五話 見ないって約束して
領主の息子がテントを用意してくれた。
馬も用意してくれて、四頭の馬をつないで移動する。
ローズをテントに寝かせて一息ついた時、中から悲鳴が聞こえた。
「アニスっ。どこにいるの?」
ローズが目を覚ましたようだ。
「わたしはここよ、ローズ」
テントに入って安心させるように手を握った。ローズがぽかんと口を開けた。
「あなた、どうしたの? ひどい恰好よ」
「そんなにひどいかしら」
アニスはため息をついた。ローズはきょろきょろして、不安そうに言った。
「ここはどこ? ノアはどうしたの? 一体、何があったの?」
ああ、ローズは何も知らないのだ。
魔法がつかえるわけでもない。ただの一国の姫であるローズにとって、この旅は過酷なものになるかもしれない、とアニスは思った。
ノアについて真実を告げるのは、落ち着いてからにしよう。
「ちょっと事情があって、旅に出ることになったの。あなたを巻き込んで申し訳ないんだけど」
旅と聞いて、ローズの頬に赤みが差した。
「あら、わたし旅は大好き。でも、ノアがいないわ」
「ノアは先に行ってるの、わたしたちは後を追いかけて……」
「失礼」
その時、領主の息子の声がして、アニスはとっさにローズをかばった。
領主の息子がそっとドアを開けて顔を出す。ローズはそれを見て、ふうっと気を失った。
「ああ、やっぱりね……」
アニスは、倒れたローズをそっと横たえた。彼は呆れた顔で首を振った。
「どうして、淑女は簡単に気を失えるんだ?」
ローズを見ながら、腕を組んで難しい顔をする。
「僕にもいとこがいるが、よく従僕を見て気を失う」
「それは懸命じゃないわね」
アニスは肩をすくめた。
「淑女は、気を失う作法を習うのよ」
「それは本当かっ?」
領主の息子が驚いてアニスを見た。アニスは苦笑して、
「嘘に決まってるでしょ」
と言うと彼がむっとした。
「名前は?」
「ローズよ」
「ローズ? そんな気品のある感じじゃないな」
アニスは、一瞬、考え込んだ。
「……わたしじゃないわ、彼女よ」
「彼女じゃなくて、君の名前だ」
「わたし? わたしはアニスよ」
「白い花だ」
領主の言葉に、アニスはどう答えていいか分からず、軽く咳をした。
「まあね」
「食事を用意した。食べるか?」
「本当?」
アニスはうれしくて両手を合わせて飛び跳ねた。自分でもよくこんな力が残っていたと呆れる。
はっとして、あー、えへんと咳をして、つんと顎を上げた。
「ありがとう。いただくわ。えーと、あなたのお名前は?」
「僕はジョーンズだ。ジョーンズ・グレイ」
アニスは、すっと右手を差し出した。ジョーンズが恭しくその手を取る。
「わたしはアニス。アニス・テューダー。ミスター・グレイ。ミス、アニスで結構よ」
ジョーンズは、アニスに目を合わせたまま、すっとお辞儀をした。
「レディ・ローズに、アニスだな」
アニスはむっとしたが、あえて何も口答えしなかった。
アニスと呼ばれるのが嫌いではない。
「好きにして」
「では、アニス。まずは、その身なりからなんとかしよう」
「そうね」
アニスは肩をすくめた。
「さすがに、自分でも辟易していたところよ」
食事も取りたいが、何よりも先ず冷えた体を清めたかった。
「残念だが、すぐに十分な湯を用意できない。この先に川が流れている。誰かに水を運ぶように言おう」
アニスはその申し出を断った。
「ありがとう。でも、結構です。あなた方はお忙しいのでしょう。川があるのなら、自分で行きますから。ついでに、ドレスも洗って参ります」
「一人で大丈夫か?」
「ええ」
アニスは即答した。ジョーンズは、一瞬、考える顔付きをした。そして、一緒について行くと言った。
「なんですって?」
「誤解するなよ。君の裸を見たいのではなく、一人でうろうろさせるわけには行かないと言っているんだ。私の土地ではあるが、絶対に安全とは言えない」
アニスは、冗談じゃない、と言おうとした。しかし、お腹が減っている上に体力が消耗している。ろくな魔法が使えなかった。確かに不安がある。
「見ないって約束して」
ジョーンズは、呆れた顔でアニスを見た。
「見るところなんて、ないだろ」
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