第12話 旅の終わり



 ラリーサといると心が和む。

 わたしは、まるで自分の娘のように、ラリーサを愛しく感じていた。

 可愛い。本当にこの赤ん坊は可愛い。

 夜、どこかで休む以外、わたしたちはひたすら移動を続けた。魔法を使うこともなく穏やかな日々が過ぎた。


「マーサ、疲れていないかい?」


 ジョーンズは、走り続けるわたしを何度も案じてくれる。わたしは苦笑した。


「そんなに心配しなくて平気よ」


 彼は、わたしをどこかのお姫様だと思っているのかもしれない。ジョーンズと会うまで、奴隷として、蹴られ頭の毛をむしられ、人として扱われなかったわたしを、彼は大事にしてくれる。

 その心遣いがわたしの心を温かくしてくれた。


 ジョーンズを見ると、最近では体が熱くなる。きっと優しいからだ。

 恥ずかしいけれど、わたしのグリモワールは、ジョーンズの事で埋め尽くされている。

 書かずにはいられない。彼への気持ちがあふれだす。伝えられない気持ちをグリモワールが受け止めてくれる。


 わたしは、馬に乗って前を走るジョーンズをちらちら見ながら、息を吐いた。

 最近では胸が苦しいほどだ。こんな気持ちになるのは初めてでどうしていいかわからない。できるだけ見ないようにするのだが、どうしても目が彼を追いかける。

 ジョーンズを想わない日は一日もない。


 だいぶ日が落ちてきた。ジョーンズが、この先に宿があるからそこで休もうと言った。わたしは頷いた。

 宿には夫婦として泊まることが多くなっていた。ラリーサは眠っている。部屋で食事を取って、ラリーサを抱いて眠るのが習慣になっていた。


 その日もいつものようにわたしはラリーサを抱きしめて眠りにつこうと思っていた。すると、ジョーンズが珍しく声をかけてきた。


「マーサ」

「何?」


 毛布をラリーサにかけて休もうと顔を上げると、ジョーンズが真顔で見ていた。


「この村を過ぎたら、明日にはカッシアにつく」

「え?」


 ドキリと胸が鳴る。


「本当に?」


 旅が終わるのだ。

 わたしはぎゅっと唇を噛んだ。喜べばいいのか、残念に思っているのか、複雑だった。


「僕が最初に言った事を覚えているだろうか」

「…ええ」


 結婚する、とジョーンズは言ったのだ。


「覚えているわ」

「君は、アニスだ」


 ジョーンズが確信を持ったように言う。

 久しぶりに聞いたその名前。



 ――アニス。



 しかし、わたしはアニスと言う名前を聞いても何も感じなかった。人違いとしか思えない。


「残念だけど、わたしはその女性ではないと思うの」

「僕は魔法使いだ。間違っていない」


 わたしは思わず笑ってしまった。最初に会った時に言ったではないか、三千人目のアニス、と。

 心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになる。

 ラリーサと離れたくない。

 いや、ジョーンズと一緒にいたい。これからもそばにいたい。

 けれど、わたしは一緒にはいられない。なぜなら、アニスではないからだ。


「どうしてわたしがアニスだと思うの?」


 聞きたくなかったが、聞かずにいられなかった。なぜ、ジョーンズはわたしをアニスだと思うのだろう。

 ジョーンズは少し考える顔をした。そして、おもむろにポケットに手を入れて何かを出した。出てきたそれを見てわたしは目を見張った。


「エヴァンジェリンにも黙っていたのだけど…」


 彼が見せてくれたのは妖精の羽だった。

 空色の美しい羽だ。わたしは魅せられたように、それから目を離せなかった。


「妖精の羽だわ…」

「君が送ったのだ。僕の国を守ろうと、君がライラに持たせて送って来た」

「ライラ? 誰? それは」

「六番目の妖精だ。君が召喚した」


 わたしは首を振った。君が、君がとジョーンズは言うけれど、わたしは何もしていない。わたしはただの奴隷だ。魔法など使ったこともない。


「ジョーンズ…」


 わたしの心は悲しみで膨れ上がった。それは一瞬で、怒りに変わりそうになる。


「いい加減にして。わたしは魔法使いではないの」

「ライラはこの羽を見せれば、アニスは必ず分かると言った」


 わたしはジョーンズを睨みつけた。


「残念ね。その羽を見ても何も感じない」


 その時、ラリーサがベッドの中で小さくぐずった。


「ラリーサ」


 わたしは慌ててラリーサのそばに駆け寄った。わたしのいらいらを感じ取ったのかもしれない。いや、同じ妖精の羽に対して何かを抱いたのかもしれない。


「マーサ」


 ジョーンズが近づいて来て、わたしの肩に手を触れた。ぐいと強く引かれる。目の前に端正な顔があって、頬が焼けるように熱くなった。


「何を…?」

「これを持って」


 ジョーンズに羽を持たせられた。羽は小さく冷たい。

 わたしは青ざめた顔でジョーンズを見上げた。羽は何も変わらない。当然だ。これ以上言いたくないが、わたしはアニスではない。

 返そうとしたが、ジョーンズが受け取らなかった。


「ライラはカッシアで君を待っている。パースレイン国の王女は君だ。君しかいない」


 わたしは体が震えて仕方なかった。侮辱するにもほどがある。

 唐突に涙があふれ出した。ジョーンズが目を見開いてわたしを見た。

 わたしは涙をぐいっとこすった。


「いいわ、ライラに会ったら確信が持てるわね、わたしがアニスではないことを知ってあなたは心から安堵することでしょう」


 羽を手の中で握りしめて、服の中へしまい込んだ。


「マーサっ」

「おやすみなさい」


 わたしはラリーサを抱き寄せると強引に目を閉じた。

 いったい誰が、こんな髪の毛も生えてこない、まだらの頭をした女と誰が結婚をしたいと思うだろう。

 目だってつぶれているのだ。歯も殴られてから六本もなくなっているのだ。

 どうして、わたしを放っておいてくれないの。

 みじめで悲しくなる。もし、魔法が仕えるのなら、せめて見た目を普通にしてくれたら、こんなに嫌な女にならなかったかも知れない。


 ジョーンズの大きなため息が聞こえた。

 自分でも嫌になる。どうして、素直になれないの?

 グリモワールにはジョーンズに対しての気持ちを書くことができるのに。どうして本人に言えないの?

 わたしの心はどんどん暗くなっていった。





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