第10話 地獄は来たりぬ

「ひぎゃっ――」


 ドウ――という音が悲鳴とほぼ同時に聞こえ、木々が揺れるのを私は目にしました。


 ゴブリンを探して森の奥へと踏み入った私たちでしたが、その後、一匹のゴブリンも見つけることができなかったため、アイスくんたちを下で待たせ、川の近くの高台にシャロさんと昇っていたときのことです。高台から見降ろした先には淵が広がっており、周囲を崖に囲まれた湿地のように見えましたが、不意に激しい水音が聞こえたかと思うと木々が大きく揺れ、人の悲鳴のようなものが下から聞こえました。


「見えたっ。人食い鬼オーガ!」

「えっ?」


 私も森の中を覗き込みますが、木が揺れているのがわかるだけで何もわかりません。


「行くよ! このままだとダスクたちの方へ行く」


 私の袖を引き、シャロさんが坂を下り始めますが――


「さ、先に行ってっ……くださいっ」


 とてもシャロさんの速さについて行けなかった私は、置いていくように促します。

 シャロさんは一瞬、躊躇いましたが、私の顔を一度確認すると、袖を手放し飛ぶように坂を下って行きました。


 私も必死で坂を下ります。すると、右手の崖下、奥の方から獣の唸り声のようなものが聞こえてくるのに気が付きます。その唸り声はどんどん大きくなり、やがて木々の間から川面かわもが覗くと同時に、10尺はあろうかというオーガと、それに追われるタランガスさんが姿を現しました。


 加えて、タランガスさんが走りゆく先にはアイスくんとダスクさん、そこに合流したばかりのシャロさんが。シャロさんは川面と反対側の森へ二人を導こうとしていましたが――


「ツいてるぜ!」――あろうことかタランガスさんはそう言うと、三人の居る方向へと進路を変えたのです!


「こいつ!」

盾よスキア!」


 オーガをなすり付けるように三人の脇をすり抜けたタランガスさん。

 ダスクさんは咄嗟に空中へ浮く盾を作り出し、オーガが振り下ろした棍棒を受け止めます。無情にも、タランガスさんはそのまま逃げていきます。ただ――


 ただ、シャロさんがダスクさんへ指示を出すのを耳にしました。アイスくんは反論しますが、ダスクさんが詠唱キャストを始めたのを見て取ると、目の前のオーガへと相対します。私は――私もまた、それに応えるように同じく詠唱キャストを。


「彼の地は底の河向い、塩の広野の越ゆる先――」


 そこまで唱え終わったところでシャロさんがこちらを見ていることに気が付きました。


「――忘れが野リンボーが縁、見下ろす谷の奥そこ深く――」


 ですが、煌めく川面側を黒い影が覆ったことで、シャロさんの視線の高さのを理解しました。タランガスさんは、オーガを――と言っていたはず。では何故オーガに追われるようなことになったのか。


「――尽きは……ゲヘンナ……穢れの谷ぞ――」


 私は震えを押さえこみながら詠唱キャストを続けました。真横に現れた獣のような息遣い。今更どうにもなりません。次の瞬間には潰され、ひと息もできなくなるでしょう。それならば、せめてこの詠唱を最後まで――


「――おいで、おいで血の池よ、お運びもうせ針の山――」


 ただ、は足元の私を無視してゆっくりとシャロさんたちの方へと向かいました。その黒い影は丸太のような棍棒を構え、と同じく10尺もの上背がありました。矮小な私には興味さえないのでしょうか。ですがこれは好機。私はついに最後の魔術の詠唱へと入り――


滅びの谷の召喚サモン・ゲヘンナ!」


 ひと月ぶりに観たその光景は、いつにも増しておどろおどろしくありました。

 アイスくんの目の前のオーガの真下から現れ刺し貫いたのは、8尺はある竜の牙ドラゴントゥース。地面をまるで敷物をめくるかのように現れたのは煮えたぎる赤い池ラーヴァ。それだけに留まらず、牙と池は溢れかえり、オーガをも飲み込みます。


 私は詠唱の完了と共にいち早く距離を取っていました。いつものことですから。ただ、心配なのは仲間の事。本当に無事なのか?――私は不安になりますが、広がり続ける牙と池が止まらない事には手が付けられません。しかし、幸いなことに今回は20尺程で収まりを見せ始めました。


 私は解呪ディスペルを詠唱します。防御プロテクションの呪文と違って複雑で、慣れない私には上手く発動ができません。


解呪ディスペル


「――解呪ディスペル


「――解呪ディスペル!」


 四度目の詠唱キャストを完了した時です。

 開いてしまった異世界が、地面を繕うように閉じ始めました。牙は地に伏せ、血の敷物は内へ内へと畳まれていきました。完全に閉じ切ると、そこには何事もなかったような森の風景と、ズタズタに引き裂かれたオーガが二つ。そして――


「ミコち! ミコち!」

「ミコル! 大丈夫か!」

「ミコル、どこだ! 生きてるのか!」


 よかった! 皆さんご無事でした!


「みなさん! よくご無事で!」


 私はシャロさんに駆け寄ります――が!


 ゴチン!


「はぁあ、痛タタタタタ!」

「痛うぅぅ……」


 思いっきりおでこをぶつけてしまい、目がチカチカします!


「やっぱり、居たぁ……痛たぁ……」

「えっ、どこから!?」

「いきなり目の前に飛び出てきたぞ!」


「えっ?」

「ミコち、やっぱりそうだよ! 魔法がかかったみたいに見えなくなってたし、声も聞こえなくなってた」


「ええっ!?」

「どうやったの? たぶん、見えないからだよ。ずっと独りでも上手く行ってたの。呪文も全然聞こえなかった!」


「ぜんぜん、思い当たることが――」



 『(ペコ、静かに音を立てないようにね。魔獣に見つかると食べられちゃうから)』



「――ああっ! もしかして、いつもペコが守ってくれていたのですか!?」


 ポケットの中のペコを覗いてみると、微動だにしません。ただ、眠っているのとも違います。ペコに触れるとわかりました。


「――土くれだ……」


 どうして? どうして? どうして土くれに……。

 ペコをポケットから出すと、私の両手の上で崩れてしまいます。


「――ペコ……」

「ミコち………………………………ミコち!? それ……」


 溢れる涙を隠したくて、俯いていたらシャロさんが声を上げます。

 同時に、手の中に温かいものが……。


「ペコ!」


 ペコはいつものように小鳥の恰好で手の平の上に居ました。


「――どうして!? 中身だけ何処かへ行ってたの??」


 こくこく――とペコは頷きました。


「――もぉっ、びっくりさせないでください!」


 私はペコを抱きしめました。潰れないくらいに。

 ペコは無駄飯食らいなんかでは無かったのです。

 ずっと私を守ってくれていたのです。



 ◇◇◇◇◇



「スマねえ、助かった……」


 オーガの魔石を取り出し、街へ引き返そうとしたところ、シャロさんがのことを思い出しました。湿地を流れる川を遡っていくと、木の傍に一人、湿地に投げ出されていたのが一人。幸い、何とか命を取り留めていましたので、ダスクさんが治癒魔法を掛けたことで意識を取り戻しました。


「礼はシャロとミコルに言え。オレはお前らなんかを助ける義理は無いって言ったんだ」


 そう言いつつも、アイスくんは肩を貸してあげています。そしてもう一人はダスクさんが。


「あなた方のリーダーは最低ですよ。オーガを押し付けて逃げていったんですから。まだせめて踏みとどまるくらいしてくれていれば……」


「ヤツとは同郷だがオレはもう縁を切る……」

「ギルドへの報告にも協力する……」


 そう言ったお二人は、私にも謝ってくださいました。



 ◇◇◇◇◇



 ギルドへの報告は無事に済みました。タランガスさんはギルドからの重い処分を受けることになりそうだとお聞きしました。


 オーガについては、一年前にオーガメイジが現れたことでの一部が結束し始めたらしく、依頼を受ける者に注意喚起されていたのだそうです。今回の件は十分な調査をせずに踏み込んだ、タランガスさんの責任だったようです。



 ◇◇◇◇◇



「マジすごかったぜ! ミコル!」


 酒場に繰り出し、私たちは宴を開いていました。オーガの討伐報酬と、魔石を売り払ったお金でまとまったお金ができたのです。これでリーメさんにもいくらかお返しできます。


「ミコルが今まで怪物狩りをしていたとは聞いていましたが、まさか本当だったとは」

「あたしはミコちを信じてたもーん」

「い、いえ、私もペコが協力してくれていなかったらと思うとぞっとします」


 ペコは得意げな顔で肉を頬張っていました。


「ペコちゃんもしっかり食べようね」

「でもさ、ミコルが独りで怪物を狩れるなら、オレたち要らなくね?」

「アイス……」

「そそ、そんな、とんでもないですっ! 私はゴブリンとかすばしっこいのが苦手です。あちこち隠れているのとか絶対無理ですから」


「なるほど、そだね」

「じゃあさ、強そうなのが居た時だけミコルに倒して貰おうぜ」

「ダスクさんが防御プロテクションさえ掛けてくださるなら……」

「それくらいなら任せておいて」


 ちょっと最初の予定とは違ってしまいましたが、なんとかこのパーティでやっていけそうでした。これも全て、私の王子様の……ユーキさんのおかげですね。明日、報告できることが嬉しいです。







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 train迷惑ですよねw

 続きは本編、第三部へ。

 https://kakuyomu.jp/works/16818093083594464572

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