第13話 タイミング最悪の発熱
身体が酷く熱いのに、酷く寒かった。
タイミング最悪の発熱。楽しみにしていた旅行の予定が吹っ飛んだ。寝ていることしか出来ないのに、寝過ぎてそれすらも難しくなってきた。
起きているのも辛いけれど、もう寝ているのも辛い。布団の中、ただゴロゴロと横になって目を開き、することのない暇な時間を漫然とやり過ごしていた時だ。――ふと、庭の方から物音がした。
ガタンと、何かが倒れるような音。今、家には自分以外に誰も居ない。母さんと妹は旅行に行っている。では、誰が立てた音なのか。
隣のおばさんだったらインターホンを鳴らすだろう。それなら、たまに来る近所の野良猫か。
庭では母さんが趣味でちょっとしたガーデニングをしているから、物が多い。鉢植えでも引っ掛けて倒してしまったのかもしれない。以前にも、花壇を荒らされて母さんが怒っていたことがある。
どうせすることもないから、様子を見に行くことにした。簡単に直せるようだったら、直しておいた方がいいと思ったからだ。
起き上がると、目眩がした。ふらふらとした足取りで部屋を出ると、手すりを掴んで慎重に階段を降りる。
玄関の扉を開き、庭の方を窺った。――すると、そこには、
「陽様!」
突如、映像が途切れた。意識の底から、強制的に引き上げられるような覚醒。心臓が早鐘を打っている。呼吸が荒い。身体が酷く熱いのに、酷く寒い。
「陽様! 大丈夫ですか!? 何故、このような場所で」
ぼんやりと開けた視界に、紫の双眸が映り込んだ。気遣わしげな表情。……御影さんだ。
名を呼ぼうとして、掠れた吐息を漏らす。喉が灼けるように痛い。そういえば全身、節々が痛い。
顔の下にあるのは、柔らかい枕ではなく硬い机の天板だった。散らばる教科書とノート、取り落とした筆記用具。下半身は椅子に座ったまま。どうやら、机に突っ伏して居眠りをしてしまったらしい。
そういえば、夕飯後は寝付けない程に悶々と考え事をしてしまい、それを散らす為に勉強に逃げたのだった。
……え? もしかして、そのまま? オレ、いつの間に寝たんだ? ていうか今、何時だ?
「ぃま……」
問い掛けようとする声は、酷く嗄れていた。それでも伝わったらしく、御影さんは答えてくれた。
「現在は朝の七時前です。ご朝食のお迎えに参りましたが、お声掛けしてもお返事が無かった為、誠に勝手ながらお部屋に上がらせて頂きました」
「朝? ……あれ? オレ、アラームは……」
無意識下で止めてしまったのか、と考えていると、不意に御影さんが「失礼致します」の一言と共に、オレの額に手を添えた。それから、深刻そうに顔を歪める。
「やはり……お顔が赤いと思ったら、酷い熱があります」
「熱……?」
「医者を呼びましょう!」
「いや、そんな大袈裟な……」
「大袈裟ではありません! 何かあってからでは遅いのです!」
早速ポケットから携帯端末を取り出した御影さんに、オレはギョッとした。
まさか、救急車呼ぶ気じゃないだろうな!?
「待っ、こんな時間に迷惑だって! たぶん、ただの風邪だし! ……っ」
「陽様!? 陽様ぁあ!!」
慌てて起き上がろうとしたら、強い目眩に襲われた。大声を出したのも良くなかったようで、倒れ込みそうになったところを御影さんに抱き止められた。
「陽様! しっかりなさってください!」
「平気だって……ちょっと、立ち眩んだだけで……」
とにかく救急車はやめてくれと必死に訴えかけ、何とか御影さんの首を縦に振らせることに成功した。ただ、降ろしてくれという訴えの方は昨日同様に無視されて、そのままベッドまで運ばれた。
改めて体温計で測ると、熱は38℃を超えていた。……完全に風邪だな。
「申し訳ありません。私が昨日、水着のままお外に連れ出してしまったばかりに……」
ベッド脇で、御影さんが悄然と項垂れた。オレは苦笑する。
「や、あの時は、むしろ助かりましたし……それに、たぶん、机で寝ちゃったせいかなと」
春とはいえ、布団無しだとまだ寒い。
はたまた、昨日色々と考え込み過ぎて、知恵熱でも出たのかもしれない。
「本日は学校をお休みしましょう。連絡は私が入れておきますね。お食事も、お部屋にお運び致します。早速、ご朝食の方を取りにいって参ります。少々お待ちくださいませ」
テキパキと今後の段取りを決め、行動を開始する御影さん。一人部屋に残されたオレは、何だか自分が情けなくなってしまった。
こんなことで、熱を出すなんて……まだ学園生活も始まったばかりだというのに、先が思いやられる。
一方で、少しホッとしている自分も居た。――昨日の今日で、人に会うのが少し怖かったから、会わずに済んで良かった、なんて。そんな風に思う自分が、余計に情けない。
ともすれば、昨日の恐怖を思い出して、心が竦む。駄目だ、弱気になっちゃ。
「しっかりしなくちゃ」
ぽそり、呟く。
ああ、そういえば、あの時もこんな感じだった。先刻に見た、懐かしい夢。あれは確か、オレが小学四年生の時のことだ。旅行の当日に、熱を出したことがあった。
何日も前から計画して楽しみにしていた日帰りの観光。初めて乗る予定の新幹線にワクワクしながら、早々に準備を済ませ、指折り数えて迎えた当日……まさかの発熱。正に、最悪のタイミングだった。
あわや旅行は中止かと、泣きじゃくる妹に申し訳なくて、オレは一人で家に残ることにしたんだ。
オレはお兄ちゃんだし、一人でも大丈夫だから、二人は予定通り旅行に行ってくれと、心配して渋る母さんを説得して送り出した。
――その時の夢だった。
久々に風邪を引いたから、あんな夢を見たのか。
あの時もこんな風に、肝心な時に熱を出した自分が酷く情けなかったものだ。それに、家族の前でカッコつけたけれど、本当は一人が心細くて、不安に押し潰されそうだった。
あれ? でも、あの時、庭で見たのは……何だったっけ?
首を傾げたところで、御影さんが朝食のトレーを手に戻ってきた。
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