三話 わたしの望む場所



 キャットが飛び込んできて、白髪の貴族と騎士の男に隙ができた。チャンスだ、と アニスは魔法で父と母を小さな人形に変えた。


「あっ」


 貴族の男が叫ぶ。


 父はインゲン豆の王様に。

 母はチューリップ姫に変化した。

 その人形にキャットが飛びついて胸に抱きかかえた。


「キャット、そのまま逃げてっ」


 アニスが叫ぶと、メイドはあっという間に部屋の中から飛び出して行ってしまった。


「ミモザ、わたしたちも逃げましょうっ」


 アニスが精霊に頼むと、ミモザが頷いた。


――時間がありません。


 ミモザは何を思ったのか、ノアに向かって手を振り上げた。


――王子、わたしを許してください。


 そう言うなり、ミモザから強大な力がノアに向かって発せられた。


「ノアっ」


 アニスが叫んだ時、からんと何かが床に落ちた。

 それは、アラベスク模様の銀の鍵だった。


「ノアが鍵になっちゃった……」


 茫然としていると、ミモザが叫んだ。


――アニス、それを口の中に入れるのです。

「えっ、あわわ……」


 アニスは鍵に飛びついた。握りしめると、銀の鍵が手の中で光り始めた。

 アニスはぎゅっと目を閉じて鍵を飲み込んだ。


「うえー、吐きそうよ」

――レディがそんなことを言うものではない。

「んもう、いいからローズを連れて逃げるわよっ」


 かわいそうに彼女はすっかり伸びている。


「鍵を寄こせっ」

 

 白髪の貴族が飛びついてきた。

 アニスはするりと男をかわした。

 早くここを去らないとみんな焼け死んでしまう。

 貴族の男は分かっているのだろうか。

 その時、貴族の男の体から黒い影が襲いかかってきた。


「まさか、エナヴァンっ?」


 エナジーヴァンパイアだ。

 男はエナジーヴァンパイアに取り付かれていたのだ。

 これは大変なことになった。

 アニスは、敵も強い魔力を持っていることに気づいた。

 襲いかかる黒い影をミモザが手を払ってはじき飛ばした。黒い影が消える。


――アニス、わたしにつかまりなさい。


 ミモザが差し出した手にしがみつく。気がつけば、外は真っ暗になっていた。

 そして、体験したこともないほどの大粒の雨が降り出した。窓が破られそうだ。

 アニスは、冷たい雨を見てぞっとした。


――ミモザ? まさか、外へ出るんじゃないでしょうね。


 アニスが叫ぶと、ミモザが答えた。


――何を言っているのです。ここじゃないどこかへ行きますよ。


 ミモザがぐっとアニスを抱く手に力を込めた。


「待って、ローズを置いていけないわ」


 倒れているローズを見て、アニスが言った。

 ミモザは手を振り上げてローズの身を空に浮かせた。ぐったりしたローズを腕に抱き、アニスは強くミモザにしがみついた。


「逃がすと思うのかっ」


 貴族の男が叫んで飛び掛かってくるのと同時に、窓が割れて激しい雨が吹き込んだ。

 ミモザが貴族の男を振り払い、割れた窓から外へ飛び出した。

 大雨がたちまちアニスたちをびしょ濡れにした。

 アニスはローズを濡らすまいとかばう。

 そのとき、嵐に巻き込まれ、貴族が乗ってきた豪華な四人乗りの馬車がくるくると回転しているのが見えた。

 この嵐の中にあっても原形をとどめている。

 アニスは必死になって魔法で馬車を手繰り寄せた。


「ミモザっ」


 ミモザが気づいてすぐに乗り込んだ。ギリギリの所で雷がばしーんと落ちた。


「早くっ」


 アニスは焦った。再び大粒の雨が、馬車の屋根をも突き破る勢いで降り注いでいる。


「ミモザ、急いでっ」

――あなたの望む場所へ。


 ミモザが答えた瞬間、馬車ごと消えた。


 ――わたしの望む場所。


 アニスは必死になりながらも、願いを込めた。

 このまま何もせずに死ぬのは願い下げだった。まだ、結婚もしていないのに。相手がいないのだから仕方がないんだけど……。

 でも、アニスはいつかきっと自分にぴったりの恋人ができると信じていた。


 わたしが望む場所は一つよ!

 アニスは願った。


 四輪馬車がすっと消えた。

 嵐の音が消えてシンと静かになる。

 穏やかな空間に移動していた。


 こんな大きな物体を抱えて瞬間移動したのは初めてだ。

 ミモザはさぞかし大変だったろう。

 アニスは、馬車の中で苦しげに顔を歪める精霊を見て思った。


――アニス、申し訳ない、わたしは少し休ませていただきます。


 ミモザがそう言って、一房のミモザの花に変化した。

 アニスは花に息を吹きかけ、ミモザの花に癒しの魔法をかけると大切に胸の中にしまった。

 

 馬車が目的の場所へと瞬間移動を終えて、地上へ降り立つ。

 アニスが窓から外をそっと眺めると、目の前に広がっているのは荒れ地だった。


 アニスはあんぐりと口を開けた。


「まあ…」


 胸にしまった精霊をもう一度起こそうかしら、と一瞬、本気で思った。

 びしょ濡れのまま、白いドレスのすそを持って外へ出てみた。

 何もないと思ったのは大間違いで、目の前に盗賊のようなひどいなりの男たちがたくさんいて、唖然とした顔でアニスたちを見つめていた。

 アニスは顔をこわばらせた。

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