第2話 綺麗な手で掴めるもの

 僕は腕を組み、椅子に坐って、まるで瞑想する者のように、自室の机を前にし目を瞑っていた。むむむ、と唸り声を上げ、何か考え込むようなポーズを取っている。しかし、僕はふと、自分がただ唸っているだけで、案外頭の中は空っぽであると思い至った。このような思考法は、どうも僕には向いていないらしい。僕はこれまで、大した考えごとさえしてこなかったので、ものの考え方からして知らなかった。


《どうしたものか》と、僕は腰を上げ、近くのベッドに倒れ込んだ。仰向けになり、右手を天井に突き上げてみる。すると、手の甲に自然と焦点が合い、天井がぼやけて見えた。もう夕焼けの炎も穏やかになり、薄白い光が北向きの窓から差し込んでいる。その光が手の甲に微かな陰影を作った。綺麗な手だ。傷や、ささくれのない、それどころかペンだこ一つさえない綺麗な手だ。僕はそれを見つめて、苦労を知らない手、努力を知らない手だと思った。


 怪我というのは、不意の事故でもない限り、何か己れの範疇を超えたアクションを起こしたとき、つまりは自分の実力以上のことを行う際、あるいは慣れたことでも、体調不良なんかによって、いつものパフォーマンスが発揮できない状況において発生するものではないだろうか。思えば、もう何年もの間、僕は小さな切り傷さえ作っていない気がする。最後に怪我をしたのは、いったいいつのことだっただろう。運動や仕事、家事をしていなくても、切り傷の一つくらい作ってもよかった気がするのだが……


 はたして近頃の僕の生活に、怪我を作る要因があり得ただろうか。いや、あり得ない、そう僕は断言できた。僕は実力以上のアクションどころか、体調不良にさえ、もうずっとなっていないのだから。三食完備、清潔な寝室に、毎日洗濯される衣服たち。そのうえ、登校時の手頃な運動。こんなに健康的な生活を送っていて、どうして体調不良になれるだろう。また、実力以上のアクション──僕は努力を伴う経験を、長らくしていない。


 ない、ない、ない。


 そればかりだ、と僕は恐ろしく思った。何もかも与えられてばかりで、僕は生活をしていて、自力では何一つ得ていないのだ。


 だのに、こうして生きていられる。ただ、家族というシステムのおかげで。僕は生かされているんだ。それを、子供時代の特権だと納得してしまうことは可能だろう。僕の場合、最低限、学校へ通い、落第さえしていなければ、子供としての義務は果たしているのだから、と。だけど、五年後、たとえば二十二歳になったとき、はたして同じように生きていられるだろうか。いや、かつての父がそうし、おそらく姉たちもそうするように、僕も大学院へ行き、二十二歳でもまだ学生をやっているかも知れない。その場合、十年後は? 僕は二十七歳のとき、いったいどうしているだろう。本当に生きていられるだろうか。今のまま、何の浮き沈みもしない生活を続けていて、僕は何かを得られるだろうか。この綺麗な手で、何かを掴み取れるだろうか。


《勉強をしよう》


 そう、このとき僕は思った。目算なく、溺れた者が疑い一つなくロープに飛び付くように。高校二年生、冬の辺り、生き方を知らない僕は、目の前に垂れていた黄金の糸に縋り付いた。

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