山道に見える提灯の火
まだ30代の頃はいろいろ無理をしたねぇ。
その頃は何度か転職を繰り返し、ようやく落ち着いた仕事がさ、お客さんとこに行って事務のサポートをするって地味なもんだっただよ。
これがね、意外とハードでさ、うまく行くときは良いんだけど、なぜか数字が合わないって事務員さんに言われて頭をひねってることもよくあったんだよね。時間はどんどん過ぎてくし、問題が全然解決しない。そうなると向こうも不機嫌になるし、こっちも焦るばっかりで、早く終わらせて帰りたかったなぁ。
これはそんな運悪くトラブルが連発したお客さんのとこから帰るときの話。でも、お客さんには全然関係ない話。
そこは住んでるとこと県内なんだけど、会社から3つほど離れた市にあって訪問に片道2時間もかかる。それがトラブってしまったからなぁ。泣きそうだった。
その日はたまたま居残りの人がいて、事務所を閉めると言われたのはもう日付が変わった後だった。正直ホッとしたのを覚えてるよ。
そんな時間に会社に電話してもさすがに誰もいない。
仕方がないので、もう直帰することにしたんだよ。
俺のうちは会社とはちょっと離れてて、直接帰るなら山道を通って帰るほうが早い。
なんで、普段は海沿いの国道を走るんだけど、その日は山越えの県道を使うことにしたんだ。
これがいけなかった。
その頃俺は、ワンボックスのディーゼル車に乗っていたんだが、市街地から山間部に入った後に燃料が少ないことに気がついた。エンプティランプはまだ点灯してないし、大丈夫だろうなんて気楽に考えていたんだ。いや、明日も朝から仕事だし、家に着いたら2時は過ぎてるだろうし、気が焦ってたんだな。
それにこんな時間に空いているガソリンスタンドなんてこんな山奥にはないしな。
何度目かの峠越えをして、一番の難所「荷卸峠」ってところを上ってるときに燃料切れのランプが点いた。
「ランプ点灯後も燃料はあと何リットルかは残ってるはず。家に着くまでは十分ある」
バクバクする心臓を押さえながらそうやって自分を勇気づけ、なるべく無駄な燃料を使わないで済むようにとアクセルペダルを踏む俺だった。
峠の最高地点を過ぎた。
何度も走った道だからよく知っている。
ここからしばらくは長い下り坂だ。
ホッとしてアクセルペダルを緩めると、上り坂を駆け上がるために唸っていたエンジンはもう良いのかというかのように静かになっていく。
そして回転が止まった。
「あ」
完全に燃料がなくなるのはまだ早いはず。
このときばかりは、流石に焦った。
エンジンは止まったが、下り坂のおかげで車は進んでいる。
ヘッドライトもしっかり点いているが、山奥の道路には街灯がない。
「ライトが消えたらお終いだな・・・」
そんな考えがふと浮かんだが、こんなところで止まったほうがもっと嫌だ。
この道を下りきったら集落がある。そこまで行けたら交差点にはガソリンスタンドもあるし、何より街灯があるので明るい。朝まで待っていればなんとかなる。
そのほうがずっとマシだ。
長い下り坂を車が静かに進む。
エンジン音がしないので、タイヤが道路を転がる音だけが響く。
ブレーキの効きが悪くなるかと思ったが意外と踏ん張ればなんとかなるもんだなぁ。なんて脳天気なことを考える余裕も出てきた。
山沿いを下る道は、右に左にカーブを繰り返す。
そのたびにルームミラーにぶら下がったお守りが揺れる。
それが気になるのでチラチラと見てしまうのだか、ミラーになにか白いものが写っている気がして嫌になるんだよな。車の中にはそんなものは無いはずなのに。
ロードノイズしか聞こえない時間はものすごく長い。まだかまだかと気ばかりが焦るのだが、進む先に明かりが見えた。
もうそろそろ終わりか。
そう思ったのだが、明かりはぽつんと2つだけ。
なんだか心もとない光だが、それでもありがたかったね。
しかし、アクセルを踏んでもエンジンは反応しないから進みが遅い。
とにかく後ろを見ないようにして、気持ちだけは急いで進んだよ。
でもな、俺は近づくそれを見て、本当にそっちに行って良いのかって気持ちになったんだ。
武家屋敷の門構えって言うのか、その両側に提灯が二つ。
「御霊燈」と「〇〇家」
それがだんだん近づいてくるんだよ。まあ当然だけど。
気が付いたら、もう下り坂は終わっていて車のスピードも落ちてきてた。
あ、これってあの提灯の前で止まりそうだな。
ものすごく焦った。死ぬかと思って焦ってアクセル踏んだけど虚しい努力だった。
どうなるんだこれ。俺はどうなるんだ。
やけくそだったよ。ゆっくりとその提灯の前に来たとき、止まるか止まらないかって瞬間
イグニッションを回したらエンジンがかかった。
すかさずギアをドライブに入れて家まで突っ走ったよ。
提灯の前を過ぎたとこから白いものも見えなくなった。
もう二つ峠を越えたんだけど、もうなにも覚えてない。
その日は酒飲んでとにかく寝た。何も考えないことにしたんだよ。
そんな怖い思いをしたらその道はもう通らないと思うかい。
実は、俺はその仕事をやめるまで、そこを何度も通ることになったんだ。
いや、やめた後もしょっちゅうその道は使っているよ。
そもそも、その後はそんなことは一度も起こらなかったし
武家屋敷なんてどこにもなかったし。
出張で起こったあれこれ オッサン @ossane
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。出張で起こったあれこれの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます