた。

 ――そして向かったのが、竜の砂囊キサド・ドラグネと呼ばれる巨大砂漠の西せいたん付近。

 豪奢なウェディングドレスの新婦と正礼装の新郎が騎乗している姿は、砂漠にはあまりにも不似合いであった。砂漠に入るとラクダに乗った砂の民の戦士達がむかえてきて、彼らと共に一時間ほど馬をると天幕住居の群れが見えてきた。ディオンが先に馬を下り、エミリアを抱き上げて運んだ。


「ドレスじゃあ砂の上は歩けないだろう。不便をかけて済まないな」

「いえ……」


 天幕から顔を出し、褐色の肌をしたろうにゃくなんにょが親し気にディオンに話しかけてくる。


「よぉ、兄弟。そのお嬢さんがお前さんの花嫁か?」

「亜麻色の髪の人間なんて、初めて見たわ。きれいだねぇ」


 ディオンは歩みを進めつつ、彼らと会話を楽しんでいた。エミリアに耳打ちをする。


「……な? 明るいやつらだろ」


 戸惑いがちにうなずくと、ディオンは白い歯を見せて笑った。天幕の群れの最奥にある大きな天幕の入り口の前に立つと、ディオンはエミリアを下ろし、一緒に天幕の中に入る。


「族長。じゃするぞ」


 天幕には、背中の曲がったがらろうが一人。座ったまま、こちらに首を向ける。


「約束通り、俺のよめを連れてきた」

「分かるよ。ぎ取ったことのない気配を感じていたから」


 けひゃひゃひゃ。という独特な笑い方をするこの老婆は、視力を失っているようだ。

 まぶたを閉じたまま、しかしえているかのようにエミリアに顔を向けている。


「族長のゼカ殿だ。砂の民は結婚すると、自分の部族の族長から祝福をさずかる。俺が結婚すると話したら、ゼカ殿が祝福をしたいと言ってくれた」

「こっちにお座り。お嬢さん」


 はい……。とおくれしつつ、エミリアはていねいな礼をしてから対面に座した。


「お前達に祝福を授けよう。たがいを補い深く交わり、真のつがいとなるように」


 耳慣れない言語でとうをしてくれたあと、族長はしわだらけの瞼をゆっくり開いた。瞼の下からのぞいた族長の目は、七つの色が交じり合うにじの色をしている。

 エミリアは思わず顔を引きつらせる。


(虹色の目!? それって、竜化病かんじゃの特徴だわ! でもこの族長は患者には見えない

……ということは、この人は竜人ドラゴニュートなの?)


 偽聖女としてつちかった知識が、頭の中でうずを巻く。エミリアが混乱していると、その混乱さえしたように族長はにやりと笑った。


「おや。お嬢さんは竜を鎮める乙女、、、、、、、かい?」


 言われた瞬間、エミリアの心臓が跳ねた。しかし平静を装って、首をかしげてみせる。


(〝竜をしずめるおと〞って……古語で〝聖女〞の別名だわ。この人、私が聖女の力を持っているのをいているの!?)


 興味深そうな顔をして、族長はエミリアをじっくりと覗き込んでくる。

 逃げ出したい││エミリアがきつく目を閉じると、ディオンが静かな声を投じた。


「族長、嫁がこわがっているからやめてくれ」

「そうかい? つまらないねぇ」


 けひゃひゃ、と族長は笑っている。


「祝福は済んだから、帰っていいよ」

「ああ、また来るよ」


 エミリアの手を取って立ち上がろうとしたディオンに、族長がゆったりと笑いかける。


「ディオン、お前さんのおかげで王国ともいい関係を築けそうだ。だから嫁のことも、勿論我々はかんげいするさ。困りごとがあれば我々をたよるといい」

「ありがとう。今後共よろしく」


 大きな笑顔で握手を交わす彼らを、エミリアはじっと見つめていた。

 天幕を去り、エミリア達はヴァラハ領の領都へと戻る。行きと同じように砂の民に護衛されながら、彼らを乗せた馬は進んだ。


「疲れただろう? 先にもっと詳しく話しておけば良かったな。悪かった」


 いいえ、とエミリアは首を振る。それから、疑問を口にしてみた。


「……殿下。ログルムント王国は昔から、砂の民と仲が良かったのですか?」

「ん?」

「レギト聖皇国では、砂の民は巨大砂漠を根城にする〝蛮族〞だとおそれられています。砂の民と魔獣が危険だから、竜の砂囊キサド・ドラグネを越えることはできないのだと。……この砂漠のはる|か彼方かなたの、大陸中央には法王猊下の住まう都があるのでしょう?」

「ああ。だが砂漠を越えて法王領に行けるのは、特別なほうへきで守られた交易路の使用権を、法王に与えられている聖皇国の皇家だけ││だからまぁ、俺達には無関係かな」


 世間話のように、ディオンは続けた。


「砂の民と仲良くなったのは、この一、二年のことだよ。俺がヴァラハ領の領主を任されるようになった後だ。昔はかなり険悪で、騎士団とのしょうとつにちじょうはんだったらしい」

「じゃあ、どうして今はこんなに仲良しなんですか?」

「俺が砂の民にせっしょくしてみたんだ。話せば分かる良い奴らだよ。王家直轄領ヴァラハは緑地帯と砂漠がほぼ半々だが、砂漠周辺に湧くものと戦うときは騎士団よりも砂の民のほうが強い。それに砂の民も、王国の文化にりょくを感じている。協力して生きるほうが、お互いにメリットが多いと思ったんだ」

 思いがけずディオンの良い一面を知って、エミリアは感心していた。


「しかも俺にとって砂漠は、好きなだけ暴れられる運動場みたいなものだからな! 砂漠の魔物はかなり強いし、狩れば狩るほど皆に感謝されるしで良いことくめだ!」

「運動場って……殿下。危険な場所をそんな、遊び感覚で」

「どうにも血がうずくんだ。体の中に竜がいて、疼いてるような感覚がする――というかこの大陸の人間は皆、血に〝竜〞を宿してると聞いたことがあるぞ? たまに思いきり暴れると、自分の中の竜が鎮まるような気がする」


 竜が鎮まる。何気なく言ったであろうディオンの言葉に、エミリアは困惑していた。砂の民の族長に言われた言葉を、ふと思い出す。


 ――『おや。お嬢さんは竜を鎮める乙女、、、、、、、かい?』


 エミリアはちらりとディオンを振り返った。彼は前方を見つめている。


(〝竜を鎮める乙女〞は古語だから、殿下はなんとも思わなかったみたいだけれど……族長は私に聖女の力があると見抜いていたみたい。……嫌だな、誰にもバレたくないのに)

「どうした? 深刻な顔して」

「なんでもありません」


 会話を重ねているうちに馬は砂漠を抜け、領都へと戻ってきていた。

 エミリアとディオンが領主邸に戻った頃には、日はとっぷりと暮れていた。

 メイド達の手伝いで、ウェディングドレスからルームドレスに着替えた。手際の良さにあっとうされているうちに、食事を出されたり浴室で体をみがかれこうを刷り込まれたり。気づけばほんのり湯気の上った状態で、うすべにいろの夜着を着せられていた。そのまま、夫婦のきょうしんしつへと通される――この部屋に来るのは初めてだった。ディオンはまだ来ていない。

 ごこが悪くてそわそわしながら、エミリアはベッドに腰を下ろしてみた。


(きっとしんこん初夜の新妻はこんな感じで夫を待つのよね。まぁ私達は白い結婚だけど)


 ディオンいわく「契約結婚だとろうえいさせないため、使用人達の前でも本物の夫婦を演じたい」のだそうだ。だから今後も、共寝室で一緒にきしたいと言っていた。


(深く考えずにりょうしょうしちゃったけど、寝室は別々のほうが良かったな。私、ぞう悪いんだよね。親方もおかみさんも『エミリアは寝相悪すぎだ』っていつも笑ってたなぁ)


 などとのんに考えていたが、寝相よりも重大な問題があることに今さら気づいた――男女が同室で毎晩まりするなんて、どう考えても危なっかしい。エミリアの愛らしい顔から、さぁ……と一気に血の気が引いた。


(……殿下は白い結婚ってちゃんと契約書に書いてくれたし、大丈夫だよね? でも、あのてんこうな性格だと約束を無視しかねないかも)


 しかし青ざめたのもつかの間、挙式のキスを思い出して林檎のように赤くなる。


(ど、どうしよう、気まずい……逃げたいっ!!)


 エミリアが腰を浮かせてあわあわしていると、部屋の扉からノックの音が響いた。


「はぅっ」


 黒のナイトガウンを纏ったディオンが、くつくつ笑って入室してくる。


「君、今噛んだろ。『はぅ』って」

「噛んでません。ちゃんと『はい』って言いました」

「声がうわずってる」


 海色の瞳をやわらかく細めて、ディオンはエミリアを見ていた。一方のエミリアはヘビに睨まれたカエルのように縮こまり、うろうろと視線をさまよわせている。


「怖がらなくて大丈夫だ。あらためて言っておくが、俺が君を愛することはない」


 やたらと明るい口調で彼はそう告げていた――エミリアを安心させようという意図が、こわいろで分かる。不安を見透かされていると知り、エミリアは悔しくなった。深呼吸をしてベッドに座り直すと、エミリアは気丈な態度でうなずいてみせた。


「あら、殿下がお約束を守ってくださるようで安心しましたわ。あなたは私を愛さないし、私もあなたを愛さない。それが、あなたを雇う、、条件ですものね」

 私を舐めないで頂戴! ――という気持ちを込めて睨んでみたが、身体からだが勝手に震えてしまった。


「ビクビクするなよ。そんなに俺のことが怖いのか?」

「べ、別に怖がってなんか」

「俺は〝用心棒〞として、君に雇われることになった。そして雇用の報酬は、金銭ではなく君自身、、、だ。君には、俺の契約上の妻になってもらう――つまり、俺が求めたときだけは〝王弟ディオンの愛妃〞としてってほしい。それ以外の時間は君の自由だし、勿論身の安全はこの俺が保障する。そして、君の過去や素性は一切詮索しない。それが契約書の内容だろう? 何か不足はあったか?」


 ありません。とエミリアが答えると、ディオンはベッドに上がり込んできた。


「ちょっと、殿下……!」

「別に取って喰ったりしねえよ。ベッド半分貸してくれ、俺は眠い」


 二、三の会話を続けたのちに、ディオンはエミリアに背を向けて瞼を閉じた。


「俺は君を愛さない。だから、安心してお休み」


 いきを立て始めたディオンと最大限のきょを取り、エミリアはベッドのすみで頭を抱えた。


(ただ普通の女の子として、この国でひっそり生きられればそれで良かったのに! どうしてこんなことになっちゃったんだろう)


 最適解のつもりで王弟と結婚したけれど、せんたくちがえてしまったのかもしれない……。

 この絶望感は、投獄されたときに味わったのとよく似ている。


(私ってば、なんでいつも間違えちゃうんだろう。偽聖女として利用されてたときだってそう。身の危険を感じて、さっさと逃げ出すべきだったのに)


 苦しむ人々を助けたくて、逃げずに聖女の仕事を続けていたつもりだった――でも、そのこと自体が自己満足だったのかもしれない。だって、自分はニセモノなのだから。


(私が消えても、誰も困らなかったのかも。本物の聖女カサンドラ様がいた訳だし……むしろカサンドラ様が聖女をするのが、本来あるべき形だもの)


 私は独りよがりな、要らない子……。きつく閉じた目から、じんわり涙が滲んでくる。

 だが、そのとき。あの少年、、、、の美しい声が、不意に胸の中で響いた。


『――ありがとう。私を救ってくれて本当にありがとう、エミリア』


 エミリアは、ハッとして目を開けた。あの優しい少年の姿が、のうによみがえる。


(……………………ルカ)


 彼と出会ったのは、七年も前のことだ。せんさいそうで優しくて、あでやかな黒髪がれいなルカ。エミリアが、初めて自分一人で癒した〝竜化病〞の患者だった。


(ルカは、私にありがとうって言ってくれた。すごく……嬉しかった)


 ルカだけではなく親方も鉱山街の皆も、これまで出会った多くの人々が心からの感謝を伝えてくれた。自分は非公認の〝偽聖女〞だったけれど、それでもこの手で沢山の人を救ってきた。……だから積み重ねた日々にも自分自身にも、きっと意義はある。

 ベッドにうずくまっていたエミリアは、がばっと起き上がり、拳を握りしめた。


(そうよ、エミリア! 何を弱気になってるの? 選んだことが正しかったかなんて、先になるまで分からないわ。だったら、全力で突きすすむの。目立たず生きて、聖女の力がバレなければいいだけだもの。大丈夫、きっと大丈夫)


 小さい声で「よーし、頑張れ、私!」と呟くと、エミリアはベッドにころんだ。


(ルカ、ありがとう。あなたのことを想い出したら、元気が出てきた。……私、ルカの国に来たんだよ? ルカも今、元気にやってる?)


 心の中で、何度も『ルカ』と呼んでみる。胸がぽかぽか温かくなってきた。遠い昔に出会った友人ルカの姿を脳裏に浮かべ、エミリアはおだやかな眠りに落ちていった。


 ――初夜の晩。


(俺はエミリアを知っている。彼女は俺を忘れてるようだが、俺は絶対忘れない)


 エミリアに背を向けて寝たフリをしながら、ディオンは思いを巡らせていた。瞼を閉じて寝息を立てているものの、実は少しも眠くない。ベッドのかたすみでもぞもぞしているエミリアの気配を感じながら、ディオンは考え事を続けていた。


(まさか砂漠で再会するとは思わなかった。確かに昔『密入国でもなんでもいいから俺の国に逃げて来い』とは言ったが。本当に密入国してくるとはな……)


 相変わらず想定外な女だなぁ、とあきれていたらつい顔がにやけてきた。寝たフリがバレないようにと、ディオンは笑みを噛みころす。


(エミリアは、七年前と変わらないな。……ガキっぽさが抜けて美人になっているが)


 砂漠で再会したとき、エミリアが自分を覚えていないのだと態度で察した。だからディオンは、初対面として振る舞うことに決めたのだ。


(彼女はこれまで何千何万という人を救ってきたはずだ。俺を覚えてないのも当然か)


 偽名を名乗られたときは、「いやエミリアだろ!」と突っ込みたくなったがまんした。


(今後も、うっかり本名で呼ばないように気をつけないとな……)


 気を引き締めながら、ディオンは寝たフリを続ける。


(俺はずっとエミリアに会いたかった。エミリアは、俺の恩人だから……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る