第2話 ひだまりの日々

 朝の早い時間、孤児院で目覚めた俺は、庭に面した壁際の水道で顔を洗っていた。街のあちこちにある広場には水道があるけれど、孤児院には直接水道が来ていた。


 そしてこの水道は北の山の向こう、月の湖という湖から水道橋で水を引いているらしい。だから井戸から水を汲み上げなくても水が出る。結構、凄い事なんだろうけど、召喚者である俺にとってはその巨大な水道橋そのものの方が圧巻だった。召喚者っていうのは異世界から召喚された者って意味で通ってる。俺の元居た世界は……確か日本。日本の高校生だった。


 水道の無い新市街や旧市街の東の方では今でも井戸を使っているらしい。ただ、井戸の水は硬水?――ってやつで、髪とかを洗うとギシギシになるとアリアが言っていた。もともとこの辺りの人は水をそのままでは飲む習慣がない。甘酒のような濁った葡萄酒や麦芽酒を混ぜて飲む。俺が飲んだ限りでは、水道の水は普通においしいので古い習慣なのではないかと思う。



「おはようございます、ユーキ様」


 水道までやってきた少女が俺に挨拶してきた。


「おはよう、ルシャ。体の調子は大丈夫?」

「はい。えっと、そんなに心配されなくても病気はもう治りましたよ?」


 俺がルシャと呼んだ長い亜麻色の髪の少女は少し前まで重い病を患っていて、生死の境をさまよっていた。その彼女を俺の持つ魔女のの力で救った。ルシャは聖女の祝福を得たのだ。だからか、ルシャは俺を様付けで呼ぶのをやめてくれない。


「でも昨日も寝ちゃったよね? その……祝福の最後で」

「ええ、何というか、幸せに満たされて……眠くなっちゃうんです」


 ふふっ――と笑う彼女はとても元気そうに見えた。


「あの、今晩もお願いできますか? 祝福」

「大丈夫なの!? 疲れてるんじゃないの?」


「ぜんぜん! だってユーキ様の祝福があるんですよ。疲れ知らずですから――」

「ユーキ!」


 ルシャの後ろから赤髪の少女が現れる。少女は後ろ手に指を絡めて俺の傍まで近寄り、顔を覗き込んでくる。


「――おはよ、今日もまたルシャと…………するの?」

「あっ、アリア、おはよう。その――」


 言葉を選んでいると、赤髪の少女――アリアは俺にキスしてきた。


「いいけど、キスはたくさんしてね。それから……きょ、今日も立ち会いますから」

「キスはいいんだけど、本当にまた一緒に!?」


「わっ、私が第一夫人の予定なんですからね!」

「ええ……」


 昨日の夜もそうだったが、アリアは俺とルシャとの祝福に立ち会うと言ってきた。ってのは誰かに見られてするようなものじゃないと思うんだけどな……。



 ◇◇◇◇◇



 俺とアリアは少し離れた場所にある宿屋で部屋を借りている。昨日、孤児院に泊ったため、今朝はこっちにいた。孤児院にはルシャたち、未成年の陽光の泉ひだまりのメンバーが寝泊まりしていた。


「ルシャはギルドに行かない?」

「はい、アリアさんとの大事な朝の時間をお邪魔するわけには参りませんから」

「ちょ、ちょっとルシャ……」


 孤児院のホールの大きなテーブルで朝食を取っていた。他に、まだ独り立ちには早い下の子たち、それから院長さんと――


「手を繋いで、ちっちゃい子供みたいに幸せそうだものね」


 この、人を揶揄ってクスクスと笑ってるのがキリカ。キリカは長いふわりとした金髪の長身の少女。彼女もこれで未成年。成人は15才なので今は14才。14才にしてはめちゃくちゃデカい。俺が最期に身長を計ったのが174cmだったから、170cmは超えてると思う。


 ただ、キリカだけじゃなくルシャやリーメも結構背が高くてびっくりする。160cmくらいあるんじゃないかな。アリアはおそらく同い年で170cm無いくらいだと思う。この国の人はフィートで数えるからちょっと分かりづらい。


「ちょっと! キリカまで揶揄わないでよ。あれはユーキが、恋人ってそういうものだっていうから繋いでたの!」

「はいはい、ごちそうさま」


「うぃ~~~」


 遅れてリーメがやってくる。こいつは常にマイペース。


「おはよ、リーメ。――じゃ、あたしたち行くから。――行こ、ユーキ」

「ああ。――ごちそうさまでした」


 アリアと食器を持ってホールを立ち去る。

 厨房の流しで食器をさっと洗うと、用意してあったバッグを持って裏口から庭へ出て行く。外はもう日が昇っており、庭は暖かそうだった。


「気持ちよさそうだな」

「あとでお昼寝しよっか」


「そうだね」



 ◇◇◇◇◇



 アリアと手を繋いで朝の通りを歩く。

 この国の人たちは、大人が腕を組んだり、エスコートしたりすることはあっても、手を繋いで歩くことはまずないらしい。そういうのは子供だけだそうだ。ただ俺はこの国の人間じゃないから、俺の居た所では恋人同士はこうするんだよと、手と繋いでいる。


 繋いだ手を、アリアは通りを行く人の視線を気にして恥ずかしそうにするクセに、キスはあまり人目を気にしないんだよな。よくわからない。



 俺たちの朝の日課、冒険者ギルドまでの散歩。

 冒険者たちのギルドと言う名こそ夢があるが、実際はこの王都の市民権を得られないような者を管理し、仕事を与え、国の治安維持の一端を担ってもらおうって団体だ。もちろん、本当に夢を追う者も居る。


 何しろこの国は魔王領と隣接している。時に魔王の軍勢が溢れ出し、また魔王に誘発されて各地の森の悪戯妖精ボギーと呼ばれる性質の悪い妖精や、或いは幻獣といった怪物が人里を襲ったりすることもあるのだ。それらを排除するのが冒険者であり、魔王を倒す勇者ともなれば富と名声が約束されている。


 尤も、俺は富や名声なんかには興味がない。俺が望むのはアリアたちとの平和な生活だ。



 ◇◇◇◇◇



「よお、朝から仲がいいな、お二人さんはよ、チクショーメ!」


 ギルドホールに入るなり、右手の四角いテーブルで長椅子の背にもたれかかり寛いでいる鎧下姿の中肉中背の男が声を掛けてくる。年のころは……実はこの国の人は年齢が分かりづらい。すごく若く見えるのに40代とか、80近いのに未だ現役の若々しいオッサンとか居るし、年齢三桁もざらに居る。……とにかく鑑定なしではわからない。


「相変わらず口が悪いよな。そんなんだからいい相手が見つからないんだろ、タシルは」


 タシルというこの男は、イイ女を見つけるために冒険者となり村を出たと言っていた。イイ女を見つけるにはオレがイイ男にならねばな――と理想を掲げるのはいいのだが、朝からこの体たらくである。


「ケッ、イイ女が見つかったと思ったら、お貴族様の婚約者だったんだよ」


 その彼の言うお貴族様の婚約者というのがアリアのことだった。もちろん、それはお貴族様の出まかせでアリアは婚約者などではない。冒険者仲間の間では、そんなお貴族様からアリアを解放したのが俺ということになっていた。


「おはよう、タシルさん。朝からみっともなくてごめんね」


 そう言いつつも、手は離さないアリア。


「いやいやいやいや、アリアちゃんはいいんだよ。悪いのはこいつ、ユーキだから」

「いや、お前だろ」


「うるせーよ、こ、こんなかわいい女子とイチャイチャしやがってよ」

「女子って……アリアはもう成人してるだろ」


「清く、美しい心を持っている女性はみんな少女なんだよ」

「ぇえ……」

「ありがと、タシルさん。じゃあまた」


 そう言って俺を掲示板の方へと促すアリア。

 アリアはやはりちょっと冒険者の男連中とは距離を置いていた。



 ギルドの受付手前の右側の壁にはいくつもの書板が掛けられていた。どれも冒険者向けの依頼かパーティと呼ばれる集まりのメンバー募集だ。冒険者がパーティを組む理由の多くは財産管理と信用にある。パーティの共有財産なんかをギルドで管理できるし、名が売れれば指名依頼がくることもあるという。


 依頼を眺めるのは毎朝の日課のようになっていた。依頼が増えるのはもっと遅い時間なのだが、本来の目的は依頼探しではなく、俺が文字を読むための練習にあった。いつもはもっと早い時間に来て掲示を眺め、そのまま薬草を摘みに行ったりしていた。


「代わりのゴブリンの巣穴掃討の依頼はなさそうかな」

「このオーガってのは鬼?」


「オニ……は分からないけど、オーガっていうのは人を食べる妖精かな」

「妖精なんだ……」


「うん、ときどき魔術を使うのも居るから注意しないといけないの」

「ゴブリンとかオーガとか、やっぱり昔の召喚者が名前を付けたんだろうか?」


「う~ん、ユーキの居た世界にも居たの?」

「居たわけじゃないけど、伝承とかだね。あとゲームとか」


「ゲーム? ユーキがやってたやつだよね。あれだけは説明を聞いてもまだよくわかんないかな」

「うん。ゲームにもそう言うのが出てくる。オークとか」


「オークなら居るよ、聖国のまだずっと西に国を作ってる。伝説では大昔の魔王に地の底の世界から大勢召喚されたんだけど、呪縛を断ち切って魔王に反旗を翻した誇り高い種族だって話」

「へえ、オークってそんななんだ」


 そんな話をしながら、腕試しにオーガ退治を引き受けることにする。


「こんにちは、アリア様」

「えっ、どうしたんですか? ヴィリアさん……」


 受付では、受付嬢のヴィリアさんが先日までとは全く態度を変えてきた。


「ユーキ様もこんにちは。ヴィリアと呼び捨てで構いませんよ。聖騎士様とその御一行のお連れ様ですので、我々ギルド職員も相応の対応をと改めさせていただきました」

「ええ……」

「あの、あたしもそういうのはちょっと……」


「慣れておかれた方が宜しいと思いますよ? もしかすると国王陛下からもお呼びがかかるかもしれません」

「そ、そういうのは困るので取り次がないでもらえますか……」


「どうしてですか?」

「どうしても……です」

「まあ、アリアも嫌がってますし、俺も困るのでそういうの取り次がないでください」


「?……わかりました」


 目を丸くしたヴィリアさん。とにかく、俺たちはオーガ退治の依頼の話をつけておいた。



 ◇◇◇◇◇



「私は今の長剣の方が使いやすいけど、ユーキは他の武器も持った方がいい。祝福が無いから、相手に合わせて使い分ける方がユーキ向きだと思う」


 俺はアリアに連れられて武器を見に来ていた。鉈剣は今のままで、長柄武器ポールアームと呼ばれる両手で扱える武器をオーガ退治に使おうと言う。ずらり並んだ各種長柄武器。正直、どれが何やらさっぱり分からない。かろうじて鑑定で通称が出る程度。


「ユーキは力がすっごく強いから、力を十分に篭められる長柄武器ポールアームは有効だと思うんだ」

「それはいいんだけど、どれを使えばいい?」


 俺たちが話していると店員が用聞きにやってくるが、アリアは分かるから大丈夫と言って追い払う。店員がいなくなると、ちょっと顔が緩むアリア。これってもしかして、アリア的にはお買い物デートなのでは?? と思った。


「どれも安めだし、使い捨てでもいいから気軽に試してみればいいと思う。分類としては、スピア斧槍ハルバード長斧ポールアクスの三種類で、これより短いのは手斧ハンドアクスとかになるからまたちょっと別」


 なるほど――と頷くと、アリアはちょっと楽しそう。


スピアは身長よりずっと長く、穂先ヘッドが一体構造になっていて軽め。槍自体が折れたり突き刺さって抜けなくなったりするから、使い捨て。例えばこういう感じで――」


 ――と、アリアは実際に両手で持って構え、持ち方を説明する。うん、アリアはカッコイイ。


斧槍ハルバードは身長より一尺二尺長く、穂先ヘッドが一体構造になっていて槍よりは重め。前後は斧と鉤がよくある形だけど、鉤だけとか、鎚がついてたり色んなのがあるからその辺は使い分けかな。扱いはこんな感じで基本は槍と同じ――」


 ――こちらもアリアが手にして構える。さっきよりも短い分、きびきびしててカッコイイ。


長斧ポールアクスは身長と同じくらいで、穂先ヘッドの部品がいくつかに分かれていて斧槍よりも重め。前後は斧と槌がよくあるけど、これもいろんなのがある。あと石突が斧槍よりもしっかりしていて突くのに向いてるの。使い方は槍じゃなくてクォータスタッフに近い。こんな感じで相手を投げたりもする――」


 ――アリアが長斧を手にして俺の首に掛け、腰を密着させて来る。カワイイ。


「どう?」――とアリアが聞いてきた。


「うん。カッコイイね」

「でしょ?」


「あとカワイイ」

「カワイイ? うん、そうかもね?」


「どれにすればいい?」

「オーガは大きいから、間合いを広くとれる槍や斧槍なんだけど、あたしのお薦めはこれかな」


 そう言ってまた別の長柄武器を引っ張り出してきたアリア。


薙刀グレイヴの中でも、鉤の付いてる鉤薙刀フォーチャードだね。扱いは斧槍に近いけど、斧槍と違ってちゃんと刃があるし、スパイクが無い分振り回した時の有効打クリーンヒット面が広いし、深く突き刺さり過ぎないし、あと刃の向きを意識するところなんかはユーキの鉈剣と同じ感覚で使えるし。どう?」


 早口で説明しながら鉤薙刀をよこしてきたアリア。

 確かに鉈剣よりはずっと重いが、両手でしっかり力を篭められる。


「よさそうだね」

「あと、これならあたしでも教えられる」


 最後に本音を吐いてきたアリア。


「アリアのおススメにするよ」


 俺は笑って答えた。



 ◇◇◇◇◇



「……はぁ……はぁ…………あっ!? あのっ、ユーキさま?」


 夜、ルシャに頼まれてを施していた。汗ばんだ彼女の体は以前に比べてずいぶんと柔らかくなっていた。俺と出会う前の彼女は十分な食事が取れておらず、棒切れのような細い手足だったのを今でも覚えている。


「えっと、どうしたの?」

「……あのっ、座ってするのはちょっと……」


 ルシャを抱き起し、向かい合ったまま座っていた。

 彼女は俺よりも背が低いけれど、それでも頭半分くらい高い位置から話しかけてきていた。


「そう? じゃあ後ろからとかにしてみる?」

「……いっ、いえっ、そうではなくっ」

「(う、後ろから??)」


 囁き声が混じったのはアリア。椅子に座ったまま自分のお尻を両手で抑えていた。

 そんなアリアを思わず見てしまう俺とルシャ。


「なっ、なんでもないっ、なんでも! 続けて、どうぞ……」


 慌てて両手を振りながら弁明するアリア。


「やっぱり恥ずかしかった?」

「ちょっと恥ずかしいのもありますが……そうではないのです……」


「痛かったりする?」


 俯いて顔を赤くし、恥ずかし気に小さく首を横に振るルシャ。


「……その、ですね……アリアさんと経験されていない……?――はなさらないでいただけますか?」

「えっ……」


 ちいさく声を上げたアリアがルシャとお互い目を合わせる。


「アリアさんとの初めてを大事にしてあげてください。私は横になったままでも十分に幸せですし……(……いい……ので……)」


 そう言って膝の上から降りて仰向けに寝そべるルシャ。


「わかった。じゃあこの格好――えっと……っていうんだけど、これでできるだけルシャが良くなるように頑張ってみるから」


 そう、体位について話すと、ルシャも、それからアリアも顔を真っ赤にする。


「……はい、そのセイジョーイでお願い……します…………」


 まあ、とにかくその、ってのはエッチすることなんだよね。豊穣の女神である地母神様の祝福なわけだ。







--

 聖女だけに!


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