第7話 一軒しかない宿屋


 四日目の夜、わたしはグリモワールを夢中で書いていた。

 そこは村に一軒しかない宿屋で、わたしとジョーンズを仕方なく泊めてくれた宿だった。


 この日、宿は客であふれ、どの部屋も埋まっていたため、ジョーンズも納屋で休むことになった。

 ジョーンズは、わたしがグリモワールを書いているのをにやにやしながら見ている。

 わたしはその様子を事細かく書いた後、栞の代わりにしていた羽を見てギョッとした。

 そばで寝そべっていたジョーンズが、むくりと起き上がった。


「羽が光っているじゃないか」


 妖精の羽が反応をしているということは、何か意味がある気がした。

 羽を動かすと、光ったり消えたりを繰り返した。

 試しに窓の方へ体を向けると羽が消える。


 壁(北)に向くと、羽が光った。

 とりあえず、四方に向けてみると、光ったのは北側だけだった。


「行ってみよう」


 ジョーンズが言った。

 わたしは羽を持って、グリモワールを首から下げるバックの中へきちんとしまって納屋を出た。

 この宿は村に一軒しかない割に、敷地がとても広く、客が寝泊まりする部屋は、北へ向かって三棟あった。そのいずれかから、この羽を呼んでいる気がした。


 慎重に羽を様々な方向へ向けて進んだ。

 結局、三棟の宿ではなく、宿屋の主人が住む母屋からだった。


 背中を嫌な汗が流れていく。

 一歩進むたび膝が震えた。

 悪いものじゃない。でも、何かが呼んでいる。

 ジョーンズを見ると、彼は魔法の杖を持っていた。


 急いだ方がいい。


 わたしは焦った。

 早く、早く進め。

 しかし、急いでいるつもりなのに、足は重たくのろのろ進んでいく。


 母屋のドアを開けて中へ入ろうとすると、光が消えた。方角を変えるとまた光り出す。

 何もないところを叩いたり押したりすると、暗い部分に隠し扉があった。

 扉を開けると階段があり、下に続いていた。


 羽がさらに光り出した。

 わたしはジョーンズを見た。

 ジョーンズはしっかりと頷いて、わたしの肩をぎゅっとつかんだ。


 わたしたちはゆっくりと階段を下りた。

 地下まで続いていて、奥に扉が二つある。

 ひとつは光らず、もうひとつ奥の扉で羽が光った。


 そっとドアノブに手をかけて中を窺った。

 男の話し声がした。ろうそくの火がゆらゆら揺れて男の影が映った。

 その男たちの間に、赤ん坊の影が見えた。


 わたしは息を止めた。


 赤ん坊には羽が生えてあった。妖精だった。

 羽がぶるぶると怒り狂ったように左右に震えだした。


 ジョーンズはわたしより前へ出て、中の様子を窺い、声を滲ませた。


「人身売買だ。おそらく隣で競売をし、最も高く買い取った人物がこの部屋で取引をしているのだろう。許せない」


 ジョーンズの怒りはもっともだ。

 わたしは怒りと悲しみで目に涙が溜まっていた。


「これから僕が部屋全体に金縛りの術をかける。マーサはその隙に赤ん坊を抱えて走れ。僕のことなど気にせず森に向かって走るんだ。いいね」

「分かった」


 わたしは声に出して答えた。

 ジョーンズが目を見張る。


「よし、エヴァンジェリン」


 ジョーンズが美少女の名前を呼ぶ。

 すると、サッと背後に銀髪の美少女が現れた。


「エヴァンジェリンは、マーサと赤ん坊を守れ。マーサが森へ向かったら追いかけて、敵から守るのだ」

「分かりました。ご主人様」


 わたしは心臓が口から飛び出してしまうんじゃないかというくらいドキドキしていた。

 赤ん坊を助ける事だけに集中する。

 エヴァンジェリンが後ろしゃがんで待つのが分かった。


「行くぞ! 3、2、1。GO!」


 ジョーンズの声に合わせてドアが開く。

 わたしはサッと中へ滑り込んだ。

 おそらく人間の目には追いかけられまい。


 どうやったのか知らないが、宿の主人と買い手と見られる濃い黒ひげの男は、目と口を大きく開けたまま硬直していた。

 私はテーブルの真ん中にいる赤ん坊(1歳くらい)を抱きあげた。


「うぎゃああ」


 赤ん坊が泣き喚いた。その時、足かせに気付いた。


「エヴィ、鎖を切って」


 とっさに、そばにいた美少女に命令をすると、


「はい、奥様」


 と、エヴァンジェリンが答えた。


 エヴァンジェリンは長い銀髪を斧に替えて、鎖に向かって一気に振り下ろした。

 机が割れて二人の男が左右に跳ね飛ばされた。


 自由になった赤ん坊を連れて、猛ダッシュで走った。

 男たちは今ので術が解けたのか、唸り声をあげた。その頃には、わたしは村の外れまで逃げていた。

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