日曜日の虚無

小狸

短編

 休日が無意味に消費されてゆく。


 何かをやろうとか、何かをしようとか、そういう気にならない。


 なることができないのである。


 そもそも週休二日で平日の疲労を取ろうとする方がどうかしている。現代日本の「勤務」のシステムに遺憾の意を表明したいけれど、残念ながら私程度の力ではどうすることもできない。


 大概の時間を、寝転がりながらスマホを見ている。動画サイト、まとめサイト、SNS、それらを行ったり来たりしながら、感情の起伏もなく、ただスクロールして、気付けば夕刻になっていた。


 SNSでは、頻繁に誹謗中傷が行ったり来たりしている。


 『死ね』だの『殺す』だの、子どもに『言ってはいけない』と指導するべき言葉を、当たり前のように投稿する大人達を見て、胸が苦しくなる。


 大人は子に『正しくあれ』と言うけれど。


 お前は正しいのかよ、と思わなくもない。


 皆暇なのだろうな、と思う。


 暇で、精神力の有り余っている輩が、そういう言葉を使うのだろう。


 そして存外そういう輩に限って、逆に自分が誹謗の的にされることは慣れていない。


 想像力が欠如しているのだ。自分が同じことをされたらどう思うか、そんなことすら思い至らない、小学校の道徳教育からやり直しするべき、可哀想な人間なのである。


 まあ。


 私が何かを言ったところで、何の意味もなさないのだろうが。


 人は『死ね』『殺す』と言うし。


 大人は『正しくあれ』と子に諭すし。


 自分だけは、絶対に正しいと思っている。


 本当、厄介な生き物である――人間は。


 そう思って――思わなければ良かったと後悔して、私はスマホをスクロールした。


 時々、どうして自分は仕事をしているのだろう、という気持ちになる。


 突き詰めれば「生きるため」なのだが、それは半分流されてやっているようなものだ。


 日本のシステムがそうなっている――というのも言い訳か。


 高校に行け、大学に行け、就活をしろ、仕事をしろ。


 自分で決めたことなんて、考えてみればごくわずかである。


 どうして自分は生きているのかと問われたら、何となくと答えるしかない。


 そろそろ結婚適齢期であり、同期も度々結婚し始めているが、私はその気がない――というかそもそも、交際相手がいない。


 いや、だからといって、いたからといって、何かが変わるということはないのだろう。


 人間関係が面倒臭くなるだけだ。


 極力、仕事以外では人と関わらずに生きていきたい。


 そう思っているのに――なぜか私は、時折寂しいと思う時がある。


 それどころではない。交際し、結婚まで発展している友人たちを見て、羨ましいと思う時もある。


 孤独。


 このまま一人で、私は一生生きなければならないのだろうか。


 そう考えると、ふとそんな思いに駆られることがある。


 そういう時には、SNSや動画を見て、気持ちを誤魔化している。


 対処療法である。


 根底の寂しさは何も解決されていない。


 しかし、いざやろうとすると――新しい人間関係を構築しようとすると、面倒臭くなってやめてしまうのだ。


 学生時代は、感情の起伏の少ない、落ち着いた生活を送りたいと思っていた。


 今、まさにそれである。


 しかし、何か欠乏を感じずにはいられない。


 欠乏というか、虚無だろうか。


 欠けているのではなく、無いのである。


 まあ、でも。


 それでも生きていけているから、仕事できているから、社会に適合できているから。


 いいや、どうでも。


 そう思って、私は再び、手元のスマホに目を移す。


 日が傾いた部屋に、スマホの明かりが、虚しく光った。




《Lonely Sunday》 is the END.

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