第4話 ただいま

 王城で4泊した後、ようやく開かれた宴で俺とアリア、そしてルシャは、国王陛下の前で正式に婚約者となった。


 本来であれば15才を過ぎ、成人している俺たちは、すぐにでも結婚するべきなのかもしれない。けれど、俺が召喚者と言うことで婚約と言う形を取らせてもらった。もちろん国王陛下の前での婚約だから、誰にも邪魔されないし、逃げ出すこともできない。婚約破棄? そんなことはありえない。俺をこの世界に繋ぎ止めておくものがまたひとつできたのだ。



 宴ののち、その日のうちに俺たちは下宿へ帰らせてもらうことにした。王城での暮らしは贅沢だった代わり、俺たちには窮屈過ぎた。リーメだけは図書館へ通えなくなるため渋ったのだが、学び舎の生徒でもあったリーメは、その後の図書館への出入りを許可された。


 そしてもうひとつ、早く帰りたい理由もあった。ルシャだ。

 ルシャは新月の夜を迎えるので『魔女の祝福』を授けて欲しいと頼んできた。半月前の満月の夜に『魔女の祝福』は掛けてあったのだけど、普段、新月の夜から何日かけて祝福を授けていたのもあってか、ルシャがどうしてもと懇願してきた。


 結局、リーメに幻影魔術イリュージョニーで偽物のルシャとアリアまで作り出して貰い、メイドの目を誤魔化してまで二人で俺の部屋に泊まった。俺は早めに寝るからと、部屋番を追い出しベッドに入った。


 一昨日と昨日の夜は、そんな感じで冷や冷やしながら夜を過ごした。ルシャは普段から声を抑えてくれてるのだけれど、久しぶりのベッドだったせいか、或いは普段と違う環境のせいか、いつもよりルシャが興奮してちょっと大変だった……。アリアが臍を曲げないでいてくれたのは幸いだったが。

 とにかく、これで安心して…………いや、安心して良いものなのか…………ルシャに祝福を授けられるようになる。



「ただいま」


 懐かしの我が家にそう言って入っていく。もちろん誰もいないのは知っているが――


「ユーキったら、誰も居ないわよ?」――キリカが揶揄うように言ってくる。


「知ってるよ。知ってて言ってるんだよ」


 家族の住む家へ帰ることに慣れてしまうと何となく言ってしまう。独りで宿に寝泊まりした経験があるとなおさらだった。


「ただいま!」――アリアが俺の真似をして誰も居ないリビングへ向かって声を掛ける。


 な?――そうキリカに言うと、彼女は口を尖らせて自分の部屋へ向かった。だけど自分の部屋を開けて入るとき、小さな声で――ただいま――と言ったのが微かに耳に入った。


「あれ? 掃除されてる?」

「ミシカたちでしょうか?」

「ほんとだ。あでも、寝室には入ってないみたいだよ。ほら」


 掃除されたリビングのテーブルに、書板が置かれていた。


「お小遣いをあげないといけませんね」――微笑むルシャに、俺たちは――そうだね――と。


 二月ふたつき近くの間、下宿を留守にしていたが、ちゃんとミシカとヨウカが部屋の様子を見に来てくれていたようだ。その後、簡単に部屋を片付けたあと、二人に会いに行った。



 ◇◇◇◇◇



 ミシカとヨウカがちょうど外出中だったのもあって、下宿に戻れたのは少し遅い時間だった。市場で食材を買うには遅い時間だったので、孤児院で食事を頂いてきた俺たちは、ゆっくり休めるように部屋の掃除を始めた。


雑巾モップ掛けはまた明日でもいいんじゃないかな?」

「ううん、今やっておく。綺麗なところで寝たいでしょ?」


「まあそうだけど……」

「あと、これも調整に出すから片付けておきたいし」


 アリアが指すのは国から貰ったという装備。勿体ないので調整して使えるようにしておくそうだ。荷物は馬車で運んでもらった。モップ掛けを終えたアリアが床に座り込み、帆布の上に荷物を広げる。こういうところが普通の女の子と違うし、そこがアリアらしくてかわいいと思う。泥で汚れた鎧は魔法で綺麗にされていたが、あちこち損傷が目立つ。特に革の部分は傷んでいた。


「そういえば新しい鎧をあつらえたにしてはずいぶん用意が良かったんだな」

「それが…………ルシャが聞き出したんだけど、あたしたちが使ってた鍛冶屋を脅して採寸を聞き出したんだって。だから基本的な部分は合ってたけれど、職人の勘任せな部分は伝わらなかったみたい。だから調整が甘かったの」


「あの大臣、結構前から計画してたのか」

「少なくともあたしとキリカは狙われてたみたい」


 俺たちを引き離したあの大臣や公爵には文句のひとつも言ってやりたかったが、陛下が歩み寄ってくれたことですっかり気持ちも落ち着いてしまっていた。正直、国の要職をぶん殴っても、後が面倒なだけでそれほど気持ちも晴れないしな。騎士団長については俺としては十分にしてやったつもりだし。


「じゃあお詫びに鍛冶屋の職人たちに奮発しておかないとな」

「そうだね。――あっ、ユーキも自分の鎧、ちゃんと整備なさい」


 そう言いながらも――ふふっ――と笑うアリア。

 こうしてアリアと床に胡坐をかいて装備のメンテナンスをしてると、日常を感じる。


 鎧の損傷個所を書板に書き出していき、明日、鎧鍛冶に修理してもらう部分を調べ終える。すると、扉をノックする音が。


「ユーキ様、リーメに頼んでお湯を沸かして貰いましたのでお風呂をどうぞ」

「あ、うん。ルシャは? 先に入れば?」


「私はお先に頂きましたので」

「そう?」


 そうは言うけれど、最初にルシャがお風呂に入った形跡はこれまで一度も見たことがない。

 ルシャが部屋に戻ったのでアリアに聞いてみると――


「女の子のそういうとこ、詮索しないの」


 ――と、釘を刺される。ついでに言うと、アリアたちはいつも俺を先に風呂へ入らせようとする。アリアには恥ずかしいから先に入ってと言われ、キリカにはそういう趣味があるのかと問われるので断り辛かった。


 浴室バスルームは各階にひとつ。七階にもひとつだけある。トイレも同じく。ドーム型の天井でタイル張りの広めの洗い場に、謎の石の台座――アリアが言うには垢すりや香油を擦り込む際に寝そべる台らしい――、足の付いた浴槽バスタブがある。屋外の通りにあるような流しっぱなしの水道ではなく蛇口の付いた水道で、出は悪いけれどバスタブに水を溜めるには困らない。散湯口シャワーもついているけれど、水の勢いが無いので使い物にならず、当然お湯も出ない。


 ……ただ、大賢者様が言うには昔はお湯のシャワーが出たらしいんだよな。



 お風呂から出てすぐの脱衣所には棚を作り足してあった。それぞれ、名前を書いた棚にタオルとか着替えを置いてあって、俺の棚には寝間着とリネンのシャツシュミーズパンツブレーが置かれていた。着替えに余裕があると宿に寝泊まりしていた頃が嘘のように快適になる。あの頃は着替え一枚が財産だったもんな。


 七階を丸ごと借りているため、寝間着のまま室内履きスリッパを履いて部屋へ戻れる。下の階ではこうはいかないだろう。アリアは既に部屋の片付けを終え、リビングで待っていた。


 アリアが交代で風呂へ入るが、最初の頃は毎日風呂に入ろうとする俺に驚いていた。彼女らは足だけは毎日綺麗に洗うのだけど、毎日のようには水浴びや、まして風呂など入らない。尤も、宿に寝泊まりしていた頃は俺も無理だった。何しろ、宿でたらいいっぱいの水を用意してもらうと銅貨3枚を要求されるからだ。



 ◇◇◇◇◇



 アリアが風呂から上がってくる。流石に彼女は寝間着の上からガウンを羽織っていた。ただ、冒険者時代は普通に下着のままか、或いは鎧下のままで寝ていたらしいから、最初はずいぶんと落ち着かない様子だった。


「アリアはその……本当に平気なの?」


 ルシャとの祝福にはアリアがいつも付き添ってる。好きな相手が他の相手と寝ているところなんて普通なら観たくないはず。するとアリアは俺の頬に触れるよう手をやり――


「痛テテテテ」――つねられた!


「平気なわけないでしょ! そういうところよ、もう!――――でも、ユーキがしたいならあたしもいいよ。だけど祝福は忘れないでね。あたしにはまだ護りたいものがあるから」


「わかった、祝福は忘れない」


 そして俺は、アリアともう少しだけこの関係を続けさせてもらうことにした。



 ◇◇◇◇◇



 ルシャの部屋はいつもほんのりといい香りがする。香草の香りとか、少しだけ甘い香りとか。大賢者様の所とはまた違った香りの。

 ベッドの上にはシーツを纏ったルシャがちょこんと座っている。


「ユーキ様、アリアさん、今晩も宜しくお願いします」

「ああ、うん、こちらこそ……」


 そう言うとアリアに小突かれる。もうちょっと自信を持てと言う事だろう。ただ、中身からしてイケメンでもない俺はこんな時に何と声をかけていいかわからない。例えば――やあルシャ、今日も祝福えっちしようか――とか軽いノリで言ったらアリアに張り倒されるかもしれない。かと言って――今日のルシャは一段とかわいいね――とか迂闊に褒めると後でアリアが拗ねかねない。いったい、どうすれば良いのか。


「どうされました?」


 ルシャが声をかけてきて我に返る。


「いや、いつもなんだけど何て声をかけていいか困って……」


 そういうこと言わないの!――とアリアが小さな声で言う。


「そうですね、ユーキ様はいつも私のことを――かわいい――と褒めてくださいます。もちろんそれはそれで嬉しいのです。恥ずかしながら、ユーキ様の素直な印象なのだと思います。ただ、私ももう大人です。ですからせめてこういう場ではその、ではなく――」


「きれいだよ、ルシャ」

「…………はい、がんばりました……」


 頬を赤らめ、はにかみながら肩を出し、口づけを求めてくるルシャ。

 隣に座り、求めに応え、寝間着を脱ぐ。ルシャは纏っていたシーツをはだけさせると、俺は彼女の腋の下から背中に手を回す。最初の頃と比べてくすぐったがる様子はなくなった。彼女も俺の首に腕を回し、体重を預けてくる。いくらか小柄なルシャの体を横に寝かせると、身体をマッサージするように揉む。ルシャの体は冷たいことが多いからだ。ただ、ちょっといつもと違う違和感。その理由はすぐにわかった。


「えっ?」――と思わず声をあげてしまった。

「ルシャ、それどうしたの?」


 アリアも驚いてルシャに聞く。


「あの、おかしいですか?」

「いや、おかしくはないけど、いったいどうしたの?」


「ユーキ様の居た世界では体毛は剃ることが多いとお聞きしまして……特に女性は」

「……アオか……」


 頭を抱えていると、ルシャが困った様子。


「――いや、ぜんぜん……きれいだよ。でもルシャは元々そんなに濃くないし、無理しなくてもいいと思うんだ」

「アオさんが、運動の邪魔になるから剃る人も普通にいると仰るので……」


 ルシャは局所的にはそれほど濃くない代わり、ほんの薄っすらとだけ亜麻色の産毛が生えている。それを剃ったから触れたときに違和感があったのだ。


「はぁ…………腕も脚も剃ると、感覚が鈍くなるって聞いたこともあるから程々にね」

「確かに、すべすべする代わり、ちょっと痺れたような鈍さがありますね」


「ルシャ、そんなにあちこち……痛くなかったの?」

「はい、黄色い羽衣葉メリスを裂いたものを塗ってから剃りましたから」


 確かに羽衣葉メリスは少しぬるっとしてるし、何より黄色い羽衣葉メリスは肉体の再生を促す薬にもなる高価な薬草だ。冒険を始めた頃は、これを求めてあちこち彷徨ったが手に入れることは叶わなかった。それも今の俺たちには珍しくない薬草だったが――


「そんな使い道があるんだ……」

「はい、アリアさんも使ってみてください」


 アリアは俺の顔をじっと見る。


 アリアの赤い髪は好きだ。この国では真っ黒な髪はまず居なくて、日本人の召喚者の末裔であっても黒は珍しいらしい。いろんな髪の色の人が多いのは、優性遺伝とかそういうのが無いのかもしれない。そしてアリアもルシャと同じく、髪と同じ色の薄っすらとした――


「ちょっと、変なこと考えてないでルシャに集中してあげてよ」


 剥き出しの横腹を抓られて、思わず体を反らしてしまう。


 驚きで中座してしまっていたが、俺はルシャに向き直り、祝福の祝詞を唱えるのだった。






--

 何がとは言いません。

 カミソリ自体は昔からあります。ユーキもときどき髭を剃ってるはず。


 手に入れた平和な生活って、あんなものがあってこんなものがあってと書き出していくと、幸せを数えるみたいで楽しいです。


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