第23話 南波遥②
浅倉将吾の事件から数日。
警察に一連の事情を説明するのに大分骨が折れた。
有紗が少しやりすぎた事に関しては目撃者の何人かが正直に話してしまっていたが浅倉本人が逃亡して行方をくらましていることもあり、何とか有耶無耶にできそうだった。
華奢な女の子が大柄の男の腕をへし折り、鉄パイプをねじ切ったなどいくら証言があろうとも到底信じられるものではないだろう。
小倉夫妻に関してはしばらく周辺のパトロールを強化してくれるということで話はついた。
それでは不安だろうということでしばらく身を隠さないかと近藤君を通して提案をしたが職場に迷惑をかけたくないと断られてしまった。
再び浅倉が襲撃してくるのではと近藤君は食い下がったがそれでも小倉夫妻は固辞した。
近藤君の不安は理解できたので一応という形で提案をさせてはもらったが、恐らくその心配はないと思う。
有紗と対峙したあの時。
浅倉将吾の矜持は完膚なきまでに砕かれた。
弱者をいたぶってつけたまがい物の自信ではあるが浅倉は自身の暴力を信じる暴力の信奉者だ。それが自身を上回る暴力によってねじ伏せられたらもはや正気ではいられないだろう。
拠り所を失った心では近藤君たちに対するお門違いな襲撃などやっている余裕などない。どこに隠れているかは知らないが眠れぬ夜を過ごしていることだろう。
警察も本腰をいれて捜査するはずだ。
刑事と名乗る人間に浅倉の名前を出した瞬間、彼らの目つきが変わったのだ。
気になったので伝手を使って調べてみた。
浅倉は警察からマークをされていた。洒落にならない案件でだ。
警察もバカじゃない。今の浅倉ならばどこに隠れていようと逃げおおせることはできない。捕まるのも時間の問題だろう。
ひょっとしたら、本人にとってはそれが一番幸せなことかもしれない。
そんな考え事をしながら歩いていると目的地に到着する。
テラスが設置されたオシャレなカフェだ。
SNS映えするのか大学生くらいの若い女性が多い。
入店すると店員が近づいてきたのでテラス席を希望する。情報通りならそこにいるはずだ。直感もそう言っている。
天気は快晴だ。風も心地が良い。
目的が目的でなければ有紗と英君と一緒に来たかったものだ。
テラスへと足を踏み入れる。
彼を探す。
見つけた。
男は高級に仕立てられたスーツに身を包んでいた。足を組み、テーブルに広げたノートパソコンで作業をしているその様はSNSや広告で見かけるような出来るビジネスマンを想起させる。
しかし、私の目にはどうにも違和感だらけに写ってしまう。
キーを押す仕草一つ取ってもどこか作り物めいているのだ。
気取った動作の一つ一つがこの男の薄っぺらさを隠すための演出に見えてならない。
近づきながら深く息を吸い、そして吐く。
鳴らされる警鐘を抑え込み、口を開く。努めて自然に。努めて冷静に。
「ひょっとして……尾上君」
私の呼びかけに男が顔を上げる。端正な顔に驚きの色が浮かぶ。
「えっ……あの、南波、先輩?」
こっちの方が驚きだ。
名前を憶えていた。
てっきり身体のことしか覚えていなないとばかり思っていた。
「久しぶりだね」
飛び切りの作り笑いを私は
「卒業して以来だから10年ぶりですかね? いやぁ、本当に久しぶりだなぁ」
身体中に視線を感じる。
品定めの視線だ。
たった1年間のことであるが何度この視線を浴びてきたことか。
親し気な笑みこそ浮かべているがその下にある本性は狂喜乱舞していることだろう。取り逃がした獲物がわざわざ自分から網にかかってきたのだからそれも当然か。
「学年違うのにちょくちょく話しかけてきたよね」
「あの頃から南波先輩きれいで有名でしたからね、お近づきになりたいってずっと思ってたんですよ」
ほんの少し前までランドセルを背負っていた子供から向けられた獣欲の気持ち悪さは今でも忘れていない。
「あまり相手できなくてごめんね」
「受験生でしたからね、仕方ありませんよ。同い年だったらなぁ、もっと仲良くできてたのに残念だったな」
これで口説いているつもりなのだろうか。顔の良さを差し引いたとしてもお粗末なトークスキルだ。
「尾上君、今仕事は何してるの?」
「ちょっと会社を経営してまして」
「すごい。社長さんなんだ?」
「ええ、まだ小さいんですけどね。スマホのアプリを作ってます」
知らないフリも疲れるものだ。
20人弱の社員で主にマッチングアプリの開発、運営を行っていることは調査済みだ。もちろんその内情も把握している。
「ゆくゆくはもっと大きくしたいと思ってる感じ?」
「ええ、もちろん」
その自信はどこから出てくるのやら。
「南波先輩は?」
「私は……株や投資をちょっとね」
「株? 南波先輩が?」
またしてもまさぐられるような視線を感じる。しかし、今度のは少し毛色が違う。
「着てるものが高価だからどうしたんだろうって思ってたら、なるほどそういうことか」
そうじゃなかったらどう思っていたのだろうかこの男。
近づきやすいようにと統一感あるブランド品でまとめ、かつ、着飾りすぎて下品にならないような装いをしてきたが、大方、愛人契約でも結んでいるとでも思っていたのだろう。
「それで上手くいってるんですか?」
「生活に困らない程度にはね」
尾上の目の色が変わる。
金の匂いを嗅ぎつけたようだ。
「すごいなぁ……。南波先輩、いや、遥さんって呼んでもいいですか?」
鳥肌が立つ。
大切なものを汚い手で触れられたかのような嫌悪感が湧いて止まらなくなる。
やめろ。下の名前で私を呼ぶな。私の大切な人以外で私の名前を汚すな。
「どうしたの、急に?」
「いえ、こうしてお会いできたんですよ。本当はあの頃からこうして呼びたかったんです」
遠回しに断るが尾上は気づきもしない。
距離の詰め方があまりにも稚拙で幼稚だ。
顔こそ整っているし、経営者という一応の肩書もある。しかし、言ってしまえばそれだけだ。
この男はそれだけで人がなびくと思っている。
どれだけ単純な女性しか相手にしてこなかったのだろう。
「遥さん」
やめろ、鳥肌が止まらなくなる。
「どうでしょう? 今夜お時間空いてませんか?」
ヤバい。気持ち悪い。
目的が見え透きすぎてわざとやっているのではないかと勘繰りたくなってしまうが、隠しきれていない欲望の視線が本気の言葉であると私に教えてくる。
「……尾上君、結婚してるよね?」
左手の薬指に対して言及する。
「ええ、でも心配いりませんよ。彼女は理解ある女性なので。遥さんもそのつもりで声をかけてきたんでしょ?」
ダメだ、会話が成立しない。
人間と話している気がしない。
目の前の生き物は私のことなど見ていない。
自分にとって都合のいい偶像を想像し、都合のいい世界に浸りながら勝手なことを口走っているだけにすぎないのだとようやく理解できた。
「……奥さんは」
「遥さん、今はそん……」
「木澤彩さんだよね?」
口を開けたままの間抜け面で尾上が硬直する。
そっちがその気ならもういい。私も勝手に話すとしよう。
「何で……」
「あなたと木澤さんって中学の時とっても仲が良かったよね。そういえば他にもいたよね? いつも一緒にいたお友達が」
軽薄な顔面がわずかに曇る。
死んだ者のことを思ったのだろう。実に滑稽だ。
他人に対して何一つ思いやりが持てないというのにこの仲間意識には薄気味悪さすら覚える。
「そうそう。お友達で思い出した。私、この前会ったの」
「……会った?」
「浅倉君よ。浅倉将吾君」
尾上の顔が青ざめた。
「……どこで」
「ある夫婦が働いている工場よ。びっくりしたなぁ、車に乗って猛スピードで工場の壁に突っ込んできてね。出てきたときにはパニックになってたのかな? 鉄パイプなんか持ってて興奮した状態だったの。すぐに逃げちゃったんだけど、ホントどうしたんだろうね?」
「……すみません。ちょっと会社に電話を」
「繋がらないよ」
小刻み身体を震わしながら席を立とうとする尾上にはっきり伝える。
腰を浮かした状態で尾上はまた硬直する。
「浅倉君ね、車を乗り捨てて逃げていったんだけど車内にスマホを置き忘れてたみたいなの。ロックの方は簡単に解除ができたみたいでその待ち受け画面には写真が貼られていたの。警察の人が確認のために見せてくれたんだけどね、まあ、びっくり」
さっきまで謎の自信に溢れていた顔がクシャクシャに歪む。
一つ皮を剥いてしまえば、これがこの男の本性なのだろう。
「仲睦まじいあなた達の写真が写っていたのよね」
「……何なんだよ……お前」
「浅倉君って結構悪い事してたんだね」
何か言おうとしているが知らない。私はお前との会話などすでに放棄している。
「前から警察もマークしてたみたいだけど、まだ捕まってないみたい。見つかった方がいいと思うんだけどなぁ」
「どういう……」
「追っているのは警察だけだと思う?」
狭い世界の王様気取りは領分を弁えずにやりすぎたのだ。
世の中には踏み込んでいけない領域がある。浅倉将吾は浅はかにもそこに踏み込んだ。大した後ろ盾も覚悟もなく。
そしてその世界の住人の逆鱗に触れてしまっている。
「詳しいことは言わないよ。でも断言してあげる。警察に捕まることが浅倉君にとっての最善だよ。だから……早く捕まるといいね」
生きてたら、ていう言葉はつくけどね。
「えっ……? えっ?」
腰が砕けたように尾上が椅子に座り込む。
薄っぺらい虚飾がはげ落ちてしまっている。
「尾上君も気をつけなよ」
「えっ?」
言葉の出し方を忘れたのか、間抜けな返事しか返ってこない。耳が腐りそうな声を聞かなくてすむので好都合だ。
「浅倉君と一緒になって随分とヤンチャしてたでしょ?」
尾上の表情が瞬く間に変色する。
「会社のお金使ったりとやりたい放題やってるみたいだけど、特にこれはいただけないな」
笑顔の仮面をここで外す。
遠慮も容赦もなく向けたのは軽蔑の視線だ。
「自分の会社のマッチングアプリを使って女の子を襲うっていうのはいくらなんでも悪質すぎない?」
淫獣から表情が消える。
下半身で物を考える猿。
整った容姿の下に隠されたそれがこの男の本質だ。
本人は渋っていたが有紗を連れてこなくてよかった。こんな生き物を目の当たりにしたらとてもじゃないけど抑えることなどできなかっただろう。
「……誰から聞いた」
「心当たりはたくさんあるでしょ?」
「俺の親父や、親戚が……」
「このご時世で金や政治家の圧力で何でもごまかせると思ってる? 隠しきれるものじゃないよ」
世の中を舐めすぎだ。
自分が助かるとまだ思ってるのだろうか。
私が何もしなくても近いうちにこの男の所業は明るみになるだろう。
「……何が目的だ? 金か?」
「必要ないかなぁ。私、お飾りさんよりは稼いでるし」
図星をつかれたか忌々しそうに表情を歪める。
SNSでしつこいほどにできる社長をアピールしているが実態は社長椅子に座ってるだけのお飾りだ。
アプリの事など何一つ理解していない。
仕事は常に社員に丸投げ状態だ。
無能であることを悟られないために一日の大半をオフィスではなく外に出て仕事をしているフリをしている。
経営能力は皆無に等しく苦しくなれば親類縁者に資金援助を求める体たらく。その資金も一部は懐に入れている。
挙句の果てには何人かの女性社員に関係を強要している有様だ。
「じゃあ……何だよ、どうしたいんだよ?」
脂汗をかきながら怯えるその様に辟易する。
くだらない。
心底くだらない男だ。
「私はただ伝えにきただけだよ」
「はっ?」
「私の口を閉じようと、誰かの口封じに奔走しようと近いうちに君は破滅するっていうことを君とその子にね」
指をさす。尾上ではなくその背後に。
「だから、そんなことをしなくてもいいんだよ」
尾上が背後を振り返る。
少年が立っていた。
正確には少年ともう一人だ。
もっと正確に言えば尾上に向けて手を伸ばしかけていた少年とその手を掴んで食い止めている男が立っていた。
「……本当に高校生くらいなんだ……」
少年の顔をまじまじと見ながら町山英心は呟く。
影は祓われた。
神様の御業を授けられた人は人知れず奇跡を起こした。
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