六十六話 混乱



 ジョーンズは混乱していた。

 ノアの姿を見て、何かを思い出しかけていた。


「なんてことだ……」


 ノアが人間に戻ってしまったのを見て、魔法使いフェンネルが呟いた。

 フェンネルはすぐさまノアのそばまで瞬間移動をすると、まだ呆然としているノアの手をつかんだ。彼を守ろうと自分に引き寄せる。


 ノアの姿を見ていたジョーンズは、お腹に痛みを感じて顔を歪めた。見ると、お腹から血が流れている。

 この傷はいつできたものだろうか。

 思い出そうとすると、タンジーの顔が浮かんできた。


 タンジーにやられたんだ。

 そうだ、彼女が自分を襲い、飲み込んだ鍵を奪おうとしたのだ。

 ジョーンズは頭を押さえる。

 

 なぜ、彼女があんなことをしたのか、理解できなかった。ただ、自分が愛していたタンジーはもういないのだ。彼女は黒い魔女となった。


 ふいに、自分の手に柔らかな手が重ねられた。

 どきりとして横を向くと、アニスが手を握っていた。


「お腹の傷が痛いのね」


 温かいまなざしがジョーンズを見つめていた。

 深い緑の澄んだ瞳を見て、アニスと初めて会った時のことを思い出す。


「アニス……、僕の好きだったタンジーはもういないんだね……?」

「ええ……」


 アニスの唇が震えていた。


「……ごめんなさい、ジョーンズ。本当にごめんね。でも、今は兄上を助けなきゃ」


 アニスの言葉が引っかかった。

 ノアは、タンジーの兄だったはずだ。なぜ、アニスの兄なのだ。わけが分からない。しかし、今はそれどころではなかった。


 蔦で身動きが取れないタンジーは、怒りで顔を真っ赤にさせていた。

 大声で喚いていたが、不穏な呪文を唱え始めた。すると、ざわざわと草木がこすれあう音がして、どこからか人が集まってきた。暗い表情をした男性や女性たちの多くは目がうつろで、ほとんどの人が宿に泊まっていた人たちだった。

 背後を見ると、アニスとジョーンズの後ろにも人がいる。


 数十人に囲まれて、フランキンがうめいた。


「黒い魔女め、エナジーヴァンパイアを操っているな……」


 エナジーヴァンパイアは、負のエネルギーを好む、心の闇の化け物だ。

 誰の心の中にでも存在するが、ほとんどは皆、普段は理性で抑えられている。


 エナヴァンたちは、メランポードに巻きついた蔦を引きちぎり始めた。

 操られている人たちは手が傷ついても気にせずに、メランポードの言いなりになっている。

 メランポードは手足が自由になると、ちぎれた蔦を手に取って鞭のようにしならせるとフェンネルとノアに向かって魔力を込めて振り下ろした。

 フェンネルは、ノアをかばって避けたが、背中に当たって倒れた。操られている人々がフェンネルに飛びかかる。


「お師匠様っ、ノアっ」


 アニスが悲鳴を上げた。アニスもまた大柄の男に腕をつかまれていた。むやみに魔法を使えば無関係の人を傷つけてしまうかもしれない。

 ノアを助けようとしたフランキンも数名のエナヴァンたちに取り囲まれた。

 刃物を持った人もいて、フランキンは動けない。


 何が起きているのか分かっていないノアは、一人放り出され、すかさず、タンジーがノアの手をつかんだ。

 タンジーは、ノアを引き寄せて首をつかみ、逆の手で扉を出現させた。


 ジョーンズは、自分には何もできずただ見ているしかできなかった。

 みんなが大変な目にあっているのに自分は何もできない。その時、アニスが男の腕を振り払い、ノアの方へ走って行くのが見えた。


「アニスっ」


 ジョーンズが叫んだが、その声は届かなかった。

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