第4話 わたしには足がある


 男が言葉を失ったのは理由がある。

 無理もない。


 わたしは、片目がつぶれている上に、鼻は折れて曲がっている。

 前歯も殴られた時に六本なくしていた。

 顔はガタガタで髪の毛は洗ったことがないため緑色をしている。その上、前に引き抜かれた髪の部分は生えずに頭皮がむきだしになっていた。


 鏡を見たことがないからはっきりは言えないが、記憶が正しければひどい姿をしていると思われる。

 これでわたしをその誰だか知らない女だと言い張るつもりだろうか。

 しかし、男はそっと手を伸ばして、わたしの髪の毛に触れた。


「かわいそうに……。誰がこんなひどい事を」


 言葉が続かない。

 わたしは俯いた。


「とにかくここを出て、どこかで休もう。お湯に浸かれば元気も出る」


 男は諦めなかった。

 わたしは仕方なく男に従うことにした。

 歩き出そうとしてハッとした。


 納屋にグリモワールを隠してきたことを思い出したのだ。

 あれは唯一、わたしの物だと言える。

 取って来なくては。

 

 屋敷の方へ顔を向けた。

 グリモワールを取ってくるために慌てて納屋の方へ走った。


「どこへ行くんだ!」


 男が追いかけてくる。

 わたしは納屋の扉が開いていることに気づかずに中へ飛び込んだ。

 そして、足を止めた。


 おかしい。いつもと様子が違う。

 納屋中いっぱいに血なまぐさい臭いが立ち込めている。

 馬が死んでいた。内臓を食いちぎられている。

 あっと口を押さえる。


 その先に見たことのない女が倒れていて、その奥にナニかがいた。


 そのナニかはガツガツと馬を食っていた。

 わたしは立ちすくんで意識を失いそうだった。しかし、グリモワールが目に飛び込んで来て、正気を取り戻した。


 グリモワールを守らないと。


 気付かれないようにそっとグリモワールに近づいた。

 息を止めて、そのナニかに見つからないように指先で手繰り寄せた。

 手の中にしっかりとつかむ。


 背表紙をなぞって無事を確認し、胸に抱きしめた。

 外へ出ようと振り向くと、フリルのついた白いシャツに黒ズボンを履いた紳士が四つん這いでわたしを威嚇していた。

 顔は血だらけで目の玉がまっ黒だった。


 わたしはその時まで、自分の主人が伯爵なのか侯爵だったのかすら知らなかった。

 恐怖で動けなかった。

 この狂った男はどこから現れたのだ。


 頭をよぎった答えが、暖炉の燃えカスに残っていた人骨だと気付いた。


 この男がやったのだ。


 ずっとここにいたら、あの男に食べられていたかもしれない。

 わたしはぞっとして、死にたくないと願った。

 その時、馬に乗った男が納屋に飛び込んできた。


ストローよ、この邪悪なモノの動きを封じ込めよ」


 男の呪文によって納屋に敷きこまれていた藁が浮かび上がると化け物を取り囲んだ。


 なんと! 男は魔法使いだったのか。

 よかった。助かった。


 そう思う間に、藁は化け物を羽交い絞めにしていく。

 藁が大量にあってよかった。

 化け物は暴れまくって藁を次々と引きちぎった。すると、


「エヴァンジェリン、急げ」


 男が声を上げると、銀髪の美少女が飛び込んできて、庭から引っこ抜いてきたのだろうゴボウみたいにしっかりした根っこを男へ差し出した。


「ルーツよ、貫け」


 男が呪文を唱えると、根っこは生き物みたいにぐねぐねと動き、先端が鋭くとがると化け物の胸をぐさっと貫いていった。

 化け物が叫ぶ。


 すると、化け物の体から黒い煙が噴き出して消えた。

 ばったりと人間が前のめりに倒れた。

 化け物だった男はすでに死んでいた。


「見ただろ? これが冥界の王たちの残党だ。まだ、王たちは見つかっていない」


 王たち? 何の話?


「ここはやばそうだ。早く離れよう」


 男の言うとおりだった。こんな恐ろしい所にはいたくない。


「後ろにお乗り」


 馬の背に乗るよう男が言ってくれたが、わたしは断った。

 わたしには両足がある。

 走るのが好きだった。


 わたしが走り出すと、男が後から追ってきてわたしに追いつく。

 馬の背には美少女が乗っていた。


「ご主人さま、あのままにしておくのですか?」

「僕にはどうすることもできない」


 あの場所はもう人が住める土地ではないだろう。

 血にまみれて穢れている。

 しかし、何年か過ぎれば新しい生命が誕生するだろう。


 走りながら、わたしはグリモワールを強く抱きしめた。

 屋敷からずいぶん離れた場所に来た。

 立ち止ると後ろから男も追いついた。


「なんて速さで走るんだ、君は」

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