1-3


「ダフネ、どうしたのその恰好!? けんまでげちゃって……」

「お静かに。……牢番には全員毒を盛りました。今ならば、逃げ出せます」


 耳を疑うエミリアとは対照的に、ダフネは冷静ちんちゃくだ。盗み出してきたという鍵を使って錠前を開きながら、ダフネが告げる。


「この国を捨ててりんごくのがれましょう。出国の準備は整っています」

「……でもあなたはお城の侍女でしょう? なんで私を逃がしてくれるの?」


 ダフネは返答に困った様子で口をつぐんでいたが、やがて言葉を吐き出した。


「……私自身が、決めたからです。エミリア様。どうか、手を」


 エミリアはダフネの手を取った。全てを投げ捨て、やけくそでげしたのである。

 とうぼうげきは順調だった。追っ手に見つかることもなく、ダフネのあやつる馬に乗って逃げること数日。目指すはレギト聖皇国と西の国境線で接する、ログルムント王国だ。レギトとログルムントは国土の一部が砂漠地帯でつながっており、国境線があいまいになっている。その砂漠は〝竜の砂囊キサド・ドラグネ〞と呼ばれていて、大陸中央まで続くきょだい砂漠だ。〝竜の砂囊キサド・ドラグネ〞にはきょうぼうじゅうがうじゃうじゃとき、おまけに〝砂のたみ〞というばんぞくが遊牧をして暮らしている――要するに、命の惜しい人間ならば決して近寄らない場所だ。

 馬はこうりょうとした砂漠地帯を走り続け、とうとう今朝、隣国・ログルムント王国への密入国を果たした。ダフネによると、自分たちが今いる場所は王家ちょっかつ領である〝ヴァラハ領〞の領内であり、このまま西に進めば領都にとうちゃくするそうだ。

 このまま無事に街に行けたら、きっと新しい人生が始まる。第二の人生は、どんなふうに生きようか? そんな希望が、エミリアの胸に膨らんでいった。


(今まで聖女の仕事ばかりだったけれど、これからはつうの女の子に戻るのね。私もダフネも密入国者だから、目立たずひっそり生きなきゃならないけれど……それでも、きっと楽しいことも嬉しいこともいっぱいあるはずよ)

 ――そう思っていたのに!


「きゃぁあああああああああ! だめ、死ぬ。死んじゃう――!!」


 全力しっそうする馬の背で、エミリアは悲痛な声を上げていた。エミリア達は不運にも魔獣にそうぐうしてしまったのだ。じんを巻き上げて追いかけてくる〝じんりゅう〞――体高三メートルをえる砂色のゆうよくちゅうるいは、おぞましいほうこうを上げてこちらにせまっている。


「や、やばいよダフネ!! 砂塵竜って、騎士団の一個小隊でようやくとうばつできるかできないかっていう……! 夜行性だから昼ならだいじょうだと思ったのに!!」

「舌をみます、口を閉じてくださいエミリア様」


 ダフネは馬のづなたくみに操り、鋭いひとみで進行方向をにらみ続けていた。エミリアは全速力の馬にしがみつき、必死に悲鳴を飲み込んだ。


(いやぁ――――!! 死ぬ死ぬ死ぬ、死んじゃうよぉぉぉお! せっかく普通の女の子の暮らしができると思ったのに!! 美味おいしいおいっぱい食べたり、てんで食べ歩きとか友達作っておしゃなティータイムとかやってみたかったのに

!! あぁああ)


 ……泣いてやんで状況が変わるなら、これほど楽なことはない。

 足掻あがかなければ、道はないのだ。それなら、自分にできることは?

 エミリアは一応、攻撃魔法も使える……実戦経験はほぼゼロで、そもそもせんとうのセンスがないのでめっに使わないのだが。うまくらいげきたたき込めば、時間かせぎくらいにはなるかもしれない。ブレる指先に全神経を集中させて、雷撃のほうじんえがき始めた――しかし次の瞬間、「エミリア様、頭を伏せて!! 」 竜の咆哮が音の牙となり、ちゃくだんした前後左右の砂地がぜた。馬が暴れ、エミリアはダフネと共に放り出される。


「きゃあ!!」


 ダフネはエミリアの肩をとっに抱き、勢いを殺して砂地に転がり込んだ。馬はすっかり混乱していて、荷物を散らして一目散に逃げていく。


「馬が! ……っ!?」


 馬は遠ざかり竜は迫る。砂塵竜の巨大なたいは、すでに目前だった。羽ばたくたびに、凶暴な風がほおを打つ。せんれつなまでのにじいろをした竜のは、エミリア達を見下ろしてえつの色をかべている。もう魔法陣を描く時間はない。

 ――終わった。第二の人生スタート目前で、全人生が終わってしまった。


(いやぁああ! 食べないでぇえ!)


 ダフネを抱きしめ、エミリアが声にならない悲鳴を上げたその瞬間。

 いわかげから一人の男がおどてきた。

 一足飛びに竜の頭上までちょうやくし、両手にたずさえた二本の曲刀で竜へと切りかかる。首筋を切りつけられた竜はごうを上げて、男に牙を剝いた。


「――はっ。生きのいい竜だな、さばがある!」


 その男は楽しそうに笑っていた。


(……誰、この人!?)


 男が纏うのは、〝砂の民〞の民族しょう。両手の曲刀も、砂の民が愛用するものだった。砂の民――それは竜の砂囊キサド・ドラグネに住む遊牧民族で、たびたび国境付近の街をおそってとうこうを働く蛮族である。


(砂の民なの? でも、はだや目の色が違う)


 砂の民のとくちょうかっしょくの肌、そしてしっこくの目と黒髪だ。だがこの男の肌の色は、エミリアと同系統に見える。ターバンから零れる髪は陽光のような黄金で、瞳は海のように青い。

 本来なら十数人がかりで戦うべき竜が、たった一人の男にされている。左右の曲刀で自在にり出すけんげきはまるでまいのようだ。男はとしてを振るい続けていた。


(竜討伐は、十人以上でするものなのに……。あの人、こんなに簡単そうに)


 あっにとられるエミリアの耳に、ダフネがささやく。


「エミリア様。今のうちにお逃げください」


 ダフネを振り返り、エミリアは驚愕に顔をゆがめた。


「ダフネ、頭から血が!! それに真っ青だよ……まさか竜毒にやられたの!?」


 砂塵竜のえきにはもうどくがある――ダフネはそれにおかされているようだった。エミリアはどく魔法を発動しようとしたが、ダフネはそれをこばんで、逃げるよううながした。


「解毒は不要なので、今すぐ逃げてください。あの男、戦いながらこちらをかんしています。……かなりのれです。私達を捕らえようとするかもしれません。……あなたは、お早く」


 ダフネの悪化は明らかだった。砂に膝を付き、呼吸が浅くなっていく。


「逃げるならダフネも一緒に決まってるでしょ!? 大丈夫、すぐに解毒を――きゃあ!」


 エミリアが言い終わらないうちに、ダフネは彼女を突き飛ばした。


「さっさと逃げろと言っているでしょう!!」


 ダフネが声をふりしぼるのと同時に、巨大な竜があおけにたおれた。


「この程度か。もう少し楽しませてほしかった」


 そうつぶやくと、男は二本の曲刀をさやに納めてエミリア達のほうに顔を向けた。


「……君は、」


 男は海のような青色の瞳を、驚いたように見開いている。いっしゅん動きを止めていたが、我に返った様子でこちらに歩み寄ってきた。

 得体の知れない男だ――エミリアは、かくするように声を張り上げた。


「それ以上近寄らないで!」


 しかし、男は止まらない。


「近寄らないでってば――来ないで!!」


 きたえ上げられた体軀とせいかんぼうは、すでにエミリアの目の前だ。ぐったりとしてしまったダフネを抱きしめ、エミリアは男をキッと睨み上げた。


(この男、何者なの? どう見ても野盗だし、竜の次は私達を襲うつもり?)

「密入国してきたのか」


 男がこぶしを突き出してきたので、エミリアはビクッと目を閉じた。なぐられるかと思ったが、なんの痛みもしょうげきもない。おそるおそる目を開けると、目の前の拳には小さなガラスびんが握られていた。


「竜毒の解毒ざいだ」

 

 ……何を言われたのか、一瞬、理解ができなかった。


「ほら。早く飲ませろ、おくれになるぞ」


 解毒剤を……野盗が? 驚いて男を見上げれば、彼の瞳はしんけんだった。まどいつつ、エミリアはびんを受け取って、中の液体をダフネの口にふくませた。


「それを飲ませておけば、死ぬことはない。あとはよく休ませてやれ。竜毒にやられると、二、三日は体の自由がかなくなるんだ」


 ダフネに解毒剤を最後のいってきまで飲ませ終わったとき、「あぁ、いた! おーい、!」という若い男の声がひびいた。ラクダに乗った三名の男が、こちらに近づいてくる。

 砂の民とおぼしき褐色肌の青年と、右目に眼帯をした青年、そして、頰に刀傷のある老人だ。

 彼らは全員、野盗の仲間に違いない。


「またディオン様は、一人で勝手に行っちまうんだから」


「ディオン様。じんを組んで討伐せねば、竜毒に侵されたときに対処できませんぞ」

(……このディオンとかいう男は、野盗のボスなのね。どうりでうでが立つ訳だわ)


 エミリアがそう考える間にも、手下達とディオンの話は続いていた。


「おいおい。俺が今まで何びきの砂塵竜をってきたと思ってるんだよ。今さら竜毒にやられるようなミスをするものか。だが……」


 ディオンが視線をこちらに投じた。手下達も、エミリア達を見る。


「ディオン様、彼女らは何者ですか?」


 ディオンが「密入国者だ」と答えると、三人はやや鋭い目つきに変わった。エミリアは、ダフネを抱く手に力を込める。


「で。どうする? 密入国のおじょうさん?」

「どうする、って……」

「馬はどうした? まさか、徒歩でここまで来た訳じゃないんだろ」


 言われて今さら気がついた。――そうだ、馬には逃げられてしまった。エミリアのうろたえぶりがおもしろかったのか、男は「ぷっ」と噴き出していた。


「わ、笑わないでよ……! なんとかするから、ほっといて」

「ケガ人を連れて、どうやってなんとかするんだ? しかも密入国のクセに」


 うぅ……。と言葉につまるエミリアに、男はすずしく笑ってみせた。


やとわれてやろうか?」


 エミリアは目を見開いた。ディオンの手下達も驚いている様子だ。


「困ってるんだろ? 領都まで運んでやるよ、ほうしゅうあとばらいで構わない」


 野盗なんか雇うものですか! とけたいところだが、馬がないのでどうしようもない。ダフネを早く休ませたいし、お金はあるから領都までの護送料金をはらうことは可能だ。数年遊んで暮らせるほどの大金を、ダフネがどこからか調達してきていた。


「…………分かったわ。あなたを雇わせてちょうだい


 ディオンは「こうしょう成立だな」とげん良く笑って、エミリアを抱き上げた。


「きゃあ! ちょっと」


 ディオンは彼女を横抱きにすると、ラクダに座らせた。ディオンに指示されて、刀傷の老人がダフネを抱えてラクダに乗る。「それじゃあ、行こう」というディオンの合図で、全員が領都の方角へと進み始めた。

 砂漠のはしが見えてきて、じょうへきに囲まれた大きな街が近づいてくる。エミリアは目をかがやかせ、あんの息を漏らしていた。


「安心したか?」


 すぐ後ろからディオンの声が降ってきたので、びくりとしてから表情をめた。


(……ダメだわ、ちゃんとけいかいしなきゃ! 見ず知らずの男に、しかも野盗にかされるなんて。すきを見せたら、つけ込まれるに決まってるんだから)


 エミリアはよく、ダフネに「人が良すぎる」と𠮟られる。どうやら自分は騙されやすい性格のようだから、きちんと警戒しないといけない……気を引き締めよう。


「ぷっ。やっぱり面白い女だなぁ! 表情がコロコロ変わる」


 何が面白いのか、ディオンは後ろで大笑いをしていた。……こんな男にめられてはいけない。城壁をけて街に入ったところで、エミリアはディオンを振り返り、気丈な笑顔を浮かべてみせた。


「ここまでで十分よ。足代をお支払いするわ。おいくらかしら」

「何言ってるんだ? ようけいやくはむしろこれからだろ」

「――へ?」

「あと、俺の求める報酬は金じゃない。俺が欲しいのは、君だ」


 気丈な笑みはどこへやら。エミリアはさぁぁ……と、真っ青になった。


「そ、それってまさか野盗の情婦になれってこと!?」

「ん? まぁ、そんな所かな? 俺のしきくわしく話すから、このまま乗ってろ」


 逃げ出そうとするエミリアをがっしりつかまえて、ディオンは悪戯いたずらっぽく笑っていた。

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