第29話 預かり猫は、気ままに役割を果たす。
「あ〜まじか…。」
なんか変だなとは思ったけど、ここまで致命的とは…思ってなかったんだけどな…。
…冷凍庫が壊れたらしい。
たぶん停電のあとに、なんかなっちゃったんだろうな…なにせ、古いから。
なんとなく、電気をつけずに店の方に行ったことで、ランプに気付く。庫内の温度が下がらないことを表示しているランプだった…。
気付くのが早かったから、まだ大丈夫だけど、もう一つの冷凍庫に全て移さなくちゃならない。幸い、それほど食材が入ってるわけじゃないから、ギリギリ入るだろう…。
「…って、まじか…。あと少しなのに。」
大体の食材を入れ終えたところで、アイスだけが入らないことに気づく。
どうやっても、スペースが空かない。
「…食べるしか、ないか。」
ちょうど2人分くらいのアイス。
ほのかが風呂からあがったら、食べよう。
溶けないうちにあがってきてくれるといいんだけどな…。
「ミチさん…お風呂いただきました〜。」
待つほどの時間もなくほのかがあがってきたみたいだ。
「ほのか!おかえり、ねぇ、まだ食べられる?!」
振り返れば、風呂上がりのほのか。
…可愛い…。着替えぴったりだった。よかった…。
「へ?何を?」
やべ、主語が抜けた。ずっと溶けそうなアイス見てたから。
「アイス。冷凍庫1個壊れちゃって、もう一つの方に入れ替えたはいいんだけど、これだけどうしても入るスペースがないの。」
「アイス!食べる!」
風呂上がりの身体にとても欲しいものだったようで、ほのかは目を輝かせる。
ほのかにアイスの入った器を渡す。
「でも、冷凍庫壊れちゃったら大変だね…。買い替えないといけないの?」
「うーん、わかんない。まぁ型も古いから買ったほうが良いって言われそうではある…。」
「高そう…業務用って…。」
「…高いわよ。せめて椅子買い換える前だったらなぁ…。」
「そういうのって、出費があったあとなんだよね。お母さんも言ってた。」
「そうそう…。まぁ、いつかはこうなると思ってお金は取っといてたし、買えなくはないから良いけどね。とりあえず業者呼ぶしかないかな…。」
『なぁ〜。』
履いているスウェットによじ登ろうと前足をかけるやんちゃ坊主が、こちらを見上げていた。
「はるはダメだぞ。猫はアイス食ったら具合悪くなるからな。」
『なぁ〜。』
不服そうな目でこちらを見て、前足どころか後ろ足も俺のスウェットに掛けようとしてる。やめろ、ズボン落ちんだろ。
「え、猫ってアイス食べれないの?」
アイスを食べながらほのかが聞く。
意外と言わんばかりの顔をしている。
「そう、まあミルクアイスひと口舐めたくらいじゃどうでもないんだけど、やっぱり害にはなるみたいよ。チョコレートアイスとかはもう完全に中毒になるらしいけど。」
「…そうなんだ…。私、猫じゃなくて良かった…。」
「チョコレート好きだもんね、ほのかは。」
「うん。好き。」
満面の笑みからの『好き』は…破壊力がね…この
「ミチさんも猫飼ってたの?詳しいね。」
「昔、少しだけね。っても、子どものころの話だし、ばあちゃんが主に世話してたんだけど…。」
「そっか。」
「不思議な猫だったなぁ…。具合悪い、とかなんか元気でないとか、弱ってる時に限ってじっとそばに居てくれるの。普段からべったりするんじゃなくて、なんか、ここって時に必ずいるような…。」
「わかってたのかな…?」
「そうなんじゃない?こいつは今弱ってるから、とりあえずそばにいとくか…って感じかしらね。」
「ミチさんのお兄ちゃん代わり?みたいな…?」
「残念ながら雌だったからお姉ちゃんかしらね?風格的にはおばあちゃん、って感じだったけど。」
「そっか。」
「…ほのかが元気無い時には、ハルがそばにいてくれるってこと?」
そばいてくれる存在をお兄ちゃん代わりと位置づけるあたり、ほのかにとってはそれがハルなのかと思う。この兄妹がこの歳でも仲が良いのはそういうことなのだろう。
「うーん、常にってわけじゃないけど、そうかな…。雨の日、夜は特に。」
「雨の夜…?今日みたいな…?」
そういえば、雨の夜にほのかをひとりにしたくないって言って、ハルは、俺のところに預けたんだった。
「うん、あのね…うちってお父さんがいないでしょ?」
「うん。」
「…私が小さい頃に亡くなって…だから私は全く覚えてないんだけど、それが雨の日だったんだって。」
「そうなんだ…。」
ハルからは少し聞いたことがある。まだ俺とも出会う前の、ハル自体もまだ小さい時の話だった。普段は、聞いてないことまで話してくるハルが、唯一あまり口にしない話題で、俺もそれ以上は聞いたことが無かった。
「でね、私は小さすぎて何も理解してなかったんだろうけど、その日から、雨の日の夜になると、お兄ちゃんが泣いちゃうことがあってね。それがしばらく続いたんだって…。そういう時は、お母さんに抱っこしてもらったりして過ごしてたらしいんだけど、いつの間にか、雨の日の夜になるとお兄ちゃんだけじゃなくて私まで泣き出すようになっちゃったんだって…。たぶん、その時の私は、雨が降るたびにお兄ちゃんが泣いちゃうことが、単純に悲しかったんだろうね。お父さんのことは、よくわかんないから…。」
ほのかは、淡々とと、でも
懐かしむように語る。
とても小さい頃とはいえ、亡き父をどうとも思って無いことはないだろう…。どう声をかけるべきかわからず、黙って、相槌だけをうって、次を促す。
「そうして、何回か雨の日に兄妹で大泣きしてるうちに、お兄ちゃんがぴたっと泣き止んだんだって。」
「どうして?」
「僕が泣くと、ほのちゃんも泣いちゃうから、もう泣かないって。」
まだ小学生になったばかりぐらいの子が、妹の泣く理由は自分が悲しんでいるからだと気づいて、それを止める…。並大抵のことではないだろう。でも、ハルは、そうしたんだ。
もっと小さい妹のために…。
なんだか、口を開けば涙が出そうだった。
ほのかは気づいているのか、相槌も求めることなく続けた。
「それからはね、雨の日の夜は家族みんなで一緒にいて、楽しいことをするようにしようってお兄ちゃんとお母さんが決めて、ずっとそうしてきたの。もうさすがに、子どもの頃ほどゲームしたりトランプしたりとかそういうのはないけど、ご飯はみんなで食べたり、テレビみたり…。だから、今は雨でも泣くことは無いし、ひどく悲しんだりはしないの。」
「ほのか…。」
柔らかに微笑むほのかに、自分がした事を思い返す。知らなかったとはいえ、俺は雨の中、ほのかを一人にしてしまった…。
「…ごめん。」
「あっ…そういうのじゃないよ?ミチさんはミチさんの考えがあって、家をあけたわけだし、それだって私のためにしてくれたことで…だから、責めたりとかそういう…謝ってもらうようなことじゃないの…。」
慌てふためくように、手を振り回し、首を振る。
「むしろ、感謝だよ?あのまま家に帰っていたら、お兄ちゃんとお母さんが雨の日に外にいて私だけ取り残されたら怖かったと思うの。ミチさんがそばに居てくれたから、こんな風に過ごせてるんだし。親友の妹ってだけなのに、こんなに大事に、預かってもらってるんだから…。」
「そんなことは…。」
…ない。と言おうとする前にほのかは喋りだす。ただの親友の妹だったら、ここまでしない…と言う言葉はタイミングを失って空回る。
「美味しいご飯とデザートと、お風呂と着替えと、アイスクリームと、はるちゃんがいて、ミチさんとこんな風におしゃべりして過ごせるなんて、すごく楽しいし、しあわ…。」
『にゃあ!』
アイスをもらえなかったはるが、代わりのオヤツを食べ切り、次を催促する。
ほのかは少し慌てたようすで、次を続ける。
「とっ…とにかく、ありがとうね、ミチさん。」
「あっ…うん。」
「『あの…。』」
「なぁに?ほのか…。」
重なる声、不思議な沈黙が走る。
お互いに言いかけたことをためらうような、沈黙。
「ミチさんこそ、なぁに…?」
良いのかな、こんなこと言って…でも…。
「うん…もし、また雨が降って、ハルやお母さんが居なかったら、いつでもこっちにおいで。それに、アンタはハルの妹でもあるけど、うちの大事なバイトでもあるでしょ?ハルがどうこうとか関係なく、ここに来ていいのよ。」
「…!うん!」
ちょっと目元が赤いほのかの笑顔が、眩しい…。君は俺にとって大事な
どこまでを伝えるのが、この
でも、ハルとか関係ないくらいに、ほのかが大事…と伝えたかった。うまく言葉にできないけれど…。
俺のこと器用貧乏って言ったやつ…俺のどこを器用だと受け取ったのだろう…。
不器用過ぎんだろ、我ながら…。
アイスを食べ終えたほのかと、おやつを食べ終えたはる。「美味しかったね〜。」とほのかに抱き上げられ、はるは喉を鳴らす。
…こんな光景をいつまでも見ていられたらいいのに…すげぇ、幸せじゃんか。
食器を片付け、寝る支度を整える。
ばあちゃんが使ってた部屋をほのか用に布団を敷いて、案内する。
「じゃあ、おやすみ、ほのか。」
「おやすみなさい。ミチさん…。」
そうして、夜の帷は訪れて、穏やかな眠りにつく…はずだった。
まさか、こんなことになるなんて、たぶんきっと誰も思いもしなかっただろう…。
少なくとも俺は、思って無かった…。
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