2話:労働条件

 は? 今、なんて、言った……?




「ごめんなさい。こんな事、突然言ったらびっくりしますよね」




 彼女は俺の噴き出した姿を見てあわあわとして、この前と逆にハンカチを渡された。


「す、すいません。ありがとうございますハンカチ。急にとんでもないことを言われてびっくりしただけです」


 お世話係ってなんだ。つまるところ、なんだ?


「私、この間振られたんです。付き合っていた彼氏に」

「はあ……それがなんで?」

「私ってこう見えて何でもできそうじゃないですか?」


 それ自分で言う? 確かにすごい出来そうですけど。


「周りからはとても信頼されてるんです」


 すげぇ自分持ち上げるじゃん。なんなの? 自意識過剰なの? 自慢なの?


「それがどうしたらお世話係に繋がるのか全くわかないんですけど」


「だからこう見えて何でもできそうなだけなんですよ」


「またまた御冗談を」


「これが証拠です」


 腰に手を当てて、ドヤァと言わんばかりにスマホを見せてきた。

 そこに映っていたのは汚部屋。

そして1枚スライドすると出てきたのは汚い料理の皿。料理というには烏滸がましいものだだった。


「ひでぇ……」


 思わず口に出してしまい、咄嗟に口を塞ぐ。


「いいんです。本当の事なんで」


「なんかすいません」


 現在進行形でこれなんだよな……。もしこれでお世話係をするのならば、この片付けから始まるって事か。

 悪くないがまずは条件だ。


「家事や掃除は得意ですよね?」

「ええ、まあ」


 なんで知ってんの? 当てずっぽうか?


「それに休日は結構凝った料理をしていますね?」

「なんでそのことを……怖いんですけど」


 彼女の表情は至って真面目である。眼力さえある。


「少々あなたの事を調べさせていただきました」

「帰っていいですか? もはやストーカーですよそれ」


「安心してください。探偵を雇っただけです」

「やり過ぎでしょ……そこまでして俺に何の用が?」


 どのくらいの期間調べられていたのかというと、容易に察しがつく。

 きっとあの日の次の日から早速だ。そして今日に至る、いや、昨日の時点で終わっていただろう。


 俺、変なことしてないよな? どこまで知られているのか分からなさ過ぎて怖い・


「あなたの会社、倒産するそうじゃない。仕事探してますよね? だったら丁度いいんですよ。私ほら、彼氏に振られたじゃないですか。だから私のお世話してくれる人が必要になったんです」


 ……彼氏さん、今までご苦労様でした。


 きっとあなたの選択は間違っていなかったと思います。あなたが出て行ってからどれくらいが経ったのか、2週間ほどでしょうか。それでこの有様です。正解です。


「ま、まず労働条件から言ってもらわないと、ね? それにあなたに人を雇えるほどの金銭的余裕があるんですか?」


「そうでしたね。私の素性をまずは明かさないといけませんね」


 彼女はにこりと笑い、鞄から名刺を1枚取り出す。

 彼女の雰囲気に空気が変わり始めた。


「私はchrysanthemum《クリサンセマム》という化粧品ブランドを経営しております。菊沢花と申します」


 渡された名刺には見覚えのあるブランドロゴ。どこか見覚えがあると思っていた、俺の記憶は正しかったみたいだ。


この人に出会う前、情報雑誌を適当にパラパラとめくっていた時に特集が組まれていて、目に留まった。


——それがこの人ってわけだ。


 今、目の前にいる子の人こそ、あの日、あの雑誌で見た「菊沢花」なのだ。

 なぜ今の今まで気付かなかったのだろうか。


 名刺を受け取った俺の手は震えていた。


「あははっ、緊張しなくてもいいですよ」

「いや、そんなこと言われても……しますよ」


 バレてた恥ずかしい。



「それでなんですけど、条件ですよね。まずは労働条件は基本自由です。私が起きる時間前にご飯の準備をしてもらいます。ついでにお弁当も作ってくれるとありがたいです。私が仕事に出かけてからは基本的な家事をやっていただきたいです」


 まあお世話係だし、そんな感じか。


「おっと、忘れていました。送迎もお願いします。車はセダンですけど大丈夫ですか?」

「大丈夫です。ちなみに左ハンドルではないですか?」


「国産車なので安心してください」

「あと自由とは何ですか?」


「そうですね、今言ったことをこなしてもらえれば、いつ休憩してもいいです。テレビを見ようが出掛けようが何しても構いません。ただ——」


「ただ?」


「これには大事な条件があります」


 条件? そんなもったいぶるような条件が必要なのか? 出かけてもいい、休憩してもいいって事は普通に考えたら誰でもやりたいと思うような仕事ではなかろうか。


「それは————住み込みで働くという事です」


「えっ、それってどういう……」


「住み込み以外ではこの仕事はできません」


「意味が分かりません。住み込みする必要がないと思うんですけど。別の家に住んでたって出来る仕事ですよ」


 それに前はそれを彼氏にやらしてたわけだ。彼は無給、俺は有給っておかしい。元カレ可哀想。


「私、こう見えて結構モテるんです」

「でしょうね」


「だからそういうことです」

「どういうことです?」


「だから! 私結構モテるんです!」


 聞きました。それは。だから何だと言うんですか?

 首を傾げていると、彼女は顔を赤くしてふがふがとした。


「だから! 私、結————はぁ……付き纏いとかあるんです。要するに用心棒としていてほしいってことですから」


 つまり男がいるという雰囲気とかを作っておきたいということか。


「はぁ、まあいいですけど。逆に聞きますけど、俺が変なやつとか考えたりしないんですか? 普通にあなたは可愛いですし、他の男だったら下心で近づいてくるとか考えないんですか?」


「それ、あなたのそういう所見込んでるの。私、これでも人を見る目はあるの」

「家事はできないし、彼氏に振られているのに?」


「うるさい」

「すいません」


「他の男だったらって今言いましたよね」

「言いましたね」


「つまりあなたはそこに自分を含んでないわけです」

「おぉ、確かに」


 つい感心してしまった。


「送迎して、そのまま家から出て来なければ、あなたは必然的に彼氏という認定がされるわけです。あと他の社長さんも牽制できるんで一石二鳥」


「送迎があるからね」


「そうです」


「まあ分かりました。労働条件は。次は給与です」


「給与は前職くらい出しましょう。30万でしたね」


「細かいことは気にしないでおきます」


 給料が30万、仕事はお世話係。いわゆる家政婦みたいな感じだ。

 条件は悪くないし、住み込みだって今の住んで居る家より確実にランクアップした部屋で生活ができる。こんな破格の条件はこの世にないだろう。


 だから俺が出す答えはもちろん————。




「わかりました。やらさせて頂きます」





「本当ですか? ありがとうございます!」


 喜びたいのはこちらなんだが、そんなに喜んでもらえるならこちらとしても歓迎されている気持ちになれてありがたく思える。


「じゃあ今の会社の仕事が終わり次第ということで。あとで住所を送りします。連絡先交換しましょう」



 それからとんとん拍子で話は進み、俺は連絡先を交換して公園を後にした。



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