第3話 たまごサンド講習会(仮)の講師を務める その1


カランカラン…。

カフェの扉が軽快な音を立てる。


「真理ちゃんっ…。」


「あんたねぇ…帰ってきて早々その呼び方やめなさいよ。誰か一緒だったらどうすんのよ。」


卵の入った買い物袋をカウンターに置く。卵を茹でて置くように、と言い置いて留守番させていたほのかが涙目で駆け寄ってくる。


「だってっ…見て、これ…卵が割れちゃった!」

「ちょっと、熱いもん持って走んないで!あぶないでしょうがっ…。」

鍋を持って近づいてくるほのかを制止しつつ、鍋の中を覗きこむ。


ヒビが入り殻の隙間から白身が漏れ出して、なんとも言い難い形の、ゆで卵になるはずだったもの。いや、これはこれで、ゆで卵といえば、ゆで卵なんだけども…。


「やったわねぇ…鍋にそのまま放り込んだんでしょ?」


「うん。」


「冷蔵庫から出して、沸騰したお湯の中にぼちゃんって…。」


「なんでわかるの?!」


「同じこと何回かやったことあるからね。」


「これ、卵サンドに使える…?つぶすから大丈夫…?」


この子、ほんとに17かしら…もっと幼い頃のほのかを思い出す。昔から可愛かった、うん。なんだろう、この子に頼られるともう、抗うことはできそうにない。


「だめね。自宅用なら水切ってつぶして、すぐ食べるならまぁいいけど、お店で出したり、作ってしばらくおいてから人に食べさせるものだとするとちょっとね。」


「そっかぁ…。」


「そんなこともあろうかと思って、卵買いに行ってよかったわ。」


「真理ちゃんっ…ありがとうっ…!」


「あんたその呼び方いい加減改めなさい?」 


「だめ?なんかお姉ちゃんと話してるみたいで嬉しいなぁ…なんて…。」


しょんぼりしながら、首をかしげる。…あぁっ、もう…危ない…気を抜くとほんとヤバイ。


「…お姉ちゃん…ねぇ。」


「じゃあ、ミチさんは?」


「ぐっ…。」


…あっぶね、もうほんとなんなの…こいつめ。


《ミチさん》そう呼ばれていた時もあった。その頃はもう少し舌っ足らずだった気もするけど。

懐かしい響きに可愛さ余って、ちょっと泣きそうになる。

でも、その頃のことは、ほのかにとってあまり思い出したくないはず。それとも、もう覚えてないのか…?そんなはずは…ないか。





ほのかが中1で、俺が二十歳すぎたくらいだったっけ。もう5年くらい前か。


「助けて!」


「えっ…。」


最近、よく聞く少し線の細い、でも芯のあるような声に振り返る。

声は、普段の可愛らしさが鳴りをひそめ、悲愴さすらある。


「ほのかちゃん?どうしたの?」


「追われてます!ミチさん、助けて…。」


「えっ…わっ…わかったっ…とにかく逃げよう。」


後ろから来るであろう追手からほのかを隠すようにして足早にその場を去る。

どこかに入れそうな店でもあればいいのだが、ここらへんは何もない住宅街。いや、むしろ住宅だってまばらだ。近くに公園があったな、でも隠れられるとこなんて…。


逃げながら事情を聞けば、別の中学の先輩に告白されたが、知らない人だし、どうみても本気で好きになってくれたわけでははなさそうだったので、お断りした…と。だが、プライドを傷つけてしまったようで、そこから「だめな理由を教えろ」「うんと言うまで、付いていく」と食い下がられ、その上近くにいた友達まで出てきて、3人の男子に追われている…ということだった。

事情を把握した頃には、ほのかは呼吸もやっと、というくらいの様子だった。失敗した、逃げながら話させるんじゃなかった。疲れて当然だ。

そして、その3バカ共…もとい、追手はかなりしつこかった。そのしつこさ、他に活かせよ!ってくらいにはしつこかった。


結局、隠れられるような場所なんて見当たらない、公園にたどり着いてしまったのだ。


「あれか!」


1つだけ見つけた。なんか公園の整備道具とかなんかをしまっているらしい倉庫があった。

しかも最近鍵が壊されて、そのままになっているようで、半開きになっている。


とりあえず、とそこに入る。

2人入っても、特に困らないくらいの広さ。このままやり過ごせたら…と息をひそめる。


ガチャッ!

想像もしなかった音に体がビクッとなった。

まずい、音は立てられない。でも、この音は…。


「瑞田ほのか!そこにいるんだろ!もう、お前なんか好きじゃない!ずっとそこに閉じ込められてろ!」


…やられた。鍵は壊れていたはずなのに…逆か、一度かけると開かないから、半開きだったってことか…。


「あいつ、男と一緒に逃げてたぞ。そいつも閉じ込めたんかな。」


「まじか!じゃあ、そういう噂流してやろうぜ。」


…クソガキどもめが…。怒りに拳を握りしめるが、隣にいるほのかの、息遣いがおかしい。走ったあとの呼吸じゃない。


「ほのかちゃん…?」


「ど…して…なんで…こんなこと…」


涙がコンクリートの床に落ちる。


「大丈夫?ほのかちゃんっ…聞こえる?」


聞こえて、いない。呼吸は浅く、こちらの声は恐らく届いていない。パニックに、なりかけている。


「男の…子…は…どうして、こんなことするの…?好きって言って…なんでこんなことできるのっ…。」


小さく震える肩、ますます浅い呼吸。これはまずい。


「ほのかちゃんっ、落ち着いて。まずは落ち着こう!!」


「あ…ミチさん…ミチさんも…男のひと…」


まずい、でも、触れればさらに事態は悪化するはずだ。


「ほのかちゃんっ…。」


「いや、いや…もう来ないでください…。助けてくれてありがと、あとは…自分で…」


頭を抱えてうずくまるこの子は、今、男におびえてる。それなら、もう…。

考えついた突飛な方法に迷ったのは一瞬。

そこから先のことは、もはやうろ覚えだけど…。


「ほのか!ちゃんと聞いて!今まで言ってなかったけど、アタシ中身はオンナなの!」


人生でこんなでかい声、初めて出したんじゃないかってくらいの声で、怯えるこの娘を正気に戻す。力技でもなんでもいい、もう、なんでもいい!


「へ…?」


そら見ろ、あんまりにも突飛すぎて、怯える気持ちは吹っ飛んだけど、どうしていいか分かんない顔だ。


「アタシね、見た目は男だけど、中身はオンナなの。だから、あんたは怖がることはなんにもないし、まずは今落ち着いてここから出ること考えましょ?いい?わかったかしら?」


「ミチさん…女の子なの?」


呆然としてるほのかはもう、兄の親友からの驚きカミングアウトぶっこまれて、脳がキャパオーバーですって顔だ。信じないか…まぁ、信じないよな…。


「そうよ、だけど、それはここだけの秘密ね。アンタの兄貴にバレるのは困るの。」


「お兄ちゃんに…?」


「そうよ。」


信じた…? 信じたの…?

もう、どうでもいいから、とりあえず信じといて。

ありったけのそれっぽい言葉遣いで、必死に演じる。怖くないよ、怖がらないで、大丈夫だから。


「ミチさん、お兄ちゃんのこと好きなの?」


「!!!」


なんだよ、もう、なんでそうなる、いやそうなるか、いやそうなるのかっ…?!さっきまでパニクってたのになんでそこは素早い情報処理なの?!いや、不正解、大不正解なんだけど、もうどうでもいいや…!


「…それ以上は言わないで…こんなこと知れたら、今の関係も崩れちゃうから…お願いだから、秘密にしてて。」


うわぁ…我ながらちょっと嫌…。この話早く終わらせたい…。いろんなところが削られる…。


「わかった!」

怯えた彼女はどこへやら、使命感に溢れたこの子はこれから、しっかり秘密を守ってくれるようだ。まぁ、なんて頼もしい…。


「へっ…?!あっ…そう、お願いね?アタシとアンタだけの秘密よ?」


(信じたぁ〜。嘘だろ…。いや、嘘ついてんの俺か。)


とりあえず、ほのかの大パニックは回避。落ち着かせて、呼吸も正常。


でも、なんか大事なものが…いくつか失われたような気も…。ま、それは今は考えないようにしよう…。



その後、携帯で110番して、男子中学生に追い回されてる女子中学生を保護したところ、鍵の壊れた倉庫に閉じ込められて出られない、と通報。嘘は言ってない。あえておおごとにしてやった。


おおごとにしたことで、変な噂流してやろうぜっていう目論見を見事にぶち壊し、まぁ、怪我とか大事にはいたらなかったってことで、馬鹿な中学生のいたずらってことで処理してもらった。

学校と名前が特定できているので、警察から学校、親御さんへも厳重注意が行くだろう。未成年だからな。良かったな、その程度で済んで。社会的には結構ダメージでかそうだけど…大人ナメんなよ?


それから、しばらくほのかは男子には近づかなかった。兄貴のハルと中身がオンナの俺以外…。





「ミチさん、ミチさんもだめ?真理ちゃんもだめ?」


いけね、白昼夢か。懐かしさのあまり、ほのかを現実に置き去りにしちまった。


「…もう、なんでもいいわ…。好きにしなさい、ただし、確実に2人だけの時だけよ?いい?わかった?」


「やったぁ!わかりました!」


満面の笑顔で、敬礼みたいなポーズをとる。

コノヤロウ、ヒトノキモシラナイデ…。


…これが、このとんでもない一人二役生活の始まり。

役どころがこれ以上増えないと祈りながらも、俺は、多分何にだってなれるんだと思う。

君のためなら、いつだって、なんにだって…。

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