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 ――それから七年。十八歳になったエミリアは、今日も変わらず〝聖女カサンドラ〞を続けている。一日の仕事を終え、ダフネをともない神殿から皇城に戻った。


「今日はいつも以上に巡礼者が多かったわ。しっかり休んで魔力を回復させなきゃ!」


 早く自室に戻って、変装を解いてのんびりしたい。そんなふうに思っていると……。


「あら。今日もよるおそくまでご苦労様、聖女カサンドラ、、、、、、、


 後ろからいやっぽい声がした。かえらなくても誰だか分かる。

 エミリアは引きつりかけた顔面に力を込めて、笑顔を作った。


「あら。こんばんは、皇女、、カサンドラ様。ねぎらいのお言葉、ありがとうございます」

「労い? お前って、相変わらずおめでたいのねぇ。お前のぎわが悪いから、夜遅くまで長引いているのではなくて?」

「じゃあ、カサンドラ様がお手本を見せてくださいよ。でも十年近くずっとごぼうみたいだし、聖女の仕事のやり方なんてすっかり忘れてるんじゃないですかね?」

「あらあら。代用品の分際で、思い上がるのは見苦しくてよ? お前なんて、いなくなっても誰も困らないのだから。でも、わたくしは違うわ。ほどわきまえなさい」


 鼻で笑って立ち去る皇女を、エミリアはじょうな笑顔で見送っていた。だが自室に戻るなり――。


「くぅぅ、カサンドラ様ってやっぱりむかつく! 感謝の言葉の一つもない訳!? 」


 ベッドに突っして、手足をじたばたしながら悔しがる。そんなエミリアを見つめて、ダフネはためいきをついた。


「毎度のことながら、おつかさまです」

「すごく腹立つ!! ダメだわ、イライラしすぎて寝れなそう。こういうときは……」


 ベッドから起き上がり、エミリアは鏡台の引き出しからイヤリングを取り出した。


「……エミリア様、またそのイヤリングですか。本当にお気に入りなんですね」

「うん! このイヤリングがあると、なんか優しい気持ちになれるの」

「昔助けた、竜化病の少年からもらったもの――でしたっけ?」

「ルカっていう子よ。初めて自分一人で、竜鎮めをしたのがルカだったの」


 七年も前のことだけれど、今もはっきり覚えている。

 はかなげで、カラスのれ羽のような黒髪が美しくて、すずのようにんだ声のルカ。「ずっとくらやみの中にいた、とても苦しかった」と言ってルカは泣いていた。ルカを救ったあの日のように、これからも全ての人を救いたい。

 エミリアはイヤリングを握りしめ、力強く笑った。


「よし、元気出てきた」


 ――じんなことはいろいろあっても、聖女としての日々が大好きだ。

 カサンドラに意地悪を言われても、皇太子や皇帝、皇后に道具扱いされていても、どうでもいい。自分のかんにんぶくろは、この程度では切れやしない。

 ……だが。なぜかエミリアより先にカサンドラの堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。

 とうとつに事件は起こった。皇都の神殿前広場でエミリアが宗教行事を|りおこなっていた真っ最中に、本物のカサンドラが乱入してきてエミリアの髪に水をかけてきたのだ。


「皆の者、騙されてはなりません! この女はわたくしのニセモノです。わたくしの名をかたり、わたくしの名声をかすめ取ろうとするいやしい女なのです!!」


 エミリアの髪から流れ落ちる赤い染料を見て、なぜかカサンドラが嘲笑あざわらっている。


(――えっ!? なんてことしてくれるのよ、この人!?)


 エミリアは頭が真っ白になった。壇上に現れた二人のカサンドラ、、、、、、、、に、会場はそうぜん


「騎士達よ、この女をらえなさい! 本物の聖女は、このわたくしよ!!」


 あわあわしているエミリアを、またたに騎士が捕らえて、地下ろうとうごく……。


「ちょ……!? いきなりなんのですかカサンドラ様! ここから出して――」

「おだまり! 愚かなお前のせいで、わたくしは大変な目にっているのよ!? お前のような不出来な代用品は、もうりません!! 今後は名実共にわたくしが聖女をするわ。お前なんてすぐにしょけいしてあげるから、死んで責任を取りなさい!」

「一体私が何をしたって言うんですか!?」


 てつごうすがりついて声を上げるが、カサンドラは振り返りもせず去っていった……。

 ……意味が分からない。いきなり乗り込んできたのも意味不明だし、そもそも替え玉にしてきたのは皇族の方だ。挙句の果てに、処刑って……?


「ちょっと――!! あんたら、いい加減にしてよ!」


 泣いても叫んでも、エミリアのじょうきょうは変わらなかった。


(……ふざけないでよ、絶対にこのまま殺されたりしないんだから!)


 だつごくしてやる!! エミリアは、三歩でかべに当たるようなきゅうくつどくぼうを必死に観察した。

 窓はない。じょうまえがんじょうで、鉄格子も石材も独特の〝におい〞がする――これはぼうせい、つまり魔法を無効化する加工品に特有の匂いだ。ということは、攻撃魔法でかいして逃げ出すことは不可能……。


(それならうまくろうばんを呼びつけて、気をひいて、こっそりかぎぬすむとか?)


 そんな器用な芸当が自分にできるか疑問だったが、ちょうせんあるのみだ!

 うん……。全然うまくいかなかった。

 残飯のような食事を運んできた牢番は、エミリアの話に耳も貸さない。「聖女様の名を騙ろうとした卑しい女め、さっさと死んじまえ!」というべつの言葉と一緒につばきかけられ、去っていく牢番をエミリアはぼうぜんとして見送った。

 聖女の仕事にささげた十年。それ以外の経験がかなりとぼしいエミリアは、話術もじゅつもからっきしだった。


(……そ、それなら処刑の日に実力行使よ!! ろうから出たときだっそうするしかない!)

 脱走なんて、自分一人でできるだろうか? ……でも、やるしかない。

 処刑が何日後だか知らないけれど、死んでたまるか。そう思い、体力を温存しようと決めた。

 投獄されて、早一週間がっていた。暗くてカビくさい地下牢でひざかかえてじっとしていると、ひどく気がってこうかいの念が込み上げてくる――。


(私って、バカだなぁ。逃げ出すチャンスなんて、これまでいくらでもあったのに)


 悔しい。悲しい。……全部投げ捨てて、さっさと逃げるべきだった。あんな身勝手な人達に飼い殺しにされるより、聖女の力を隠してひっそり生きるべきだったんだ。


「……エミリア様」


 エミリアはハッと顔を上げた。いつの間にか、鉄格子の向こうに騎士服をまとったダフネが立っていた。

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