第22話 危険な男に絆された
壁に張られたオレの写真を、一枚一枚丁寧に剥がして重ねていく。
「よし、これで最後だな」
達成感と共に薄く汗を掻いた額を拭った。場所は姫寮の御影さんの部屋。オレの写真でびっしり埋め尽くされていた壁や天井が、ようやく本来の姿を取り戻したところだった。
「うぅ、陽様……」
回収した後の写真の山を見つめ、切なげに眉を下げる御影さん。
「そんな顔しないでください。何も、捨てろとまでは言ってないんだから」
オレは呆れて溜息を吐いた。それから、思い出す。ここに至るまでの経緯。夜桜の遊歩道で御影さんと交わした会話の顛末を――。
◆◇◆
「いや……いいですよ。別に、このままで」
オレが口にした決断に、御影さんは一瞬、キョトンとした表情を見せた。
「よろしいのですか? ですが……」
「まぁ、御影さんが何考えてるのか分からないから怖かったっていうのもあるんで。事情は分かったっていうか」
御影さんの、壮絶な過去。――正直、あんな話を聞かされては、もう拒絶しにくかった。
それに、分かったことがある。
「少なくとも、あなたはオレに危害を加える気は無いんですよね? だったら、まぁ……いいかなって」
この人は要するに、情欲の類というよりも一種の信仰の対象としてオレを見ているのだ。思い出は美化フィルターが掛かるものとは言うが、この人の中のオレはすっかり神格化されている模様。
だとしたら、その愛はちょっぴり重いけれども、少なくともオレをどうこうしようとか、そういう下心は無いだろう。
「勿論です!」
御影さんは瞳を輝かせて、大きく頷いて見せた。
「私はただ、貴方をあらゆるものからお守りし、健やかに幸せになって頂きたいだけなのです!」
「うん、分かった。分かったから」
幻の尻尾を振り振り、ともすれば飛びついてきそうな勢いの御影さんを制し、オレは一つ咳払いをして、告げた。
「ただし、一つ条件があります」
◆◇◆
そこで提示した条件というのが、コレ――〝隠し撮り禁止令〟である。
今後オレが許可した場合以外での写真や動画撮影を禁じた上、これまでに撮られたものを廃棄すること、というのが当初の条件だったのだが……。
「そんなっ、陽様コレクションは私の人生の一部、陽様の見守り記録なのです! 時折眺めては貴方様の言葉を思い出し、いつも頑張る貴方様の姿に励まされ、自分を鼓舞して参りました! これを失ったら、これまで陽様を見守ってきた日々の思い出と共に、私が明日を生きる活力さえも失ってしまうかもしれません!」
……と、盛大に嘆かれてしまったので、とりあえず処分はしなくてもいいから、当人の目に触れる可能性のある場所に設置するな、と条件を緩和するに至った。
よく、趣味のコレクションを勝手に捨てたら夫が鬱になった、とかいう話も聞くしな……。
ともかく、壁や天井に張られた分はこっちとてしても不可抗力で目に入ると大変恥ずかしいので、剥がしてもらうことにした。ちゃんと実行したかを確認する為にも、オレ自身がその作業を手伝ったという訳だ。
しかし、まぁ……よくもこれだけ撮ったもんだ。改めて、積み上げられたオレの写真の山を見遣ると、自然と嘆息が漏れる。
下手すりゃ、親が撮ってくれた我が家のアルバムよりも多いんじゃないか?
御影さんは未だにそれらを眺め下ろして、萎れた様子を見せていた。
全く、大人なのに、こんなことで……しょうもない人だな。
「……それに、写真なんか飾らなくても、これからはオレ当人が傍に居るじゃないですか」
励ますつもりで付け加えてみると、御影さんはパッと顔を上げた。オレを見て、花が綻ぶようにふわりと笑んでみせる。その変化に、オレは思わずドキリとしてしまった。
「そうですね……そうでした。改めて、お傍に置いてくださり、ありがとうございます!」
「いや、まぁ、うん……」
「これからも誠心誠意、貴方にお仕え致しますので、どうぞ、今後ともよろしくお願い致します!」
「……こちらこそ」
またもや犬の耳と尻尾の幻影が見えそうな御影さんに、オレは苦笑した。彼が向けてくる真っ直ぐな大き過ぎる好意には、まだ慣れない。
けど……こうやって自分のことを大切に思ってくれる人が居るというのは、決して悪い気分ではないな、と思ったりする。
「ですが、私のことを知って欲しい一心であのような話を聞かせてしまい、今更ながらに申し訳なく思います。陽様には決して、楽しい話ではなかったでしょう」
ふと、また眉を下げて、御影さんが自省を零した。オレの脳裏を、先刻聞いた彼の身の上話の内容が過ぎる。
モラハラ、DV、逃亡……そして、
「それは、まぁ……色々衝撃的だったし、しんどい話ではあったけど、御影さんのことを少しは理解出来たから、話してくれて良かったっていうか」
オレよりも、心配なのは
「御影さんの方こそ、大丈夫なんですか? 話してて、辛かったんじゃ……」
特に、お母さんの
御影さんが戸籍上は義父であるその男のことを、快く思っていないのは確かだろう。もしかしたら、今でも恨んでいるんじゃないか。
そう思って訊ねると、彼はあっけらかんと予想外な言葉を口にした。
「いえ、全ては終わったことなので、ご心配は要りません」
――終わった?
「え? でも……例の男は、御影さんをまだ探してるんじゃ」
母親ほど積極的には探されなかったとはいえ、見つかったら連れ戻されるかもしれない状況なことに、変わりはないんじゃないのか?
すると御影さんは、笑顔を浮かべてこう言った。
「あの男なら、社会的に抹殺しておきましたので、今頃は檻の中に居ます。もう関わることもありませんよ」
「へっ?」
つい、素っ頓狂な声が出てしまった。
今、御影さんは何て?
理解が追いつかず見つめていると、彼は説明を加えた。
「あの男、新たな再婚相手にも同じように暴力を振るっていたんです。それだけじゃなくて、過去の交際相手や関わりのあった相手にも同じようなことをして、重症を負わせたり死に追いやった事例がいくつもあったんです。裏社会で生きる内に、私にもちょっとしたコネなどが出来ましてね、そうしたことを徹底的に調べ上げて、全部白日の下に晒してやったのです。ええ、復讐は既に完了しております。なので、そこのところは、お気遣いなく」
にっこりと、良い笑顔でとんでもないことを告白する御影さん。オレは圧倒されて、その場で石像になった。
――やっぱり、この人、怖いかもしれない。
護衛人継続を許可したことを、早くもちょっと後悔したオレだった。
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