第14話 傷だらけの妖精さん

 朝ご飯はフレンチトーストだった。


「昼からはシェフの方にお願いして、病人の滋養に良いメニューにしてもらいますね」


 御影さんが言いながら、サイドテーブルの上にお盆ごと乗せる。オレがベッドから半身を起こそうとすると、背中を支えて手伝ってくれた。

「頂きます」を告げ、食器に手を伸ばすも、やんわりと制される。


「僭越ながら、ここは私が」


 オレが何か言うよりも先に、御影さんは食器を取ると、ナイフでパンを切り分けた。一口サイズにしたそれをフォークに刺し、熱々の湯気を飛ばすようにふぅふぅ息まで吹きかけてから、オレの口元に突き出してくる。


「さぁ、お召し上がりくださいませ」

「……そのくらい、自分でやるのに」

「いいえ、陽様は病人なのですから、安静にしていてくださらないと」


 大真面目に説かれては敵わない。オレは渋々口を開いて、突き出されたパンを食べた。御影さんは、まるで小さな子が初めて食事をした時のように、嬉しそうに顔を綻ばせた。そんな風に温かく見守られてしまうと、何とも面映ゆい。

 全く、本当に過保護だよな、この人は。

 でも、何だろう。……今はそれが、あまり嫌ではなかった。


 小さい頃から熱を出しても、平気なフリをすることが多かった。オレはお兄ちゃんなんだから、オレがしっかりしないと、って。

 親に心配を掛けたくなくて、強がってばかりで……本当はこんな風に、甘えてみたかったのかもしれない。


 オレが食べ終えると、御影さんは満足そうに頷いた。


「昼時にまた参りますね。それまで、しっかりお身体を休めてくださいませ」


 そう言って、空になったトレーを持って、退室していく。再び一人になったオレは、ベッドに横になると、すぐに睡魔に誘われた。

 あ、歯磨き、してない……やらなきゃ、と思いつつ、瞼がにかわで貼り付けたように重い。白み始めた意識の波に、思考はあっという間に呑まれて消えた。



   ◆◇◆



 ――見知らぬ人が倒れていた。


 え!? 誰!? 何!? 泥棒!? 110番!?

 あまりのことに戦慄して、オレは声を上げることすら出来なかった。まさか、猫じゃなくて人が居るなんて。

 焦るばかりで身体は動かず、暫しその場に釘付けとなる。その内に、あることに気が付いて、ハッとした。


 ――この人、怪我をしてる。


 ラフなグレーのスウェットのあちこちに、赤黒い染みが広がっていた。それが血だと分かったのは、服から出ている素肌の部分にも、生々しい出血を伴う傷があったからだ。

 慌てて、駆け寄った。

 目を引く白金しろがねの髪に、十四、五歳くらいだろうか、まだあどけなさの残る綺麗な顔をした少年だった。横たわり、目を固く瞑っている。意識が無いのかもしれない。


「大丈夫ですか!? きゅ、救急車!?」


 軽く揺すって、呼びかける。すると、いきなり腕を掴まれた。


「!?」

「いい……呼ぶな」


 掠れた声。彼が身動いだ。白金の前髪から覗いたのは、見たこともないような色の瞳だった。

 ほんのりと赤みがかった、幻想的な紫の――。


「綺麗な、……」


 思わず、呟いていた。まるで、映画に出てくる妖精さんみたいだ。

 彼が驚いたように紫の双眸を瞠る。そうだ、今はそれどころじゃない。


「お兄さん、ひどい怪我……手当てしないと!」

「いや、必要ない。このくらい別に」

「ちょっと待ってて! 救急箱持ってくる!」

「っ、おい!」


 彼の制止を振り切って、オレは家内へと走った。救急箱とペットボトルの水を持って、急ぎ戻る。白金のお兄さんは、ちゃんと待っていてくれた。


「傷を洗うから、服脱いで」

「……ここで?」


 オレが促すと、彼は躊躇った。確かに、塀で囲われているとはいえ、で裸になれというのも酷か。オレは持ってきた救急箱一式とペットボトルを再び抱え上げ、玄関の方を示した。


「じゃあ、中に入って」

「いや……知らない奴、家に上げていいのかよ」


 他人ひとん家の庭に侵入しといて、何を今更。

「緊急事態だから、いいの」と押し切り、お兄さんを家内に引き込んだ。今思えば、随分危ないことをしたものだと思う。


「他の家族は?」


 落ち着かなげにリビングを見回して、彼が問うた。オレはテーブルの上に救急箱を置きながら答える。


「出かけてる。今は、オレ一人だよ」


 お兄さんは呆れた様子だった。


「警戒心無さすぎだろ」


 全くもってその通り。だけど、当時のオレには響かなかった。


「じゃあ、脱いで」


 ペットボトルの水を手に、再び促す。今度は、渋々ながらもお兄さんは従った。全身、打撲や裂傷に覆われた肌が顕になり、オレは息を呑んだ。


「どうして、こんな……」


 その疑問に対する解答は、沈黙で流された。その後は手当の間中、お兄さんは呻き声一つ上げず、ずっと黙ったままだった。ただ、オレが「痛くないの?」と聞いた時、目を伏せるようにして「慣れてる」とだけ呟いたのが印象的だった。

 そう言われてみると、傷には新しいものだけでなく、古いものまで沢山あった。一体、いつから……と考えると、何だか泣きそうになった。


「こんなことに慣れちゃダメだよ」


 涙目で訴えたら、お兄さんはバツが悪そうにそっぽを向いた。

 最後に患部に包帯や絆創膏を貼って、オレは完了の合図を送った。


「これで良し……っと」


 途端、安堵したせいか、ぐらりと目の前が回転するような感覚に襲われて、よろめいた。


「おい! どうした……って、あつ!?」


 咄嗟に支えてくれたお兄さんが、ギョッとする。どうやら、オレの熱が上がってきたらしい。


「熱あったのかよ、お前。他人のこと心配してる場合じゃないだろ」


 急激に遠のき始めた意識の端で、お兄さんがまたぞろ呆れたように溜息を吐いたのが聞こえた。

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