第21話 器用貧乏男子は預かりものに翻弄される。

「ちょっ…ハル、やめろって…!そんなところっ…。」


…え…?お兄ちゃん…?


扉の向こうから聞こえてくるのはミチさんの声。そして、耳慣れた名前。


なんでお兄ちゃんがここに…?遊びにきてるの?


すぐ扉を開けてしまえば良かったのに、なぜだか踏み出せない一歩。


「ちょっ…ほんとにやめろ…そんなとこ乗るなって…。ハル…やめっ…。あぶなっ…。」


えっ…何が起きてるの…お兄ちゃん何してるの…?


「痛って!爪立てんなって…そこ、おまっ…ちょっ…。やめっ…。」


…なんか、聞いちゃいけない気がしてきた…帰ろう…帰って、お休みしますって…電話でも…して…。


「だっから…もう…くすぐったいから!やーめーろー。」


…帰ろうって思うのに…なんで動けないの…。

どうしよ…このままじゃ、盗み聞きしてる人になっちゃう…。



「そっちじゃないって…そこ舐めんなら、こっちにしろ…ほら…そうそう…。」


なっ…舐め…どういうこと?!

えっ…えぇっ…。


想像…してないこともない…展開になったかもしれないことに動揺が隠せない、早く知らないフリして、ここを離れないと…ミチさん、良かったね?おめでとう…?

考えもまとまらないうちにドアノブから手を離し、後ずさると、何かが足にひっかかる。


「あっ…。」


カシャンッ…。


…後ずさるその足は、うまく体を支えきれず…私は見事によろけ、近くにあった何かを、掴み損なって盛大にその存在を知らしめる。


そして…。


ガチャッ…。


…見つかっちゃった…邪魔してごめんなさい…。


「何やってんの?…ほのか…。」


灰色の毛玉によじ登られながら、ミチさんがドアから顔をだす。


「へ…?」



「あっはははっ…「ハル」と「はる」ね…ふっ…くっ…。」


「…そんなに笑わなくたって…。」


薄っすらと涙さえ浮かべて笑うその人を、にらんでもそれは止まらない。

そして最早灰色の毛玉によじ登られててもおかまいなしだ。


「はぁ…苦し…。アンタ、どんな想像したのよ?」


「…見てはイケナイ展開かと…。」


「…それは最早想像してすらイケナイ展開ね。実際にあったらハルのことぶっ飛ばしてるわ。それに…17歳にはまだ早いわね?」


「あと少しで18歳だもん。」


「ついこないだ17になったばっかでしょ。でも、そっか、そろそろ成人ってこと?月日の経つのは早いわね。大きくなって…。」


「ミチさん、親戚のおじさんみたい…。」



…おじさんには少しも見えないその人に、ささやかな仕返しをする。


「おじっ…ひっどいわね。まだ25ですけど?」


「ミチさんの方がひどい!笑い過ぎ!」


「はぁいはい、ごめんね。悪かったわ。」


『にゃあ』


ミチさんにもらったチューブ型の猫用オヤツを食べ終えた「はる」ちゃんが、タイミングよく声をあげる。


「ほら、はるもごめんって言ってる。」


「…じゃぁ、許す。」


「良かった。」


お兄ちゃんの呼び名と同じ名前のこの子猫ちゃんは、鹿野先輩の知り合いのおばあちゃんの家の猫だ。それがどうしてか、ここにいて、ミチさんによじ登っている。


「ほーら、はる。もういいでしょ?なんでそんなに登りたがるの。」


「鹿野先輩が預けに来たの?」


「うん、なんかね。飼い主のおばあちゃんが急遽家を空けなきゃいけないとかで、いくつか預け先探したんだけど、この子だけ残っちゃったんだって。脱走して来ちゃうらしくて…。それで、ここに。」


…結局、ミチさんのパーカーのお腹の部分のファスナーだけを締めて、カンガルーみたいにしたところにすっぽりはまって、はるちゃんは落ち着いた。


「で、きたはいいけど急にそわそわしだして、やたらとよじ登りたがるから、危なくって…。預かってたオヤツあげようとしたら、目の色変えてちぎった袋の小さい方を舐めようと躍起になってて…。そこへアンタが来たわけ。助かったわ。」


「そうだったんだ…。」


「で、助かったんだけど、今日店開けないかもしれないわ。」


「え、どうして…?」


「この天気でしょ?なんかお客さん、バーに寄ってる場合じゃなさそう…。アンタもバイト終わってからじゃ帰るの危ないでしょ。あ、だんだん強くなってきた…。」


雷の音が少し近くなってきた。はるちゃんはもしかしたら雷が苦手でこんなになってるのかも…。


「えっ…ちょっと…すごい雷ね。ほのか大丈夫…?はるは…とりあえずこの中に入れば大人しいのね。アンタこれが怖くてよじ登ってたのね。」


パーカーの中を覗き込むミチさんは少し呆れたような、でも優しい顔ではるちゃんを見ていた。


(はるちゃん、いいなぁ…。)


自分の思考にびっくりする。慌ててかき消すように、この先の話をする。


「じゃっ…じゃあ、今日はバイトなしって…こと…?」


「うーん、そうね。あんまりひどくならないうちに帰ったほうがいいと思うのよ…ほら、危ないから、ハルを呼んで迎えに来てもらうか、なんならアタシが送ってってもいっか。店開けないんだし…。」


「えっ…そんな、大丈夫だよ。1人で帰れるし…私のために迎えに来るお兄ちゃんとか、送ってくれるミチさんとか、私以上に濡れるし、大変だし危ないでしょ…?」


今の時点で、そこそこの大雨で、雷も鳴っている。しかも…結構近い。

停電とかなりそうなくらい、真上で雷が鳴っている。

動かないのが一番だと思うけど、時間が過ぎれば過ぎるほど、帰るのは難しくなりそうだ。そんな中、ミチさん1人また家に帰るなんて危ない。


「うーん、まぁ、この天気だとね。誰がどうでたって危ないわ…。とりあえず、まだここにいるってことだけでも、ハルに連絡しとこっか。」


ミチさんが、スマホを、取り出したと同時に着信音が鳴る。


「わっ…びっくりした…ハルか。もしもし…?」


お兄ちゃんの方からかけてきたみたい。


「えっ…そうなんだ、それも大変だな。じゃぁ、今向かってて家には居ないんだな…?ってお前、猫の子じゃあるまいし…そんな簡単に言うなよ…お前それ、兄としてどうなんだ。えっ…なんの大丈夫だよ、つか、おい、電波悪い、聞こえないっ…ておい、切った…切ったのか、切れたのか…。」


スマホを見つめるミチさんがため息をつく。


「ほのか、アンタをはると一緒に今晩預かることになったわ。」


「えぇっ…えぇ…。」

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