第9話 元限界社畜《独立準備中》の兄は才能をいかんなく発揮する。

「できたぞ! ほのか!」


お兄ちゃんが隣の部屋から呼んでいる。

今朝、帰ってきたと思ったら、その後ずっとパソコンに向かっていて、朝ごはんとか、昼ごはんとか、どこまで食べたんだろ…?全部そっちのけで何かを作っている。

土曜の半日授業を受けて、放課後に委員会のみんなでカフェに行ったのが昨日のこと。

その後、バーの営業が始まって、お兄ちゃんは真理ちゃんのとこに行っていたらしい。


そして、今日は日曜日。昨日、朝まで飲み明かすとか言って出かけてたけど、寝たのかな…?徹夜するお兄ちゃんは少し前まではいつものことではあったのだけど、最近はきちんと寝てるみたいだし、大丈夫なのかな…?


「ほ〜の〜か〜?」


お兄ちゃんがまた呼ぶ。

…来るのかと思ったら来てってことだったんだ。


「何?どうしたのお兄ちゃん。」


「これ見てくれ!可愛いだろ!」


パソコン画面には可愛らしい子猫と、『猫、保護してます』の文字が入った張り紙のようなものが映っていた…。



「え〜!なになになにこれ、子猫って?どこで?ミチさんのとこ?」


よく見るとカフェの一部分が背景に映り込んでいる。


「昨日な、お前らが帰ったあとミチんとこ行ったんだよ。そしたらさ、ずぶ濡れの猫が扉の前にいてさ。これがまぁ、人懐こくってさ。外は雨だし、まだ子猫っぽいし、ほっとけ無くてさ。」


お兄ちゃんはとにかくなんか小さくて可愛いものは全部好きってタイプだ。私も、そうだけど。


「え、じゃあこの子、ミチさんのとこにいるの?!見たい!」


「そう、とりあえず乾かしてやって、牛乳やって、なんかササミとかあげたら食べたからそのままミチが面倒見てる。今からこの張り紙届けに行くからさ。ほのかも行くか?」


「行く!見たい!」


「じゃあ、ささっと支度してこい。すぐ出るぞ。」


「えっ…待って、ちょっと待ってて!」


私は足早に自分の部屋に戻る。

パソコンのあった部屋からは、小気味よくプリンターが動く音がする。


「じゃ、行くぞ。」


「はい!」


お兄ちゃんは、広告系の会社で仕事をしていた。大学を卒業してから、とにかく忙しくて、いわゆる社畜というやつなんじゃないかと、ミチさんが言ってた。夜遅く帰ってきて、また休みなく出勤していく。寝る時間も無いくらい仕事してるはずだけど、もともと体力がある方だからなのか、それはそれで楽しそうだった。


ミチさんは、とても心配してたけど…。


「ねぇ、ハルはちゃんと家でご飯食べてる感じ?体壊さなきゃいいけど。あいつ熱出すまで自分が無理してんのわかんないタイプでしょ?」


幼馴染っていうのは凄い。ある日、お兄ちゃんはほんとに熱をだした…。


結局、その後も元気になったあとは変わりなく働いていたけど、つい最近、会社辞めてきた~。と突然言い出した時には、驚いた。


嫌になって辞めた、というわけじゃないらしくて、いつかできたらいいなと思って貯めていた独立資金が、家と会社の往復しかない社畜生活で、お金を使う暇もなくあれよあれよと貯まっていってついに目標金額を達成したのだという。


そういうことで、今は有給消化中で、独立準備中という身分だと言っていた。

ミチさんのとこにも、前よりもよく行っているみたい。

ミチさんそれはそれで心配らしく、「あいつどうしたの?暇なの?」と聞いてくる。

お兄ちゃんはまだ説明していないのかな…。

そんな大事なこと、ミチさんが聞き漏らすことはないだろうし…。


「おーす!ミチ、さっきぶり〜♪」


「お前まだ酔っ払ってんのかよ…?」


「ミチさん、こんにちは。」


お兄ちゃんの後ろから顔を出す。


「お、ほのかもきたのか。」


ミチさんが右手と左肩で支えてる灰色っぽい何かが、微かに動く。


「可愛い〜。」


「だろ?可愛いだろ?」


なんでお兄ちゃんがドヤ顔なの?

ミチさんと子猫はよじ登る側とよじ登られる側の攻防を繰り広げている。


「いって…危ないからやめろ…落ちたら怪我するだろ。」


攻防は子猫優勢のようだ。


ミチさんは高身長のイケメンだから、肩から落ちたらそれなりの高さだ。確かに危ない。

思わず、猫に駆け寄りよじ登りきったあたりで手を伸ばす。


『にゃぁ。』


「!」


「鳴いた!猫、鳴いた!」


お兄ちゃんが騒ぐ。


「「可愛い〜。」」


猫を抱き、ミチさんの肩からおろしたところで、発せられた小さな鳴き声に兄妹揃ってメロメロになってしまった…。ちょっと恥ずかしい…。


「おいハル…ちゃんとできたのか?持ってきたんだろ?」


「あっ、そうだこれこれ…。」


お兄ちゃんは持ってきた張り紙をケースから出す。なんか、広告会社の人っぽい…!


「へぇ、良いな。さすがハル。」


張り紙を広げ、満足そうなミチさんとやっぱりちょっとドヤ顔のお兄ちゃん。


「おうよ、任せろ。」


「お前、こういう仕事昔から早いよな。しかも、もう今や広告会社のエースだもんな。」


しみじみと、ミチさんがつぶやく。


「おぅ、「元」だけどな。」


ニヤッ笑うお兄ちゃんに、ミチさんの顔が凍りつく。


「は?」


「「元エース」。会社辞めただろ?」


会社辞めたこと、ミチさんにも、ちゃんと言ってあったんだ。良かった。


「はぁ?!いつ?なんで?」


あれ…?言ってない…?これは言ってないのかな…?


「あれ、言ってなかったっけ?」


お兄ちゃんが小首をかしげる。

ミチさんは、目を見開いている。


「ばっか、聞いてねぇよ!いや、別に報告義務はねぇけど、はぁ?嘘だろ?」


「嘘じゃないし、言ってたと思ったけどな~?そっか言わなかったっけ?」


「初耳だわ!」


…お兄ちゃん…親友にくらいちゃんと報告しなよ…。ミチさん可哀想じゃない…。


「ミチさん…お兄ちゃんが、ごめん…。」


「ほのかも大変だな…。」


「なんだよ~。二人して〜。」


不満そうな兄は置いといて、ミチさんは張り紙をカフェの看板の隣に貼りに行き、私は子猫としばし遊ぶことにした。


「早くお家のひと来てくれるといいね。」


『んなぁう。』


子猫はひと鳴きして、私の手のひらに頭を擦り寄せた。





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