第28話 指先の熱

「お疲れ様です、陽様。調子はいかがですか?」

「ありがとう。それがさ、ずっと出来なかったところが、今日やっと出来たんですよ!」


 ダンスの練習後、迎えに来た御影さんと廊下を歩きながら、オレは興奮気味に報告した。この後は一旦自室に戻り、着替えてから食堂へ移動する流れとなっていた。


「おめでとうございます。陽様の頑張りが実を結ばれたのですね。私も拝見出来る日を心待ちにしております」


 見られていると気が散るという棗先輩の言によって、練習中は何人も広間に近付いてはいけない決まりになっていた。その為、護衛人達にもダンスはまだ披露していない。


「練習は、楽しいですか?」

「うん! 先輩、厳しいけど教え方は上手いし、褒める時は褒めてくれるし」

「それは良かったです。棗様にダンスを教わると聞いた時はどうなるかと思いましたが、どうやら大丈夫そうですね」


 安堵したように言ってから、御影さんはふと表情を改めた。


「ですが、少し妬けますね」

「え?」


 不意に、手を取られた。白い手袋の指先が絡まり、繋がれると、御影さんの口元に引き寄せられる。指先に軽くキスをするように彼の唇が触れ、オレはギョッとした。


「み、御影さんっ!?」

「陽様成分の補給です。この所、棗様とばかりいらっしゃるので、もう少し私にも構ってくださいね」


 わざとらしく拗ねた口調。悪戯いたずらげな。御影さんは甘えるようにオレの手を己の頬に擦り寄せて、深く鼻から息を吸った。まるで、肺いっぱいにオレの香りを取り込もうとするかのように――。


 うわっ、何だこれ、めちゃくちゃ恥ずかしい!


 擦れる肌の感触、当たる吐息の熱さ、こそばゆさに、指先がぴくりと跳ねる。指先だけじゃない。鼓動も急な高鳴りに激しく跳ねていた。


「……ッ、」

「失礼致しました」


 唐突な解放。離れていく熱。何処か名残惜しさを感じてしまい、オレは戸惑った。御影さんは何事も無かったかのような微笑を浮かべ、固まったままのオレに促す。


「それでは、参りましょうか」

「あ、ああ……うん」


 止まっていた足を、意識的に動かした。何となく御影さんの顔を見られなくて、目を伏せたまま歩き出す。

 驚いた……何だったんだ、今の。御影さんって、こんな甘えん坊だったのか。

 指先に残る感触と熱に、暫くの間オレは動揺を禁じ得なかった。



   ◆◇◆



「あらぁ、いいじゃな~い! 思った通り、とっても素敵よ~!」


 蝶野先輩の野太い歓声が衣装部屋に響き渡った。彼の目に映るのは、例のチアガール風衣装を身に纏ったオレと棗先輩だ。これがあらかた完成したとのことで、オレ達は放課後、試着に呼び出されていた。傍らには、被服部新人、兼、姫担当見習いの朝倉も控えている。彼は蝶野先輩の言葉に頷きながら、目を輝かせていた。その視線がまた、オレを居た堪れなくさせる。


「当然でしょ。ボクを誰だと思ってるの?」

「あの……やっぱり、お腹の部分、布足しません?」


 ふんと鼻息一つ、胸を張る棗先輩。堂々とした彼とは対照的に、オレは背を屈めて露出した腹部を手で押さえていた。布の無いそこは、やけにスース―して落ち着かない。


「何で? ハルちゃん、細いのに意外と腹筋引き締まってるから、すごく魅力的じゃない」

「いや、それが余計に恥ずかしいっていうか……」


 いっそ、棗先輩みたいに完璧に女の子然としたつるつるお腹だったなら、違和感が無くて気にならなかったかもしれない。


「棗先輩に比べるとオレ、肩幅やら骨格やらがゴツイじゃないですか。だから、露出が多いと、こう……女装! 感が強いっていうか……ぶっちゃけ、変じゃないですか?」

「そんなことないわよぉ。しなやかなラインが小鹿ちゃんみたいで美しいじゃない。女の子のアスリートだってそんな感じだし」

「いや、でも……」

「そんなに気になるなら、裾にレースを足しましょうか。軽やかさが欲しいから、透ける素材にするけれど」

「透けてたら意味ない気もしますが、マシになるなら、それで……」

「とにかく、ハルちゃんはサイズ的には問題無いわね。でもって、ユーリちゃんは……ちょっと大きいわね。ほらぁ、やっぱり採寸しなかったからよ!」


 指摘されて、棗先輩は不愉快そうに唇を尖らせた。


「ダンスの練習で痩せたせいで変わったの! あの時までは、本当にサイズ変化なかったんだよ」


 それを聞いて、蝶野先輩が目を丸くした。


「あら、ダンスの練習してるの?」

「ボクのじゃなくて、ハルくんのね」

「オレ、棗先輩に教わってるんです。先輩、教えるの上手なんですよ」

「へぇ、そうなの! 良かった。どうなるかと思ってたけど、結構仲良くやってるのね」

「勘違いしないでよ。ボクの足を引っ張られたら困るからってだけで、仲良くとか、そういうんじゃないから」

「あらあら、そう」


 相変わらず、棗先輩は素直じゃない。それを見透かしたように、蝶野先輩はにこやかに笑っている。


「強いて言うなら、ハルくんは新しいペットっていうか? 丁度、小型犬も欲しかったところだし」

「それ、大型犬は巌隆寺さんですか?」


 そんな会話を交わしつつ、場は終始和やかに収束していった。前回の件があったからオレは密かに朝倉のことを見ていたけれど、少なくともオレ達の前では朝倉は特に変わった様子は無かった。それでひとまず安心して、解散の号令と共に先輩達に続いて部屋を出ようとした時――。


「あ、日向くん、ちょっといいかな?」


 朝倉に呼び止められた。


「オレ?」

「うん、ちょっと……聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」


 嫌な予感がした。朝倉も、言いにくそうに口ごもる。


「その……」

「ハルくん、ボク先に戻ってるよ」

「シュンちゃん、戸締り忘れないようにね」


 外からの声掛けを最後に、扉が閉まった。室内に二人だけになったのを確認してから、朝倉がようやく躊躇いがちに話を切り出した。


「あのね、日向くんのボディガードさんのこと、教えて欲しいなって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る