みどりのあなたへ

キノハタ

あと五分だけ

 「ね、どうしてこんな雨の中で歌っているの?」


 そうやって問われたのは、他に誰もいない橋の上。

 

 ずぶ濡れでギターを持った僕は、さっきまで歌っていた姿勢のまま固まって。


 それから、あぁ、とか、うぅ、とか言葉にならない音をいくつか漏らした後に。


 「喋るのが下手だから……ですかね」


 なんて、答えになっているのかなっていないのか、よくわからない言葉を返していた。

 

 そんな僕の答えに、女の人は不思議そうに首を傾げた。


 慌てて何か取り繕おうとしたけれど、うまく言葉が紡げない、いつも通りの僕だった。


 ただそんな僕を、彼女はどこかおかしそうに微笑んで見ていて。


 「あはは、不思議くんだね」


 それから、そんな言葉を僕にくれた。


 ある梅雨の頃の雨の中、誰もいない橋の上、ずぶ濡れのギターをぶら下げた僕は、そんな風にみどりさんと出会ったんだ。



 彼女の名前はみどりさん。


 なんて大嘘だ。だって、僕が勝手につけた名前なんだから。身につけている装飾品が大体緑色だから、思いつきでそう呼んでいるってだけ。


 みどりさんのことはよくわからない、スーツを着てたから、社会人っぽくはあるけどだからと言って年上って感じもしない。いつも無邪気で表情はころころ変わって、よく笑ってよく怒る。


 反応が面白いから、僕の想像だけどモテるんじゃないかなあなんて思ってる。僕みたいな奴に声をかけるくらいだし、人には好かれそうだ。


 そして、彼女は『緑』が好きだ。なにせ初めて会った時は、緑のかっぱに、緑の傘、緑のカバン、上から下まで緑だらけだった。それだけじゃなくていつも微妙にそれぞれ違う緑を身につけていたりする。


 カッパは深い緑色で、傘は明るいエメラルドグリーン、財布はカエル柄でもちろん緑、これは原色に近いかな。雨の日にブラウスがすけて薄いグリーンの下着が見えたのには、少しだけ罪悪感が募ったけど。


 そして、みどりさんは緑に目敏い。僕がつけていった靴下や、Tシャツや、ギターのストラップなんかに緑を見つけると「いい緑だねえ」としたり顔で褒めてくれる。いい緑ってなんだろう、毎度疑問に思うけど僕は毎度「どうも…」としか返せてない。


 そんなみどりさんは、よく僕の歌を聴きにくる。くる時間は割とまちまちで、夜だったり、昼だったり。朝は僕がいないからわからないけど、外回りの仕事か何かなのかもしれない。


 そんで僕の歌を毎度真剣に聞いて、意気揚々と考察を披露してくれる。


 僕が歌った歌詞とかメロディから、そこにどういう意味があって、どんな思想があって、どんな葛藤があるか毎度真剣に読み解いてくれるわけだ。


 その解釈が合ってるかどうかは、まあ、うんノーコメントってところだけど。


 なにせ日常の痛みと疎外感を歌った唄は、みどりさんに言わせれば人類への愛と調和の歌で。


 自己否定と不安を詰め込んだ破綻の歌は、みどりさんとしては革新と挑戦の歌になったりして。


 笑えたのは僕がタンスに足の指をぶつけた時の苛立ちを描いた歌が、親愛な人の喪失とそこからの成長をこめた祈りの歌になった時すらあったっけ。


 一番適当な歌に、一番熱のこもった解釈をぶつけられたわけだ。あんまりに真剣すぎて、言われた僕がもしかしたらそうなのかもしれない……なんて考えこんじゃった。それくらいに、曲への解釈を語るみどりさんの眼にはいつも爛々とした光が宿っていた。


 でもまあ、別にここまで的外れなのは別にみどりさんの見る目がないとか聞く耳がない、ってわけじゃない。


 シンプルに僕の歌が解りにくすぎるんだ。


 直接的な言葉はほとんど使わない、比喩と、暗喩と、情景と、慟哭だけ。


 例えば狂ったようにのたうち回る車輪とか、穴の底から堕ちてくる黒い雫とか、エメラルドに坂巻く雨の先とか。


 はたから聞いてたら、わけのわかんない言葉ばかり必死に紡いで、並べて、喚いてる。


 そんなだから、軽音部のだれもが首を捻って、個性的だなとか、メロディはいいよとか、いつも感想は濁されてばかりだ。


 でも仕方がないんだ、僕の頭と口はそういう風に出来てしまっているから。


 僕が抱える慟哭は、僕が抱える感情は、僕にはそんなふうにしか見えなくて。そんなふうにしか表せなくて。


 寂しさも、怒りも、虚しさも、悲しさも。


 僕の頭と口を通せば、ややこしくて、比喩的で、意味があるんだかないんだかわからない何かに変わってしまう。


 きっと、喉と目にへんてこなフィルターがついているんだ、見たものすべて、声にするものすべて、ぐちゃぐちゃに歪んでしまうそんなフィルター。


 でもそんな歪んだフィルターのごしのあれやこれやを、みどりさんはとても懸命に読み解いてくれていた。


 『この歌のこの部分ってどういうこと?』


 『ここで出てきたあなたって誰のこと?』


 『そうか、二人称があるようで、これは全部君の心の歌なんだ』


 そうやって、ややこしくて、複雑で、途方もない物語を一つ一つ紐解くみたいに。


 この前、新作の曲を持っていったら、これはまた難解だねと首を捻られた。


 僕は苦笑いをしながら、心臓がバクバクと音を鳴らすのだけを感じてたけれど、あなたは解釈にうんうんと頭を捻るばかりで、思わず肩の力が抜けて吹き出してしまったっけ。


 いつしか、そうやってみどりさんに歌を聞かせるのが、僕の楽しみになっていて。


 これは恋かな、それとも愛?


 そのどれかのような気もしたけれど、そのどれでもないような気もしてた。


 結局、僕はこの時もうまく口にすることができなくて。


 好きも、愛も、僕にはよくわからない。


 ただあなたの前だと、自然と口と指が勝手に動いて、想うがままに唄えただけ。


 だから、そんな気持ちを曲にして、あなたの前に持っていったのだけれど。


 やっぱりうまく伝わらなかったね。


 だって僕の声だから。


 まあ、それはそれでいいかなんて、この時は想っていたりもしたんだけど。





















 ある日、彼女は来なくなった。



 そしてその日、橋の向こうで交通事故があった。



 酔っぱらいの乗った車が、ガードレールに突っ込んで歩行者ごと轢いたらしい。



 形も残らないくらいに潰れて即死だったとか。



 通りすがりの人がそんなことを喋っているのを僕は聞きながら。



 遠巻きに救急車の方を見て。



 そこに運び込まれている人の服に。




 




 怖くて、確認、できなかった。



 もし、あれがみどりさん、だったなら。



 考えただけで、身体の中の血が雨に全部溶けだして、そのまま僕の存在事なくなってしまいそうな気がしたから。



 確認することもできず、僕はただ立ち尽くすしかできなかった。



 その日以来、僕はみどりさんを見ていない。



 やっぱり、あの日事故に遭ったのはみどりさん、だったんだろうか。



 それとも事故に遭ったのは違う誰かで、みどりさんは全く別の事情でこなくなってしまったのだろうか。



 そもそも、ここらへんに住んでいたかもわからない。長めの出張で来てるだけとかだったなら、いなくなっても不思議じゃないし。



 それか、単純に僕の歌に飽きてしまって、いなくなってしまったのかな。



 そう想うと、涙が止め処なく零れてくるけれど、でもそっちのほうが最悪の想像よりは何百倍もマシだった。



 僕が寂しく泣いてるこの空の下のどこかで。



 あなたが無邪気に笑ってくれているなら、それがいい。



 そうして僕は、あの日以来、未だに雨に降られながら、橋の上で歌ってる。



 もしかしたら、みどりさんが足を止めてくれるかもしれない、人ごみの中からひょっこり顔を出すんじゃないかって。



 そんなことを願いながら、歌ってる。



 あなたに見つけて欲しくて、歌ってる。



 ねえ、みどりさん。



 まだ話足りないことがあるんですよ。



 まだ歌い足りないことがあるんですよ。



 できるならもう一度、あなたに聞いて欲しいんだ、僕が歌を唄う理由を。



 今日も、あの人は来なかった。



 今度はうまく答えられる気がするからさ。



 また、あの人は来なかった。



 今度こそ、今度こそ。



 何日も、何日も。



 雨に濡れて、身体が震えて、喉が枯れてそれでも、まだ。



 何日も、何日も。



 救急車に運ばれていく誰かの姿を、真っ赤に染まった緑色の服を、夢に見ては何度も何度も飛び起きながら。



 歌を唄ってた。



 あなたに届けと、歌を唄ってた。






 『これはね、人類賛歌? っていうの? ありふれた人間のよさを唄った曲だと私は想っちゃうかなー!』


 『あはは…………』




 『今度のはね……前向きな唄かな。新しいことに踏み出すぞ、怖いけど行っちゃうぞ……ってそういう情熱を感じるんだよねえ。歌い方も、なんかそんな感じだしさ!』


 『う……うーん……?』




 『んー、わかった。これって恋の歌でしょう。この早鐘の脈動が、恋のドキドキを表してるんだよ』


 『えと……うん……違います』


 『えー、絶対そうだと思ったのに。だってそう考えたら、後で出てくる『あなた』に意味が通るじゃない? だからさ、これは誰かのことを想ってるって歌だと想ってさあ』


 『それだと、あとあと『あなた』が吹き飛ぶのおかしく、ありません……?』


 『うん、だからね、この歌は恋が終わった歌だと想うなあ。大事な人がいてね、その人が急にいなくなっちゃうの。なくして、崩れて、その先に歩んでいく歌なの。どーう? あってない? いい解釈だと思わない?』


 『えと、ほんとに言いにくいんですけど、……それタンスを小指にぶつけた歌で……』


 『ええーーーーーっっ??!! 絶対恋の歌のほうがいいよー! だってそしたら君の感情の綺麗なところがすっごい出てくる気がしない?』


 『そ……そうです……か……?』


 『絶対! そうだよー!! あははは、我ながら、ひどいごり押し。気にしなくていいからねー?』


 『あはは……いや、なんかそんな気がしてきたかも……?』








 『これはまた難解だねえ……』


 『そう……ですか? 割とわかりやすくて描けた気がするんですけど……』


 『……ううん、難解だよ。ね、ゆっくり時間かけてから、私の考え言ってもいい?』


 『えと、はい、いくらでも』


 『うん、じゃあそれまでは、一杯聞かせて?』


















 ねぇ、みどりさん。



 一杯聞くって、いってくれたじゃないですか。



 聞いて欲しいんですよ、まだ一つも伝わった気がしないんですよ。



 僕の言葉は、難解で、冗長で、比喩ばっかりで、伝わりにくくて、うまく言葉にできなくて。



 僕の言っていることを聞いてくれた人なんて、解ろうとしてくれた人なんて、あなたくらいしかいなかったんですよ。



 なのに、なんで来なくなっちゃったんですか。



 どうして、聞いてくれないんですか。



 まだ答えを聞いてない、まだあなたがこの曲をどう理解してくれたのか、聞けてないのに。



 なんでいなくなっちゃったんですか。



 この曲は、あなたに向けて書いた、この曲は。



 あんまりに冗長で、サビなんか四回もあって、そのくせ歌詞は大体言っていること同じで。



 僕の曲短いのばっかりのなのに、五分もあるんですよこれ。



 バカみたいじゃないですか、雨の中、独りで子どもみたいに泣きながら、喉枯らしながら歌ってて。



 伝える相手なんてどこにもいなくて、理解しようとしてくれる人もどこにもいなくて。



 誰にも伝わってなんてくれなくて。



 ああ。



 そろそろ喉も枯れて潰れて、音すら出なくなってきた。



 雨のせいで身体が冷えてる。



 指が震えて、歯が音を鳴らしてる。



 ねえ、みどりさん。



 ほんとは、僕はね。



 音楽を辞めるために唄ってたんです。



 雨の中ならギターなんかすぐに痛んで。



 弦もすぐに錆びついてしまうと想ったから。



 だって、僕の言葉はどこの誰にも伝わらなくて。



 どれだけ歌っても、どれだけ曲を書いても。



 みんなメロディがどうとか、雰囲気がどうとか、そんなことばかりで。



 僕の心は、僕の想いは、僕の言葉は、誰一人にだって届かなくって。



 こんな風に歪んだ喉と頭を持った自分が嫌で。



 ギターが壊れたら、もう歌わなくなるってそう想いながら歌ってたんです。


 

 なのになんでなんですかねえ。



 今日、錆びた弦を張り替えたんですよ。



 なんでこんなになってまで僕は、唄おうとしてるんですかね。



 ね、みどりさん。



 聞いてくださいよ。



 今なら言える気がするんです。



 だから聞いてくださいよ。

















 ※



 「ね、どうしてこんな雨の中で歌っているの?」



 顔を上げた。知らない子どもが、緑色のかっぱを着た女の子が僕を見ていた。



 僕は枯れた喉で、震えた指で、涙すら雨に流されながら。



 それでも笑って答えを返した。



 「ある人にね」



 どこかのあなたに。



 「会えてよかったって」



 ただそれだけを。



 「伝えたくて歌ってるんだ」



 さあ、あと一曲だけ、歌おうか。



 あなたに向けて創った、この曲を。



 あと五分だけ。

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