第23話 店長は、その長い夜にため息をつく。
「何からすればいい?」
エプロンを後ろ手に結びながら、ほのかが聞く。
「そうね…まずはお皿用意して。あとスプーンとかフォークとか…。」
「はぁい。」
昼間は店を開けてたから、オムライスの材料は2人分くらいならちょうど残ってる。
下ごしらえもだいたい済んでいるから、ほぼ手伝うことなんか無かったりする。
それでも、楽しそうに準備をしているほのかを見れば、あとはもうないとも言いにくい。
…なんか、久々だな、こういうの。
あの他愛もない喧嘩…というにもあまりに馬鹿げた言い争い…ほとんど俺のせいだけど…から、あっという間に月日が流れて、謝るタイミングすら逃した感じで、今それを蒸し返すべきかどうか、凄く迷う。
でも、それは今じゃない様な気もする…。
ほのかはどう思っているんだろう。
めちゃくちゃ怒ってんなら、こんな感じではないんだろうけど…。
とりあえず、飯にしよ…。話は、それから…。
「あとは材料を順番に炒めていくくらいなんだけど…やる?」
「いいの?!やってみたい!」
思った以上の食いつきを見せるほのかに、自分で言い出しておきながら驚く。
「…いいわよ。店に出すわけじゃないもの。てか、やったことないの?」
「家ではあるけど、ここではしたことないから。ここのオムライス作れたら、もっとお店のお手伝いできるかもしれないでしょ?それに、ミチさんのオムライス美味しいから、コツとか知りたい!」
…やべ、にやけそ…落ち着け…落ち着け俺…。
きらきらした眼差しから少し逃れるように、冷蔵庫の中を探る。
「まずは、バターと玉ねぎ。みじん切りにはしてあるから、炒めて。あと鶏肉とちょっと…だけ白ワイン…あとマッシュルームいれて…ケチャップ入れて、そこでちょっと水分を飛ばすの。で、最後にあったかいご飯。」
「チキンライスに白ワイン!すごい、お店っぽい!」
「…一応、お店なのよ…。」
「…そうでした。」
自分のテンションに若干の恥ずかしさを覚えたらしいほのかが、フライパンの中をかき混ぜる。
「ワインが入るとね、鶏肉が柔らかくなるの。あと、ケチャップは軽く水分飛ばしたほうが、水っぽさが無くなるのと味がしっかりするの。あとは…あったかいご飯の方が味が馴染みやすいの。コツはそんなとこかしらね。」
「そうなんだ〜。」
「そう、それで火が通ったら一旦お皿に取っておいて。」
「こう?」
「そうそう。で、あとは卵ね。」
「ミチさんがやってるとこみたい!私の分は私がやるから!」
「それは構わないけど…それなら、お互いのを交換したほうが、ちゃんと作らなきゃって思うんじゃない…?だから、こっちがほのかので、ほのかが作るのをこっちでもらうわ。先にやるわよ。」
「えー緊張する。穴空いたのとか渡したくない…。」
「なんで穴あく前提なのよ…。」
卵を溶いて、熱したフライパンに流し入れる。
チキンライスを真ん中に置いて、フライパンを揺らしながら
「わぁ…きれい。」
「ま、こんなもんね。」
うちの店のオムライスは、何の変哲もない普通のオムライスだ。それは先代から変わらないし、変えようとかも思わない。他の形も出来なくはないけど、俺も、常連さんたちも、これが一番と思っている。
ばあちゃんの思い出の味、みたいなもんか…と思っている。
「ほのかの番ね。」
「うわぁ…緊張する。」
キラキラしていた瞳が、急に泳ぎだす。
「緊張感大事よ〜楽しみにしてるわね。」
「やめて、もっと緊張してきた…。普通のオムライスだからできるはずなのに、ミチさんのオムライスはいつも凄く美味しいから、なんか特別なことしてるのかなって…だからコツとかあるかと思ったけど…卵で包む時は特にないの?」
「…特に…ないわね…。強いて言えば、火加減…?」
「それだけ〜?」
不満げなほのかを急かすように次の作業を促す。じゃないと俺の作ったほのかの分のオムライスが冷めちまう。
「ほら、お腹空いてきたからちゃちゃっと作っちゃって。」
「はぁい…。」
とはいえ、ほのかはもともと器用な
ひぃ、とかわぁとか言いながらも、美味しそうなオムライスを作り上げた。
「はぁ、できた!」
「できたじゃない。お疲れさま。じゃあ、食べましょう。」
ほのかは俺の、俺はほのかの、作ったオムライスを食べる。材料も工程も変わらないけど、作り手が違うのはとても大事。
しれっとほのかの作った方を手に入れてるあたり、ちょっと気持ち悪かった?うるせぇ、いいだろこれくらい…。
「美味しかった〜。ごちそうさまでした!」
満足げな表情で手を合わせるほのかは本当に幸せ…という感じだ。外が災害級の暴風雨とは思えないほどに…。もう外の状況なんて忘れてそうだ。
それならそれで、幸せのダメ押しといきますか。ここまでいい顔されたら、もう謝るタイミングとかよくわかんなくなっちまった…。
「こちらこそ、ごちそうさまでした。あと、これ…。」
冷蔵庫から、よく冷えたグラスを取り出す。
グラスの中身は動かされるたび、ふるふると震えている。
「…ブランマンジェ?」
「そう、よくわかったわね。」
見た目ですぐ当てられるのもすごいな。その名前すら浮かばない人のほうが多いだろうに…まぁ、簡単に言ってしまえば柔らかめの牛乳プリンみたいなものだ。
「お菓子の本に載ってたから。」
「そう…でも、食べてみて。ちょっと思ってるのと違うから。」
グラスを受け取ったほのかはスプーンでそれを口に運ぶ。
ふわっと香りが広がる。
「…!…杏仁豆腐…?」
「そう思うでしょ?違うんだな〜。」
「だって香りが、杏仁豆腐だよ?食感は少し違うかもだけど…。」
「杏仁豆腐は寒天で、ブランマンジェはゼラチンで固めるんだって。これはゼラチン使ったから、ブランマンジェになるわね。」
「でも、すっごくいい香り!」
予想通りの反応にまたニヤけそうになる。
もうちょっと引っ張りたいけど…そうそうにネタバラシをする。
「これ、入れてみたのよ。」
ほのかの前に小さな小瓶をだす。
「アマ…レット…シロップ?」
たどたどしく、小瓶のラベルを読み上げる。
「そう、アマレットシロップ。」
「…それってなあに?」
…知るわけないか。未成年だもんな…。
「アマレットっていうお酒があるのよ。アーモンドのリキュールでね。」
「これお酒なの?こんな可愛い瓶で?」
ほのかは、怪訝そうな顔と、未成年なのにお酒…?というちょっとした心配をはらんだような顔をする。
「大丈夫、こっちは同じアマレットでもノンアルコールのものね。」
「そっか…。お酒じゃ食べちゃ駄目かと思った。」
ほっとしたかのように、次の一口を運ぶ。
「ほんとにお酒だったら、まず食べさせようと思わないわよ。」
「…確かに。」
「でね、このアマレットシロップっていうのが、杏仁豆腐の風味と似てるって思って、ちょっと使ってみたわけ。お酒卸してくれてる柴沼さんっているでしょ?あの人が納品のついでに試供品でくれたの。」
「へぇ〜柴沼さんが…そうなんだ。」
「ほのかもたまに会うでしょ?納品が早い時とか、まぁ、滅多にないけど。」
「うん、この間もスイーツで何が好きって話したの。そういえば、あの時、私、杏仁豆腐の話したかも…。」
「…そうなの?…だから、柴沼さん、ほのかちゃんになんか作ってあげてって言ってたのね。」
「わぁ、今度会ったらお礼言わなきゃ…。」
柴沼さんは、酒屋さんでうちに酒類の納品に来てくれる人だ。面倒見の良い、気さくなイケオジって感じの人で誰とでも気軽に話ができるタイプだ。
その人がこの間、「これ、試供品だけどあげる!なんか瓶も可愛いだろ?ほのかちゃんになんか作ってやってよ。」とこの小瓶を渡してくれたのだ。
ほのかの話を受けての、イケオジ…さすがの行動力…。
「本物のお酒の方もおんなじ香り?強いお酒なの?」
「そうね、アマレットの方が香りは強いかもね。でも、まぁ、他に比べて強いアルコール度数ではないわね。シロップの方は、ノンアルコールカクテルとかに使うことが多いかしら。」
「普通のアマレットもおんなじ味?甘いの?」
「…飲んでみたいの?」
「うん、今は無理だけど、20
「杏仁豆腐ありきなのね…ほんと好きね。」
「うん、大好き。」
…落ち着け俺…俺に向けたんじゃない…現役JKの大好きは破壊力が…強すぎる。
「じゃぁ、20
「ほんと?!」
「えぇ。」
「カクテルになるの?ミチさんカクテルも作れるの?」
「そりゃ、バー経営ですから。昔、バーテンのバイトしてたし、大体のものはね。最近はあんまりやらないけど。」
1人で経営してると、よほど客足が少ないときじゃなきゃなかなか作れない。それに、うちに来る客は、立ち飲みってこともあって水割りとか軽めに飲んで帰っていくことが多い。
「どんなのがあるの?何と合わせるの?」
「そうね…ジンジャーエールとか、ソーダとか多いかしらね。あとはアプリコットフィズとかかしら…。」
「美味しそう!ジンジャーエール好き。」
「じゃぁ、考えとくわね。」
「うん!」
ほのかの満面の笑みに、ふいに、カクテル言葉がよぎる。花言葉みたいに、カクテルにもそんな言葉がある。
…嘘だろ…俺。そこまで考えてなかったよな…偶然にしたって出来すぎてる。やばい、前言撤回…は無理だな約束したもんな…。
火照っていく顔を、隠すように食器を下げる。ほのかはまだ、デザートを食べている。
「ちょっとお風呂とか入れてくるわ。食べ終わったら、流しに置いておいて。あとで、洗うから…。」
この場から、一度離れよう。
そして、一旦落ち着こう…。
時計はまだ8時前だ。夜…長ぇ…。
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