第13話 辛辣ライラ



 早朝、ジョーンズの顔を見ることができなかった。

 夕べはグリモワールを書かなかった。

 羽の事を書いたり、気持ちを振り返ったりすべきなのに筆が動かなかった。

 ジョーンズは夕べの事など何もなかったかのように優しく声をかけてくれる。

 笑顔を見ると、この笑顔が自分のものではないということが悲しくてたまらなくなる。


「マーサ、出発しよう」


 わたしはできるだけ笑顔になろうと努力した。


「ええ、行きましょう」


 顔全体にスカーフを巻いて、歯を見せないようにほほ笑む。その張りついた笑顔がわたしの精いっぱいの美しい顔だ。

 ジョーンズは何か言いたそうな顔だったが、何も言わず強く頷いた。


 宿を出ると、雲ひとつない青空が広がっている。

 素晴らしく気持ちのいい朝で、わたしの心とは正反対だった。ラリーサは欠伸をしたかと思うと、気持ちよさそうにジョーンズの腕の中でうとうとして、すぐに寝入ってしまった。


 よく眠る子だ。

 ラリーサの寝顔を見ていると、全てを許してしまいそうになる。


「ラリーサ」


 さよなら。


 心の中でラリーサにさよならを言っていた。

 わたしは無意識に、さよならを言った事に愕然とした。


 カッシアに着いたら、どこへ行けばいいの?

 ジョーンズとは一緒にいられない。ラリーサは妖精の女王の元へ帰る。

 わたしには行く場所はない。

 けれど、進まなくてはいけない。


「ジョーンズ、カッシアへはこの道をまっすぐ行くの?」


 見渡す限り荒れ地が広がっているが、ぽつぽつと人がいて、土を掘り起こしていた。


「あの人たちは何をしているの?」

「開拓をしている。この土地はもう僕の領地。カッシアだ」


 はっとしてジョーンズを見た。

 ジョーンズの顔は明るく輝いて見えた。心なしかほっとしたような笑顔にも見えた。


「あなたの土地ね」

「ああ。今は弟に任せてしまっているが、花嫁を連れて帰ったらみんな喜ぶよ。そして、正式にこの土地は僕のものとなる」


 わたしはぐっと握りこぶしをした。

 もう何も言うまい。

 大きく息を吸って、口から吐き出した。もう、怖いものは何もない。


「急ぎましょう」


 わたしは走りだした。力の限り走って、カッシアを見て終わりにしたかった。

 ジョーンズが追いかけてくる。


 どれくらい走っただろう。荒れ地、田園風景、豊かな森、素晴らしい景色を通り過ぎると、立派な居城が見えてきた。

 大きく頑丈な城で緑豊かな美しい森に囲まれている。

 わたしは口を開けてその城を見上げた。


「なんて、美しいの…」


 ジョーンズがうれしそうな顔で馬から下りると、わたしの肩を優しく撫でた。


「おいで、疲れたろうから、まずは汗を流そう」

「ありがとう」


 わたしは小さく答えた。城の人たちはわたしを受け入れてくれるだろうか。

 全く自信がなかった。

 とぼとぼと歩くわたしの横で、ジョーンズの顔は生き生きしている。嬉しそうにわたしの手を握りしめていた。


 ジョーンズが手を握っていなかったら、きっと脱兎のごとく逃げ出していただろう。それを知ってなのか、ジョーンズは決して手を離さなかった。


 城門へ近づくと、門衛がジョーンズを見てあっと驚いた顔をした。

 ジョーンズは片手を上げて笑いかけた。


「帰ったよ」

「よくお戻りになられました」


 飛びつかんばかりに、門衛はうれしそうにして両手でジョーンズの手を握った。

 門衛は馬を受け取り、中にいる他の者たちに報告すると、次々と人が現れた。

 わたしはできるだけ小さく体を丸めて、ラリーサを抱きしめていた。

 ありがたいことに、みんなジョーンズの事で一杯で、わたしたちには見向きもしなかった。

 その時、


「こちらの女性は?」


 と柔らかな男の声がして、わたしはどきりとして飛び上がった。ちら、と目を上げると、美しい顔の男が立っていた。綺麗な顔に思わず見惚れる。

 綺麗な男は眉をひそめた。


「奴隷?」


 その言葉にわたしは凍りついた。


「マイケル、その女性は客人だ。無礼は許さない」

「おっと」


 マイケルと呼ばれた男が肩をすくめた。わたしの顔を覗き込んで、ウインクをした。


「悪かったね、申し訳ない」

「いいえ…」


 わたしはもごもごと答えた。

 ジョーンズは私の腕を取ると、ずかずかと城の中へ入って行った。


「ライラを連れて来てくれ」


 それを聞いてわたしは卒倒しそうになる。さっきは汗を流そうと言ったのに、いきなりライラが出てきたら、今すぐこの城を追いだされてしまう。


 恐怖に震えていると、ざわざわとした人の中から、ほっそりとした女性が出てきた。すらりと背が高く、気高い女性の背中には片方だけ羽があった。

 彼女がライラだとすぐに分かった。

 シミ一つない真っ白の素肌に、冷たい目をした人間ではない美しい妖精。白金の髪は乱れなくまっすぐに伸びている。


 ――お帰りなさいませ、ジョーンズ様。


 妖精は心に話しかけてきた。

 わたしは胸がざわざわした。


 妖精がちらりわたしを見見る。まるで、虫けらを見るような目線だ。


 ――それは?


 ライラの冷たい声がする。

 わたしは震えあがった。


「アニスだ。僕の花嫁だよ。ついに見つけたんだ」

 ――アニス? その化け物がですか?


 ライラの言葉は辛辣で容赦なかった。吐き捨てると口を押さえた。


 ――おぞましい。それは人間ではない。

「ライラっ」


 ジョーンズが真っ青な顔で怒鳴った。しかし、ライラはわたしの服に隠してあった羽をするりと奪うと、自分の背中に戻した。

 たちまち、ライラの両方の羽に力が戻り、輝きを放つ。

 銀色の目がカッと見開かれたかと思うと、わたしの体を弾き飛ばした。

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