第9話 大掃除

 その後、すぐに部屋を借りる話でまとまった。


 最初の話では、ルシャは孤児院に残るようなことも言っていたけれど、こっちに部屋を取って住むこととなった。孤児院へは、毎朝出向いて『聖餐』を孤児院の皆に施す。『聖餐』っていうのは聖女の力で、一日分のやわらかいパンと清浄な水を神さまの力で与えてもらう。不思議なことに、この時の水だけは皆そのままで飲むんだよな。


 リーメについては、成人が再来年ということもあって孤児院から学び舎まなびやへ通う予定だったのだが、孤児院の部屋を引き払ってこっちへ来ると駄々をこねたので結局、ひと部屋借りることに。ルシャが言うには、孤児院に残ると自分が最年長になってしまうので逃げたかったのだろうと。


 最上階には厨房と小さな食堂、倉庫なんかもあったので、俺とアリアは厨房と食堂のある広い場所を改修してリビングと寝室にし、その厨房から繋がる部屋のひとつをルシャが使い、キリカとリーメは廊下から繋がる別の部屋を借りる事にした。


 各階には共同で使うバスルームがあり、シャワーなんかもついてるんだけど残念なことに水は出が悪い。当然と言うか何というか、この七階、いちばん高い水道橋と変わらない高さなんだよな。そりゃ出も悪いけど、七階で水を使えるだけでありがたい。貯めた水をリーメに沸かして貰えば風呂にも入れる。


 結局、用心もあって最上階丸ごと陽光の泉ひだまりで借りる事となった。



 ◇◇◇◇◇



「マリメアさん、お疲れさまです。お昼にしましょう」

「はい、ルシャ様!」


 下宿を大掃除するとなって、四階に住むマリメアが手伝いに来てくれていた。ルシャのことを聖女様と呼んで止まなかったのが、ようやくルシャ様に落ち着いたところ。

 とりあえず、厨房と食堂が片付いたので、朝、リーメに火を起こして貰って煮込んでおいた肉のスープとルシャの聖餐のパンを、厨房に移動してきたテーブルで振舞う。


「手伝ってくださるのはありがたいのですが、学び舎での学業が疎かになったりしていませんか?」

「大丈夫です。実家は小さな荘園の郷士で余裕もありませんので講義もたくさん取れませんし、それに私の引っ越しの時には他の部屋の皆さんによくしていただきましたし――わっ、今日のスープも豪勢ですね」


「ユーキ様の作られるスープはこの街いちばんのご馳走なのですよ」

「ルシャ、それは言い過ぎだよ」


 ルシャは、自分より幼い相手に対してはとにかく穏やかで落ち着いている。普段のちょっと天然な部分が鳴りを潜めるけれど、あれはもしかすると年上に甘えたいという内心なのかもしれない。ずっと孤児院で下の子たちを献身的に見てきたから。


「とってもおいしいです」

「ユーキは料理だけはうまいんだよね」

「だけって言うなよ、ヨウカは」


 この生意気なのはヨウカ。真っ黒な髪をボブにカットした少女。俺が悪い貴族に捕まった時、同じ娼館の牢に閉じ込められていた。助け出された今は孤児院に居て、下の子たちの面倒を見てくれている。


「ヨウカってば! ユーキさんが居なかったら私たちだって助かってなかったんだから! そうですよね、ルシャ姉」


 そしてもう一人、一緒に助け出されたのがミシカ。牢での生活で栗色の長い髪が傷んでしまっていたけれど、少しずつ綺麗になってきている。ふたりは下宿の掃除を手伝いに来てくれていた。


「ヨウカさん、ユーキ様は私たち皆を救ってくださったのですよ」

「ええー、だって料理以外はヘタレじゃん。アリアさんの方がずっと積極的だし」


 そう言って隣の部屋のアリアを覗き見る。

 アリアは商人と指物師の職人とで部屋の内装のことを話していた。


『――それからベッドはいちばん大きい物で』

『大きい……となりますと、6尺の7尺となりますが……かなり大きいですよ?』


『しゅ、主人の希望でして……』

『承知しました。それから天窓ですが、最近の高層の部屋は玻璃を窓に入れるのが――』


 そんな話が聞こえてくるので俺は慌てて身振りで否定すると、ヨウカがニヤリとこちらを見やる。


「やっぱりアリアさんの方が積極的ってコトじゃん。さっさと結婚しろし」

「な、なるほど、婚約されてますもんね……」


 マリメアも顔を赤くしていた。

 昨日、アリアとベッドを含む内装の相談に店を訪れた時には、彼女も似たような反応を示していたが、今はもう腹を括ったのか、隣で粛々と話を進めていた。



 ◇◇◇◇◇



「ん? どうかした?」


 商人たちが挨拶して帰った後、テーブルにやってきたアリアがきょとんとして問う。

 みんな、ベッドの話に耳を澄ませていたなんて言い出せない。


「や、おつかれさま。アリアも座って。スープよそるから」

「うん、ありがと」


「アリアさん、パンもどうぞ」

「ありがとミシカ。あっ、シロップ漬けだね。ベリーの色が綺麗でおいしそう」

「マリメアさんが下さったんですよ」

「実家の秘伝のレシピで作ったシロップ漬けです。アリア様もぜひ御賞味ください」


「ん、ありがと。――おいしいね。あっ、でもこれ、なんだか懐かしい味……」

「大昔は陛下に献上していたとも聞きますけど、最近は外に出していませんしどうでしょう?」


「わかった。これラトーニュの荘園の?」

「そうです! 私の実家がラトーニュになります」


「へえ、ラトーニュってどの辺り?」

「王都の西だよ」

「ミリニール領に入ってすぐ北になります」

「町の方では我々も時々お世話になってますね」


 ミリニールという名はよく耳にしていた。今は国の直轄地となっているが、元々はアリアの故郷だった場所。アリアの実家、アイリア家が収めていた領地だった。幼い頃に一族が絶えたというから、それまでにどこかでこのシロップ漬けを口にしたのかもしれない。アリアの様子を心配したりもするが、今の彼女に憂いは見えなかった。



 ◇◇◇◇◇



「ただいまぁ~。はぁ、疲れたぁ」


 今は掃除中で表の戸を開けたままにしてあったのもあって、帰ってきたキリカの疲れた声が廊下の方から聞こえてきた。


「おつかれ、キリカ」

「いや、剣聖に疲労耐性があるのに疲れたとはどういうことだよ」

「疲れるわよ! ずっと品の良い保護者の顔してないといけないんだから。私まだ14よ!?」


 とはいえ堂々としているキリカの方が俺よりずいぶんマシだし、アリアは王城に行きたがらない、ルシャはちょっと心配だしで、付き添いの適任はキリカと判断したのだ。


「うぃ~~~」

「リーメ姉、おかーり」

「リーメ姉、お帰りなさい」

「入学試験はどうでした?」


「バッチリ」

「ウソおっしゃい。呪文に文句付けられてたじゃないの」


「あれはアイツらの頭が硬いだけ。正確な呪文じゃなくても発動する」

「えっ、正確に詠唱しないと無理じゃないですか?」


 傍で聞いていたマリメアが問いかけた。


「魔術は演算。その時その時で適した呪文を組み立てながら詠唱する」

「そういうの、リーメは独学だからちゃんと教わった方がいいぞ」


「実際、あたしの方が詠唱は速かったもん」

「リーメさん、教わりに行くのですから態度は大事ですよ」


「……わかった」

「ま、それはともかく、読み書きや計算は十二分にできていたから試験は大丈夫のはずよ」

「じゃあ問題はなさそうなんだな。おめでとう」


「ただ問題は講義の方ね。いくつかの講義は月謝を免除してくれるそうだけど、魔術の講義はちょっとお金が要りそう」

「共有財産からで足りそう?」


「そこは十分。だけど、もうひとつ問題があって……女の子はマナーの講義と地母神様の秘儀が必須みたいなの。あと全員、体術は最低でもひとつは学んでおかないといけないって」

「体術もですけど、地母神様の秘儀って私ちょっと苦手です……」


 マリメアがそう言うと、リーメが傍に行って顔を寄せ――


「地母神のエロ知識ならあたしが手取り足取り教えてやろぉかぁ?」

「ひぇ……」

「やーめろ。オッサンかお前は」


「孤児院で受けたから要らないって言ったのに講義を受けさせられるんだぞ」

「地母神様の秘儀は大事ですから何度教わってもいいんですよ」


 ええ――とリーメ。


 ともかく、翌日にはリーメの合格が通知されたのだった。







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 この世界、ガラスはかなり昔からあります。ただ、用途が限られていて主に使われているのが容器。窓にはめられ始めたのは国が十分平和になったごく最近からです。


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