第3話 勉強嫌い、学校嫌い

 勉強は嫌いだった。最初から。


 だけど、今のようにそれを嫌っているのには、きっかけがあったはずだ。そう、十歳──あれは十歳のときの出来事である。


 しかし、今「出来事」と言ったが、この表現では幾らか大げさである気がする。つまり、「出来事」という言葉は、場合によって事件性を孕んでいるふうに聞こえるから。あれはそんな代物ではなく、単なるありふれた日常だったのに。


 なんてことはない──新学期、僕には友達ができなかったのだ。しかし、そんな古今東西ありふれた日常さえ、当時の僕には問題だった。仕方がない──これまでに、そんなことはなかったのだから。どちらかというと、それまで、僕は自分のことを友達の多い人間だと認識していたくらいだった。他人ひとに好かれ、他人ひとを好きになれる人間。要領がよく、社会でうまくやっていけるタイプ。だが、それは事実ではなかった。僕はむしろ、自分では何もできない人間だったのだ。愕然とした。いたと思っていた友達は、決して自分で得たものではなく、向こうから偶然寄ってきたものだったし、なぜ僕だったのかは知らないが、何もかも相手の気まぐれによる産物だったのである。思い返してみると、僕は幼い頃から、ほとんど自分から他人ひとにアプローチを掛けた経験がない。


 それで実際、僕は小学五年の四月、友達ができなかったし、学校が嫌いになった。それまでとのギャップのせいか、集団の中で一人きりでいるのは恥ずかしく、何よりつまらなかったから。僕は学校へ行きたくないと思い、あげく十歳のくせに、死にたいとまで考えるようになった。また、子供にとって、学校と勉強という項はほとんど同値と言って間違いでない。だから、僕は勉強まで、芋づる式に心底嫌いになったというわけだ。


 勉強、学校嫌いになった僕は、それでもやがて新しい環境に順応していった。というより、嫌な現実から目を背ける術を習得していったのだ。当時の僕には、それが小説だった。とある有名な、ファンタジー小説。その映画が公開されるとかで、当時、書店にはそれが平積みされていた。僕はそれを手に取ってみた。それまでも、親の買ってきた小説や、図鑑なんかを何十回、何百回と読み返す子供ではあったが、自らの意思で小説を手に取ったのは初めての経験だった。今でも僕にとって、そのタイトルは映画というよりむしろ小説の印象が強い。ともかく、家でも学校でも、僕は小説を読むようになり、そのおかげで学校へ行きたくないとは思わなくなった。僕は小説の世界に、つまりは非現実、空想の世界にのめり込んで行って、つまらない現実など、視界に収まらなくなった。


 むろん、こんな状態がいつまでも続いたわけではない。いつまでも現実から目を背けてはいられないし、現実の方も、そう簡単に人を見捨てたりしないからだ。半年も経てば、僕はクラスに友達ができており、小説のことは忘れ、すっかり元の生活に戻っていた。しかし、精神の方は、間違いなく以前と違ってしまった。僕はこの半年の時間で、己れの正体を知り、それはもはや忘れることなどできなかった。僕は引き返せないところまで来てしまっていた。実際、このときできた友達だって、教室で読書をしていた僕を、外へ引っ張っていってくれた人たちだったのだから。それでも、僕にとって彼らとの時間は、腹から幸福だったと思える、最後の時間だと言えるだろう。

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余命60年の僕にもできる三つのこと 枚島まひろ @maishimama

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