第22話 近藤勇也④

 誰も彼もが今起こった光景を理解できないでいた。

 隣に立つ健も口を開けた状態で呆けている。

 俺もそうだ。訳が分からない。

 突然襲い掛かってきた大柄の男は一目見ただけで浅倉将吾だと分かった。

 忌々しいことに憎らしいやつの顔ほど早く判別できてしまう。

 鉄パイプを携え、人間が出してはいけない咆哮をあげるその姿は誰の目から見ても正気ではなかった。

 人間の形をした獣の登場。

 それだけでも充分に現実感のない光景だったというのに、そこから更に追い打ちをかけるかのような光景が飛び込んでくることとなった。

 浅倉よりも二回りも小柄な女性がやつの目の前に立ったかと思うと、口元を鷲掴みにして顎を外した。

 そのまま右腕を掴むと鈍い音とともにありえない方向に浅倉の腕が曲がった。

 極めつけには浅倉のやつの持っていた鉄パイプを手に取ると雑巾絞りの要領で引きちぎってしまった。

 ありのまま起こったことを言ってみたが自分でも何を言ってるか自分でも分からない。

 あの有名漫画の有名なセリフを言ったキャラクターもきっとこんな気持ちだったのだろう。

 そんな場違いなことを現実逃避代わりに考えてしまうほどにありえない光景だった。

 浅倉は逃げた。

 ひどい顔で、ボロボロの状態で。

 誰も追おうとはしなかった。

 俺も追わなかった。起こったことに対して現実感が追いついてないのだから当然だろう。

 実際問題、今現在の光景すら信じられないでいる。

 人智の及ばない暴威を振るった彼女、新城有紗は泣きながら南波先輩にしがみついて涙を流している。まるで、迷子になっていた子供が母親に泣きつくような狼狽ぶりだ。

 しがみつく彼女の背後で町山が何かのまじないのようにしきりに手を振りかざしていた。

「……何だ、これ?」

 現実感が未だに追いついてこない中、この言葉を呟くのだけが俺の精一杯だった。


 警察呼べ。

 誰かともなくそう叫んでくれたことによって止まっていた時間がようやく動き出した。他に被害はないかと蜘蛛の子が散るように誰もがあちこちに動き出す。

「……ねえ、どういうこと?」

 ようやく我に返ったのか健が俺に尋ねてきた。

 説明してやりたいのは山々なのだが、何から話せばいいのやら。

「……ていうか、あれってもしかして、町山君?」

 俺の迷いをしり目に健が震える手で指をさす。さした方向にいたのは町山だった。

「ああ、たまたま会うことになって、それで一緒に来てくれた」

「……澄子に連絡しなきゃ」

「……混乱するだけだから後にしとけ」

 どうやらまだ現実に戻り切れていないらしい。事情を話すのはまだ後にした方がいいだろう。

「健さん! 勇也さん!」

 背後から呼びかけられる。

 今度は何だ、と思いかけたところでそれが聞きなれた声であることに気づく。

「みきか?」

 振り返ると自転車を押したみきがいた。

 こいつがここにいることは別におかしなことではない。住居も兼ねているこの工場はこいつの実家でもあるのだ。

「これ何? 事故? どういうこと? 何があったの?」

 実家のあまりの惨状にすっかり混乱している。

「誰かケガした? お父さんは? 他の人は?」

「工場のみんなは大丈夫。誰もケガなんてしてないよ」

 やっと現実に戻ってきたのか健が宥めるようにみきに言う。強張った表情が少しだけ和らいだ。

「お父さんは?」

「工場にいるよ、多分警察に連絡してる」

「会っても大丈夫?」

「大丈夫じゃないかな」

 健からの許可をもらい、工場に向かいだすみきだったが俺の前で足を止める。

「何で勇也さんウチにいるの?」

「それは……あとでちゃんと説明するから、まず親父さんのところに行ってきな」

 気になるわな、そりゃ。

 はぐらかすようで申し訳なかったがここはひとまず保護者に会わせることを優先する。

 訝しむようにこちらを見る視線が痛いが背を押しながら工場へ行くように促す。

「とんでもないことになったなぁ」

「……浅倉のやつ、何しにここに来たの? ……もしかして、僕たちが目的?」

 工場に入っていく背中を見送りながら、健がこの件の核心をつく。

「……多分、そうだと思う。詳しいことは警察が来たときにも話すけど連絡した件も浅倉絡みだ」

「何でだよ……」

 やりきれないという表情が痛々しい。

 人の人生に拭いきれない傷をつけておいてまだ足りないというのか。まだ踏みにじろうというのか。

 俺たちがお前らの人生に一体何の干渉をしたというのか。何の関係もないところで平和に幸せに暮らすことも許されないというのか。

 復讐だとか、嫌がらせだとか、そんなものは時間の無駄すぎて考えもしなかったぞ、こっちは。何の関係もないところにいてくれれば死んでようと生きていようと、どうでもよかったというのに。

 ただ生きていることすら、お前らにとっては目障りでしょうがないことだと言うのか。

「あいつはやりすぎた。目撃者もたくさんいる。警察もさすがに動いてくれるさ」

 健の背中を叩きながら気休めを言う。

 こんなことを言っても不安はぬぐい切れるものではないだろうが言わないよりはマシだろう。

 健は何も答えない。

 ただ黙って拳を握り続けている。

 もう少し気休めを言ってやりたがったがそれを見てしまうと言葉が出てこなかった。

「こ、近藤君」

 男2人しばらく佇んでいると、俺を呼ぶどもった声が聞こえた。

 町山だった。

「そっちは落ち着いたか?」

 そう聞くとおっかなびっくりな頷きが返ってきた。見ると南波先輩に肩を抱かれてはいるが新城さんは落ち着きを取り戻した様子だ。

 こうして見ると普通の女性にしか見えない。鬼神めいた姿が嘘のようだ。夢だ、集団幻覚だと言われたほうが納得できてしまうくらい弱弱しく、儚げに見える。

「町山君だよね? ぼく……」

「それでどうした?」

 町山を前に健が話しかけようとしたが割って入る。

 健には悪いが何か言いたげな顔でこちらを見ているようだったので先に用件を聞く。

「えっと、うん。あの、さっきの、男、いや女? ……さっき、近藤君たちが喋ってた人って、男の子か女の子どっち?」

 口ごもりがひどい質問に健と顔を見合わせる。浮かべたのは困惑だった。

 

 何いってるんだ、こいつ?

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