三十八話 調子が狂う
タンジーの部屋を出て、ジョーンズは大きく息を吐いた。
何をイラついているのだ。ケガをして弱っている女性に対して、あんなに冷たく、八つ当たりなどしたりして。
ジョーンズは口を噛んだ。
タンジーを見ていると、心が乱される。
目に包帯を巻き、薄くて赤い唇が震えていた。
かわいそうに。
知らない間にあんなに傷つけられて。
彼女は無敵だと思っていた。ロイがタンジーを傷つけた者を必ず探すと息まいている。
アニスが嫌がるので、自分は何もできないが、ロイにタンジーのことを任せるしかないと思いこんだ。
「アニス」
ロビーで、アニスとミモザが待っていた。
ミモザは髪が長く背中まであり、男だか女だか分からない顔をしている。
しかし、前に見た時と印象ががらりと変わっていた。
透き通るような金髪をしていたはずなのに、髪の色は茶色に変っているし、きめ細かい肌が荒れていた。外見を気にするようなタイプの男が、今は自分に構っていられないらしい。
アニスもまた、印象が変わっていた。
「ミス・タンジーの具合はどうでしたか?」
ミモザが言った。
「起きて座っていた。思っていたより、元気そうだよ」
「ふん……、そうですか」
ミモザが鼻で笑った。
「タンジーには二度と近づかないで」
アニスが、ジョーンズの手をしっかりと握って言った。
冷たい手は細くて白い。ジョーンズはその手を握り、隣の椅子に座った。
「もちろんだよ、アニス」
「あたし、うれしいっ」
アニスが言うと、ミモザが目を吊り上げた。
「アニス、言葉遣いを改めよ」
「あ、あの、あたし……」
「あたし、ではなく、わたしです」
「わたし、いつもこうなの。ミモザに叱られてばかり」
ジョーンズに向かってアニスが肩をすくめる。すると、ミモザがさらに睨んだ。
「ねえ、ミモザ、ジョーンズと二人きりにさせてよ。もっと、お話がしたいんだ。後、タンジーには言った?」
「何をだい?」
急に話しかけられて面食らう。
ジョーンズはにっこりと笑うと子供に話しかけるように、優しく聞きなおした。アニスは、指先を唇に当てて首を傾げた。
「結婚のことよ」
「ああ、伝えたよ」
「あの子、なんて言った?」
ジョーンズは一瞬、押し黙った。反対された、と言えなかった。
「おめでとうって、喜んでくれたよ」
「ああ、本当に? それを聞いてよかった。すごくうれしい」
アニスは胸を撫で下ろし、ミモザを見上げた。ミモザも真剣な顔で頷いている。
「よかったですね、アニス。ミスター・グレイ。アニスは気に揉んでいたんです。あのメイドはずっと、あなたと旅をしていたから、横恋慕されるんじゃないかと」
ジョーンズは驚いて言葉を失った。息をついて、ミモザとアニスに答える。
「まさか、そんなわけありません」
「あら! やだー、うふふふ」
アニスがくすくす笑う。
「それを聞いて安心した。ね、ミモザ」
くすくすと肩をゆすって笑い続けている。ミモザはにやりと笑って静かに肩を揺らす。
ジョーンズは不愉快だった。
タンジーは傷ついているのに笑い者にするなんて。何も知らないくせにと思う。
ジョーンズは二人が笑い終えるのを待って、静かに言った。
「今日はもう遅い。出発は、明日の朝早くにしようと思う。タンジーには大事をとってもらい、ロイに付き添ってもらう」
それを聞いたミモザが驚いた顔をした。
「なぜですか? あのメイドはもう必要ないでしょう。元の宿へ戻すべきです」
「彼女はケガをしている。そのままにしておけない」
「ミスター・グレイ。それは違います。あのメイドのせいで、あなた方は困難に巻き込まれているのです。あのメイドは追い払うべきです」
アニスが心細げな顔をしている。ジョーンズは話にならないと思い、立ち上がった。
「タンジーをどうするかは、僕が決めます」
毅然と答えると、ミモザが押し黙った。
「後悔しますよ」
それには答えず、ジョーンズは恭しく頭を下げた。
「では、失礼いたします。アニス」
アニスの柔らかい手にキスをして、ジョーンズは出て行こうとした。しかし、シャツを引っ張られてジョーンズは振り向いた。
「行かないでよ、お話しましょ」
アニスが駄々をこねる。ジョーンズは首を振った。
「まだ、結婚もしないうちから、若い女性が男性と二人きりになるのは、避けた方がいい」
アニスはきょとんとして、ミモザを見た。
「ミモザはいいんでしょ?」
「本来、あなたには女性の付き人が好ましいのだが」
ちらりとミモザを見ると、彼は目を吊り上げて、ジョーンズを見た。
「わたしに女性の恰好をしろと言うのか」
「まさか……!」
ジョーンズは驚いてしまった。
この男は本気で言っているのだろうか。思わず、アニスとミモザの顔を交互に見てしまう。二人とも、混乱した顔でいた。
「とりあえず、休みましょう。明日は、朝が早いから」
「分かりました。では、わたくしも失礼いたします。アニス」
「おやすみ、ミモザ。ジョーンズもおやすみね」
アニスがにこっと笑って手を振る。
ジョーンズとミモザは一緒に部屋を出た。
何か調子が狂う。
部屋を出てから大きなため息をついた。振り向くと、ミモザの姿はすでになかった。
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