第一章 偽聖女、夜逃げする

1-1


 エミリア・ファーテはだった。〝レギトせいこうこく〞北部の鉱山街で生まれた彼女は、生後まもなく流行はやり病で母を失い、鉱山事故で父を|亡《な《くした。

 だが、彼女は一人ぼっちではなかった。父の所属していた鉱山組合の親方夫妻が、エミリアを引き取ってめんどうを見てくれたのだ。夫妻には五人の子どもがいたが、エミリアを我が子同然にあつかってくれた。夫妻はエミリアががんると大喜びでめ、いけないことをしたら厳しく𠮟しかってくれる。家族みなで一日しっかり働いて、質素ながらも楽しいしょくたくを皆で囲む。る前には、おかみさんが子どもたちに昔話を聞かせてくれた。とくに何度も話してくれたのが、〝始まりのりゅうと聖女〞という創世神話だった。


「あたしらの住むこの大陸は、竜の形をしてるんだってさ。がみと争って死んだ竜の亡骸なきがらが、海に落ちて陸地になった。だからこの大陸は、〝りゅうがい大陸〞っていうんだよ」


 かつてこの世に陸はなく、無限の空と海だけだった。雲の上には神族と竜族が住み、人間は存在しない。神と竜は仲良しだったが、あるとき一頭の竜が神にきばいた。自分のりょくを高めるために、次々に神をらっていったのだ。このまま全ての神が喰らいくされるかと思われたそのとき、一人の女神が竜をった。女神は竜の亡骸を雲の上から海に落とし、海水を吸ってふくがった亡骸は大陸そのものとなったという。


「大陸は五つの地域に分かれていてね。竜の〝頭〞が大陸北部、〝しっぽ〞が南部、〝よく〞が東部で〝よく〞が西部。その他は大陸中央といって、ほとんどがばくなんだって」


 大陸中央の〝竜の心臓〞にあたる部分には、大きなオアシスがあるそうだよ――と、おかみさんは言った。そのオアシスは法王領といって、この大陸で一番えらい〝法王〞が住んでいる。法王は最強の軍隊を持っていて、本気を出せば国一つくらい簡単にほろぼしてしまえるらしい……。エミリア達は、目を丸くして話に聞き入った。


「法王様は大陸で一番強いけど、女神様との約束で、できるだけ他の国に口出ししないことになってるんだって。だから東西南北の四つの〝聖皇国〞にそれぞれの地域の盟主リーダーをやらせて、自分は〝竜の心臓〞で平和をいのってるんだ」


 エミリア達のレギト聖皇国は大陸西部のリーダーで、左翼の付け根部分にあるという。


「聖皇国は、特別なんだよ。だって、聖女は聖皇国でしか生まれないからね」

 聖女とは、聖なる力を持つ女性。〝りゅうしずめ〞と呼ばれるとくしゅしきを行えて、〝りゅうびょう〞という風土病を治せるゆいいつの存在だ。竜鎮め以外にも、聖女はいっぱんてきこうげきほうや回復魔法も扱えるらしい。聖女は人々のすうはい対象であり、希望そのものである。


「聖女は大陸西部にたった九人しかいない、本当に尊い女の人なんだよ」


 おかみさんの話を聞いて、エミリアは「世界って広いんだなぁ」と思った。しかしエミリアにとって、自分の暮らす鉱山街が世界の全てだ。外の世界に出てみたいと思うことはなかったし、ましてや自分に〝聖女〞の力がねむっているなんて考えたこともなかった。親方が鉱山のくっさく作業中にらくばん事故にまれ、ひんの重傷を負うまでは――。

 悲劇は、エミリアが八さいになったその日に訪れた。

 こうどうから運び出されてきた親方は全身血だらけどろまみれで、手足の骨が異様な方向に折れ曲がっていた。かろうじて息はあるが、親方も他のせいしゃ達も、命の火が今にもせかけていて……。

 死んじゃやだ!!

 と、エミリアはさけんだ。叫ぶと同時に、体の中から熱い何かがき上がる――それが〝聖女の回復魔法〞だと理解したのは、親方達のケガが完全にえていたことに気づいたときだった。

 ぽかんとしているエミリアを、大人達がきょうがくの表情で見つめる。


「……今の力。まさか、エミリアは聖女なのか!? 〝けっしょうこう〞がい上がったぞ!?」


 結晶光。それは雪の結晶に似た魔力の光で、聖女が全力で回復魔法を使ったときだけ舞い上がるものだ。

 聖女以外の人間が回復魔法を使っても、結晶光は発生しない――ちなみに、一般的な火風地水の魔法や回復魔法などは、先天的な資質があれば聖女以外の者でも使える。大陸全土で二割程度の人間が、魔法の適性を持つというのが通説だ。

 居合わせた者達は「聖女ばんざい!」と叫んでエミリアをきしめ、全員で大喜びしていたが――次のしゅんかん、我に返って青ざめた。


「すぐに領主様に報告しねぇと! 聖女をかくすとけいになるぞ!!」

 この大陸には、法王の定めた〝大陸法〞という絶対的な法が存在する。

 大陸法の条文の一つに、『聖女の能力を持つ者をとくした場合、死刑またはそれに類する重罪に処す』と明記されている。だから大人達はすぐに領主へ報告し、領主は皇家へ報告し、エミリアは親方達との別れをしむ間もないほど迅速に皇城へ送られた。

 ――今思えば、それがらんばんじょうな人生の始まりだったのだと、エミリアは思う。


(……なんだか夢みたい。私に聖女の力があったなんて!)


 皇城内のはいえつの間にて。だんじょうこうていの玉座を前にして、八歳のエミリアはドキドキしながらひれしていた。


(聖女になったら、皆をいっぱい助けたいな。私のお父さんとお母さんは、赤ちゃんのときに死んじゃったけど……聖女の力があれば、いろんな人を幸せにしてあげられるもの)


 故郷の街では、大切な人達の命を救うことができた。くしゃくしゃに泣きながら「ありがとう」と抱きしめてくれた親方達のぬくもりを思い出すと、胸がじんわり熱くなる。

 皇帝に「おもてを上げよ」と命じられ、頭を上げた。並んだ玉座に皇帝・皇后が座し、その

かたわらには十歳ほどの皇太子。そしてエミリアと同い年くらいの皇女がひかえている。


「回復魔法をろうせよ」


 ぺこりと一礼をしてから、エミリアは全力で回復魔法を発動してみせた。おびただしい結晶光が舞い上がるのを見た皇帝は、なっとくした様子で口を開いたが――。


「あら、何よ、その程度? わたくしのほうが、もっとらしくてよ?」


 と、玉座のわきに控えていた皇女が、皇帝をさえぎって声を張り上げる。

 ごうしゃな赤毛をい上げた気の強そうな皇女が「ごらんなさい!」と叫ぶと同時に、彼女のてのひらからポワッと結晶光があふれた――どうやら皇女も、聖女の力を持っているらしい。


「カサンドラ、お前が立派な聖女なのは知っておる。だが今は、この者のしんの時間だ」

「でも父上、わたくしのほうが! ……ふん!」


 ねるカサンドラを皇后がなだめる。皇太子はじっとエミリアを見ていたかと思うと、不意に皇帝に耳打ちをした――皇帝が、ハッとした表情になる。

 いくばくかのちんもくはさんだ後、皇帝は宣言した。


「エミリアよ。そなたの才能のへんりん、しかと見せてもらった。聖女見習いとして、しん殿でんで働くことを認めよう。今後の働き如何いかんでは、公認の聖女としてやっても良い。しょうじんせよ」

「ありがとうございますっ!! 私、頑張ります!」


 皇帝と皇太子が黒いみをこぼしていたことに、エミリアは気づかなかった――。

 そして、聖女見習いとしての実務実習が始まった。期間は三年で、クロエというせんぱい聖女に付いて聖女の聖務を手伝うことになっている。

 聖女の仕事は〝竜鎮め〞と〝いやし〞の二つ。竜鎮めは〝竜化病〞という風土病のりょうで、癒しは一般的な回復魔法を使ってじゅんれいしゃのケガや病気を治すことだ。エミリアは毎日神殿で、クロエの仕事をいっしょうけんめい手伝った。……だが、


「クロエさん。どうして私、カサンドラ様の変装をしなきゃいけないんですか?」


 エミリアが聖女の仕事を手伝うときは、必ずかみを赤く染めてしょうをする決まりになっている。エミリアの専属じょを務めるダフネという女性が非常に器用なので、彼女に化粧をしてもらうとエミリアはカサンドラそっくりな顔立ちになるのだった。

 クロエは、なぜかやたらと気まずそうな顔をして、言葉を選んでいる。


「……そ、それはね。皇女殿でんは皇族のお仕事があるから、神殿で働く時間がないみたいなの。でも皇女殿下はすでに〝幼き聖皇女〞として有名なお方だし、神殿に来ないのは世間的に良くないから……だからあなたに、代役をお願いしたいそうよ……」

「カサンドラ様は見習いじゃなくて、もう本物の聖女なんですか? まだ八歳なのに、すごいですね!」

「え、ええ。そうね……さすがは皇女殿下よね」


 ――そっか。カサンドラ様はもう本物の聖女だから、実務実習はいらないのね。あまり神殿に来ないのは、いそがしいからだったんだ。と、エミリアはすんなり納得した。


「分かりました。そういうことなら、代役は任せてください!」

「ありがとう。……あなた、本当にいい子ね」


 同い年で聖女の力を持つ者同士。エミリアはカサンドラに仲間意識を持っていた。だから久々にカサンドラに出会ったとき、エミリアは親しげに話しかけたのだが――。


「カサンドラ様、私も早く一人前になりますね。そしたらいっしょに頑張りましょう!」

「……ふん。お前って、本当にこっけいね」


 取り付く島もなく、カサンドラは鼻で笑ってきびすを返していった。


(うわぁ。すごいトゲトゲしてる。皇女の仕事って、よっぽど忙しいんだろうな)


 ぽかんとしながら、エミリアはカサンドラの背中を見送っていた。

 ――あっという間の三年間。実務実習を無事に終え、エミリアは十一歳ながらも一通りの仕事を一人でこなせるようになっていた。

 皇帝からはいまだに『公認の聖女とする』という言葉をもらえていないが、能力的にはす

でに一人前だ。クロエは他国にけんされ、今ではエミリアが一人で〝癒し〞や〝竜鎮め〞を行っているが、大きなトラブルは起きていない。

 ……気になることと言えば、相変わらずカサンドラの代役を務めていることくらいだ。

 エミリアが変装をして神殿に立つと、皆が幸せそうな顔で言う。


「聖女カサンドラ様だ! なんとこうごうしい……!」

「尊い皇女のお立場でありながら、直接民を癒してくださるとは……なんとありがたい!!」


 だれも彼もが、エミリアをカサンドラだと信じ込んでいる。背かっこうが同じで化粧がこうみょう、しかも聖女のほうはヴェール付きなので、上手うませているらしい。


(……私、いつまでカサンドラ様のニセモノを続けるんだろう?)


 大切なのは皆が幸せになることだし、自分は裏方でも構わない。……でも一時的な代役ならともかく、何年も皆をだまし続けるのは良くないとも思う。

 だからエミリアは皇帝にじかだんぱんしようと思い、専属侍女のダフネに相談した。


「いくら忙しくても、カサンドラ様が全然聖女の仕事をしに来ないのは問題だと思うんだ。陛下にお願いしたら、カサンドラ様のスケジュールを見直してもらえないかな」

「……おやめになったほうがよろしいかと」


 切れ長の目をすがめ、ダフネはかたをすくめていた。ダフネは、エミリアより七つ年上の

侍女。武芸にひいでており、エミリアの地方視察の際は護衛の役も務める。


「でも、たのんでみなくちゃ分からないよ。今日、仕事のあとで皇帝に話してくるね」

「どうしても行くおつもりですか? ……仕方ありませんね、私もどうはんします」


 エミリアはダフネを連れて、法衣の姿で皇帝のしつしつへと向かった。 すれちがう文官や武官はエミリアを皇女だと思い込んでいるため、引き留める者はいない。

 執務室のドアをノックする直前、エミリアは室内かられ聞こえる声にハッとした。


「ヘラルドよ、お前のおかげで〝聖女カサンドラ〞の名声は国内外にわたり、皇家の評判も上々だ! やはりお前は知略にけておるなぁ!!」

「僕の言った通りでしょう、父上。プライドばかりで働く気のないカサンドラに聖女の教育をほどこすより、無知な平民をだまとして使うほうが上手くいくと思ったのです」

 ――無知な平民? 替え玉!?


「まったくだ。カサンドラは昔から『聖女なんてやりたくない』とをこねて大変だったからなぁ。最近は『自由時間が増えた』と喜んでおる。良かった良かった」


(じ、自由時間!? カサンドラ様は、皇族の仕事で忙しいんじゃなかったの!?)


 エミリアはとびらに張り付いて、聞き耳を立てた。


「わしも本音では、わいむすめに聖女の重労働などさせたくはない。聖女の仕事は危険が多く、平民娘エミリアにこそ相応ふさわしい。……しかもエミリアは、自分が一生聖女になれない、、、、、、、、、ということさえ知らない。実におろかな子どもだ!」

(私が聖女になれないって……どういうこと!?)

「ふふふ。エミリアはしょせん平民ですから、大陸法のしょうさいを知らないのも当然ですよ。そもそも〝聖女〞というものは、ただ能力を持っているだけでは名乗れませんからね」

「その通りだ。法王げいしょうにんを受けなければ、聖女にはなれない! この国で生まれた聖女の能力保有者は、必ず皇帝わしのもとへと連れてこられる。そしてわしがその者の能力を確認した直後、その者と共に大陸中央の〝法王領〞へおもむいて、法王猊下にえっけんさせるのが定めだが……。ヘラルドよ、お前の発想にはおどろかされたぞ」

「存在をせてしまえば、あの娘を飼い殺しにできるでしょう? むすめ一人かくしたところで、法王猊下にけんすることはありません。大陸中央の砂漠地帯を往来できるのは、交易路のどくせん使用権を持つ我らレギト皇家のみですから」


 はっはっはっは。……悪どい笑い声が、エミリアの耳にさる。


「エミリアは一生、我らのこまです。万が一しても、すぐに通報されてそうかんされてくるでしょう。大陸法によって〝聖女の力を持つ者〞のがらを隠すことは重罪とされていますからね。エミリアが逃げ出したところで、かくまう者は誰一人いませんよ」


 よろめいたエミリアを、ダフネが支える。


「お部屋にもどりますよ。エミリア様」


 ダフネに肩を支えられたエミリアは、ふらふらしながら自室に戻っていった――。


「……………………私、騙されてたんだね」


その夜、ベッドに伏してエミリアは声をしぼり出した。ダフネは静かにエミリアを見下ろしている。だんならとっくに退室している時間だが、今日はなぜか去ろうとしない。


「おひとしが過ぎると、泣きを見ますよ。いい勉強になりましたか?」


 ……ということは、ダフネも知っていたのだ。

 クロエもダフネも全部知っていて、知らなかったのは自分だけ。都合よく働かされ、裏では無知な平民呼ばわりされていた。……それに、一生ニセモノだなんて。


「こんなのずるい。カサンドラ様のきょうもの! 皇帝も皇太子もむかつく! あぁ……!」


 いっそ逃げ出してやろうか。そんな気持ちが、込み上げてくる。


ざんこくかもしれませんが、あなたに逃げ場はありません」


 ダフネはそう言うけれど、逃げ出すことはできる気がする。エミリアの顔は世間には知られていないから、聖女の力を隠せばいっぱんじんとして暮らせるかもしれない。でも――。


(……私は、本当にそれでいいの? 逃げたらもう、聖女の力は使えないんだよ?)


 今の暮らしは、幸せだ。朝から夜まで神殿に立って病気やケガの人を癒すのも。竜化病の人を救うのも。人々は「救ってくれてありがとう」と言ってくれるが、救われているのは自分自身だと思う。一人ひとりのがおうれしい。出会った人達の顔が、故郷の街の親方や亡くなったお父さんお母さん、大事な人に重なって見える。


(騙されたのはむかつくけど。……私、やっぱり聖女の仕事はやめたくないな)


 なみだにじんだ目をそでぬぐうと、エミリアは鏡台の引き出しからひとつぶのイヤリングを取り出した。それは、この前救った竜化病かんじゃの少年からもらったものだ。

 青い石がまった銀製のイヤリングが、片耳の分だけ。大切そうににぎりしめ、エミリアははっきりと言う。


「……私は逃げない。聖女の仕事を、ずっと続けたい。カサンドラ様のフリをするのはいやだけど。でも、そうするしかないっていうならそれでいい。自分がニセモノとか本物とかも、求った人達が喜んでくれるなら別にどうでもいい」


 ダフネがするどい目を見開いて、意外そうな顔をしている。


「皇家に利用され続けると知りながら、あなたはずいぶんと前向きなんですね」

「利用されるだけじゃなくて、私も皇家を利用し返すの。変装さえすれば、私は〝聖女〞を続けられるんだから。この仕事が大好きだから、絶対やめたくない」


 ダフネはものめずらしい生き物を見るような目で、こちらを見ていた。


「このまま泣き寝入りしたら、なんか負け犬みたいでくやしいじゃない? だから私は聖女

を続けて皆を幸せにするし、自分も幸せになるの。それが、私の〝勝ち〞だよ」

「……あなたの思考は理解に苦しみますね」


 皇帝達の悪意にくっしたりはしない! そう決意したエミリアは、替え玉を演じ続けることにしたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る